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「アン! 大変ですわ、一大事ですわよ! 昨日のサイラス様の胸板、あれはもはや人体ではありませんでしたわ。大理石です。呼吸する彫刻ですわ!」
ラングレー公爵邸に戻るなり、ミミルは鼻息荒く侍女のアンに詰め寄った。
その目は昨夜のステーキを前にした時よりも、はるかにギラギラと輝いている。
「お嬢様、落ち着いてください。ドレスがボロボロなのをまず説明してください。お父様にバレたら、また王宮に苦情の早馬が飛びますよ」
「そんなもの、修繕費をサイラス様のプロマイド代に回せば解決ですわ。それよりアン、重大なことに気づいてしまいましたの。木の上からの観測には、限界がありますわ!」
ミミルは、テーブルの上に広げられた領地の地図を指差した。
そこには騎士団演習場を中心に、緻密な「観測ポイント」が書き込まれている。
「木の上だと、サイラス様が休憩中に召し上がっている水分の種類が特定できませんの。それに、近くで筋肉の収縮音を聞くことも叶いませんわ。私は……私はもっと近くで、聖地の息吹を感じたいのです!」
「聖地って……ただの泥臭い訓練場ですよ。お嬢様、あそこは令嬢が足を踏み入れて良い場所ではありません」
「だからこそですわ! 誰もいないからこそ、私が独占できるのではありませんか。今日から私は、公爵令嬢という肩書きを捨てて、騎士団の『非公式・専属応援団長』に就任いたします!」
「勝手に役職を作らないでください。……で、どうやって潜り込むつもりですか?」
ミミルは不敵な笑みを浮かべ、キッチンの方向を指差した。
彼女の戦略は、いつだってシンプルかつ強力だ。
「胃袋を掴むのですわ、アン。屈強な騎士様たちといえど、人間ですもの。お腹は空きますわ。そこに、我がラングレー公爵家が誇る至高の軽食を差し入れれば……門は開かれます!」
「……単純すぎて、逆に成功しそうで怖いです」
数時間後。
ミミルは、巨大なバスケットを二つも抱え、堂々と騎士団演習場の正門に立っていた。
今日の装いは、動きやすさを重視しつつも、公爵令嬢の品格を(無理やり)残したアクティブなドレス。
そして、その後ろには、絶望した顔で重い荷物を持つアンが控えている。
「止まれ! ここは神聖なる王宮騎士団の訓練場だ。許可なき者の立ち入りは――って、ミミル・フォン・ラングレー嬢!? な、なぜここに!」
門番の若手騎士が、幽霊でも見たかのように飛び上がった。
無理もない。
つい昨日、王子をフッてお腹を鳴らしながら退場したという「氷の毒婦(食いしん坊Ver.)」が、目の前に笑顔で立っているのだ。
「ごきげんよう。今日は皆様の熱心な訓練に感銘を受けまして、ささやかながら差し入れを持って参りましたの。あ、心配なさらずとも、毒は入っておりませんわよ? 毒を入れるスペースがあるなら、私はジャムを詰めますわ」
「は、はあ……ジャム……?」
「こちらは特製の『厚切りカツサンド』と、冷やした『最高級マスカットジュース』ですわ。さあ、どうぞ。これを食べて、私に素敵な筋肉を見せてちょうだい!」
ミミルが強引にバスケットを押し付けると、カツサンドの暴力的なまでに良い香りが、門番の鼻腔を直撃した。
朝から何も食べていなかったらしい若手騎士の喉が、ゴクリと鳴る。
「……あ、あの、しかし、団長の許可が……」
「許可なら今、取りに行きますわ。案内してくださる?」
ミミルは門番の返事も待たず、軽やかな足取りで敷地内へと侵入した。
演習場では、数十人の騎士たちが激しい模擬戦を繰り広げている。
飛び散る汗! 響く怒号! そして何より、ぶつかり合う肉体!
