悪役令嬢、婚約破棄に「御意」と答えて即帰宅。

ちゃっぴー

文字の大きさ
17 / 28

17

しおりを挟む
「……曲が変わりましたね」

激しいワルツが終わり、会場にはゆったりとしたバラードが流れ始めた。

照明が少し落とされ、大人の雰囲気が漂う。

私は乱れた呼吸(といっても、特殊コルセットのおかげで軽微だが)を整えようと、アレクセイ閣下の腕から離れようとした。

「閣下。ミッション・コンプリートです。周囲への威嚇は十分に行えましたので、一度補給(休憩)に戻りませんか?」

「待て」

閣下は私の腰に回した手を解かなかった。

それどころか、グイッと私を引き寄せた。

「……え?」

私の体は、閣下の胸板に密着した。

近い。

さっきまでの「戦闘的な距離」ではない。これは……いわゆる「チークダンス」の距離だ。

「もう一曲だけ付き合え。……今度は、戦うためではなく、楽しむために」

閣下の声が、私の耳元で甘く響いた。

「は、はい……業務命令であれば」

私はドギマギしながら、閣下の肩に手を回した。

ゆっくりとしたリズムに合わせて、体を揺らす。

周囲の視線など、もう気にならなかった。

私の意識は、目の前の男――アレクセイ閣下に占領されていたからだ。

「……ヨーネリア」

「はい」

「今日の君は、本当に綺麗だ」

「……先ほども聞きました。『機能的で美しい』と」

「あれは建前だ」

閣下は私の髪に指を通し、優しく撫でた。

「機能性などどうでもいい。ただ、君がそこにいるだけで、私の世界は彩りを取り戻す。……君を見ていると、胸の奥が熱くて、痛いんだ」

「……!」

私は息を飲んだ。

閣下の瞳は、いつもと違っていた。

冷徹な計算も、政治的な意図もない。ただ純粋な、熱情のようなものが渦巻いている。

「……閣下。それは不整脈の可能性があります。至急、医務室へ……」

「茶化すな」

閣下は私の言葉を遮り、さらに顔を近づけてきた。

鼻先が触れそうな距離。

お互いの吐息がかかる。

「ヨーネリア。私は今まで、君を『有能な補佐官』として側に置いてきたつもりだった」

「……はい。最高のビジネスパートナーだと」

「だが、最近は計算が狂っている」

閣下は苦しげに眉を寄せた。

「君が他の男と話していると腹が立つ。君が笑うと嬉しくなる。君がいなくなると、不安でたまらない。……これは、業務上の必要性を超えている」

閣下の指先が、私の頬をなぞる。

その熱さに、私の体温も急上昇していくのがわかった。

「君を誰にも渡したくないのは、仕事のせいだけではないらしい」

「……っ」

思考回路がショートした。

エラー。エラー発生。

私の脳内コンピューターが、真っ赤な警告灯を点滅させている。

『想定外の入力あり。処理不能。論理的解釈、不可能』

「か、閣下……」

私は震える声で言った。

「て、定義を……明確にしてください!」

「定義?」

「その感情の分類コードは何ですか!? 『信頼』ですか? 『友情』ですか? それとも『執着』ですか!? 曖昧な変数は計算式に組み込めません!」

私はパニックになり、早口でまくし立てた。

数字や論理で武装しなければ、この甘い空気に飲み込まれてしまいそうだったからだ。

閣下はきょとんとした後、ふっと優しく微笑んだ。

「……君は、まだ言葉が必要か」

「当たり前です! 契約書には明記されていない事項です!」

「ならば、行動で示そう」

「え?」

閣下の顔が、さらに近づく。

あと五センチ。

あと三センチ。

あと一センチ。

唇が触れるか触れないか、そのギリギリの距離で、閣下は囁いた。

「……愛している、と言えば、計算が合うか?」

「~~~~っ!!」

ボンッ!

私の頭の中で、何かが爆発する音がした。

顔が熱い。いや、全身が熱い。

心臓が早鐘を打って、肋骨を突き破りそうだ。

私は反射的に、閣下の胸をドンと押してしまった。

「……ふ、不適切です!!」

「なに?」

「ここは公衆の面前です! そのような機密事項(愛の告白)を、セキュリティの甘い場所で漏洩させるとは、危機管理意識が低すぎます!」

私は真っ赤な顔で叫んだ。

「この件に関しては、後日、防音設備の整った会議室で、正式な議事録を取りながら審議します! ……い、以上!」

私はクルリと背を向け、逃げ出した。

「あっ、ヨーネリア! 待て!」

閣下の呼ぶ声を背に、私は「鋼鉄ヒール」の機動力を活かして、バルコニーへと全力疾走した。

夜風に当たりながら、私は燃えるような頬を手で扇いだ。

「……馬鹿。馬鹿じゃないの」

ドキドキが止まらない。

『愛している』。

その言葉が、頭の中でリフレインしている。

「……計算が合うか、ですって?」

私は手帳を取り出し、震える手で書き込んだ。

『変数X(アレクセイ閣下の感情)= LOVE(確定)』

『変数Y(私の感情)= ……』

そこでペンが止まる。

「……まだ、未確定よ。保留。……保留なんだから」

私はそう自分に言い聞かせたが、口元が勝手に緩んでしまうのを止めることはできなかった。

会場の中では、取り残された閣下が、呆気に取られつつも愛おしそうにバルコニーを見つめていた。

「……逃げ足の速いウサギだ。だが、捕まえるのも時間の問題だな」

その夜の舞踏会は、私たちにとって「ただの仕事」から「特別な夜」へと変わった分岐点となった。

二人の距離、あと一センチ。

そのわずかな隙間が埋まるのは、もう少し先の、大きな事件の後になる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

【完結】あなたを忘れたい

やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。 そんな時、不幸が訪れる。 ■□■ 【毎日更新】毎日8時と18時更新です。 【完結保証】最終話まで書き終えています。 最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)

辺境伯へ嫁ぎます。

アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。 隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。 私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。 辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。 本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。 辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。 辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。 それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか? そんな望みを抱いてしまいます。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 設定はゆるいです。  (言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)  ❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。  (出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

悪女と呼ばれた王妃

アズやっこ
恋愛
私はこの国の王妃だった。悪女と呼ばれ処刑される。 処刑台へ向かうと先に処刑された私の幼馴染み、私の護衛騎士、私の従者達、胴体と頭が離れた状態で捨て置かれている。 まるで屑物のように足で蹴られぞんざいな扱いをされている。 私一人処刑すれば済む話なのに。 それでも仕方がないわね。私は心がない悪女、今までの行いの結果よね。 目の前には私の夫、この国の国王陛下が座っている。 私はただ、 貴方を愛して、貴方を護りたかっただけだったの。 貴方のこの国を、貴方の地位を、貴方の政務を…、 ただ護りたかっただけ…。 だから私は泣かない。悪女らしく最後は笑ってこの世を去るわ。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ ゆるい設定です。  ❈ 処刑エンドなのでバットエンドです。

処理中です...