表紙へ
上 下
17 / 46
2巻

2-1

しおりを挟む



   第一章


 窓から差しこむ柔らかな光が部屋を照らし出すと、一緒に寝ていたノルンが体を起こし、俺の耳元に低い声でささやく。

「アンジェロ様、朝ですよ」
「……ん。はぁい」

 母親に起こされる子どものように目をこすりながら見上げると、ノルンは目を細め、いつものように額にキスをくれた。
 くすぐったい感触に口元が綻ぶ。
 俺は体を目覚めさせるために、う~んと体を伸ばした。
 断罪された悪役令息アンジェロ・ベルシュタインに転生してから、慌ただしく日々が過ぎた。
 はじまりは、いけすかない王子による断罪だった。
 罪の内容は、国教であるフテラ教への侮辱行為と、王子の恋人マリアを傷つけた、というもの。
 聴衆の面前でおとしめられ絶望しているアンジェロの脳裏に、前世の記憶がよみがえったのだ。
 それは看護師としてバリバリ働き、プライベートでは男をとっかえひっかえしながらワンナイトの恋におぼれ、病気により若くして生涯を終えた、小川斗真おがわとうまの記憶。
 記憶が戻ったと同時に斗真としての自我に目覚めた俺は、わけもわからぬまま危険な前線での奉仕活動を命じられた。
 行き先は、騎士も逃げ出すほど過酷なことで有名な、東の前線。
 最初は不安でいっぱいだったが、看護師としてのスキルを生かし、なんとかこの前線で生き延びてきたのだ。
 まぁ、アンジェロが幼い頃に何者かに呪いをかけられたという壮絶な過去があったと知ったり、前線ではゴブリンにさらわれたり、ピンクスライムで発情したりといろんなことがあった。
 アンジェロの背中には、呪いの傷が刻まれている。
 その傷についてはまだ謎が多く、傷のせいで魔法も使えず、役立たずの日々を過ごした。
 だが、前線の治癒士であるイーザムじいさんの治療のおかげで少しずつだが魔法が使えるようになり、俺は前線の治癒士として皆から認められることができた。
 はじまりは前途多難だと思っていた前線での生活も、ひとつひとつ困難を乗り越えて、今では心を許せる人たちに囲まれている。
 前線に来た当初から俺を世話してくれるミハル、治癒士の師匠というべきイーザムじいさん、最初は険悪だったが今では可愛い後輩のヴィヴィ、前線の傭兵たちをとりまとめる傭兵団長のガリウス。
 そして――俺の護衛兼監視役で教会から派遣された騎士、ノルン。
 ノルンの第一印象は、ハッキリ言って最悪だった。
 仏頂面で愛想もなく、俺がなにかしようとすると迷惑をかけるなだとか、そんなことできるのかといちゃもんをつけてきた。
 だが、一緒に過ごしていくにつれ俺のことを理解し、俺がピンチにおちいれば助けてくれた。
 あとは、勘違いで自慰じいの指導をしてくれたり、ゴブリンにやられそうになった体をお清めしてくれたり。ピンクスライムで発情したときには体を張って治療という名のやらしいこともしてくれた。
 俺とノルンの関係は悪役令息とその護衛というものから、ずいぶんと変わっていた。
 その関係性に名前をつけるのは……なんとも難しい。
 ノルンは俺に想いを寄せてくれてはいるが、俺はまだそれに答えることができずにいる。
 ノルンのことは嫌いじゃない。
 一緒にいて安心するし、優しい笑顔に胸がキュンとすることだってある。
 けれど、前世から誰かひとりを想う恋の辛さから逃げ、割り切った関係性ばかりを求めていたため、恋愛というものに正面切って向き合うのは、正直怖い。
 そんな曖昧あいまいな態度をとる俺に対して、ノルンはそれでもいいと寛容な態度を見せてくれるので、俺は思いっきりそれに甘えている。
 そして今日もノルンに世話を焼かれ、前線での一日がはじまった。
 軽傷部屋の患者を見てまわっていると、広場にオレリアンからの物資が届いたと知らせが入った。
 診察を終わらせて広場に向かうと、ベルシュタイン公爵家の家紋が入った立派な馬車が見えた。
 以前、この前線には本来送られるべき物資が満足に届けられておらず、強欲な騎士たちに着服されていた。
 それを知ったアンジェロの兄オレリアンが、前線に必要な物資を独自のルートで届けてくれるようになったのだ。
 いつもは馬車二台分の物資が送られてくるのだが、今日は馬車三台といつもより数が多かった。
 それに、護衛の人数も多い。
 荷下ろしを手伝っていると、治療小屋に運ぶ箱の中に見慣れない頑丈な入れ物が目に入る。
 壊れ物が入っているのか、四隅がしっかりと補強された木箱が気になってしょうがない。
 首を傾げていると、普段は荷下ろしに顔を見せないイーザムじいさんがやってくる。

