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王立学院の卒業パーティーから数日。王宮のプライベートな食堂では、セドリック皇太子と、彼の新たな婚約者候補となったリリアーヌが向かい合っていた。
本来ならば、邪魔な「悪役令嬢」を排除し、真実の愛を謳歌するバラ色の時間のはずだった。
だが、セドリックの表情はどこか優れず、リリアーヌもまた、目の前の皿を前にして困惑したような表情を浮かべている。
「……セドリック殿下。本日のメインディッシュは、その……大変、独創的な色合いですわね」
リリアーヌが震える手で指差したのは、鮮やかな緑色をした、どろりとした固形物だった。
「ああ。母上……王妃殿下が推奨されている『薬草と青菜の凝縮ペースト~大地の恵み仕立て~』だそうだ。栄養価は極めて高いらしい」
セドリックは、まるで毒薬を検分するような目でそのペーストを見つめた。
「……お味は、いかがですの?」
「……無だ。草をそのまま噛み潰して、少しだけ苦味を足したような……完全なる、無だ」
セドリックが一口飲み込み、遠い目をする。
そうなのだ。アステリア公爵家のエリチカがいなくなってから、王宮の食卓にはある「異変」が起きていた。
これまで、王宮の料理がそれなりに豪華で、かつ「食べられる味」を保っていたのは、ひとえにエリチカの存在があったからだった。
「……考えてみれば、エリチカはいつも、王妃殿下の健康志向に真っ向から異を唱えていたからな」
セドリックは、数週間前の出来事を思い出した。
当時、王妃が「次期王妃たるもの、肌の輝きのために一週間、豆の煮汁だけで過ごすべきですわ」と提案した際。
エリチカは顔を真っ赤にして、「冗談ではありませんわ! そんな貧相な食事、公爵家の飼い犬でもお断りです! 今すぐ牛のヒレ肉にフォアグラを乗せて持ってきなさい!」と、テーブルを叩いて激怒したのだ。
その時は「なんて傲慢で贅沢な女だ」とセドリックも軽蔑したものだったが。
「……あの女が『自分のために』と言って無理やり肉や揚げ物を作らせていたおかげで、僕の分も、ついでに『普通の料理』になっていたというわけか……」
「そんな……。お姉様は、ご自分の欲望のために王妃殿下に逆らっていただけだと思っていましたわ」
リリアーヌも、目の前の「草の塊」を一口食べて、露骨に顔をしかめた。
「リリアーヌ。君は、僕のためにこの『健康美学』に付き合ってくれると言ったね」
「ええ、もちろん……。殿下の愛があれば、草の一本や二本……。でも、せめて、せめて塩気が欲しいですわ……。あと、少しの脂身……」
リリアーヌの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
彼女は「薄幸で守ってあげたくなる美少女」という立ち位置を維持するために、普段から小食を装っていた。
だが、それはあくまで「たまに隠れてお菓子を食べる」ことが前提の小食だったのだ。
今の王宮は、王妃の「健康第一主義」を止めるエリチカという盾が消えたことにより、完全なる「超・健康食の聖域」へと変貌してしまったのである。
「……殿下。お姉様が追放された下町では、一体何を食べているのでしょうか」
「ふん。公爵家を勘当同然で追い出されたのだ。今頃は、泥を洗ったジャガイモを齧って泣いているに違いない。自業自得だ」
セドリックは自分に言い聞かせるように、力強く言った。
「君との真実の愛のために、僕はあの毒婦を排除したんだ。食事の内容が少しばかりストイックになったくらいで、僕たちの絆は揺らがない。だろう?」
「……左様でございますわね、殿下。……ううっ、お腹が鳴りそうですわ」
「僕もだ……。リリアーヌ、今夜は特別に、二人で厨房へ忍び込んで、何かまともなものを探さないか?」
「素敵ですわ! パンの一切れでもあれば、私は幸せです!」
深夜。
二人は人目を忍んで王宮の厨房へと忍び込んだ。
だが、そこで彼らが見つけたのは、徹底的に管理され、バターの一つも残っていない、清潔すぎる調理場だった。
「……ない。どこにも、肉の欠片(かけら)すらない」
セドリックが、空の戸棚を開けて絶望の声を上げる。
かつては、エリチカが「深夜のおやつが必要よ!」と騒ぐために、常に最高級のハムやチーズが常備されていた場所だ。
しかし今、そこにあるのは、王妃が用意させた「噛めば噛むほど顎が鍛えられる乾燥ハーブの茎」だけだった。
「殿下……。私、気づいてしまいましたわ。お姉様がいない王宮は……とても、お腹が空きますのね」
「…………認めん。僕は認めないぞ、リリアーヌ。愛さえあれば、空腹など……!」
グゥゥゥゥ……。
セドリックの腹の虫が、夜の厨房に空しく響き渡った。
その頃、下町のエリチカの家では。
「ああん、サイラス様! そのベーコンの焼き加減、神がかっておりますわ!」
「……うるさい。貴様が『もっと脂を、もっと脂を』と言うから、三度も油を足したんだぞ」
「いいのですよ! これこそが、命の輝きですわ!」
深夜のガーリックベーコンパーティーが開催されており、強烈な匂いが近所中に撒き散らされていた。
もしセドリックがこの匂いを一嗅ぎでもしようものなら、プライドを投げ捨てて下町まで走ってきたに違いない。
