婚約破棄?悪役令嬢は愛より小銭を稼ぎたい!

ちゃっぴー

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「ルーカス様ぁ……! 助けてくださいましぃ……!」

平穏な午後。

ヴァレンタイン公爵邸の応接間に、場違いな甘ったるい声が響いた。

アポイントなしで突撃してきたのは、聖女マシュマロだ。

彼女は応接ソファに座るなり、ハンカチを目元に当ててシクシクと泣き出した。

「酷いんです、ジェラルド殿下が……! 私にあんなに優しかったのに、最近は『金がない』『パンの耳を食え』って、そればかり……! きっと悪霊に取り憑かれているに違いありませんわ!」

対面に座るルーカスは、手元の書類(今月の野菜出荷計画書)から目を離さず、無表情で答えた。

「それは悪霊ではなく、貧乏神だろう。あるいは自業自得という名の因果応報だ」

「そんなぁ! 冷たいこと仰らないでください! 私、怖くて……。だから、ルーカス様のお屋敷に逃げてきたんです。ここなら安全だと思って……」

マシュマロは涙で潤んだ瞳を上げ、上目遣いでルーカスを見つめる。

いわゆる『聖女の必殺・庇護欲そそり視線』だ。

これを使えば、王宮の騎士も、学園の男子生徒も、みんな彼女の言いなりになってきた。

しかし。

「……マシュマロ嬢。一つ質問がある」

ルーカスが初めて顔を上げた。

マシュマロは心の中で「勝った!」とガッツポーズをする。

(ふふん、やっぱりチョロいわ! 冷徹公爵とか言っても、男はみんな私の涙に弱いのよ!)

彼女はさらに瞳をウルウルさせて身を乗り出す。

「なぁに? なんでも聞いてくださいまし♡」

「君のその瞼(まぶた)の腫れ具合だが……」

「えっ? (泣き顔が可愛いってことかしら?)」

「塩分濃度の高い涙液が長時間滞留したことによる浸透圧の変化か、あるいは粘膜への炎症反応か……どちらにせよ、医学的に見て不健康な状態だ。早急に冷やすか、医師に見せることを推奨する」

「……は?」

マシュマロの動きが止まる。

「い、いえ、これは悲しみのあまり……」

「さらに言うなら、君の肌。ファンデーションが浮いているぞ」

「ひっ!?」

「小鼻の周りの皮脂分泌過多と、乾燥による角質の剥離が見られる。その化粧品、君の肌質(pHバランス)に合っていないのではないか? 成分表を見せてみろ。分析してやる」

ルーカスは真顔で、懐からルーペを取り出した。

「ち、違いますわ! これは最近ストレスで……!」

「ストレス? ストレス反応で肌荒れが起きているなら、尚更厚塗りは逆効果だ。毛穴を塞ぐことで嫌気性細菌、いわゆるアクネ菌の増殖を助長する」

「や、やめてぇぇぇ!!」

マシュマロは両手で顔を覆った。

「肌荒れ」と「アクネ菌」。

乙女が一番言われたくない単語を、公爵様は躊躇なく、しかも大真面目なトーンで連発したのだ。

部屋の隅、観葉植物の陰で様子を伺っていた私は、必死で笑いを噛み殺していた。

(ぶっ……! さ、さすがオーナー! 『可愛い』より先に『皮膚科学』が来る男!)

私は呼吸を整え、スッと姿を現した。

「失礼いたします。お客様、お肌のトラブルでお悩みでしたら、当家特製の『泥パック(庭の土)』はいかがですか?」

「コ、ココア!?」

マシュマロがギョッとして私を見る。

「なんで貴女がここに……! ここは公爵様の屋敷でしょ!?」

「ええ。私はここの『経営再建担当(奥様)』ですので。お客様の接待も業務の一環です」

私はニッコリと笑い、テーブルに請求書……ではなく、メニュー表を置いた。

「ルーカス様の分析通り、マシュマロ様のメイクは崩壊寸前です。今なら特別価格、金貨一枚で『メイク落とし』と『保湿ケア』をご提供しますが?」

「だ、誰が貴女なんかに!」

マシュマロは立ち上がり、ルーカスにすがりつこうとした。

「ルーカス様! 騙されないで! この女は悪女です! 公爵様を利用しているだけなんです!」

彼女はルーカスの腕を取ろうと、その豊満な胸を押し付けようとする。

物理攻撃(ハニートラップ)だ。

しかし、ルーカスはその動きを予測していたかのように、スッと椅子を引いて回避した。

「……近寄らないでくれたまえ」

「えっ……? ど、どうして……?」

「君から発せられる香水の揮発成分濃度が、許容値を超えている」

ルーカスはハンカチで鼻と口を覆った。

「その匂い……合成ムスクとアルデヒドか? 換気の悪い室内で使用するには強烈すぎる。私の嗅覚細胞が悲鳴を上げているし、何より思考能力(計算速度)が低下する」

「く、くさいってことですか……!?」

「化学物質過敏症になりそうだと言っている。少なくとも、半径三メートル以内には接近禁止だ」

拒絶。

完全なる拒絶である。

涙も、色仕掛けも、香りも通用しない。

マシュマロのプライドはズタズタに切り裂かれた。

「ひ、酷い……! 殿下なら『いい匂いだね』って褒めてくれるのに!」

「王太子殿下の嗅覚が鈍麻しているか、あるいは鼻詰まりなのだろう」

ルーカスは冷たく言い放つと、私の方を向いた。

「ココア。窓を全開にしてくれ。それと、消臭剤の手配を」

「かしこまりました。別途『環境浄化費』を請求しておきますね」

「頼む」

私とルーカスの完璧な連携。

マシュマロはわなわなと震え、真っ赤な顔で叫んだ。

「な、なんなんですかお二人は! 可愛げのかけらもありませんわ! こんなの……こんなの恋愛小説じゃありませんっ!」

「あいにくですが、ここは『経済小説』の世界ですので」

私が冷静に返すと、マシュマロは「きぃぃぃっ!」と奇声を上げて走り出した。

「もう知りません! 王宮に帰って殿下に言いつけてやりますから!」

ドタドタドタ……バタン!!

マシュマロが去った後には、静寂と、微かに残るキツイ香水の匂いだけが漂っていた。

「……やれやれ。嵐のような客だったな」

ルーカスが疲れたように息を吐く。

「お疲れ様です、オーナー。それにしても、容赦ありませんでしたね。一応、国の聖女様ですよ?」

「事実を述べただけだ。それに……」

ルーカスは私を見て、ふと表情を緩めた。

「僕にとって心地よい香りは、コーヒーとインクの匂い……そして、君が焼いたクッキーの香りだけだ」

「……っ」

不意打ちのデレ。

この男、計算なのか天然なのか、たまにこういうキラーパスを出してくるから心臓に悪い。

「そ、そうですか。では、今日のオヤツはクッキーにしますね。……特別に、砂糖を少し多めにしてあげます」

「それは楽しみだ。……あ、もちろん追加料金は?」

「サービスしておきます。……常連様ですので」

私は照れ隠しに背を向け、窓を開け放った。

吹き込む風が、店内の淀んだ空気を洗い流していく。

聖女の涙も、色気も、私たちには通用しない。

なぜなら私たちの絆は、そんなフワフワしたものより遥かに強固な『利害の一致』と『信頼』で結ばれているのだから。

(……まあ、少しだけ『愛』も混じっているかもしれないけど。それはまだ、帳簿には載せないでおきましょう)

私は赤くなった頬を風で冷ましながら、次なる商機(トラブル)の予感に胸を躍らせた。
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