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「……君は、昨夜の夜会で王太子を論破していた令嬢ではないか?」
埃舞う廃屋のような店舗予定地。
月明かりに照らされたその男は、隣国の公爵にして、若くして数々の事業を成功させている実業家、ルーカス・ヴァレンタインだった。
私は一瞬、身構えた。
(まずい。王太子の関係者? それとも父の差し金?)
しかし、ルーカスの視線は私ではなく、天井の梁(はり)に向けられている。
「……素晴らしい。この曲線、釘を使わない『組み木』の技術だね。百年……いや、百五十年前の職人の仕事か。効率的かつ美しい」
彼は独り言を呟きながら、汚れた柱を愛おしそうに撫で回している。
噂では「冷徹公爵」とか「歩く氷像」なんて呼ばれているけれど、今の彼からは変態……いえ、マニアックな建築オタクの気配しかしない。
私は箒を握り直した。
「あの、ヴァレンタイン公爵様? ここは私の新しい城(店舗)になる予定なのですが」
「ああ、すまない。あまりに美しい構造体だったもので、つい無断侵入してしまった。不法侵入罪の罰金が必要なら請求してくれ。相場通りに支払おう」
「いえ、結構です。それより、私をご存知ということは、昨夜の騒動も?」
「もちろん見ていたよ。王太子の借用書を突きつけ、慰謝料代わりに回収する手腕……見事だった」
ルーカスは柱から手を離し、私に向き直った。
その瞳は、侮蔑の色など微塵もなく、むしろ探究心に輝いている。
「普通の令嬢なら泣き寝入りするか、感情的に騒ぐ場面だ。だが君は、感情という不確定要素を排除し、数字という絶対的な事実だけで彼を追い詰めた」
「……お褒めいただいていると解釈してよろしいので?」
「最大の賛辞だ。特に『愛で腹は膨れない』という発言、あれは真理だね。僕も常々そう思っていた」
どうやらこの公爵様、相当な変わり者らしい。
私は少し警戒を解き、手に持っていた『激辛クッキー』の残りを差し出した。
「お口に合うかわかりませんが、お近づきのしるしにどうぞ。私の商品第一号です」
「ほう、これが噂の『悪役令嬢スナック』か。いただきます」
ルーカスは躊躇なく、真っ赤なクッキーを口に放り込んだ。
そして、眉一つ動かさずに咀嚼する。
「……辛いな」
「ええ、罰ゲーム用ですので」
「だが、不味くはない。後味に独特のコクがある。これは何を使っている?」
「市場で廃棄寸前だった規格外の赤唐辛子と、賞味期限ギリギリのスパイスをブレンドしています。小麦粉も、製粉所の床にこぼれた……あ、いえ、精製過程で弾かれた二等品を安く仕入れています」
私は得意げに説明した。
すると、ルーカスが目を見開いた。
「廃棄寸前の唐辛子? それは……もしかして、原価率は?」
「パッケージ代を含めても、販売価格の七パーセント以下に抑えています」
「七パーセント!!」
ルーカスが叫んだ。
さっきの「愛で腹は膨れない」の時よりも遥かに大きなリアクションだ。
彼は興奮した様子で私に詰め寄ってくる。
「すごい……凄まじい利益率だ! 通常、飲食の原価率は三割と言われている。それを一割以下に抑えつつ、話題性という付加価値で高値で売る……君は錬金術師か?」
「いえ、ただのドケチです」
「謙遜する必要はない! そのコスト意識、経営者として極めて優秀だ。僕の領地でも、無駄な経費を削減しようとすると『伝統が』とか『品格が』とか言ってくる老害ばかりでね……君のような人材をずっと探していたんだ!」
ルーカスは私の手を取り、ブンブンと握手をした。
手が大きい。そして熱い。
「冷徹公爵」なんて誰が言ったのかしら。数字の話になった途端、火傷しそうなほど熱血じゃないの。
「それで、この店は何を売る予定なんだ?」
「まだ未定です。元手はありますから、回転率が良く、かつ在庫リスクの少ない商売を考えていますが」
「なるほど。場所は悪くない。大通りからは外れているが、その分家賃は安いだろう?」
「はい。幽霊が出るという噂のおかげで、相場の三割です」
「三割! 素晴らしい! 幽霊など、固定資産税もかからない居候だ。気にする必要はない」
