悪役令嬢は婚約破棄がお好き。

ちゃっぴー

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「……おい。これはどういうことだ」

氷の皇帝シリウス・ヴァン・ノワールは、愛馬の手綱を握ったまま、目の前の光景に絶句していた。

彼が前回ここを訪れてから、まだ十日ほどしか経っていない。

あの時は、ただの荒涼とした荒野だった。

魔物が跋扈し、硫黄の臭いが立ち込める地獄の入り口。

だが、今、彼の目の前に広がっているのは――。

「いらっしゃいませ、シリウス様! お待ちしておりましたわ!」

綺麗に舗装された石畳のメインストリート。

その両脇には、仮設ながらも小洒落たログハウス風の建物が建ち並び、『魔物カフェ』『オリハルコン雑貨店』『スライム・エステ』といった看板が掲げられている。

そして道の奥には、巨大な採掘プラントが蒸気を上げ、活気ある作業音(と「稼げ! 休むな!」という私の檄文)が響き渡っていた。

「……幻術か? それとも俺は、知らぬ間に異界に迷い込んだのか?」

「いいえ、現実(リアル)ですわ」

私は満面の営業スマイルで彼を出迎えた。

今日は勝負服だ。

作業着ではなく、実家から持ってきた一番高価なシルクのドレスを纏い、髪も完璧にセットしている。

すべては、この「太客」を逃がさないための演出だ。

「さあ、まずは迎賓館(仮)へご案内します。当領地自慢の『デトックス・ティー(その辺の雑草ブレンド)』をご用意しておりますので」

「……そのカッコ書きは聞こえなかったことにしておこう」

シリウスは呆れたように馬を降りた。

   ◇

「迎賓館(仮)」と称した建物は、オリハルコンの廃材を柱に使った、無駄に頑丈で煌びやかなログハウスだった。

応接室に通されたシリウスは、出されたお茶を一口飲み、眉を上げた。

「……美味いな。香りが良い」

「でしょう? この荒野に自生する『ドラゴン・ミント』です。疲労回復と滋養強壮に効果がありますが、市場に出せば一杯で銀貨一枚は取れます」

「……いちいち原価と売値を口にするな」

シリウスは苦笑しつつ、ソファに深々と座った。

その所作一つ一つが絵になる。

さすがは帝国の支配者だ。

だが、私に見えているのは「皇帝の威厳」ではない。「融資の可能性」だ。

「さて、ミルク。単刀直入に聞こう。……どうやって、たった十日でこれを作った?」

シリウスの瞳が鋭くなる。

「オリハルコンの採掘、魔物の資源化、そしてこの都市計画。通常の開拓スピードの百倍は早い。魔法を使ったとしても不可能だ」

「簡単なことですわ」

私は手元の資料をテーブルに広げた。

「『欲望』を燃料にしたからです」

「欲望?」

「ええ。作業員たちには完全歩合制を導入しました。『掘れば掘るほど儲かる』『魔物を狩れば狩るほどボーナスが出る』。そう伝えた瞬間、彼らの肉体的な限界値(リミッター)が外れましたの」

私はニヤリと笑う。

「人は、理想のためには頑張れませんが、目の前の現ナマのためなら不眠不休でも働ける生き物です」

「……恐ろしい指揮官だな。敵に回したくないタイプだ」

「最高の褒め言葉です」

私はここぞとばかりに、本題の切り出しにかかった。

「そこで、陛下。ご相談があります」

私は分厚いファイル『ミルク・シティ開発事業計画書(改訂版)』を、彼の前にスッと差し出した。

「ご覧の通り、我が領地のポテンシャルは無限大です。ですが、圧倒的に足りないものがあります」

「なんだ? 人材か?」

「いいえ。『初期投資(イニシャルコスト)』です」

私は真剣な眼差しで彼を見つめた。

「オリハルコンの採掘機材、加工工場の建設、物流網の整備……これらを加速させるには、まとまった資金が必要です。私の手持ち資金(実家からの横領……いえ、退職金)だけでは、回転率(キャッシュフロー)が悪すぎます」

