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「お、お、お嬢様! 大変です! 家の前に、ものすごくキラキラした、いかにも『私は公務執行中です』と言わんばかりの騎士様たちが並んでいますわ!」
朝から特製ラードで揚げパンを転がしていた私の元へ、アンナがひっくり返りそうな勢いで飛び込んできた。
私は揚げたてのパンに、これでもかと砂糖とシナモンをまぶしながら、窓の外をチラリと見た。
「あら、本当ね。あんなにピカピカの鎧を着て……。太陽光の反射が目に毒だわ。もっとこう、脂ぎった鈍い光の方が目に優しいのに」
「そんなこと言っている場合ですか! あれは間違いなく王宮の使者ですわ。ついに、ついに不敬罪でお縄を頂戴する時が来たんですのね……!」
アンナがガタガタと震えながら、自分用の荷物をまとめ始めた。逃げ足だけは速い侍女ね。
私は落ち着いて揚げパンを一口齧ると、玄関の扉を勢いよく開けた。
「お待たせいたしました! 本日の『お夜食屋台』は夜からの営業ですが、予約なら承っておりますわよ!」
扉の向こうには、十人ほどの騎士を従えた、若くて真面目そうな文官が立っていた。彼は私を一目見るなり、絶句した。
無理もないわ。今の私は、かつての縦ロールを無造作にまとめ、エプロンには無数の油のシミ。右手には砂糖まみれの揚げパンを持っているのだから。
「……エリチカ・フォン・アステリア様とお見受けいたします。私は、セドリック皇太子殿下の命により参りました、使者のハンスです」
「あら、ハンス様。殿下からの伝言かしら? 『真実の愛の披露宴に、特製の串揚げを百本用意しろ』という依頼なら、前払いでお願いしますわよ」
「……いいえ。殿下からは、『君のこれまでの不敬を許すから、今すぐ王宮に戻りなさい』という寛大なお言葉を預かっております」
ハンス様はそう言って、仰々しく巻物を広げた。
しかし、彼の声はどこか微かに震えている。……というか、彼の視線が、私の持っている揚げパンの断面に釘付けになっている。
「戻れ? どうしてかしら。あんな、パセリとハーブティーしか出ない監獄に、自ら進んで戻る人間がいるとお思い?」
「……王宮の食事環境については、現在、再検討の余地があるとのことです。殿下も、その……少々、痩せ細っておられまして……」
(だろうな、と思っていましたわ。あの健康マニアの王妃様に太刀打ちできるのは、私くらいのものだもの)
「お断りしますわ。見ての通り、私は今、新メニューの開発で忙しいのです。ハンス様、あなたもどうかしら? これ、最高級のラードで三度揚げした『心臓破りのシナモンパン』よ」
私はハンス様の鼻先に、揚げパンを突き出した。
甘く、香ばしく、そして圧倒的な「脂」の香りが、彼の理性をダイレクトに揺さぶる。
「……っ。くっ、私は公務の最中だ。このような、不潔な街角の食べ物などに……ぐぅぅぅ……」
彼の立派な腹の虫が、騎士たちの前で盛大に鳴り響いた。
「あら。お腹と心は正直ですわね。ほら、毒は入っていませんわ。私が今、目の前で完食して見せてもいいのよ?」
「……一枚。いや、一口だけだ。不審物がないか確認するために、私が試食してやろう」
ハンス様は、震える手でパンを受け取った。そして、周囲の騎士たちの目を気にするようにしながら、バクリと一口。
「…………!!」
彼の顔から、みるみるうちに血色が戻っていく。
「……なんだ、これは。この、外側のカリッとした食感と、中のじゅわっと溢れる甘い脂は……。王宮の乾燥クラッカーとは、まるで別次元の……!」
「でしょう? さあ、あちらの騎士様たちもどうぞ。皆さん、あんな重い鎧を着て、朝から何も食べていないのでしょう?」
私はアンナに目配せをして、ストックしていた揚げ物たちを次々とトレイに乗せて運ばせた。
「お、おい……使者殿。これは我々も『検分』すべきではないだろうか?」
「ああ。不測の事態に備え、我々の胃袋でその安全性を確かめる必要がある」
最初は渋っていた騎士たちも、一口食べれば最後。
下町の路地裏で、キラキラの鎧を着た屈強な男たちが、口の周りを砂糖と油でギトギトにしながら「旨い……!」「生きててよかった……!」と涙を流して揚げパンを貪るという、異様な光景が広がった。
「……エリチカ様」
ハンス様が、空になったトレイを惜しそうに見つめながら、真剣な顔で私を見た。
「はい、なんでしょう。もう戻る気になりました?」
「……いいえ。決意しました。私は殿下にこう報告します。『エリチカ様は、未知の病に侵されており、とても王宮に戻れる状態ではない』と」
「あら、まあ。どんな病気かしら?」
「……『重度の油中毒』です。そして、その伝染を防ぐため、私と騎士団数名は、しばらくこの付近に留まり、監視を続ける必要がある……と」
「ふふ。要するに、明日もこれを食べに来たいということですわね?」
ハンス様は、顔を真っ赤にしながらも力強く頷いた。
「……報告書には、そう書いておきます!」
こうして、王宮からの第一の使者は、私の「脂」の軍門に降ったのである。
