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「……エリチカ、着いたぞ。ここが俺の城、ノースガルドだ」
馬車の扉が開いた瞬間、私の鼻を掠めたのは、ツンとくるような冷たい冬の空気……そして、微かな「潮の香り」と「獣の匂い」だった。
目の前に広がるのは、王都の華やかさとは無縁の、灰色の空と雪に覆われた峻険な山々。
石造りの無骨な城は、まるでお洒落という言葉を辞書から抹殺したかのような実用一点張りの佇まいだ。
「……ひどいところだろう。娯楽もなければ、贅沢品もない。あるのは雪と、凍った土だけだ」
サイラス様が、申し訳なさそうに視線を落とした。
城の門前には、これまた無骨な、けれどどこか誠実そうな顔をした領民たちが集まってきている。
「……お、お帰りなさいませ、領主様! そちらの美しいお方は、まさか王都からお連れした……?」
「……エリチカ・フォン・アステリア嬢だ。訳あって、しばらくここで過ごすことになる」
領民たちは私の姿を見て、一様に同情の眼差しを向けた。
「おいたわしや……。こんな、まともな食い物もない北の果てに……」
「王都のきらびやかなお菓子なんて、ここには一欠片もありませぬぞ」
私は、自分に向けられた同情の声など耳に入っていなかった。
なぜなら、私の視線は、城の裏手にある川のほとりに積み上げられた「あるもの」に釘付けになっていたからだ。
「……ねえ、サイラス様。あそこに山積みになっている、銀色に輝く巨大な物体は何かしら?」
「……ああ、あれか。この時期、川を遡上してくる『アイスサーモン』だ。だが、見ての通り、身の半分が白い脂で構成されているような代物でな。食べると胃が焼けるし、すぐに火を吹くから、うちの領民は誰も食べたがらない。せいぜい、ランプの油を絞るくらいしか使い道がないんだ」
サイラス様は心底嫌そうに鼻を鳴らした。
私は、その言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「……捨てて……いる? 身の半分が脂でできている、最高級の天然素材を……捨てているというの!?」
「……捨ててはいない。畑の肥料にしたり、犬にやったりしているが……。エリチカ?」
私はドレスの裾をまくり上げ、雪道を猛ダッシュした。
「お、お嬢様ぁぁ! いきなり生臭い魚の山にダイブしないでくださいましぃ!」
アンナの制止を振り切り、私は銀色の山へとたどり着いた。
一匹手に取ってみる。……重い。そして、指が触れた瞬間に体温で脂が溶け出すほどの、驚異的な脂乗り!
「……なんてこと。これ、王都で一切れ食べようと思ったら、金貨一枚は飛ぶわよ……! それを肥料にしているなんて、ノースガルドの人は神をも恐れぬ大富豪なのかしら!?」
さらに見れば、その隣には巨大な、見たこともないような「白いキノコ」が自生している。
「……それは『雪マッシュルーム』だ。水分が多くて焼いてもべちゃべちゃになるから、これまた不人気な食材でな……」
サイラス様が追いついてきて、補足する。
「……いいえ、サイラス様。水分が多いということは、それだけ『旨みを含んだ出汁(スープ)』が出るということよ! これを、あのサーモンの脂で揚げ焼きにしたら……!」
私の脳内では、瞬時に最強のレシピが構成された。
「サイラス様、今すぐ大きな鍋と、薪を用意してちょうだい! それと、領地の地下蔵に眠っている、使い道のわからない『山塩』があったわね?」
「……ああ。しょっぱすぎて誰も使わない、あの岩塩か」
「完璧ですわ! アンナ、ハチマキを用意しなさい! 今からこの『呪われた氷の領土』を、『脂の約束された地』に変えて差し上げますわ!」
私は、震える手でサーモンを捌き始めた。
一時間後。
城の広場には、香ばしい、あまりにも暴力的なまでの「焼き魚」の香りと、キノコの濃厚な出汁の香りが漂い出した。
サーモンの皮は炭火でパリッパリに焼かれ、溢れ出した脂がそのまま「揚げ油」となって、添えられた雪マッシュルームを黄金色に染め上げている。
「……さあ、領民の皆さん! 毒見は私が済ませましたわ! これを食べれば、冬の寒さなんて一瞬で吹き飛びますわよ!」
私は、出来立ての『アイスサーモンの脂まみれステーキ・マッシュルームのコンフィ添え』を領民たちに配り歩いた。
最初は恐る恐る口にしていた彼らだったが……。
「…………っ! な、なんだこれは……! 体が、中から熱くなってくる……!」
「この脂、全然しつこくない! むしろ、口の中で甘い雪のように溶けていくぞ!」
「こんなに旨いものが、俺たちの川で泳いでいたなんて……! 俺たちは今まで、宝の山を捨てていたのか……!」
広場に、歓喜と絶叫が響き渡った。
「……サイラス様。見てください。皆さん、いい食べっぷりですわ」
「…………」
サイラス様は、手にした皿の上のサーモンをじっと見つめ、そして私を見た。
「……エリチカ。貴様は本当に……。この不毛な土地を、たった一回の食事で救ってしまったな」
「ふふ。救ったなんて大げさですわ。私はただ、美味しいものを美味しいと言える環境を整えただけですもの」
私は、自分の分の大盛りステーキにかぶりついた。
溢れ出す脂が、唇をテカテカに輝かせる。
「ここが約束の地……。私、もう王都には一ミリも未練がありませんわ!」
雪の降る辺境の領土。
そこは、誰にも邪魔されない、私とサイラス様の「最高の食卓」の始まりだったのである。