「イーザム様、どうなさったのですか?」
「今日の荷物は特別じゃから、確認しにきたんじゃ。ほれ、アンジェロ。その黒い木箱は村に持っていくやつじゃからリアカーに乗せておけ。洗礼式に必要なものが入っとる」
「は、はい」

 黒い木箱をリアカーに乗せながら、イーザムじいさんの動向も気になって目で追う。
 じいさんは護衛の兵士に声をかけると、あの頑丈な木箱を三個ほど受けとり、大事そうに運んでいった。
 荷分けが終わり、俺とノルンは村へ荷物を届けに向かう。
 物資の配給日は、いつも村の奥様方が目を輝かせながら到着するのを待っている。
 村へ続く小道を進み村の広場に到着すると、今日も皆から大歓迎された。
 先頭で今か今かと待っていたのは、村の少女ミカ。
 彼女は俺を見つけるなりこちらに駆け寄ってくる。

「アンジェロ様、ノルン様! ミカも運ぶの手伝います」
「ありがとう、ミカちゃん」

 笑顔のミカとともに広場へ荷を持っていくと、奥様方を中心に荷解きがはじまる。
 そして、イーザムじいさんが『洗礼式に必要』と言っていた黒い荷箱の周りには、エイラとその友達と思われる女の子たちがウキウキした表情で荷解きを待っていた。

「ノルンさん、あの箱にはなにが入っているんでしょうか?」
「洗礼式のときに着る服の布地でしょう。洗礼式は子どもたちにとって大切な行事ですから、それは華やかに着飾るんです」
「そうなんですね」

 箱が開けられると、集まっていた女の子たちの嬉しそうな声が響く。エイラも気に入った布地を見つけたのか、自分の体に合わせて可愛らしく微笑んでいる。
 そんな彼女たちの様子を見ていると、脳裏にアンジェロの声がよみがえった。

『オレリアン兄様! 今日の洗礼式で僕はどんな加護がもらえるのかな』

 それは今まで聞いてきた泣き叫ぶ声とは違う、楽しそうで希望に満ちあふれたものだった。
 斗真としての自我に目覚めて以来、俺の中にアンジェロとしての意識はない。完全に消えてしまったわけではないが、心のどこかに隠れているようだ。
 アンジェロとしての記憶も断片的にしか思い出せず、ときおりこうして過去の記憶がよみがえる。
 ――アンジェロも、洗礼式を楽しんだのだろうか……
 そんなことを考えていると、なぜか背中の傷がズクリと痛んだ。
 配達を終え、小屋に帰ってイーザムじいさんの部屋を訪れると、そこには普段よりも多めの薬が並んでいた。
 イーザムじいさんにしては珍しく、せっせと薬の整理をしている。

