婚約破棄、喜んで!悪役令嬢は、お作法よりも「お夜食」を愛したい

ちゃっぴー

文字の大きさ
4 / 28

4

しおりを挟む
翌朝。アステリア公爵邸の食堂には、朝からありえない匂いが立ち込めていた。


芳醇なバター、焦げた醤油、そして分厚いベーコンが焼ける暴力的な香りだ。


私が席に着くと、目の前には「山積みのトースト(バター別添え)」と「エッグベネディクト(マヨネーズ増量)」、そして「大盛りポテトサラダ」が並べられた。


「……おはようございますわ、お父様。素晴らしい朝ですわね」


私が優雅に(ただし手元は素早く)ナイフとフォークを動かしていると、向かいの席で青白い顔をした父、アステリア公爵がコーヒーを啜りながら私を見ていた。


「……エリチカ。お前、昨夜からずっと食べていないか?」


「失礼な。深夜二時から四時までは、しっかり消化のために睡眠を取りましたわ。おかげで今の私は、生まれたての小鳥のように胃袋が空っぽですの」


「小鳥はそんなにベーコンを食べないと思うぞ……」


お父様は深い溜息をつき、数枚の書類をテーブルに置いた。


「昨夜の婚約破棄の件だ。王宮からは正式に受理したとの連絡があった。セドリック殿下は、リリアーヌ嬢との仲を公認させるために必死のようだが……問題はお前だ」


「私? 私は見ての通り、人生で一番幸せな瞬間(とき)を過ごしておりますが」


私は半熟卵の黄身をトーストに絡め、大きく一口頬張った。溢れる幸福。もはや語彙力は死に絶え、脳内には「旨い」という二文字しか残っていない。


「世間はそうは見ない。公爵令嬢が婚約破棄され、そのショックで狂ったように食べ続けている……。そんな噂が広まれば、アステリア家の名は地に落ちる」


「あら、そう。なら解決策は一つですわね」


私は飲み込んだばかりのパンの余韻を楽しみながら、口元をナプキンで拭いた。


「お父様。私を勘当してください」


「ぶっ……!?」


お父様がコーヒーを吹き出した。執事のセバスチャンが、流れるような動作でそれを拭い去る。


「か、勘当だと? 何を言っているんだ。破滅した娘を見捨てるほど、私は冷徹な親ではないぞ」


「いいえ、お父様。これは愛の鞭ではなく、私のわがままです。今の私はアステリア公爵家の名に縛られすぎていますわ。公爵令嬢が街角で串焼きを十本一気食いしていたら、それこそスキャンダルでしょう?」


「……まあ、そうだろうな」


「でも、ただの『エリチカ(自称・元令嬢)』ならどうでしょう? どれだけ食べても、どれだけ油に塗れても、誰も文句は言えません。私は自由な野良の食いしん坊になりたいのです!」


私は椅子から立ち上がり、お父様の手を両手で握りしめた。


「お願いします、お父様! 私を平民に落としてください! 家督も財産もいりません! ただ、調理長直伝のレシピと、当面の食費だけ持たせていただければ!」


「お前……。そこまでして食べたいのか? プライドや地位を捨ててまで、油っぽいものを?」


「お父様。プライドでお腹は膨れませんわ。地位で揚げたてのコロッケは買えませんわ。今の私に必要なのは、高貴な名前ではなく、強靭な胃袋とそれを満たす環境なのです!」


お父様は呆然としていた。


自分の娘が、教育の行き届いた完璧な令嬢だと思っていたのは幻想だったのだ。その皮を一枚剥けば、中から出てきたのは「食欲」という名の怪物だったのだから。


「……エリチカ。本気なのだな?」


「本気も本気、超本気です。明日から『下町の食い倒れ令嬢』として生きていく準備はできておりますわ!」


お父様はしばし沈黙した後、力なく頷いた。


「わかった……。お前のその目が、何よりも真実を物語っている。だが、一つ条件がある」


「条件?」


「勘当とは言ったが、表向きは『療養のための別居』ということにする。場所は下町の空き家を貸し出す。そこでお前が、一人で……いや、アンナを連れて、自分の食欲と向き合うがいい」


