悪役令嬢は婚約破棄がお好き。

ちゃっぴー

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「な、なぜだ……なぜ誰も私の命令を聞かん!」

荒野に、アレクサンダー王子の情けない叫び声だけが虚しく響いていた。

彼の周囲には、5,000人の兵士たちが座り込み、一心不乱に弁当を食べている。
焼肉のタレの香ばしい匂いが、戦場の硝煙の代わり立ち込めていた。

「おい、貴様ら! 立て! 戦え! 私は王太子だぞ!」

王子が一人の兵士の肩を掴んで揺さぶる。
しかし、兵士は口の周りをタレだらけにしながら、面倒くさそうに手を払った。

「うるせぇな。今、食事休憩中なんだよ」

「なっ……!?」

「殿下、諦めてくださいよ。王家の給料じゃ、カビたパンしか食えねぇんすよ。こっちの弁当を見てみなさいよ。厚切りカルビだぜ? 勝てるわけねぇだろ」

兵士は「んめぇぇ!」と涙を流しながら肉を頬張る。
他の兵士たちも同様だ。

「ラテ商会、バンザイ!」
「ミルク社長、一生ついていきます!」
「おい、ビールもう一本くれ!」

そこにあるのは、敵意ではなく、圧倒的な「福利厚生」への服従だった。

「そ、そんな……。金か? 貴様らは、誇りよりも金を選ぶのか!」

王子が呆然と呟く。

「ええ、選びますとも」

コツ、コツ、コツ。

ヒール音を響かせて、私が歩み寄る。
隣には、抜身の剣を下げた氷の皇帝シリウスが、無言の圧力を放ちながら控えている。

「ごきげんよう、アレクサンダー殿下。弊社の『合同企業説明会』はいかがでしたか? 御社の社員(兵士)たちは、全員弊社への転職を希望されたようですが」

私は優雅に微笑み、電卓を片手に見下ろした。

「み、ミルク……! 貴様、卑怯だぞ! 金をばら撒いて兵を買収するなんて!」

「卑怯? 正当な引き抜き(ヘッドハンティング)ですわ。労働条件の悪いブラック企業から、ホワイト企業へ人材が流出するのは、市場の原理です」

私は王子の目の前に、一枚の書類を突きつけた。

「さて、殿下。これで勝負はつきました。つきましては、事後処理の話をしましょう」

「じ、事後処理だと?」

「ええ。今回の進軍にかかった私の経費、兵士たちへの入社祝い金、弁当代、および精神的苦痛への慰謝料。……しめて、金貨二十万枚になります」

「に、二十万……!?」

王子の目が飛び出る。

「払えるわけがないだろう! そんな金!」

「でしょうね。貴方の財布が空っぽなのは知っています」

私は冷酷に告げた。

「よって、貴方を『債務不履行者』として拘束します。借金が返済できるまで、私の街の鉱山で強制労働……いえ、ワーク・エンゲージメントを高めていただきますわ」

「ふ、ふざけるな! 私は次期国王だぞ! 貴様ごときに捕まってたまるか!」

王子は逆上し、腰の剣を抜いて私に斬りかかろうとした。

「死ねぇぇっ! 悪役令嬢ぉぉ!」

しかし。

ガキンッ!!

一瞬だった。
王子の剣が、宙を舞って地面に突き刺さる。
シリウスが、瞬きする間の早業で剣を弾き飛ばし、切っ先を王子の喉元に突きつけていた。

「……俺の『資産』に傷をつけようとは、いい度胸だ」

シリウスの声は、絶対零度よりも冷たかった。

「ひっ……!」

「動くな。次に動いたら、その首を胴体から『損切り』するぞ」

「あ、あわわ……」

王子は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
股間がじんわりと濡れているのが見える。
哀れなものだ。かつて私が愛そうと努力した男の末路が、これだ。