「ああ……。目が、目が洗われますわ……。右から三番目の彼の広背筋も捨てがたいですが、やはり中央で指導しているサイラス様の、あの無駄のない動き……! 最高のおかずですわ!」
「お嬢様、心の声がダダ漏れです! 淑女の皮を被ってください!」
アンの静止も虚しく、ミミルは訓練のど真ん中へと突き進んでいく。
当然、そんな不審な動きを見逃すサイラスではない。
「貴様……また来たのか」
地を這うような低い声。
サイラスが、大剣を肩に担ぎながら歩み寄ってきた。
その威圧感に、周囲の騎士たちがサッと道を空ける。
「あら、サイラス様。昨日ぶりですわね。あまりに筋肉が恋しくて、公式にお邪魔してしまいましたわ」
「ここは遊び場ではないと言ったはずだ。公爵令嬢がうろついていい場所ではない。……おい、門番はどうした」
「門番さんは今、私の差し入れに夢中ですわ。サイラス様もいかが? 今日は貴方のために、特別に『甘じょっぱい』特製ソースのチキンサンドも用意してきましたの」
「…………チキンだと?」
サイラスの眉が、ピクリと動いた。
ミミルは見逃さなかった。
強面で知られるこの男が、実は「特定の味付け」に弱いという噂を、彼女は独自の情報網(主に公爵邸の料理長仲間)から仕入れていたのだ。
「ええ。ハニーマスタードを隠し味に使った、ボリューム満点の一品ですわ。……もしかして、お嫌いでしたかしら? それなら私が自分で食べますけれど……」
ミミルがわざとらしくサンドイッチを自分の口元へ運ぼうとすると、サイラスの大きな手が、ガシッと彼女の手首を掴んだ。
「……捨て置くのは、騎士道に反する」
「あら、さすがサイラス様。食べ物を大切にする心、尊敬いたしますわ!」
「勘違いするな。貴様が倒れて、また俺の胸に突っ込んでこられては困るから、栄養を分配させてやるだけだ。……ついてこい。休憩室なら、立ち入りを許可してやる」
「はい! 喜んで!」
ミミルは心の中でガッツポーズを作った。
「毒婦」の悪名も、婚約破棄の不名誉も、美味しいサンドイッチと推しの筋肉の前では無力。
こうしてミミルは、ついに「聖地」の内部へと足を踏み入れる権利を手に入れたのである。
ラングレー公爵邸に戻るなり、ミミルは鼻息荒く侍女のアンに詰め寄った。
その目は昨夜のステーキを前にした時よりも、はるかにギラギラと輝いている。
「お嬢様、落ち着いてください。ドレスがボロボロなのをまず説明してください。お父様にバレたら、また王宮に苦情の早馬が飛びますよ」
「そんなもの、修繕費をサイラス様のプロマイド代に回せば解決ですわ。それよりアン、重大なことに気づいてしまいましたの。木の上からの観測には、限界がありますわ!」
ミミルは、テーブルの上に広げられた領地の地図を指差した。
そこには騎士団演習場を中心に、緻密な「観測ポイント」が書き込まれている。
「木の上だと、サイラス様が休憩中に召し上がっている水分の種類が特定できませんの。それに、近くで筋肉の収縮音を聞くことも叶いませんわ。私は……私はもっと近くで、聖地の息吹を感じたいのです!」
「聖地って……ただの泥臭い訓練場ですよ。お嬢様、あそこは令嬢が足を踏み入れて良い場所ではありません」
「だからこそですわ! 誰もいないからこそ、私が独占できるのではありませんか。今日から私は、公爵令嬢という肩書きを捨てて、騎士団の『非公式・専属応援団長』に就任いたします!」
「勝手に役職を作らないでください。……で、どうやって潜り込むつもりですか?」
ミミルは不敵な笑みを浮かべ、キッチンの方向を指差した。
彼女の戦略は、いつだってシンプルかつ強力だ。
「胃袋を掴むのですわ、アン。屈強な騎士様たちといえど、人間ですもの。お腹は空きますわ。そこに、我がラングレー公爵家が誇る至高の軽食を差し入れれば……門は開かれます!」
「……単純すぎて、逆に成功しそうで怖いです」
数時間後。
