悪役令嬢、婚約破棄に「御意」と答えて即帰宅。

ちゃっぴー

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「――分類完了。所要時間、四十八分」

私がパンと手を叩くと、執務室に静寂が訪れた。

つい一時間前までゴミ屋敷同然だった部屋は、今やモデルルームのように整然としていた。

床が見える。机の木目が見える。

そして、死人のようだった文官たちが、涙を流して拝んでいる。

「神よ……」

「床だ……一年ぶりに床を見た……」

彼らの反応はさておき、私は額の汗をハンカチで拭い、ふうと息を吐いた。

「とりあえず、これで『仕事ができる環境』にはなりましたね。あくまでゼロ地点に戻っただけですが」

私は腕組みをして、部屋の隅で優雅に紅茶を飲んでいる元凶――アレクセイ閣下を睨みつけた。

「閣下。環境整備はサービスしましたが、ここからの実務は別料金です」

「ああ、構わない。いくらでも請求しろ」

閣下は涼しい顔で頷いた。

「では、雇用契約の条件交渉に入ります。まず、時給制ではなく成果報酬制にしてください」

「ほう? 時給の方が安定して稼げるぞ。この量はどう見ても残業確定だからな」

「いいえ。時給だと、私が優秀すぎて早く終わらせた場合に損をします」

私は断言した。

「一件処理するごとに、金貨一枚。これが条件です」

文官たちが「ひっ」と息を飲む音が聞こえた。

金貨一枚といえば、平民の一ヶ月分の生活費に相当する。

しかし、閣下は眉一つ動かさずに即答した。

「いいだろう。ただし、ミスがあった場合は倍額のペナルティだ」

「交渉成立です。では、始めましょうか」

私は一番手前の『超緊急・決裁待ち』の山から、書類をひったくった。

ここからはスピード勝負だ。

右手にペン、左手に承認印。

「案件一、北部の河川改修工事の予算申請。……却下」

バァン!

承認印ではなく、却下印を叩きつける。

「えっ!? ヨーネリア様、それは重要なインフラ整備で……」

担当の文官が慌てて駆け寄ってくるが、私は書類を突き返した。

「中身を読みましたか? 『川の氾濫を防ぐために、川底に金箔を貼る』と書いてありますよ」

「は?」

「誰の差し金か知りませんが、こんな無駄遣いを通すわけがないでしょう。業者と癒着している役人の名前をリストアップしてあります。後で査問会にかけてください」

「あ、ありがとうございます……!」

「次! 案件二、王立学園の食堂メニュー改善案。……承認」

ポン!

「案件三、クラーク殿下の『僕の銅像を広場に建てたい』プロジェクト。……却下、および破棄! 資源の無駄です」

ビリビリビリ!

私はその書類を破り捨て、ゴミ箱へダンクシュートした。

「案件四、隣国への親善大使の人選。……保留。候補者が全員、殿下の太鼓持ちです。再考の余地あり」

私の手は止まらない。

読む、判断する、印を押す(または破る)。

そのサイクルは、およそ三秒に一件。

「は、速い……速すぎる……!」

「目で追えない……!」

文官たちが私の手元を凝視して震えている。

私は彼らに指示を飛ばした。

「突っ立っていないで、私が処理した書類を各部署へ配送してください! 物流を止めるな!」

「は、はいっ!」

執務室が、戦場のような活気を帯びてくる。

今までは「どうせ殿下が見てくれないから」と停滞していた空気が、「今なら通る!」「仕事が進む!」という熱気に変わっていた。

そんな私の様子を、アレクセイ閣下が興味深そうに観察している。

「……恐ろしいな」

閣下がボソリと呟いた。

「君は中身を読んでいないのか?」

「読んでいますよ。斜め読みですが、キーワードと数字の整合性を見れば、まともな案件かゴミかは一瞬で判断できます」

私は手を止めずに答える。

「それに、この程度の処理速度は、私が公爵家でやっていた『父の借金返済計画』や『領地の不作対策』に比べれば準備運動レベルです」

「……君の実家も大概だな」

「ええ。おかげで鍛えられました。感謝はしていませんが」

三十分後。

『超緊急』の山が消滅した。

「ふう……第一ラウンド終了ですね」

私はペンを置き、手首を回した。

ざっと六百件。金貨六百枚の稼ぎだ。

これなら、老後の資金も一週間で貯まるかもしれない。

「素晴らしい」

閣下が立ち上がり、拍手をした。

「まさか、一週間かかると見積もっていた山を、一回のティータイムの間に片付けるとは」

「お褒めに預かり光栄です。では、本日はこれにて……」

「待て」

帰ろうとした私の肩を、閣下の大きな手が掴んだ。

嫌な予感がする。

閣下は、部屋の隅にある扉を指差した。

「あちらの部屋に、昨年度からの『未処理案件・長期保存版』があるのだが」

「……は?」

「クラーク殿下が『難しくてよくわからないから後で見る』と言って隠していた、約五年分の書類だ」

ガチャリ。

扉が開かれる。

そこには、天井まで届く書類の壁があった。

図書館ではない。書類の館だ。

「…………」

私は言葉を失った。

これはブラックではない。漆黒(ジェットブラック)だ。

「閣下」

「なんだ」

「殿下を廃嫡にする手続きは、どの書類で行えますか?」

私は真顔で聞いた。

「それなら、今君が片付けた書類の中に、彼の無能さを証明する証拠が山ほどあったはずだ」

「なるほど。つまり、この仕事を完遂することが、私の自由への近道というわけですね」

「そういうことだ。協力してくれるか? 私の『最高のパートナー』として」

閣下は、今までに見せたことのない柔らかな笑みを浮かべた。

氷の宰相が溶けた瞬間。

その破壊力は凄まじく、周囲の女性文官(数名いた)が「きゃあ!」と卒倒しそうになっていた。

しかし、私は騙されない。

その笑顔の裏にあるのは「これでお前を逃さない」という執念だ。

「……条件を追加します」

私は諦めて溜息をついた。

「週休二日、定時退社。そして、残業が発生した場合は、閣下がとっておきの美味しいディナーを奢ること」

「安いものだ」

「言いましたね? 言質は取りましたよ」

私は再びペンを握り直した。

覚悟を決めるしかない。

この国の膿を出し切り、ついでに元婚約者への鬱憤を晴らすための戦いが、ここに始まったのだ。

と、その時。

バァン!

執務室の扉が勢いよく開かれた。

「おいアレクセイ! 僕の執務室から書類が消えているんだが、知らないか!?」

現れたのは、寝癖がついたままのクラーク殿下だった。

悠長にあくびをしている。

私が地獄のような作業をしていた間に、この男は寝ていたのか。

私のこめかみに、青筋が浮かんだのがわかった。

「……あら。噂をすれば」

私はゆっくりと振り返った。

手には、先ほど「破棄」したはずの『銅像建立計画書』の残骸を握りしめて。

「お目覚めですか、給料泥棒(元婚約者)様?」

私の目が据わっていたのか、殿下が「ひっ」と悲鳴を上げた。
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