「イーザム様、どうしたんですかこの薬は……」
「お~。いいときに来たなアンジェロ。お前も薬の準備を手伝え」
「あ、はい」

 言われるがまま薬の整理を手伝っていると、見慣れない形の薬瓶を見つけた。高そうなガラス瓶に入った液体は、キラキラと虹色に輝いている。

「イーザム様、これはなんの薬なんですか?」
「あ~それはここで一番高いやつじゃから気をつけろよ~。中身は『聖水』じゃからな」
「これが聖水……」

 虹色にきらめく瓶の本数を数えると、イーザムじいさんはその聖水をまた頑丈な箱に保管していく。
 先ほど受けとっていた木箱の中身はこれだったようだ。

「イーザム様、聖水はどんなときに使うのですか?」
瘴気しょうきの魔物が現れたときに使うんじゃ。瘴気しょうきばかりは聖水を使わんとどうにもならんからの~」
瘴気しょうきの、魔物……?」
「王都の人間は聞き馴染みがないか。まぁ、呪われた魔物じゃよ。呪われているだけならいいが、瘴気しょうきの魔物の体液を浴びると、その者にも呪いが付与されてしまう。噛まれれば死に至ることもある危険な相手じゃ。洗礼式シーズンになると、なぜかいつも瘴気しょうきの魔物たちの数が増える。そいつらとの戦いに向けて、わしらも準備しておかんといかんのじゃ。今回はオレリアン殿のおかげでこんなに聖水が集まったが、いつもならこの半数だったからのぉ~。毎年毎年数が足らんと抗議しても、わしらのような底辺の人間に使わせる聖水はないと言われるのがオチじゃった」
「……ひどいですね」

 前線で戦う人間がどれだけ命をかけて国を守っているかなんて、教会や王都にいる人たちは考えもしないのだろうな。

「イーザム様。僕にもなにかできることはありませんか?」
「ん~そうじゃなぁ~。お前さんはいつものように頑張ってくれればそれでいい。瘴気しょうきの魔物が現れだすと治療小屋も大騒ぎになるからの~。ゆっくりできる間にしっかり休んでおくんじゃぞ」

 ニコリと笑うイーザムじいさんに応えるように、俺も微笑みを返す。
 瘴気しょうきの魔物の治療に関しては、前世の記憶も役に立たない。
 呪いを付与し命すらおびやかす魔物となると、聞いただけでも恐ろしく感じる。

「誰も犠牲にならなければいいけど……」

 ざわつく気持ちを落ち着けるように、今は自分の仕事をこなさなければと気持ちを切り替えた。


 それから三週間。
 村は洗礼式のためにお祭りのようなにぎわいを見せている。
 洗礼式は地方からはじまり、王都に向けて巡礼していくように行われる。そしてはじめに式が行われてから二カ月後に、王都での盛大な式が貴族の子どもたちを中心に催されるらしい。
 今日はここ、東の前線で洗礼式が行われる。
 洗礼式の記憶がない俺にとって、今回が初体験だ。
 八歳になる子どもたちは、各家庭で服を準備して着飾る。
 男の子は普段着よりも上等な生地の服を着て、女の子は普段は着ることの少ない膝下丈の華やかなスカートを穿き、思い思いの装いで一生に一度の式を飾るのだ。
 髪型は、洗礼式が行われる二週間前から、エイラをはじめ村の女の子たちが俺に髪の毛をセットしてほしいと依頼してきた。
 さすがに十人以上になるとひとりでは洗礼式当日にやりきれないので、事前に完成した衣装を着てもらって髪型を提案。それを当日親御さんやお姉さんたちができるよう教えることにした。
 あとは、そんな可愛らしい子どもたちに彩りを加える様々な種類の髪飾り。
 これはオレリアンからの贈り物だった。
 オレリアンは服の生地以外にも、髪飾りやリボンなど女の子の胸をときめかせるような小物を送ってくれていた。
 服に合わせて女の子たちの反応を見ながら髪を結い、リボンや髪飾りをつけていくと、八歳の少女も素敵なレディーに変身する。

「エイラちゃん、すごく可愛いよ」
「うわぁ~! アンジェロ様、ありがとうございます!」

 エイラが鏡でいろんな角度から自分の姿を見ては頬をゆるませる。

「エイラさん。よく似合っていますよ」

 隣にいたノルンも珍しく仏頂面を崩して笑顔を見せる。エイラは髪飾りやリボンが入った箱をノルンに向け、微笑みかけた。

「ノルンさんもどうですか?」
「え? いや、私は……」

 エイラの無茶振りに戸惑うノルン。その姿をからかうように、俺も追い討ちをかける。

「ノルンさん、好きなリボンを選んでください。僕が結びますから」

 イタズラっぽく微笑んで、ノルンの困った姿を拝もうかと思ったが……彼は真剣な顔で箱の中を見つめると、リボンをひとつ手にとった。
 彼が選んだリボンは綺麗な青色。
 それは、まるでアンジェロの瞳のような色だった。

