悪役令嬢、婚約破棄に「御意」と答えて即帰宅。

ちゃっぴー

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「――プランBの実行です。最短ルートで国外へ脱出しますわ」

謁見の間からの全力疾走を終え、自室に鍵をかけた私は、即座にクローゼットの奥から「隠し金庫」を引き出した。

中身は、換金性の高い宝石、偽造……ではなく『緊急時用』の身分証明書、そして王都周辺の詳細な地図だ。

「女王? 冗談ではありません。あんな責任重大で休日ゼロの役職、実質的な終身刑と同じですわ。私は、畑を耕して、自分で作ったカボチャを愛でて生きていくのです!」

私はドレスを脱ぎ捨て、動きやすさ重視の旅装束に着替えた。

鏡に映る自分の顔は、いつになく真剣だ。

「アレクセイ閣下の愛は重すぎますし、ミーナ様は信者化して制御不能。挙句の果てに陛下まで私を労働力として搾取しようとするなんて……。この国は私を過労死させる気満々ですわ」

私はペンを取り、一枚の手紙を書いた。

『辞職願。および、婚約の白紙撤回について。
理由は「方向性の違い」です。私は土を愛し、貴方様は国を愛しています。
追伸:引き継ぎ資料はデスクの三段目にまとめておきました。これ以上の追跡は、業務効率の低下を招くだけですので、お控えください』

よし、完璧だ。

私は荷物をコンパクトにまとめ、窓を開けた。

幸い、ここは二階。訓練された悪役令嬢(自称)の私なら、バルコニーを伝って降りるのは造作もない。

「さようなら、ブラック王城。私は私の自由を、この手に掴み取りますわ!」

私は意を決して、夜の闇へと飛び出した――はずだった。

ガシッ。

「……え?」

宙に浮くはずの私の体が、何者かにガッチリと受け止められた。

「夜風に当たるにしては、随分と荷物が多いな、ヨーネリア」

耳元で、聞き慣れた、そして今最も聞きたくなかった低音ボイスが響いた。

「……閣下」

私はゆっくりと顔を上げた。

そこには、月光を背に受けて不敵に微笑むアレクセイ閣下の姿があった。

お姫様抱っこの格好で、彼は私を逃さない。

「どこへ行くつもりだ? こんな時間に」

「……えーっと。そう、深夜の徘徊です。最近、運動不足が深刻でしたので」

「にしては、背負っているカバンの中身がジャリジャリと宝石の音がするが?」

「……気のせいですわ。これは私の『心の重み』です」

「嘘が下手だな」

閣下は私を抱えたまま、開いた窓から再び部屋の中へと戻った。

そして、私をベッドの上にゆっくりと降ろすと、その場に立ちはだかって逃げ道を塞いだ。

「……女王になるのが、そんなに嫌か?」

「嫌です! 全力で拒否します!」

私はベッドの上で膝を抱え、叫んだ。

「私は自由に生きたいんです! 誰かに決められた人生ではなく、自分で選んだ土を、自分で耕して生きていきたいの! 女王になれば、一生書類の山に埋もれて、閣下のような『仕事の魔物』の隣で働かされることになる……そんなの、絶望以外の何物でもありませんわ!」

「……」

閣下は黙って私の言葉を聞いていた。

その瞳に、少しだけ悲しげな色が混じったのを、私は見逃さなかった。

「……そうか。私と一緒にいることは、君にとって『絶望』か」

「えっ? あ、いえ、そういう意味ではなく……」

「わかっている。君は私の『独占欲』と、王家の『労働欲』に怯えているのだろう」

閣下は私の隣に腰掛けた。

「だが、ヨーネリア。忘れていないか? 私はこの国の宰相だ」

「知っています。世界一のワーカホリックですわ」

「ならば、交渉をしよう」

閣下は私の手を取り、指先に軽く口付けをした。

「君が女王にならなくて済む方法、そして君が望む『自由』を手に入れるための……とっておきの代替案だ」

「……代替案?」

私は警戒しつつも、その言葉に耳を傾けた。

「ああ。陛下を説得する。君を女王にするのではなく、『私の妻』としてベルンシュタイン公爵家に迎え入れる。公務は私が引き受ける。君は……君の好きなように、庭を耕せばいい」

「……それは、今までの婚約と同じでは?」

「違う。……今までは、君を『私の補佐官』として見ていた。だが、これからは違う」

閣下の瞳が、熱を帯びて私を見つめる。

「君が何もしなくても、ただ隣にいてくれるだけでいい。君の人生の『責任』は私が負う。……君はただ、自由を謳歌していればいい。それなら、納得できるか?」

「……」

甘い。

甘すぎて、胸の奥が苦しくなるような提案だ。

でも。

「……閣下。それは嘘ですわ」

私は閣下の瞳を真っ直ぐに見返した。

「貴方は、私を『何もさせないで置いておく』なんてできないはずです。有能な書類を見れば私に振りたくなり、難解な外交問題が起きれば私に相談したくなる。……貴方が私を愛しているのは、私が『有能だから』でもあるのでしょう?」

「……っ」

閣下が言葉を詰まらせた。

「私は、閣下の『便利な道具』になりたいわけではありません。……かといって、ただ守られるだけの『お人形』になるのも、私らしくありませんわ」

私は立ち上がり、閣下の胸に指を突きつけた。

「交渉は決裂です、閣下。私は逃げます。……ただし」

私はニヤリと不敵に笑った。

「もし閣下が、私という『最高のパートナー』を本気で繋ぎ止めたいのであれば……条件を三つ提示しなさい」

「……条件?」

「はい。私が逃げるのをやめて、貴方の隣に留まるための、法的拘束力のある三つの条件です」

私は確信していた。

この男なら、私の期待を上回る『答え』を出してくると。

「……わかった」

閣下は不敵な笑みを浮かべ直し、私の腰をグイッと引き寄せた。

「受けて立とう。……明日の朝までに、君が一生逃げ出せなくなるような『最強の契約案』を作成してみせる」

「……楽しみにしていますわ、閣下」

私たちは月明かりの下で、火花を散らすような視線を交わした。

逃げるか、捕まるか。

事務能力と愛のプライドを賭けた、最後の大勝負。

その決着は、翌日の「執務室」でつくことになる。
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