婚約破棄? もちろん悲しみません。悪役令嬢ですもの。

ちゃっぴー

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「……んん……」

眩しい朝日が、私のまぶたを優しく叩く。

ふかふかの枕、滑らかなシルクのシーツ。

王城の最高級ベッドの寝心地は、残念ながら私の実家のものより数段上だった。

(……ああ、幸せ。あと五時間は寝ていたい……)

私は幸福な微睡みの中で、隣にある「温かい塊」に無意識に擦り寄った。

しかし、その瞬間。

チャリ……。

手首に伝わる、冷たい金属の感触。

そして、腰に回された腕がギュッと力を増す。

「おはよう、リコ。……私の腕の中は、そんなに居心地がいいかい?」

「…………っ!!」

一瞬で覚醒した。

目を開けると、そこには寝起きとは思えないほど完成された美貌の魔王――シリウス様が、至近距離で私を眺めていた。

銀髪が少し乱れ、シャツのボタンが二つほど外れている。

昨夜の「嵐によるお泊まり」は夢ではなかった。

「……おはようございます。そして、即座に離れてください、変態宰相」

「ひどい言い草だね。昨夜はあんなに私の胸に顔を埋めて、スースーと寝息を立てていたくせに」

「それは低血圧による不可抗力ですわ! あと、鎖を短くしすぎです! これでは寝返りも打てません!」

「君が夜中にベッドから転げ落ちないようにという、私の優しさだよ」

「それを世間では『過保護』、あるいは『監禁』と呼びますのよ」

私が彼を押し返そうと奮闘していた、その時。

ドォォォォォン!!

昨日直したばかりのはずの、あの頑丈な鋼鉄製の扉が、またしても凄まじい轟音と共に吹き飛んだ。

「リコォォォ! 無事か! 一晩中、その淫らな宰相に何をされていたんだぁぁぁ!!」

煤まみれのギルバート殿下が、今度は巨大な「油圧式カッター(魔導具)」を抱えて乱入してきた。

……どこから仕入れてくるのよ、そんな物。

「……殿下。人の寝室、それも宰相の私室に土足で踏み込むのは、王族としてのマナー以前に人間としてどうかと思いますわよ」

私はシーツを胸元まで引き上げ、冷ややかな視線を浴びせた。

「何を言う! 私は君を心配して……って、えっ、なっ……!? き、貴様ら、本当に同じベッドで寝ていたのか!?」

殿下は、私とシリウス様が並んで横たわっている姿を見て、カッターを床に落とした。

ガシャン! という音が虚しく響く。

「ええ。見ての通りですが。……何か問題でも?」

シリウス様は、わざとらしく私の肩を抱き寄せ、その首筋に顔を埋めた。

「婚約者同士が同じ夜を過ごす。これほど健全で、かつ幸福な光景が他にあるでしょうか」

「不健全です! 不幸です! この男の独断と偏見による強制労働ですわ!」

私が叫んでも、殿下には届かない。

彼は顔を真っ青にしたり真っ赤にしたりしながら、ワナワナと震えている。

「き、貴様……! リコを、私のリコを汚したな! まだ私だって、リコの指先にしか触れたことがなかったのに!」

「……殿下。その『指先に触れる』というのも、私が無理やり計算問題を解かせた後の握手のことですよね? 記憶を美化しないでください」

私がツッコミを入れると、殿下の背後から「あはぁん! これぞ真の修羅場ですぅ!」という声が聞こえた。

ミナ様だ。

彼女はなぜか画板と鉛筆を持ち、今の光景を猛烈な勢いでスケッチしている。

「リコ様の拒絶する表情、そして宰相閣下の独占欲に満ちた瞳……! 最高ですぅ! これなら仕事のストレスも吹っ飛びますぅ!」

「ミナ様。貴女まで何をしているんですか。仕事はどうしたんですか」

「終わらせましたわ! リコ様に怒られるのが怖くて、昨夜は一睡もせずにパズル(書類整理)を解き明かしたんですぅ! だから今、私はハイなんですぅ!」

ミナ様の目が血走っている。

この城の住人、まともな奴が一人もいない。

「……さて、殿下。ミナ嬢」

シリウス様が、氷のような微笑みを浮かべてベッドから降りた。

シャツがはだけたままの姿で。

「朝の挨拶は済みましたね。……扉の修理代は三倍にして殿下の来月の遊興費から引かせていただきます。それと、今すぐここを出て行かないのであれば……」

シリウス様が指先を鳴らすと、室内の空気がパチパチと帯電し始めた。

「……『不法侵入』および『宰相への反逆罪』で、お二人とも一週間、地下牢で一緒に計算ドリルを解いてもらうことになりますが?」

「ひっ……! ひ、卑怯だぞシリウス! 覚えていろよぉぉぉ!」

ギルバート殿下は、再び油圧式カッターを担ぎ直すと、ミナ様を引き連れて脱兎のごとく逃げ出していった。

「リコ様ぁ! スケッチは後で差し上げますねぇぇぇ!」

ミナ様の叫び声が、遠ざかっていく。

再び静まり返った(扉のない)寝室。

「……はぁ。朝から寿命が縮みましたわ」

「おや。私は楽しかったよ。君の寝顔を邪魔されたのは残念だが、殿下の絶望した顔は最高のご馳走だった」

シリウス様は、私の隣に戻ってくると、当然のように再び私を抱きしめた。

「……閣下。もう朝です。仕事の時間ですわ」

「いいじゃないか。あと十分だけ。……君の香りを補給しないと、今日の予算審議を乗り切れる気がしない」

「……私の香りは、そんなに経済に影響を与えるんですか?」

「ああ。少なくとも私のモチベーションという点では、国家予算の半分以上の価値がある」

「……詐欺師」

私は毒づきながらも、彼の腕の中で小さく溜息をついた。

扉のない部屋、壊れた婚約、繋がれた鎖。

めちゃくちゃな状況だけれど。

彼の腕の中で感じるこの奇妙な安らぎが、私の合理性をじわじわと蝕んでいく。

「……オムレツ。トリュフ入りですからね。忘れたら暴動を起こしますわよ」

「わかっているよ、リコ」

私たちは、朝日が差し込む部屋で、不条理で甘い二度寝の時間を数分だけ共有した。

悪役令嬢としての新しい朝は、今日も絶望的なまでの「溺愛」と共に幕を開けたのである。
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