だが、今の彼はまだ知らない。
自分が捨てたのが、ただの「悪役令嬢」ではなく、「最高の食生活への切符」だったということに。
本来ならば、邪魔な「悪役令嬢」を排除し、真実の愛を謳歌するバラ色の時間のはずだった。
だが、セドリックの表情はどこか優れず、リリアーヌもまた、目の前の皿を前にして困惑したような表情を浮かべている。
「……セドリック殿下。本日のメインディッシュは、その……大変、独創的な色合いですわね」
リリアーヌが震える手で指差したのは、鮮やかな緑色をした、どろりとした固形物だった。
「ああ。母上……王妃殿下が推奨されている『薬草と青菜の凝縮ペースト~大地の恵み仕立て~』だそうだ。栄養価は極めて高いらしい」
セドリックは、まるで毒薬を検分するような目でそのペーストを見つめた。
「……お味は、いかがですの?」
「……無だ。草をそのまま噛み潰して、少しだけ苦味を足したような……完全なる、無だ」
セドリックが一口飲み込み、遠い目をする。
そうなのだ。アステリア公爵家のエリチカがいなくなってから、王宮の食卓にはある「異変」が起きていた。
これまで、王宮の料理がそれなりに豪華で、かつ「食べられる味」を保っていたのは、ひとえにエリチカの存在があったからだった。
「……考えてみれば、エリチカはいつも、王妃殿下の健康志向に真っ向から異を唱えていたからな」
セドリックは、数週間前の出来事を思い出した。
当時、王妃が「次期王妃たるもの、肌の輝きのために一週間、豆の煮汁だけで過ごすべきですわ」と提案した際。
エリチカは顔を真っ赤にして、「冗談ではありませんわ! そんな貧相な食事、公爵家の飼い犬でもお断りです! 今すぐ牛のヒレ肉にフォアグラを乗せて持ってきなさい!」と、テーブルを叩いて激怒したのだ。
その時は「なんて傲慢で贅沢な女だ」とセドリックも軽蔑したものだったが。
「……あの女が『自分のために』と言って無理やり肉や揚げ物を作らせていたおかげで、僕の分も、ついでに『普通の料理』になっていたというわけか……」
「そんな……。お姉様は、ご自分の欲望のために王妃殿下に逆らっていただけだと思っていましたわ」
リリアーヌも、目の前の「草の塊」を一口食べて、露骨に顔をしかめた。
「リリアーヌ。君は、僕のためにこの『健康美学』に付き合ってくれると言ったね」
「ええ、もちろん……。殿下の愛があれば、草の一本や二本……。でも、せめて、せめて塩気が欲しいですわ……。あと、少しの脂身……」
リリアーヌの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
彼女は「薄幸で守ってあげたくなる美少女」という立ち位置を維持するために、普段から小食を装っていた。
だが、それはあくまで「たまに隠れてお菓子を食べる」ことが前提の小食だったのだ。
今の王宮は、王妃の「健康第一主義」を止めるエリチカという盾が消えたことにより、完全なる「超・健康食の聖域」へと変貌してしまったのである。
「……殿下。お姉様が追放された下町では、一体何を食べているのでしょうか」
「ふん。公爵家を勘当同然で追い出されたのだ。今頃は、泥を洗ったジャガイモを齧って泣いているに違いない。自業自得だ」
セドリックは自分に言い聞かせるように、力強く言った。
「君との真実の愛のために、僕はあの毒婦を排除したんだ。食事の内容が少しばかりストイックになったくらいで、僕たちの絆は揺らがない。だろう?」
「……左様でございますわね、殿下。……ううっ、お腹が鳴りそうですわ」
「僕もだ……。リリアーヌ、今夜は特別に、二人で厨房へ忍び込んで、何かまともなものを探さないか?」
「素敵ですわ! パンの一切れでもあれば、私は幸せです!」
深夜。
二人は人目を忍んで王宮の厨房へと忍び込んだ。
だが、そこで彼らが見つけたのは、徹底的に管理され、バターの一つも残っていない、清潔すぎる調理場だった。
「……ない。どこにも、肉の欠片(かけら)すらない」
セドリックが、空の戸棚を開けて絶望の声を上げる。
かつては、エリチカが「深夜のおやつが必要よ!」と騒ぐために、常に最高級のハムやチーズが常備されていた場所だ。
しかし今、そこにあるのは、王妃が用意させた「噛めば噛むほど顎が鍛えられる乾燥ハーブの茎」だけだった。
「殿下……。私、気づいてしまいましたわ。お姉様がいない王宮は……とても、お腹が空きますのね」
「…………認めん。僕は認めないぞ、リリアーヌ。愛さえあれば、空腹など……!」
グゥゥゥゥ……。
セドリックの腹の虫が、夜の厨房に空しく響き渡った。
その頃、下町のエリチカの家では。
「ああん、サイラス様! そのベーコンの焼き加減、神がかっておりますわ!」
「……うるさい。貴様が『もっと脂を、もっと脂を』と言うから、三度も油を足したんだぞ」
「いいのですよ! これこそが、命の輝きですわ!」
深夜のガーリックベーコンパーティーが開催されており、強烈な匂いが近所中に撒き散らされていた。
もしセドリックがこの匂いを一嗅ぎでもしようものなら、プライドを投げ捨てて下町まで走ってきたに違いない。
だが、今の彼はまだ知らない。
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