ミミルは、巨大なバスケットを二つも抱え、堂々と騎士団演習場の正門に立っていた。
今日の装いは、動きやすさを重視しつつも、公爵令嬢の品格を(無理やり)残したアクティブなドレス。
そして、その後ろには、絶望した顔で重い荷物を持つアンが控えている。
「止まれ! ここは神聖なる王宮騎士団の訓練場だ。許可なき者の立ち入りは――って、ミミル・フォン・ラングレー嬢!? な、なぜここに!」
門番の若手騎士が、幽霊でも見たかのように飛び上がった。
無理もない。
つい昨日、王子をフッてお腹を鳴らしながら退場したという「氷の毒婦(食いしん坊Ver.)」が、目の前に笑顔で立っているのだ。
「ごきげんよう。今日は皆様の熱心な訓練に感銘を受けまして、ささやかながら差し入れを持って参りましたの。あ、心配なさらずとも、毒は入っておりませんわよ? 毒を入れるスペースがあるなら、私はジャムを詰めますわ」
「は、はあ……ジャム……?」
「こちらは特製の『厚切りカツサンド』と、冷やした『最高級マスカットジュース』ですわ。さあ、どうぞ。これを食べて、私に素敵な筋肉を見せてちょうだい!」
ミミルが強引にバスケットを押し付けると、カツサンドの暴力的なまでに良い香りが、門番の鼻腔を直撃した。
朝から何も食べていなかったらしい若手騎士の喉が、ゴクリと鳴る。
「……あ、あの、しかし、団長の許可が……」
「許可なら今、取りに行きますわ。案内してくださる?」
ミミルは門番の返事も待たず、軽やかな足取りで敷地内へと侵入した。
演習場では、数十人の騎士たちが激しい模擬戦を繰り広げている。
飛び散る汗! 響く怒号! そして何より、ぶつかり合う肉体!
「ああ……。目が、目が洗われますわ……。右から三番目の彼の広背筋も捨てがたいですが、やはり中央で指導しているサイラス様の、あの無駄のない動き……! 最高のおかずですわ!」
「お嬢様、心の声がダダ漏れです! 淑女の皮を被ってください!」
アンの静止も虚しく、ミミルは訓練のど真ん中へと突き進んでいく。
当然、そんな不審な動きを見逃すサイラスではない。
「貴様……また来たのか」
地を這うような低い声。
サイラスが、大剣を肩に担ぎながら歩み寄ってきた。
その威圧感に、周囲の騎士たちがサッと道を空ける。
「あら、サイラス様。昨日ぶりですわね。あまりに筋肉が恋しくて、公式にお邪魔してしまいましたわ」
「ここは遊び場ではないと言ったはずだ。公爵令嬢がうろついていい場所ではない。……おい、門番はどうした」
「門番さんは今、私の差し入れに夢中ですわ。サイラス様もいかが? 今日は貴方のために、特別に『甘じょっぱい』特製ソースのチキンサンドも用意してきましたの」
「…………チキンだと?」
サイラスの眉が、ピクリと動いた。
ミミルは見逃さなかった。
強面で知られるこの男が、実は「特定の味付け」に弱いという噂を、彼女は独自の情報網(主に公爵邸の料理長仲間)から仕入れていたのだ。
「ええ。ハニーマスタードを隠し味に使った、ボリューム満点の一品ですわ。……もしかして、お嫌いでしたかしら? それなら私が自分で食べますけれど……」
ミミルがわざとらしくサンドイッチを自分の口元へ運ぼうとすると、サイラスの大きな手が、ガシッと彼女の手首を掴んだ。
「……捨て置くのは、騎士道に反する」
「あら、さすがサイラス様。食べ物を大切にする心、尊敬いたしますわ!」
「勘違いするな。貴様が倒れて、また俺の胸に突っ込んでこられては困るから、栄養を分配させてやるだけだ。……ついてこい。休憩室なら、立ち入りを許可してやる」
「はい! 喜んで!」
ミミルは心の中でガッツポーズを作った。
「毒婦」の悪名も、婚約破棄の不名誉も、美味しいサンドイッチと推しの筋肉の前では無力。
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