悪役令嬢は婚約破棄がお好き。

ちゃっぴー

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カァン、カァン、カァン……。

薄暗い地下坑道に、ツルハシが岩を叩く音が虚しく響いている。

「はぁ……はぁ……もう駄目だ……手が……私の美しい手が……」

泥だらけの作業着を着たアレクサンダー(元・王太子)が、その場にへたり込んだ。
かつて白魚のようだった手はマメだらけになり、爪の間には真っ黒な煤が詰まっている。

「サボるな、新人! ノルマが終わってねぇぞ!」

「ひぃっ! す、すまん! 今やる!」

現場監督(元・冒険者のオーク族)に怒鳴られ、アレクサンダーは慌ててツルハシを握り直す。
王族としての威厳など、ここに来て三日で消え失せていた。

「くさぁい……もう嫌ぁ……」

その少し奥では、マリアが肥料袋を背負ってよろめいていた。
ピンク色だった髪はボサボサで、顔には泥と、肥料の飛沫がついている。

「なんで私がこんなこと……私はヒロインなのに……」

「ブツブツ言ってないで運ぶ! お前さんの借金、まだ金貨一枚分も減ってないよ!」

おばちゃん作業員に尻を叩かれ、マリアは涙目で歩き出す。

そこへ。

「あらあら、精が出ますわね。我が社の『期待の新人アルバイト』さんたち」

坑道の入り口から、場違いに明るく、優雅な声が響いた。
最新式の魔導エレベーターから降りてきたのは、完璧なドレス姿のミルクだ。
後ろには、視察に同行したシリウスもいる。

「ミ、ミルク……!」

アレクサンダーが憎悪のこもった目で睨みつける。

「貴様ぁ! よくも私をこんな目に! 見てみろ、この手を! 王族の手だぞ!」

「労働者の手ですね。素晴らしいですわ。初めて貴方が『生産活動』に従事している姿を見ました」

ミルクはハンカチで口元を押さえながら、冷ややかに見下ろした。

「今日は視察です。労働環境のチェックと、債務者(あなたたち)の返済状況の確認に来ました」

「へ、返済だと? これだけ働いたんだ! もう半分くらいは返せたはずだ!」

王子が叫ぶ。
しかし、ミルクは持っていたバインダーをめくり、残酷な現実を突きつけた。

「いいえ。貴方たちがここに来て一週間。稼いだ給料から、食費、寮費、光熱費、そして作業着のレンタル代を差し引くと……現在の返済額は、金貨『マイナス三枚』です」

「は……?」

「つまり、働けば働くほど、生活費で赤字が増えています。借金は減るどころか増えていますわ」

「な、なんだとぉぉぉ!?」

アレクサンダーがツルハシを取り落とした。

「詐欺だ! そんなのあり得ない! 私は王太子だぞ! もっと高給をよこせ!」

「能力給です。貴方の採掘量は、隣のゴブリンの三割程度。……むしろ、ゴブリンの方が優秀ですね」

「ゴ、ゴブリン以下……」

プライドを粉々にされ、震えるアレクサンダー。
そこで、彼は最後の拠り所である「精神論」に逃げ込んだ。

「金、金、金! 貴様はそればかりだ!」

彼は立ち上がり、涙目で叫んだ。

「私には金はないかもしれん! だがな、私には『愛』がある! マリアへの愛、そして国を憂う心! それは金では買えない尊いものだ! 貴様のような守銭奴には、一生かかっても手に入らない輝きなんだ!」

「そうだわ! 私たちは愛で結ばれてるの!」

マリアも便乗して叫ぶ。

「愛があれば、こんな辛い労働だって耐えられる! いつかきっと神様が見ていてくれる! 最後に勝つのは愛なのよ!」

坑道内に、二人の悲痛な叫びが響く。
感動的なシーン……に見えなくもない。

しかし、ミルクは「ふっ」と冷笑した。

「愛、ですか。……では殿下。その『愛』を持って、そこの購買部に行ってみてください」

ミルクは坑道の隅にある売店を指差した。

「あそこで一番安い『黒パン』一つ。貴方のその尊い『愛』とやらで、買えるかどうか試してみなさい」

「な……馬鹿にするな! パンくらい!」

アレクサンダーは売店に駆け寄った。
店番をしているのは、元・王国軍の兵士だ。

「おい、パンをくれ! 金はないが、私には王族の誇りと愛がある! これを対価にパンを寄越せ!」

兵士は無表情で答えた。

「あ? 何言ってんだアンタ。パンは銅貨五枚だ。金がねぇなら帰んな」

「ぐっ……! 貴様、私の愛が分からんのか!?」

「愛で小麦粉が仕入れられるかよ。寝言は寝て言え」

ピシャリ。
売店の窓が閉められた。

呆然と立ち尽くすアレクサンダー。

「ご覧になりましたか?」

ミルクが静かに歩み寄る。

「それが現実です。愛でパンは買えません。愛で雨風は凌げません。愛で借金は返せません」

彼女は王子の目の前で、人差し指を立てた。

「貴方がたが崇める『愛』とは、衣食住が足りて初めて成立する『娯楽(エンタメ)』に過ぎないのです。……今日食べるパンもない人間にとって、愛など何の役にも立たない綺麗事(ゴミ)ですわ」

「う、うあぁ……」

「本当にマリアさんを愛しているなら、愛を叫ぶ前にツルハシを振るいなさい。金を稼ぎなさい。そして、自力でパンを買って彼女に食べさせなさい。……それができない男の愛など、薄っぺらすぎて反吐が出ます」

ミルクの言葉は、鋭利な刃物のように王子の心臓を抉った。

彼は膝から崩れ落ち、地面に手をついた。
反論できない。
空腹の腹がグゥと鳴り、その音が彼の惨めさを証明していた。

「……ミルク、言い過ぎだ」

シリウスが苦笑しながらミルクの肩に手を置く。
しかし、その目は彼らを完全に「敗者」として見下していた。

「死体蹴りは趣味じゃないだろう? ……もう十分だ。彼らの心は折れた」

「……そうですね」

ミルクは溜め息をつき、懐から小さな袋を取り出した。

チャリ。

それを王子の前に放り投げる。

「今日の分の『残業手当(ボーナス)』です。パン二つ分くらいにはなるでしょう」

王子は泥まみれの手で、その袋を必死に掴んだ。
プライドも何もない。ただ、空腹を満たしたいという生存本能だけがあった。

「あ、ありがとう……ございます……」

かつての婚約者に、涙を流して感謝する元王子。

「勘違いしないでくださいね。餓死されたら、借金が回収できなくなるからです」

ミルクは踵を返した。

「さあ、行きましょうシリウス。ここは空気が悪いですわ。……貧乏神が移りそうで」

二人がエレベーターに乗り込み、去っていく。

残されたのは、恵まれたパンを分け合いながら啜り泣く、かつての栄光の残骸たちだけだった。

「うまい……うまいよぉ、マリア……」
「パンって……こんなに美味しかったっけ……」

彼らは知ったのだ。
「真実の愛」よりも、「焼きたてのパン」の方が、遥かに尊く、そして温かいということを。

坑道に再び、ツルハシの音が響き始める。
それは、彼らが初めて「自分の足で生きる」ための、人生のリスタートの音でもあった(完済まであと五百年かかるが)。
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