「つまり、俺に金を出せと?」

「『出資』と言ってください。これは寄付ではありません。投資です」

私はページをめくり、右肩上がりのグラフを見せた。

「陛下が今、金貨一万枚を出資してくだされば、半年後には配当として一万五千枚にしてお返しします。さらに、帝国の軍備に必要なオリハルコン製品を、市場価格の二割引きで優先供給する『特別優待権』をお付けします」

シリウスが沈黙する。

彼は資料に目を通し、時折「ほう」と感心したような声を漏らす。

心臓がバクバクと高鳴る。

これは、私の人生最大のプレゼンテーションだ。

相手は大陸最強の軍事国家の皇帝。

もし断られれば、開発計画は大幅に遅れる。最悪、王家の妨害工作に耐えきれずに破綻する可能性もある。

(お願い、食いついて……! 貴方の国の燃料不足と装備強化、このプランなら一発解決よ!)

私は心の中で祈った。

やがて、シリウスが顔を上げた。

その表情は、読めない。

「……ミルク」

「は、はい」

「貴様は、王家を憎んではいないのか?」

唐突な質問だった。

「これだけの才能がありながら、貴様を追放した王子と国王。奴らに復讐するために、俺の力を利用しようとは思わないのか?」

試されている。

私は背筋を伸ばし、即答した。

「復讐? そんな生産性のないこと、誰がしますか」

「生産性がない?」

「ええ。彼らをギャフンと言わせたところで、私のお腹は満たされませんし、口座の残高も増えません。感情的な満足感(プライスレス)を得るために、貴重な時間と労力を浪費するなど、経営者として失格です」

私はきっぱりと言い放った。

「私が目指すのは、彼らが地団駄を踏んで悔しがるほどに、私が幸福で裕福になること。それこそが最高の結果(リターン)です」

「……くっ、ふふふ」

シリウスが口元を手で覆い、肩を震わせた。

「そうか。あくまで『金』か。清々しいほどの拝金主義者だな」

彼は懐から、一本の万年筆を取り出した。

そして、私が提示した契約書の署名欄に、サラサラとサインをしたのだ。

「へ……?」

「金貨一万枚ではない」

彼は契約書の金額欄を二重線で消し、その上に新たな数字を書き込んだ。

『金貨五万枚』。

「ご、ごまん……っ!?」

私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

五万枚。

小国の国家予算に匹敵する額だ。

「陛下!? 桁を間違えていらっしゃいませんか!? ゼロが一つ多いですわよ!?」

「間違っていない。先行投資だ」

シリウスはニヤリと不敵に笑った。

「貴様のその『強欲さ』に賭けてみたくなった。五万枚だ。これで、この荒野を大陸一の商業都市にしてみせろ。できるか?」

彼の瞳が、挑発するように私を射抜く。

その瞬間、私の商人魂に火がついた。

「……愚問ですわね」

私は契約書をひったくるように回収し、震える手で大切に抱きしめた。

「五万枚? 上等です! 三年……いいえ、一年で倍にしてお返ししてみせますわ! 後悔なさらないでくださいね、私の配当金計算書を見た時に、腰を抜かしても知りませんから!」

「ハハハ! 望むところだ!」

シリウスが高らかに笑う。

その笑顔は、初めて会った時の冷徹な「氷の皇帝」のものではなく、無邪気な少年のようだった。

「契約成立だな、パートナー」

彼が右手を差し出してくる。

私はその大きな手を、両手でしっかりと握り返した。

「はい! 末永く(搾り取らせて)よろしくお願いします、パートナー!」

ガッチリと握手。

彼の手は温かく、力強かった。

(やった……やったわ! これで勝てる! 資金繰りの悩みから解放されたわ!)

私の頭の中では、勝利のファンファーレと、金貨が降り注ぐ音が鳴り止まない。

しかし、この時の私は気づいていなかった。

シリウスが私を見る目が、単なる「ビジネスパートナー」を見る目よりも、少しだけ熱を帯びていたことに。

「……面白い女だ。手放したくなくなってきたな」

彼がボソリと呟いた言葉は、私の耳には届かなかった。

「ベッキー! 祝杯よ! 一番高いお茶を淹れて! 今日は徹夜で新工場の図面を引くわよ!」

「はいはい。お嬢様、顔が下品になっていますよ」

こうして、最強のスポンサーを手に入れた私は、いよいよ世界を相手にした大商売へと打って出るのだった。
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