「気が合いますね公爵様」
私とルーカスは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
初めて会った気がしない。
まるで、長年連れ添ったビジネスパートナーのような安心感がある。
「よし、決めた」
ルーカスは懐から革袋を取り出し、私の手の上にドンと置いた。
ずしり、と重い。
中身を確認しなくてもわかる。金貨だ。しかもかなりの枚数が入っている。
「こ、これは?」
「投資だ」
「投資?」
「君の才能に賭ける。この店のリフォーム代、そして当面の運転資金として使ってくれ」
「えっ、でも……まだ事業計画書もお見せしていませんし、担保もありませんよ?」
「君という人間が担保だ。昨夜の王太子への請求、そして今の原価率の話……君なら絶対に損はさせないと確信した」
ルーカスは真剣な眼差しで私を見つめる。
その瞳には、ロマンチックな感情は一切ない。あるのは純粋な「勝算」への信頼だけだ。
それが、私には何より心地よかった。
「……条件は?」
「利益の二割を配当として渡すこと。そして、月に一度、僕と経営談義(デート)をすること。どうだ?」
「二割は高いですね。一割五分でどうでしょう?」
「一割八分」
「一割六分。これ以上は譲れません」
「……ふっ、いいだろう。一割六分で手を打とう」
交渉成立。
私たちは再び、固い握手を交わした。
「契約成立だ、ココア・ガナッシュ」
「はい、オーナー。こき使わせていただきますわ」
こうして、私のお店「ウィックド・カフェ(悪女の喫茶店)」は、最強の投資家(スポンサー)を得て動き出すことになった。
「さて、まずは掃除の続きだな。僕も手伝おう」
「えっ、公爵様が?」
「効率化は僕の得意分野だ。君が右側を、僕が左側を片付ける。どちらが早く綺麗にできるか勝負だ」
「負けませんよ。負けた方が今日の夕食を奢るというのは?」
「乗った。ただし、予算は一人銀貨一枚以内だ」
「わかってらっしゃる!」
月明かりの下、埃まみれの元雑貨屋で、私と公爵様は箒を構えて並び立つ。
のちに「王国最強の夫婦」と呼ばれる二人の、これが最初の共同作業だった。
埃舞う廃屋のような店舗予定地。
月明かりに照らされたその男は、隣国の公爵にして、若くして数々の事業を成功させている実業家、ルーカス・ヴァレンタインだった。
私は一瞬、身構えた。
(まずい。王太子の関係者? それとも父の差し金?)
しかし、ルーカスの視線は私ではなく、天井の梁(はり)に向けられている。
「……素晴らしい。この曲線、釘を使わない『組み木』の技術だね。百年……いや、百五十年前の職人の仕事か。効率的かつ美しい」
彼は独り言を呟きながら、汚れた柱を愛おしそうに撫で回している。
噂では「冷徹公爵」とか「歩く氷像」なんて呼ばれているけれど、今の彼からは変態……いえ、マニアックな建築オタクの気配しかしない。
私は箒を握り直した。
「あの、ヴァレンタイン公爵様? ここは私の新しい城(店舗)になる予定なのですが」
「ああ、すまない。あまりに美しい構造体だったもので、つい無断侵入してしまった。不法侵入罪の罰金が必要なら請求してくれ。相場通りに支払おう」
「いえ、結構です。それより、私をご存知ということは、昨夜の騒動も?」
「もちろん見ていたよ。王太子の借用書を突きつけ、慰謝料代わりに回収する手腕……見事だった」
ルーカスは柱から手を離し、私に向き直った。
その瞳は、侮蔑の色など微塵もなく、むしろ探究心に輝いている。
「普通の令嬢なら泣き寝入りするか、感情的に騒ぐ場面だ。だが君は、感情という不確定要素を排除し、数字という絶対的な事実だけで彼を追い詰めた」
「……お褒めいただいていると解釈してよろしいので?」
「最大の賛辞だ。特に『愛で腹は膨れない』という発言、あれは真理だね。僕も常々そう思っていた」
どうやらこの公爵様、相当な変わり者らしい。
私は少し警戒を解き、手に持っていた『激辛クッキー』の残りを差し出した。
「お口に合うかわかりませんが、お近づきのしるしにどうぞ。私の商品第一号です」