「このリボンがいいですね」
「そう、ですか。では、この椅子に座ってください」

 ノルンからリボンを受けとり、少し高めにくくられた髪紐の上から結んでいく。可愛らしい小ぶりのリボン結びにしてやると、思った以上に似合っていた。

「わぁ! ノルンさん可愛いですね」

 エイラに褒められて、まんざらでもなさそうだ。

「アンジェロ様、ありがとうございました」

 ノルンは少女のように嬉しそうに微笑む。
 イケメンはなにをしてもイケメンなのだと痛感した。
 お昼前になると、いよいよ洗礼式本番だ。
 王都から教会のお偉いさんたちや巫女様方が、このときだけは毎年わざわざ前線までやってくるらしい。
 村の集会所に、子どもたちやその親御さんたちが集まりはじめた。

「こんなに大勢の方々が王都から前線までやってくるなんて、すごいですね」
「えぇ、洗礼はすべての民に与えられた権利ですからね。未来を担う子どもたちの成長を祈るのは教会の人間にとっての義務であり、とても大切なことです」

 ノルンはそう言ってエイラたちに温かな視線を向ける。
 教会にはあまりいいイメージはない。だが、民を思う気持ちのある者もいるのだと少し見直す。
 そうこうしていると、馬車の車輪の音が聞こえてきた。
 子どもたちが馬車へ駆け寄っていく。
 幌馬車が三台と、最後にわしの紋章が入った黒塗りの馬車が一台到着した。
 ノルンはその馬車を見て目を見開く。

「――っ!? なぜここに王室の馬車が……」
「王室?」

 ノルンが答えるより先に、護衛の兵士が馬車のドアを開ける。
 中から出てきたのは、転生初日に見た茶髪のイケメン王子と美しい少女――マリアだった。
 俺を断罪したイケメン王子は村人たちに手を振って愛想を振り撒きながら馬車を降りてくる。
 マリアは王子にエスコートされていた。
 そして真っ白なローブに身を包んだ教会の関係者が、集まった村人たちの前に出る。

「本日の洗礼式にはマイク王子がご参加になります。洗礼を受ける子どもたちはすみやかに集会所へ集まりなさい」

 王子の名が出ると村人たちはざわめき、王子に注目が集まる。
 王子はそんな村人の視線に応えるように微笑みながら、あたりを見渡す。
 そして俺と目が合うとニンマリと笑みを浮かべ、隣にいるマリアになにやら耳打ちをした。
 マリアはチラリと俺に視線を向けるが、すぐにそらし、ふたりは集会所へ歩いていった。
 ふたりの姿……いや、マリアを見た瞬間からアンジェロの心臓が激しく脈を打っている。
 マリアから目が離せなくて追うように後ろ姿を見つめていると、服のすそを引っ張られた。
 下を向くと、そこにはミカがいた。

「アンジェロ様、おねーちゃんの洗礼式見に行こう」
「う、うん。そうだね……」

 エイラの洗礼式を見に行こう、と約束していたのを思い出し、手を引かれて集会所へ向かう。
 集会所の中は洗礼式のために祭壇が準備されていた。
 子どもたちはワクワクした顔で式のはじまりを待つ。
 そして司祭がフテラ教のシンボルである三日月のペンダントを掲げ、子どもたちに向けて祝いの言葉を述べる。
 司祭の祝辞しゅくじが終わると、子どもたちは一列に並び、まずは属性判定がはじまった。
 水晶石に触れると、触れた者の魔力の属性に応じて石の色が変わる。そうして自分がなんの属性に秀でているかを知るのだ。
 子どもたちは水晶石に触れ、自分の魔力の色を見て目を輝かせていた。緑や青や赤と、水晶石は色とりどりに変わっていく。
 エイラの番がやってくると、水晶石は水色に光り輝いた。

「おねーちゃんは水の属性なんだぁ! すごく綺麗だね、アンジェロ様」
「そうだね」

 自分の魔力の色を見て、エイラは嬉しそうに笑っている。
 八歳の頃のアンジェロも、洗礼式ではあんな風に笑顔を見せたのだろうか。
 そう考えると、背中の傷が痛んだ。
 属性の判定が終わり、司祭が一人ひとりの名を呼ぶ。
 子どもたちがひざまずいて祈りを捧げると、司祭は背中に手を当て、なにやら呟いている。

