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「ミルク。今夜、時間を空けておけ」
その日の午後、シリウスは私の執務室に入ってくるなり、そう告げた。
いつになく真剣な表情。
そして、どこか緊張しているようにも見える。
「あら、またどこかの国を買収しに行きますか?」
「違う。……もっと重要な『最終交渉』だ」
彼は私の手を取り、強引に立ち上がらせた。
「ドレスに着替えろ。一番いいやつだ。……迎えに行く」
それだけ言い残して、彼は風のように去っていった。
「……何事かしら?」
私は首をかしげたが、ベッキーはニヤニヤしながらクローゼットを開け放った。
「お嬢様、鈍感なふりはやめましょう。……いよいよ『決算期』ですよ」
◇
夜。
迎えに来たシリウスのエスコートで私が連れて行かれたのは、ミルク・シティで一番高い場所――オリハルコン工場の屋上……ではなく、そのさらに上空だった。
「こ、これは……?」
私たちは、帝国の魔導技術の粋を集めた小型飛行船『天翔る船』の甲板にいた。
眼下には、宝石を散りばめたようなミルク・シティの夜景が広がり、頭上には手が届きそうなほどの満天の星空が輝いている。
「特等席だ。誰にも邪魔はさせん」
シリウスは手すりに寄りかかり、夜風に銀髪をなびかせていた。
その姿は、夜の支配者のように美しく、そして神々しい。
「……綺麗ですね」
「ああ。だが、俺が見ているのは夜景ではない」
彼は私に向き直った。
その蒼い瞳が、星空よりも深く、熱く私を吸い込む。
「ミルク・ド・ラテ」
彼はゆっくりと歩み寄り、私の目の前で片膝をついた。
皇帝が、一介の(元)貴族令嬢に跪く。
それは、彼ができる最大の敬意と、求愛のポーズだった。
「単刀直入に言う」
彼は懐から、小さな箱を取り出した。
パカッ。
中に入っていたのは、指輪だ。
ただし、普通の宝石ではない。
『夜空の瞳』と呼ばれる、世界に一つしか存在しない幻の魔石。その輝きは、国家予算十年分にも匹敵すると言われる国宝級の逸品だ。
「……っ!」
私の目が、無意識に鑑定モードに入る。
(推定価格……測定不能(エラー)。資産価値……無限大)
「俺の人生を、貴様に売りたい」
シリウスの言葉が、夜気に溶ける。
「対価は、俺の全てだ。帝国の領土、財産、軍事力、そして俺という人間そのもの。……これら全てを貴様に譲渡する」
彼は指輪を差し出した。
「その代わり、貴様の人生を俺にくれ。貴様の才能も、笑顔も、強欲さも、弱さも……これからの時間の全てを、俺だけのものにしたい」
究極の等価交換。
いや、どう考えても釣り合っていない。
私一人の人生に対して、大陸最強の皇帝と帝国全て?
暴利だ。詐欺に近いほどの好条件だ。
「……陛下、計算が合いませんわ」
私は震える声で言った。
「私の人生の時価総額なんて、貴方の提示額の万分の一もありません。……これでは、貴方が大損します」
「損得を決めるのは貴様ではない。投資家である俺だ」
シリウスは力強く言い切った。
「俺にとって、貴様は世界中の富を集めても釣り合わないほど価値がある。貴様がいない世界など、俺にとっては無価値な瓦礫の山と同じだ」
彼は私の手を取り、指輪を指先に当てた。
「ミルク。俺を『幸せ』にしてくれ。そして、俺にも貴様を『世界一の幸せ者』にさせてくれ。……この契約、受けてくれるか?」
彼の瞳が揺れている。
あの「氷の皇帝」が、まるで初恋をする少年のように、私の答えを怖がり、待ち望んでいる。
私の脳内の電卓が、カチリと音を立てて止まった。
計算終了。
答えは最初から出ている。
「……馬鹿な人」
私は涙が溢れるのを止められなかった。
金貨を見ても泣かない私が、こんな言葉一つで視界を滲ませている。
「そんな不利な契約……商売人として、見過ごせるわけがありませんわ」
私は左手を差し出した。
「喜んでお受けします。……返品不可(ノークレーム・ノーリターン)ですわよ?」
「ああ、望むところだ!」
シリウスが私の薬指に指輪を通す。
サイズは驚くほどぴったりだった。
その瞬間、彼は立ち上がり、私を強く抱きしめた。
骨がきしむほどの強さ。
彼の心臓の音が、私の鼓動と重なる。
「愛している、ミルク。……これからは、俺が貴様の最強の盾となり、貴様が俺の最愛の光となるんだ」
「ええ、シリウス。……覚悟してくださいね」
私は彼の背中に腕を回し、涙混じりの笑顔で囁いた。
「貴方の国も、貴方の心も、骨の髄まで愛し尽くして差し上げますから!」
星空の下、私たちは長い口づけを交わした。
それは、どんな契約書よりも重く、そして甘い、永遠の誓いだった。
飛行船の下では、何も知らない市民たちが夜景を見上げている。
「あ、流れ星!」
誰かが指差したその光は、もしかしたら私たちの愛の輝きだったのかもしれない(と、ロマンチックに浸るのもたまには悪くない)。
こうして、世紀の「超大型合併(マリッジ)」が成立したのである。