「ほう、これが噂の『悪役令嬢スナック』か。いただきます」
ルーカスは躊躇なく、真っ赤なクッキーを口に放り込んだ。
そして、眉一つ動かさずに咀嚼する。
「……辛いな」
「ええ、罰ゲーム用ですので」
「だが、不味くはない。後味に独特のコクがある。これは何を使っている?」
「市場で廃棄寸前だった規格外の赤唐辛子と、賞味期限ギリギリのスパイスをブレンドしています。小麦粉も、製粉所の床にこぼれた……あ、いえ、精製過程で弾かれた二等品を安く仕入れています」
私は得意げに説明した。
すると、ルーカスが目を見開いた。
「廃棄寸前の唐辛子? それは……もしかして、原価率は?」
「パッケージ代を含めても、販売価格の七パーセント以下に抑えています」
「七パーセント!!」
ルーカスが叫んだ。
さっきの「愛で腹は膨れない」の時よりも遥かに大きなリアクションだ。
彼は興奮した様子で私に詰め寄ってくる。
「すごい……凄まじい利益率だ! 通常、飲食の原価率は三割と言われている。それを一割以下に抑えつつ、話題性という付加価値で高値で売る……君は錬金術師か?」
「いえ、ただのドケチです」
「謙遜する必要はない! そのコスト意識、経営者として極めて優秀だ。僕の領地でも、無駄な経費を削減しようとすると『伝統が』とか『品格が』とか言ってくる老害ばかりでね……君のような人材をずっと探していたんだ!」
ルーカスは私の手を取り、ブンブンと握手をした。
手が大きい。そして熱い。
「冷徹公爵」なんて誰が言ったのかしら。数字の話になった途端、火傷しそうなほど熱血じゃないの。
「それで、この店は何を売る予定なんだ?」
「まだ未定です。元手はありますから、回転率が良く、かつ在庫リスクの少ない商売を考えていますが」
「なるほど。場所は悪くない。大通りからは外れているが、その分家賃は安いだろう?」
「はい。幽霊が出るという噂のおかげで、相場の三割です」
「三割! 素晴らしい! 幽霊など、固定資産税もかからない居候だ。気にする必要はない」
「気が合いますね公爵様」
私とルーカスは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
初めて会った気がしない。
まるで、長年連れ添ったビジネスパートナーのような安心感がある。
「よし、決めた」
ルーカスは懐から革袋を取り出し、私の手の上にドンと置いた。
ずしり、と重い。
中身を確認しなくてもわかる。金貨だ。しかもかなりの枚数が入っている。
「こ、これは?」
「投資だ」
「投資?」
「君の才能に賭ける。この店のリフォーム代、そして当面の運転資金として使ってくれ」
「えっ、でも……まだ事業計画書もお見せしていませんし、担保もありませんよ?」
「君という人間が担保だ。昨夜の王太子への請求、そして今の原価率の話……君なら絶対に損はさせないと確信した」
ルーカスは真剣な眼差しで私を見つめる。
その瞳には、ロマンチックな感情は一切ない。あるのは純粋な「勝算」への信頼だけだ。
それが、私には何より心地よかった。
「……条件は?」
「利益の二割を配当として渡すこと。そして、月に一度、僕と経営談義(デート)をすること。どうだ?」
「二割は高いですね。一割五分でどうでしょう?」
「一割八分」
「一割六分。これ以上は譲れません」
「……ふっ、いいだろう。一割六分で手を打とう」
交渉成立。
私たちは再び、固い握手を交わした。
「契約成立だ、ココア・ガナッシュ」
「はい、オーナー。こき使わせていただきますわ」
こうして、私のお店「ウィックド・カフェ(悪女の喫茶店)」は、最強の投資家(スポンサー)を得て動き出すことになった。
「さて、まずは掃除の続きだな。僕も手伝おう」
「えっ、公爵様が?」
「効率化は僕の得意分野だ。君が右側を、僕が左側を片付ける。どちらが早く綺麗にできるか勝負だ」
「負けませんよ。負けた方が今日の夕食を奢るというのは?」
「乗った。ただし、予算は一人銀貨一枚以内だ」
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