王宮で私の帰りを待ち侘びているであろうセドリック殿下。
残念ですが、あなたの部下たちは今、自由とカロリーの味を知ってしまったのですよ。
朝から特製ラードで揚げパンを転がしていた私の元へ、アンナがひっくり返りそうな勢いで飛び込んできた。
私は揚げたてのパンに、これでもかと砂糖とシナモンをまぶしながら、窓の外をチラリと見た。
「あら、本当ね。あんなにピカピカの鎧を着て……。太陽光の反射が目に毒だわ。もっとこう、脂ぎった鈍い光の方が目に優しいのに」
「そんなこと言っている場合ですか! あれは間違いなく王宮の使者ですわ。ついに、ついに不敬罪でお縄を頂戴する時が来たんですのね……!」
アンナがガタガタと震えながら、自分用の荷物をまとめ始めた。逃げ足だけは速い侍女ね。
私は落ち着いて揚げパンを一口齧ると、玄関の扉を勢いよく開けた。
「お待たせいたしました! 本日の『お夜食屋台』は夜からの営業ですが、予約なら承っておりますわよ!」
扉の向こうには、十人ほどの騎士を従えた、若くて真面目そうな文官が立っていた。彼は私を一目見るなり、絶句した。
無理もないわ。今の私は、かつての縦ロールを無造作にまとめ、エプロンには無数の油のシミ。右手には砂糖まみれの揚げパンを持っているのだから。
「……エリチカ・フォン・アステリア様とお見受けいたします。私は、セドリック皇太子殿下の命により参りました、使者のハンスです」
「あら、ハンス様。殿下からの伝言かしら? 『真実の愛の披露宴に、特製の串揚げを百本用意しろ』という依頼なら、前払いでお願いしますわよ」
「……いいえ。殿下からは、『君のこれまでの不敬を許すから、今すぐ王宮に戻りなさい』という寛大なお言葉を預かっております」
ハンス様はそう言って、仰々しく巻物を広げた。
しかし、彼の声はどこか微かに震えている。……というか、彼の視線が、私の持っている揚げパンの断面に釘付けになっている。
「戻れ? どうしてかしら。あんな、パセリとハーブティーしか出ない監獄に、自ら進んで戻る人間がいるとお思い?」
「……王宮の食事環境については、現在、再検討の余地があるとのことです。殿下も、その……少々、痩せ細っておられまして……」
(だろうな、と思っていましたわ。あの健康マニアの王妃様に太刀打ちできるのは、私くらいのものだもの)
「お断りしますわ。見ての通り、私は今、新メニューの開発で忙しいのです。ハンス様、あなたもどうかしら? これ、最高級のラードで三度揚げした『心臓破りのシナモンパン』よ」
私はハンス様の鼻先に、揚げパンを突き出した。
甘く、香ばしく、そして圧倒的な「脂」の香りが、彼の理性をダイレクトに揺さぶる。
「……っ。くっ、私は公務の最中だ。このような、不潔な街角の食べ物などに……ぐぅぅぅ……」
彼の立派な腹の虫が、騎士たちの前で盛大に鳴り響いた。
「あら。お腹と心は正直ですわね。ほら、毒は入っていませんわ。私が今、目の前で完食して見せてもいいのよ?」
「……一枚。いや、一口だけだ。不審物がないか確認するために、私が試食してやろう」
ハンス様は、震える手でパンを受け取った。そして、周囲の騎士たちの目を気にするようにしながら、バクリと一口。
「…………!!」
彼の顔から、みるみるうちに血色が戻っていく。
「……なんだ、これは。この、外側のカリッとした食感と、中のじゅわっと溢れる甘い脂は……。王宮の乾燥クラッカーとは、まるで別次元の……!」
「でしょう? さあ、あちらの騎士様たちもどうぞ。皆さん、あんな重い鎧を着て、朝から何も食べていないのでしょう?」
私はアンナに目配せをして、ストックしていた揚げ物たちを次々とトレイに乗せて運ばせた。
「お、おい……使者殿。これは我々も『検分』すべきではないだろうか?」
「ああ。不測の事態に備え、我々の胃袋でその安全性を確かめる必要がある」
最初は渋っていた騎士たちも、一口食べれば最後。
下町の路地裏で、キラキラの鎧を着た屈強な男たちが、口の周りを砂糖と油でギトギトにしながら「旨い……!」「生きててよかった……!」と涙を流して揚げパンを貪るという、異様な光景が広がった。
「……エリチカ様」
ハンス様が、空になったトレイを惜しそうに見つめながら、真剣な顔で私を見た。
「はい、なんでしょう。もう戻る気になりました?」
「……いいえ。決意しました。私は殿下にこう報告します。『エリチカ様は、未知の病に侵されており、とても王宮に戻れる状態ではない』と」
「あら、まあ。どんな病気かしら?」
「……『重度の油中毒』です。そして、その伝染を防ぐため、私と騎士団数名は、しばらくこの付近に留まり、監視を続ける必要がある……と」
「ふふ。要するに、明日もこれを食べに来たいということですわね?」
ハンス様は、顔を真っ赤にしながらも力強く頷いた。
「……報告書には、そう書いておきます!」
こうして、王宮からの第一の使者は、私の「脂」の軍門に降ったのである。
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