その日の午後、シリウスは私の執務室に入ってくるなり、そう告げた。
いつになく真剣な表情。
そして、どこか緊張しているようにも見える。
「あら、またどこかの国を買収しに行きますか?」
「違う。……もっと重要な『最終交渉』だ」
彼は私の手を取り、強引に立ち上がらせた。
「ドレスに着替えろ。一番いいやつだ。……迎えに行く」
それだけ言い残して、彼は風のように去っていった。
「……何事かしら?」
私は首をかしげたが、ベッキーはニヤニヤしながらクローゼットを開け放った。
「お嬢様、鈍感なふりはやめましょう。……いよいよ『決算期』ですよ」
◇
夜。
迎えに来たシリウスのエスコートで私が連れて行かれたのは、ミルク・シティで一番高い場所――オリハルコン工場の屋上……ではなく、そのさらに上空だった。
「こ、これは……?」
私たちは、帝国の魔導技術の粋を集めた小型飛行船『天翔る船』の甲板にいた。
眼下には、宝石を散りばめたようなミルク・シティの夜景が広がり、頭上には手が届きそうなほどの満天の星空が輝いている。
「特等席だ。誰にも邪魔はさせん」
シリウスは手すりに寄りかかり、夜風に銀髪をなびかせていた。
その姿は、夜の支配者のように美しく、そして神々しい。
「……綺麗ですね」
「ああ。だが、俺が見ているのは夜景ではない」
彼は私に向き直った。
その蒼い瞳が、星空よりも深く、熱く私を吸い込む。
「ミルク・ド・ラテ」
彼はゆっくりと歩み寄り、私の目の前で片膝をついた。
皇帝が、一介の(元)貴族令嬢に跪く。
それは、彼ができる最大の敬意と、求愛のポーズだった。
「単刀直入に言う」
彼は懐から、小さな箱を取り出した。
パカッ。
中に入っていたのは、指輪だ。
ただし、普通の宝石ではない。
『夜空の瞳』と呼ばれる、世界に一つしか存在しない幻の魔石。その輝きは、国家予算十年分にも匹敵すると言われる国宝級の逸品だ。
「……っ!」
私の目が、無意識に鑑定モードに入る。
(推定価格……測定不能(エラー)。資産価値……無限大)
「俺の人生を、貴様に売りたい」
シリウスの言葉が、夜気に溶ける。
「対価は、俺の全てだ。帝国の領土、財産、軍事力、そして俺という人間そのもの。……これら全てを貴様に譲渡する」
彼は指輪を差し出した。
「その代わり、貴様の人生を俺にくれ。貴様の才能も、笑顔も、強欲さも、弱さも……これからの時間の全てを、俺だけのものにしたい」
究極の等価交換。
いや、どう考えても釣り合っていない。
私一人の人生に対して、大陸最強の皇帝と帝国全て?
暴利だ。詐欺に近いほどの好条件だ。
「……陛下、計算が合いませんわ」
私は震える声で言った。
「私の人生の時価総額なんて、貴方の提示額の万分の一もありません。……これでは、貴方が大損します」
「損得を決めるのは貴様ではない。投資家である俺だ」
シリウスは力強く言い切った。
「俺にとって、貴様は世界中の富を集めても釣り合わないほど価値がある。貴様がいない世界など、俺にとっては無価値な瓦礫の山と同じだ」
彼は私の手を取り、指輪を指先に当てた。
「ミルク。俺を『幸せ』にしてくれ。そして、俺にも貴様を『世界一の幸せ者』にさせてくれ。……この契約、受けてくれるか?」
彼の瞳が揺れている。
あの「氷の皇帝」が、まるで初恋をする少年のように、私の答えを怖がり、待ち望んでいる。
私の脳内の電卓が、カチリと音を立てて止まった。
計算終了。
答えは最初から出ている。
「……馬鹿な人」
私は涙が溢れるのを止められなかった。
金貨を見ても泣かない私が、こんな言葉一つで視界を滲ませている。
「そんな不利な契約……商売人として、見過ごせるわけがありませんわ」
私は左手を差し出した。
「喜んでお受けします。……返品不可(ノークレーム・ノーリターン)ですわよ?」
「ああ、望むところだ!」
シリウスが私の薬指に指輪を通す。
サイズは驚くほどぴったりだった。
その瞬間、彼は立ち上がり、私を強く抱きしめた。
骨がきしむほどの強さ。
彼の心臓の音が、私の鼓動と重なる。
「愛している、ミルク。……これからは、俺が貴様の最強の盾となり、貴様が俺の最愛の光となるんだ」
「ええ、シリウス。……覚悟してくださいね」
私は彼の背中に腕を回し、涙混じりの笑顔で囁いた。
「貴方の国も、貴方の心も、骨の髄まで愛し尽くして差し上げますから!」
星空の下、私たちは長い口づけを交わした。
それは、どんな契約書よりも重く、そして甘い、永遠の誓いだった。
飛行船の下では、何も知らない市民たちが夜景を見上げている。
「あ、流れ星!」
誰かが指差したその光は、もしかしたら私たちの愛の輝きだったのかもしれない(と、ロマンチックに浸るのもたまには悪くない)。
こうして、世紀の「超大型合併(マリッジ)」が成立したのである。
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