「確保。連れて行きなさい」

私の合図で、警備隊員(元・凄腕冒険者)たちが王子を取り押さえる。

「離せ! 無礼者! マリア! マリア、助けてくれ!」

王子が必死に助けを求めて振り返る。

そこには、今まで沈黙を守っていたマリアが立っていた。
しかし、彼女は助けようともせず、冷ややかな目で見下ろしていた。

「……あーあ。本当に使えない男」

「え?」

マリアの口調が変わった。
いつもの甘ったるい猫なで声ではない。ドスの効いた低い声だ。

「マ、マリア……?」

「うるさいのよ、負け犬。あんたみたいな無能、私が王妃になるための踏み台でしかなかったのに。……ここまで役立たずだとは思わなかったわ」

マリアは、「ぺっ」と地面に唾を吐いた。

「な……な、何を言っているんだ……? 君は、優しくて純粋な聖女じゃ……」

「バッカじゃないの? そんなの演技に決まってるでしょ。金持ちで顔が良いから媚びてただけよ。あーあ、時間の無駄だった!」

マリアは髪をかき上げ、私の方を睨みつけた。

「おい、ミルク! あんたのせいで計画が台無しよ! どうしてくれんのよ!」

本性を現した「自称・聖女」。
その顔は、欲望と嫉妬で歪み、魔物よりも醜悪に見えた。

「あら、ようやく素顔を見せましたわね。その方がお似合いですよ、マリアさん」

私は動じずに彼女を見返す。

「計画? 王家を乗っ取り、贅沢三昧する計画のことかしら? 残念ながら、その計画書の収支は最初からマイナスですわ」

「うるさい! 偉そうに説教垂れてんじゃないわよ!」

マリアは懐から、禍々しい紫色に光る石を取り出した。

「こうなったら、全員道連れよ! 王城の宝物庫から盗み出した、この『禁断の魔石』を使ってね!」

「……! ミルク、下がれ!」

シリウスが私を庇うように前に出る。

「ははは! この魔石はね、使用者の生命力を糧に、広範囲を吹き飛ばす爆発魔法が使えるのよ! 私が死ねば、あんたたちも、この街も全部消し飛ぶのよ!」

マリアの目が血走り、狂気の笑みを浮かべる。

「さあ、死にさらせ! 私の幸せを邪魔する奴は、みんな消えちゃえぇぇぇ!!」

彼女が魔石を高々と掲げる。
石が激しく脈打ち、どす黒い光が溢れ出した。

普通なら絶体絶命のピンチ。
だが。

「……はぁ」

私は深く、呆れたような溜め息をついた。

「シリウス陛下、剣を収めてください」

「なに? だが……」

「必要ありません」

私は片眼鏡(モノクル)の位置を直し、哀れな自爆テロリストを見つめた。

「マリアさん。貴女、その魔石の『取扱説明書』、読みませんでしたね?」

「はぁ? 何言ってんのよ! 死ねぇぇ!」

マリアが魔力を込める。
しかし。

プスン。

魔石からは、屁のような音がして、小さな黒い煙が出ただけだった。

「……え?」

マリアが固まる。

「え? あれ? なんで? 爆発は?」

彼女は必死に石を振ったり叩いたりしている。

「無駄ですわ」

私は電卓をパチパチと叩きながら解説した。

「その魔石、『古代文明の遺産』ですよね? 鑑定結果によれば、使用期限(消費期限)が三百年前に切れています」

「き、期限切れぇぇ!?」

「ええ。それに、起動には『高純度の魔力』と、何より『他者を慈しむ心』が触媒として必要なんです。……貴女のそのドス黒い欲望まみれの魔力じゃ、着火剤にもなりませんわ」

私は肩をすくめた。

「つまり、ただの黒い石ころです。……ああ、でも骨董品としての価値は金貨三枚くらいありますから、没収しますね」

「う、うそ……うそよぉぉぉ!」

マリアはその場に崩れ落ちた。
逆転の切り札すらも、彼女の浅はかさと、私の鑑定眼の前には無力だったのだ。

「確保。二人まとめて、鉱山行き決定よ」

警備兵たちがマリアも取り押さえる。

「いやぁぁ! 離して! 私は聖女よ! ヒロインなのよぉぉ!」

マリアの絶叫と、王子の嗚咽が重なり合う。
かつて私を断罪した二人は今、泥にまみれ、私の部下たちによって引きずられていく。

「さて」

私はパンパンと手を払った。

「これにて『防衛戦』および『人材確保』、終了です! みんな、仕事に戻って! 元・王国軍の皆さんは、入社手続きの続きをするわよ!」

『『『了解です、社長!!』』』

荒野に平和と、活気ある労働の音が戻ってきた。

シリウスが剣を納め、苦笑しながら私を見る。

「……期限切れの魔石か。貴様には、運すらも味方しているようだな」

「運ではありません。日頃の行い(資産管理)の結果ですわ」

私はニヤリと笑い、シリウスにウィンクを送った。

「さあ、帰りましょうパートナー。……捕虜二人分の『身代金請求書』を、王家に送らなくてはいけませんから」

悪役令嬢ミルク・ド・ラテ。
彼女の前では、剣も魔法も、そして愛(偽)すらも、全て計算可能な数字でしかないのだった。
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