婚約破棄、喜んで!悪役令嬢は、お作法よりも「お夜食」を愛したい

ちゃっぴー

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「……サイラス様。起きていますか。今、眠りにつこうとした貴方の脳内に、直接語りかけていますわ……」


「……壁越しに大声で喋るな。筒抜けだ。というか、俺はまだ寝ていない」


深夜二時。下町の静寂を切り裂くように、私は隣の壁に向かって話しかけていた。


「大変ですわ。先ほどマカロンを食べたばかりだというのに、私の胃袋が『次は塩気と脂、そして啜れるタイプの炭水化物を寄越せ』と暴動を起こしておりますの」


「……貴様の腹はどうなっている。ブラックホールでも飼っているのか?」


そう言いながらも、数分後には窓を乗り越えてサイラス様が私のキッチンに降り立っていた。


彼は呆れ顔を隠そうともせず、だがその瞳には「期待」の色が隠しきれずに宿っている。


「さあ、始めましょう。今夜のテーマは『啜る快楽』ですわ。パスタを使いつつ、王宮の洗練された味とは真逆の、下卑た中毒性を追求しますの」


「……パスタを啜るだと? そんな行儀の悪い真似、公爵令嬢がよく言えたものだな」


「あら、今の私はただの食いしん坊ですもの。サイラス様、そこに置いてある『魔法の白い粉』を取ってくださる?」


「……魔法の粉? まさか、禁制品か?」


「重曹ですわ。これをパスタの茹で汁に入れると、不思議なことに麺が独特の風味とコシを持って、東方の伝説にある『ラーメン』のような食感に変わるのです!」


私は大きな鍋にたっぷりの湯を沸かし、そこに重曹を投入した。


シュワシュワと泡立つ鍋にパスタを放り込み、その傍らで別の小鍋を熱する。


「見ていてくださいな。ここに入れるのは、昨日から煮込んでおいた『豚の骨と脂の濃縮スープ』よ。そこに、大量のおろしニンニクと、たっぷりのラードを——ドン!」


「……おい、エリチカ。脂の層が、スープの表面を完全に覆い尽くしているぞ」


「それがいいのです! この脂の膜が、最後まで麺を熱々に保ち、旨みを閉じ込めるバリアになるのですわ!」


湯気がキッチンに立ち込める。


ニンニクと豚の脂が混ざり合った、本能を激しく揺さぶる香りが、狭い空間に充満した。


「……くっ。この匂い……暴力だ。嗅いでいるだけで、喉が鳴る」


「ふふ。さあ、茹で上がった麺をこの脂の海へ……ダイブ!」


私は手際よく麺を盛り付け、その上に厚切りの煮豚と、半熟の味玉、そして追いニンニクを添えた。


「完成ですわ。名付けて『悪役令嬢風・真夜中の背徳パスタ麺』。サイラス様、音を立てて啜るのが正解ですわよ」


「…………いただきます」


サイラス様は、無造作にフォーク(箸の代わりだ)で麺を掴み、一気に啜り上げた。


——ズズッ、ズズズッ……!!


「…………っ!!」


彼は目を見開き、あまりの衝撃に椅子から立ち上がりかけた。


「……なんだ、このコシは。そして、このスープ。舌に絡みつくような濃厚な脂の旨みが、ニンニクの刺激と共に駆け抜けていく……!」


「でしょう? お上品なコンソメスープでは、このカタルシスは得られませんわ!」


私たちは、狭い調理台の前に並んで座り、無我夢中で麺を啜った。


立ち上る熱い湯気が、二人の顔を包み込む。


「あつっ……。でも、止まりませんわ……」


「……エリチカ。口元に、スープがついているぞ」


「あら」


私が指で拭おうとした瞬間、サイラス様の手が伸びてきた。


彼の無骨な指先が、私の唇の端をそっとなぞる。


熱いスープのせいか、それとも別の理由か。キッチンの温度が、一気に数度上がったような気がした。


「……サイラス、様?」


「…………すまん。つい、手が動いた」


彼は気まずそうに視線を逸らし、残りのスープを一気に飲み干した。


「……熱いのは、この麺のせいだな」


「……ええ。きっと、そうですわ。ラードの保温効果が凄すぎますのね」


私は赤くなった顔を隠すように、空になった丼を覗き込んだ。


沈黙が流れるが、それは決して不快なものではなかった。


二人で同じ「不道徳な味」を共有したという、共犯者同士の奇妙な連帯感。


「……エリチカ。貴様の作るものは、どれも毒が強すぎる」


「あら、お口に合いませんでした?」


「……逆だ。これを知ってしまうと、もう元の生活には戻れない。……責任を取ってくれるんだろうな?」


「ふふ。もちろんですわ。あなたの胃袋の最後の一粒まで、私が責任を持って管理して差し上げます!」


夜のキッチン。


ニンニクの香りに包まれながら、私たちは少しだけ、未来の話……ではなく、次に作る「超濃厚カルボナーラ」の話に花を咲かせたのだった。
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