悪役令嬢は婚約破棄がお好き。

ちゃっぴー

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
「止まれェェッ!!」

雷鳴のような号令と共に、目の前で黒い騎馬隊が停止した。

巻き上がった砂煙が晴れていく。

私の目の前に現れたのは、全身を黒銀の鎧で固めた精鋭部隊だ。

その先頭に立つ一人の男。

漆黒の駿馬に跨り、氷のように冷ややかな蒼い瞳でこちらを見下ろしている。

整った顔立ちだが、その美しさは美術品というより、研ぎ澄まされた刃物を連想させた。

隣国ガルガディア帝国の若き皇帝、シリウス・ヴァン・ノワール。

戦場では「氷の皇帝」と恐れられ、彼が通った後には草木一本残らないと言われる生ける伝説だ。

「……ひっ、ひぃぃ……!」

御者の男性が腰を抜かし、私の後ろに隠れる。

護衛の冒険者たちでさえ、剣の柄に手をかけながら脂汗を流している。

無理もない。

彼から放たれる「覇気」は、物理的な圧力となって肌を刺すほどだ。

普通なら、視線が合っただけで心臓が止まるかもしれない。

だが。

(……ほう)

私は片眼鏡の位置を直し、冷静に彼を観察していた。

(あのアレクサンダー王子の安っぽいメッキの王冠とは大違いね。纏っている鎧はミスリル銀の特注品。剣の柄には最高級の魔石。マントの生地は……幻獣の皮かしら? 推定総額……国家予算の3パーセント相当)

私の脳内電卓が高速で弾き出す。

(結論:超・優良顧客(太客)だわ!)

私の目には、彼が「歩く金庫」に見えていた。

シリウスがゆっくりと口を開く。

その声は、真冬の湖面のように静かで、冷たかった。

「……何者だ」

短い問いかけだが、そこには絶対的な命令の響きがある。

「ここは帝国と王国の緩衝地帯。王国の貴族がピクニックに来ていい場所ではない。死にたくなければ、今すぐ去れ」

周囲の空気が凍りつく。

冒険者の一人が震える声で「お、お嬢、逃げましょう」と囁いた。

しかし、私は一歩前に進み出た。

そして、スカートの裾を摘み、優雅にカーテシーを決める。

「お初にお目にかかります、皇帝陛下。私はミルク・ド・ラテ。……ああ、今はただのミルクとお呼びください」

「ミルク……? ラテ公爵家の娘か」

シリウスがわずかに眉を動かす。

「噂は聞いている。王太子に見限られた悪役令嬢、だったか」

「あら、情報が早いですわね。ですが訂正させていただきます。見限られたのではありません。『損切り』したのです」

「損切り?」

「ええ。将来性のない不良債権を処分し、身軽になったのですわ」

私はニッコリと微笑む。

シリウスの瞳に、わずかな困惑の色が浮かぶ。

彼は、命乞いをする人間や、恐怖に震える人間は見慣れていても、自分を前にして「営業スマイル」を向けてくる人種には免疫がないらしい。

「それで? その『損切り』した令嬢が、なぜこんな荒野にいる? ここは魔物の巣窟だぞ」

「今日から、ここが私の領地だからです」

私は懐から、あの土地権利書を取り出し、ビシッと広げて見せた。

「王家から譲渡されました。この荒野は現在、私の私有地です。つまり、不法侵入しているのは陛下、貴方の方ではありませんか?」

「なっ……!」

背後に控えていた帝国の騎士たちが色めき立つ。

「貴様! 皇帝陛下に向かって不法侵入とは無礼な!」

「控えろ」

シリウスが片手で部下を制する。

彼は馬から降り、私の目の前まで歩み寄ってきた。

長身の彼に見下ろされると、威圧感が倍増する。

だが、私は一歩も引かずに見上げ返した。

「……面白い。王家がこの厄介な土地を貴様に押し付けた、ということか」

「押し付けられたのではありません。私が『勝ち取った』のです」

「勝ち取った? こんな不毛の地をか?」

「不毛? とんでもない」

私は足元の地面を靴の踵でコツコツと叩く。

「ここは宝の山です。陛下、貴方の国は寒冷地で、常に燃料不足に悩まされていますわね?」

「……なぜ、それを知っている」

「商人の基本です。そして、貴方の国では鉄鉱石は採れるが、それを加工するための『高熱』を出す魔石が不足している」

私はシリウスの顔を指差す――ことは失礼なので、彼の胸元の鎧を指差した。

「私がここで採掘する予定の『魔石炭』と、地熱エネルギーを利用した加工プラント。これがあれば、帝国の冬は暖かくなり、武具の生産効率は三倍になります。……いかがです? 興味が湧きませんか?」

