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窓越しに差し出したガーリックライス。それを完食した隣人の男は、空になった皿をじっと見つめて硬直していた。
夜の静寂の中に、カチリ、とスプーンが皿に当たる音だけが響く。
「……お隣さん? もしもし? あまりの美味しさに魂が抜けてしまいましたの?」
私が声をかけると、男はハッと我に返ったように鋭い視線をこちらに向けた。
その目つきは、戦場で敵を射抜く猛禽のよう。少なくとも、下町の空き家で夜食を食べている男の目ではない。
「……貴様。この飯、どこで習った。ただの素人が作れる味じゃない」
「あら、失礼ね。私はこれでも、王宮一の……いえ、世界一の料理人たちを間近で観察してきた『美食の観察者』ですのよ」
(……実際は、厨房に忍び込んで調理長の手元を盗み見ていただけだけど!)
「……ふん。油の温度、ニンニクの火の通し方。完璧だ。特にこの、焦げる寸前の醤油の香ばしさは、計算され尽くしている」
男はボソボソと独り言のように呟きながら、私の返した皿を窓枠に置いた。
「名乗るほどのものではないが、俺はサイラスだ。この界隈の治安維持を……まあ、手伝っている」
「サイラス様ね。私はエリチカ。見ての通り、自由を愛する食いしん坊ですわ。こっちは侍女のアンナ」
「ひぃっ、よ、よろしくお願いいたしますぅ……!」
アンナが私の背後に隠れて震えている。まあ、サイラス様の顔は確かに「今から処刑を始めます」みたいな圧があるものね。
「エリチカと言ったか。……一つ警告しておく。この辺りは夜になると、腹を空かせた野良犬や、質の悪い酔っ払いも出る。そんな匂いを撒き散らして料理をするのは、自殺行為だぞ」
「あら、ご忠告ありがとう。でも大丈夫ですわ。襲ってくるのが野良犬なら、骨付き肉で手なずけてみせますし、酔っ払いなら激辛スープで正気に戻して差し上げますわ!」
私が胸を張ると、サイラス様は呆れたように大きな溜息をついた。
「……まったく。能天気な女だ。おい、その皿は洗って明日返してやる。今日はもう寝ろ」
「ええ、おやすみなさい。……あ、サイラス様。もし明日の朝、壁が『ドン』と鳴ったら、それは私が美味しいものを作った合図だと思ってくださいな!」
「……鳴らすか、そんなもん」
サイラス様はそっけなく窓を閉めた。
翌朝。
私は宣言通り、早起きをしてキッチンの前に立った。
今日のメニューは、昨日の残りのベーコンと、近所の市場で手に入れた「少し不格好だけど新鮮な卵」を使った、超厚切りフレンチトーストだ。
「アンナ、見て。このパンの厚さ。辞書か枕のようでしょ?」
「お嬢様、朝からそんなに甘くて重いものを……。またコルセットが悲鳴を上げますわよ」
「アンナ。忘れたの? 私のコルセットは、あの夜、華々しく散ったのよ。今の私は、無限に広がる宇宙(胃袋)を持っているの!」
たっぷりの卵液に浸した厚切りパンを、バターを溶かしたフライパンに放り込む。
——ジュワァァァァッ。
甘いバニラとバターの香りが、朝の爽やかな空気と混ざり合う。仕上げに蜂蜜をこれでもかと回しがければ、それはもう、神への冒涜と言っても過言ではない一皿の完成だ。
「さあ、実食よ! ……あ、そうだった」
私は出来立てのフレンチトーストを皿に盛り、ふと思い立って壁に近づいた。
そして、握り拳で力一杯、壁を叩いた。
——ドンッ!!
「お嬢様!? 本当に叩く人がいますか!?」
「だって、約束ですもの! お隣さん、朝ご飯よー!」
壁の向こうは静かだった。
(……やっぱり、無視されたかしら?)
そう思った瞬間。
——ドォォォォンッ!!!
壁が、私の叩いた時より三倍くらいの威力で叩き返された。
「ひゃああああっ! 家が、家が壊れますわぁぁぁっ!」
アンナが頭を抱えてしゃがみ込む。
直後、窓が勢いよく開く音がした。
「……エリチカ! 貴様、朝っぱらから何の匂いをさせている!」
サイラス様が、寝癖のついた(でも顔は相変わらず怖い)姿で窓から顔を出していた。
「あら、おはようございます。フレンチトーストですわ。バターと蜂蜜を限界まで使った、最高の一品ですのよ」
「……フレンチ、トーストだと? あんな、女子供が食べるような甘ったるいものを……」
サイラス様の言葉とは裏腹に、彼の鼻は完璧にこちらを向いている。
「あら、いらないのかしら? せっかくサイラス様の分も焼いたのに。アンナ、これ、あなたが二枚食べなさい」
「えっ!? いいのですかお嬢様! いただきま——」
「……待て」
サイラス様が、窓枠を掴む手に力を込めた。
「……毒見だ。治安維持を司る者として、不審な甘味を放置しておくわけにはいかない」
「ふふ。正直ですわね。はい、どうぞ」
私が皿を渡すと、サイラス様はそれをひったくるように受け取った。
そして、下町の路地裏。
朝日を浴びながら、強面の騎士(自称・治安維持)と、元悪役令嬢が、壁越しに甘いパンを頬張るという、シュールな光景が展開されたのである。
サイラス様は一口食べるなり、天を仰いで目を閉じた。
「……蜂蜜の、暴力だ……」
「最高でしょう?」
「……ああ。悪くない」
彼が壁を叩いたのは、拒絶ではなく、期待の合図。
私の「お夜食作戦」に、強力な(?)協力者が加わった瞬間だった。
夜の静寂の中に、カチリ、とスプーンが皿に当たる音だけが響く。
「……お隣さん? もしもし? あまりの美味しさに魂が抜けてしまいましたの?」
私が声をかけると、男はハッと我に返ったように鋭い視線をこちらに向けた。
その目つきは、戦場で敵を射抜く猛禽のよう。少なくとも、下町の空き家で夜食を食べている男の目ではない。
「……貴様。この飯、どこで習った。ただの素人が作れる味じゃない」
「あら、失礼ね。私はこれでも、王宮一の……いえ、世界一の料理人たちを間近で観察してきた『美食の観察者』ですのよ」
(……実際は、厨房に忍び込んで調理長の手元を盗み見ていただけだけど!)