馬車の扉が開いた瞬間、私の鼻を掠めたのは、ツンとくるような冷たい冬の空気……そして、微かな「潮の香り」と「獣の匂い」だった。
目の前に広がるのは、王都の華やかさとは無縁の、灰色の空と雪に覆われた峻険な山々。
石造りの無骨な城は、まるでお洒落という言葉を辞書から抹殺したかのような実用一点張りの佇まいだ。
「……ひどいところだろう。娯楽もなければ、贅沢品もない。あるのは雪と、凍った土だけだ」
サイラス様が、申し訳なさそうに視線を落とした。
城の門前には、これまた無骨な、けれどどこか誠実そうな顔をした領民たちが集まってきている。
「……お、お帰りなさいませ、領主様! そちらの美しいお方は、まさか王都からお連れした……?」
「……エリチカ・フォン・アステリア嬢だ。訳あって、しばらくここで過ごすことになる」
領民たちは私の姿を見て、一様に同情の眼差しを向けた。
「おいたわしや……。こんな、まともな食い物もない北の果てに……」
「王都のきらびやかなお菓子なんて、ここには一欠片もありませぬぞ」
私は、自分に向けられた同情の声など耳に入っていなかった。
なぜなら、私の視線は、城の裏手にある川のほとりに積み上げられた「あるもの」に釘付けになっていたからだ。
「……ねえ、サイラス様。あそこに山積みになっている、銀色に輝く巨大な物体は何かしら?」
「……ああ、あれか。この時期、川を遡上してくる『アイスサーモン』だ。だが、見ての通り、身の半分が白い脂で構成されているような代物でな。食べると胃が焼けるし、すぐに火を吹くから、うちの領民は誰も食べたがらない。せいぜい、ランプの油を絞るくらいしか使い道がないんだ」
サイラス様は心底嫌そうに鼻を鳴らした。
私は、その言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「……捨てて……いる? 身の半分が脂でできている、最高級の天然素材を……捨てているというの!?」
「……捨ててはいない。畑の肥料にしたり、犬にやったりしているが……。エリチカ?」
私はドレスの裾をまくり上げ、雪道を猛ダッシュした。
「お、お嬢様ぁぁ! いきなり生臭い魚の山にダイブしないでくださいましぃ!」
アンナの制止を振り切り、私は銀色の山へとたどり着いた。
一匹手に取ってみる。……重い。そして、指が触れた瞬間に体温で脂が溶け出すほどの、驚異的な脂乗り!
「……なんてこと。これ、王都で一切れ食べようと思ったら、金貨一枚は飛ぶわよ……! それを肥料にしているなんて、ノースガルドの人は神をも恐れぬ大富豪なのかしら!?」
さらに見れば、その隣には巨大な、見たこともないような「白いキノコ」が自生している。
「……それは『雪マッシュルーム』だ。水分が多くて焼いてもべちゃべちゃになるから、これまた不人気な食材でな……」
サイラス様が追いついてきて、補足する。
「……いいえ、サイラス様。水分が多いということは、それだけ『旨みを含んだ出汁(スープ)』が出るということよ! これを、あのサーモンの脂で揚げ焼きにしたら……!」
私の脳内では、瞬時に最強のレシピが構成された。
「サイラス様、今すぐ大きな鍋と、薪を用意してちょうだい! それと、領地の地下蔵に眠っている、使い道のわからない『山塩』があったわね?」
「……ああ。しょっぱすぎて誰も使わない、あの岩塩か」
「完璧ですわ! アンナ、ハチマキを用意しなさい! 今からこの『呪われた氷の領土』を、『脂の約束された地』に変えて差し上げますわ!」
私は、震える手でサーモンを捌き始めた。
一時間後。
城の広場には、香ばしい、あまりにも暴力的なまでの「焼き魚」の香りと、キノコの濃厚な出汁の香りが漂い出した。
サーモンの皮は炭火でパリッパリに焼かれ、溢れ出した脂がそのまま「揚げ油」となって、添えられた雪マッシュルームを黄金色に染め上げている。
「……さあ、領民の皆さん! 毒見は私が済ませましたわ! これを食べれば、冬の寒さなんて一瞬で吹き飛びますわよ!」
私は、出来立ての『アイスサーモンの脂まみれステーキ・マッシュルームのコンフィ添え』を領民たちに配り歩いた。
最初は恐る恐る口にしていた彼らだったが……。
「…………っ! な、なんだこれは……! 体が、中から熱くなってくる……!」
「この脂、全然しつこくない! むしろ、口の中で甘い雪のように溶けていくぞ!」
「こんなに旨いものが、俺たちの川で泳いでいたなんて……! 俺たちは今まで、宝の山を捨てていたのか……!」
広場に、歓喜と絶叫が響き渡った。
「……サイラス様。見てください。皆さん、いい食べっぷりですわ」
「…………」
サイラス様は、手にした皿の上のサーモンをじっと見つめ、そして私を見た。
「……エリチカ。貴様は本当に……。この不毛な土地を、たった一回の食事で救ってしまったな」
「ふふ。救ったなんて大げさですわ。私はただ、美味しいものを美味しいと言える環境を整えただけですもの」
私は、自分の分の大盛りステーキにかぶりついた。
溢れ出す脂が、唇をテカテカに輝かせる。
「ここが約束の地……。私、もう王都には一ミリも未練がありませんわ!」
雪の降る辺境の領土。
そこは、誰にも邪魔されない、私とサイラス様の「最高の食卓」の始まりだったのである。
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