シリウスの目が大きく見開かれた。

彼はしばらく私を凝視し、やがて低い声で問うた。

「……貴様、何が目的だ?」

鋭い眼光。

嘘をつけば斬る、と言わんばかりのプレッシャー。

「スパイか? それとも、王国への復讐のために力を借りに来たか?」

「いいえ」

私は即答した。

復讐? そんな一円にもならない感情論に時間を割くほど、私は暇ではない。

「じゃあ、何をしに来た」

「決まっているでしょう」

私は満面の笑みで、右手の親指と人差し指で輪っかを作った。

「金儲けです」

「……は?」

「金を稼ぎに来たのです。この土地にある全ての資源を換金し、巨万の富を築くために。陛下、貴方はそのための『第一号のお客様』候補というわけです」

シリウスがポカンと口を開けた。

「氷の皇帝」の仮面が剥がれ、ただの呆気にとられた青年の顔になっている。

「……金、だと? 復讐でも、名誉でもなく?」

「はい。愛や名誉でパンは買えませんが、金があればパンも城も、平和すら買えますから」

沈黙が落ちた。

荒野を吹き抜ける風の音だけが響く。

やがて。

「くっ……くくっ……」

シリウスの肩が震え出し、そして。

「はははははッ!!」

彼は天を仰いで高笑いをした。

これまで一度も笑ったことがないと言われる皇帝の大爆笑に、部下の騎士たちが「へ、陛下が壊れた!?」と動揺している。

「金儲け、か! あのアレクサンダー王子の元婚約者だと聞いて、どんな悲劇のヒロインかと思えば……まさか、ここまで強欲な女だとは!」

シリウスは涙を拭いながら、私を真っ直ぐに見つめた。

その瞳からは、冷徹な殺気が消え、代わりに獲物を見つけた猛獣のような、強い好奇心の光が宿っていた。

「気に入った。ミルク、と言ったな」

「はい」

「いいだろう。貴様がこの土地で何をしようと、今のところは黙認してやる。帝国軍は手出しをしない」

「寛大なご処置、感謝いたします(タダで警備保障がついたわね)」

「ただし」

シリウスが顔を近づけてくる。

至近距離で見ると、無駄に顔が良い。

「もしその『金儲け』とやらが、我が帝国に益をもたらすなら……俺が出資してやってもいいぞ?」

「あら!」

私はパッと表情を輝かせた。

「言質を取りましたわよ? 出資比率は? 配当は? 契約書は今すぐ作りますが、サインはどちらに?」

懐から羊皮紙とペンを取り出そうとする私を見て、シリウスは再び苦笑した。

「気が早い奴だ。……まずは、貴様の実力を見せてもらおうか。口先だけではないことを証明してみせろ」

彼はマントを翻し、馬上の人となった。

「また来る。それまでに、俺を唸らせる『商品』を用意しておけ」

「承知いたしました。ご期待以上の請求書と共に、お待ちしております」

シリウスはニヤリと笑い、手綱を引いた。

「全軍、撤収!」

黒い騎馬隊が嵐のように去っていく。

その背中を見送りながら、私は深く安堵の息……ではなく、勝利の息を吐いた。

「お嬢様……心臓に毛が生えているどころか、心臓がミスリル製なんですか?」

後ろでへたり込んでいたベッキーが、震える声で尋ねてくる。

「失礼ね。ただの商談よ」

私は崩れ落ちそうな膝を(実は少し震えていた)手で押さえ、強気に言い放った。

「見たでしょう、あの皇帝の食いつき方。あれは『脈あり』よ」

「恋の脈ですか?」

「いいえ、融資の脈よ!」

私は砂埃の舞う荒野に向かって、拳を突き上げた。

「さあ、忙しくなるわよ! 次に彼が来るまでに、この荒野を『金のなる木』に変えてみせるんだから!」

こうして、私と氷の皇帝との、奇妙なビジネス関係(?)が幕を開けたのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

『話さない王妃と冷たい王 ―すれ違いの宮廷愛

柴田はつみ
恋愛
王国随一の名門に生まれたリディア王妃と、若き国王アレクシス。 二人は幼なじみで、三年前の政略結婚から穏やかな日々を過ごしてきた。 だが王の帰還は途絶え、宮廷に「王が隣国の姫と夜を共にした」との噂が流れる。 信じたいのに、確信に変わる光景を見てしまった夜。 王妃の孤独が始まり、沈黙の愛がゆっくりと崩れていく――。 誤解と嫉妬の果てに、愛を取り戻せるのか。 王宮を舞台に描く、切なく美しい愛の再生物語。

ミュリエル・ブランシャールはそれでも彼を愛していた

玉菜きゃべつ
恋愛
 確かに愛し合っていた筈なのに、彼は学園を卒業してから私に冷たく当たるようになった。  なんでも、学園で私の悪行が噂されているのだという。勿論心当たりなど無い。 噂などを頭から信じ込むような人では無かったのに、何が彼を変えてしまったのだろう。 私を愛さない人なんか、嫌いになれたら良いのに。何度そう思っても、彼を愛することを辞められなかった。 ある時、遂に彼に婚約解消を迫られた私は、愛する彼に強く抵抗することも出来ずに言われるがまま書類に署名してしまう。私は貴方を愛することを辞められない。でも、もうこの苦しみには耐えられない。 なら、貴方が私の世界からいなくなればいい。◆全6話

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

処理中です...