「お父様! 大好きですわ!」


私は思わずお父様に抱きつこうとしたが、自分の手がベーコンの脂でギトギトなのを思い出し、寸前で止めた。これが私の、唯一残された淑女としての配慮だ。


「アンナ! 準備をして! 私たちは今すぐ、この不自由な城(屋敷)を出るわよ!」


「お嬢様ぁ……! 本当に、本当に平民生活を始めるのですか……!?」


アンナの悲鳴のような声を背中で聞きながら、私は食堂を飛び出した。


目標は下町。そこにはまだ見ぬ、安くて旨くて暴力的なカロリーたちが私を待っている。


「見てなさい、セドリック殿下。あなたがリリアーヌさんと薄いサラダを食べている間に、私は街中の油を制覇してみせますわ!」


公爵邸の門を出る私の足取りは、かつてないほど軽かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

捨てられた悪役はきっと幸せになる

ariya
恋愛
ヴィヴィア・ゴーヴァン公爵夫人は少女小説に登場する悪役だった。 強欲で傲慢で嫌われ者、夫に捨てられて惨めな最期を迎えた悪役。 その悪役に転生していたことに気づいたヴィヴィアは、夫がヒロインと結ばれたら潔く退場することを考えていた。 それまでお世話になった為、貴族夫人としての仕事の一部だけでもがんばろう。 「ヴィヴィア、あなたを愛してます」 ヒロインに惹かれつつあるはずの夫・クリスは愛をヴィヴィアに捧げると言ってきて。 そもそもクリスがヴィヴィアを娶ったのは、王位継承を狙っている疑惑から逃れる為の契約結婚だったはずでは? 愛などなかったと思っていた夫婦生活に変化が訪れる。 ※この作品は、人によっては元鞘話にみえて地雷の方がいるかもしれません。また、ヒーローがヤンデレ寄りですので苦手な方はご注意ください。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

【完結】捨てられた皇子の探し人 ~偽物公女は「大嫌い」と言われても殿下の幸せを願います~

ゆきのひ
恋愛
二度目の人生は、前世で慕われていた皇子から、憎悪される運命でした…。 騎士の家系に生まれたリュシー。実家の没落により、生きるために皇宮のメイドとなる。そんなリュシーが命じられたのは、廃屋同然の離宮でひっそりと暮らすセレスティアン皇子の世話係。 母を亡くして後ろ盾もなく、皇帝に冷遇されている幼い皇子に心を寄せたリュシーは、皇子が少しでも快適に暮らしていけるよう奮闘し、その姿に皇子はしだいに心開いていく。 そんな皇子との穏やかな日々に幸せを感じていたリュシーだが、ある日、毒を盛られて命を落とした……はずが、目を開けると、公爵令嬢として公爵家のベッドに横たわっていた。けれどその令嬢は、リュシーの死に因縁のある公爵の一人娘……。 望まぬ形で二度目の生を享けたリュシーと、その死に復讐を誓った皇子が、本当に望んでいた幸せを手に入れるまでのお話。 ※本作は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さんにも投稿しています。 ※表紙画像はAIで作成したものです

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました

しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。 そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。 そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。 全身包帯で覆われ、顔も見えない。 所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。 「なぜこのようなことに…」 愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。 同名キャラで複数の話を書いています。 作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。 この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。 皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。 短めの話なのですが、重めな愛です。 お楽しみいただければと思います。 小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる

きまま
恋愛
王家に仕える名門ラングフォード家の令嬢セレナは王太子サフィルと婚約を結んだばかりだった。 穏やかで優しい彼との未来を疑いもしなかった。 ——あの日までは。 突如として王都を揺るがした 「王太子サフィル、重傷」の報せ。 駆けつけた医務室でセレナを待っていたのは、彼女を“知らない”婚約者の姿だった。 ※本作品は別サイトにて掲載中です

処理中です...