「……ふん。油の温度、ニンニクの火の通し方。完璧だ。特にこの、焦げる寸前の醤油の香ばしさは、計算され尽くしている」
男はボソボソと独り言のように呟きながら、私の返した皿を窓枠に置いた。
「名乗るほどのものではないが、俺はサイラスだ。この界隈の治安維持を……まあ、手伝っている」
「サイラス様ね。私はエリチカ。見ての通り、自由を愛する食いしん坊ですわ。こっちは侍女のアンナ」
「ひぃっ、よ、よろしくお願いいたしますぅ……!」
アンナが私の背後に隠れて震えている。まあ、サイラス様の顔は確かに「今から処刑を始めます」みたいな圧があるものね。
「エリチカと言ったか。……一つ警告しておく。この辺りは夜になると、腹を空かせた野良犬や、質の悪い酔っ払いも出る。そんな匂いを撒き散らして料理をするのは、自殺行為だぞ」
「あら、ご忠告ありがとう。でも大丈夫ですわ。襲ってくるのが野良犬なら、骨付き肉で手なずけてみせますし、酔っ払いなら激辛スープで正気に戻して差し上げますわ!」
私が胸を張ると、サイラス様は呆れたように大きな溜息をついた。
「……まったく。能天気な女だ。おい、その皿は洗って明日返してやる。今日はもう寝ろ」
「ええ、おやすみなさい。……あ、サイラス様。もし明日の朝、壁が『ドン』と鳴ったら、それは私が美味しいものを作った合図だと思ってくださいな!」
「……鳴らすか、そんなもん」
サイラス様はそっけなく窓を閉めた。
翌朝。
私は宣言通り、早起きをしてキッチンの前に立った。
今日のメニューは、昨日の残りのベーコンと、近所の市場で手に入れた「少し不格好だけど新鮮な卵」を使った、超厚切りフレンチトーストだ。
「アンナ、見て。このパンの厚さ。辞書か枕のようでしょ?」
「お嬢様、朝からそんなに甘くて重いものを……。またコルセットが悲鳴を上げますわよ」
「アンナ。忘れたの? 私のコルセットは、あの夜、華々しく散ったのよ。今の私は、無限に広がる宇宙(胃袋)を持っているの!」
たっぷりの卵液に浸した厚切りパンを、バターを溶かしたフライパンに放り込む。
——ジュワァァァァッ。
甘いバニラとバターの香りが、朝の爽やかな空気と混ざり合う。仕上げに蜂蜜をこれでもかと回しがければ、それはもう、神への冒涜と言っても過言ではない一皿の完成だ。
「さあ、実食よ! ……あ、そうだった」
私は出来立てのフレンチトーストを皿に盛り、ふと思い立って壁に近づいた。
そして、握り拳で力一杯、壁を叩いた。
——ドンッ!!
「お嬢様!? 本当に叩く人がいますか!?」
「だって、約束ですもの! お隣さん、朝ご飯よー!」
壁の向こうは静かだった。
(……やっぱり、無視されたかしら?)
そう思った瞬間。
——ドォォォォンッ!!!
壁が、私の叩いた時より三倍くらいの威力で叩き返された。
「ひゃああああっ! 家が、家が壊れますわぁぁぁっ!」
アンナが頭を抱えてしゃがみ込む。
直後、窓が勢いよく開く音がした。
「……エリチカ! 貴様、朝っぱらから何の匂いをさせている!」
サイラス様が、寝癖のついた(でも顔は相変わらず怖い)姿で窓から顔を出していた。
「あら、おはようございます。フレンチトーストですわ。バターと蜂蜜を限界まで使った、最高の一品ですのよ」
「……フレンチ、トーストだと? あんな、女子供が食べるような甘ったるいものを……」
サイラス様の言葉とは裏腹に、彼の鼻は完璧にこちらを向いている。
「あら、いらないのかしら? せっかくサイラス様の分も焼いたのに。アンナ、これ、あなたが二枚食べなさい」
「えっ!? いいのですかお嬢様! いただきま——」
「……待て」
サイラス様が、窓枠を掴む手に力を込めた。
「……毒見だ。治安維持を司る者として、不審な甘味を放置しておくわけにはいかない」
「ふふ。正直ですわね。はい、どうぞ」
私が皿を渡すと、サイラス様はそれをひったくるように受け取った。
そして、下町の路地裏。
朝日を浴びながら、強面の騎士(自称・治安維持)と、元悪役令嬢が、壁越しに甘いパンを頬張るという、シュールな光景が展開されたのである。
サイラス様は一口食べるなり、天を仰いで目を閉じた。
「……蜂蜜の、暴力だ……」
「最高でしょう?」
「……ああ。悪くない」
彼が壁を叩いたのは、拒絶ではなく、期待の合図。
私の「お夜食作戦」に、強力な(?)協力者が加わった瞬間だった。
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