「アンジェロ様。司祭様はなにをしているの?」
「あ~あれはね……えっと……」

 洗礼式の記憶も知識もゴッソリ抜け落ちている俺は、ミカの質問に言葉をにごす。
 適当なことを言ってもいけないよなぁ~と悩んでいると、隣にいたノルンが口を開いた。

「フテラ様の祝福を分けているんですよ。皆がこの地で幸せに暮らせるようにと祈っているんです」
「そうなんだ~! あ、次はおねーちゃんの番だ!」

 エイラは緊張した顔で祈りを捧げ、他の子どもたちと同様に、無事に祝福を授けられていた。
 そうして洗礼式はなにごともなく終わり、子たちにはお菓子などが配られ、皆笑顔を見せていた。
 エイラたちの嬉しそうな様子を見ながら、チラリと祭壇のほうへ目を向ける。
 そこには賓客らしく上等な椅子に座る、マイク王子とマリアがいた。
 ふたりとも子どもたちの喜ぶ姿を微笑ましく見ているのかと思ったが、マイク王子の表情は明るいものの、マリアはどこか表情が暗い。
 その表情にはなんだか見覚えがある――そう思った瞬間、頭がズキリと痛んだ。
 洗礼式を終えた後、俺とノルンは集会所の片づけを手伝っていた。
 祭壇に引かれた祭事用の真っ白なクロスを外していると、背後から「おい」と意地悪そうな声に呼びかけられる。
 無視したいけど、そういうわけにはいけないよなぁ~と思いながらしぶしぶ振り向くと、予想通りマイク王子がマリアとともに立っていた。

「無様な姿だな、アンジェロ・ベルシュタイン。公爵家の落ちこぼれが、こんなところまで落ちたとは」

 嫌味面して第一声から喧嘩売る気満々の王子に、俺は毅然きぜんとした態度で対応する。

「お久しぶりです、マイク王子。おかげさまで元気に過ごさせていただいております」

 ニコリと笑いかけると、俺の言葉と態度にきょをつかれたのか、王子は驚いた顔で数秒固まった。
 それから少し慌てた様子でまくし立てる。

「ど、どうせ前線でもなんの役にも立たず、公爵家の名を盾に好き勝手して迷惑をかけているんだろう。お前のような落ちこぼれにできることなどあるはずがないのだからな」

 王子の口ぶりに、まるで幼い子どもに喧嘩をふっかけられているような気分になる。
 こんなのが王子で、この国は大丈夫なのかよ。

「そうですね。私が前線に来てからまだ数カ月しか経っていません。わからないことも多く、前線の方々には迷惑をかけることも多いと思います」

 そう口にすると、なぜか王子が偉そうな態度に変わる。

「そうだろうなぁ! お前など前線にいても邪魔になるだけだ。役立たずが意地を張ってまだ前線にいると聞いたから、洗礼式の視察がてら顔を見に来てやったが、自分の立場も理解できずに呑気に過ごしていたとは……フテラ様を侮辱し、マリアを傷つけた罪はそう簡単に許されることではない。やはりお前の罪はもっと違うかたちでつぐなうべきだとヨキラス教皇に進言しなければなぁ。後方でコソコソと働くふりをするのではなく、最前線で盾にでもなったほうがいいんじゃないか?」

 マリアの肩を抱き、口角を嫌味ったらしく上げるマイク王子。
 言葉にも態度にも性格の悪さが思いっきり出ていて、俺も笑顔が引きる。
 王子の隣にいるマリアに視線を向けると、目が合った。
 しかし、その視線はすぐにそらされる。
 どう反論してやろかと考えを巡らせていると、隣で俺たちのやりとりを聞いていたノルンがすっと会話に入ってきた。

「王子、失礼を承知で申し上げます。わたくしはこの数カ月、アンジェロ様の護衛として、おそばで過ごしてまいりました。アンジェロ様はこの前線においてもはや必要不可欠な存在であり、決して役立たずなどではありません。これまでの前線での働きは、奉仕活動としての域を超えており、ともに戦う者たちの誰もがアンジェロ様の治癒士としての功績を認めています」

 ――おぉ、ノルンが俺をベタ褒めしている。
 まさかノルンから俺を庇う言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。王子はギッとノルンをにらみつけた。

「お前は護衛の分際で、罪人の肩を持つのか!?」
「私は事実を述べたまでです。もしアンジェロ様が本当に役立たずならば、私ははっきり役立たずと申し上げます。しかし、アンジェロ様は立派な方です。王子も一度アンジェロ様の治癒士としての活動を見ていただければ、ご納得なさるでしょう。どんな過酷な場面でも冷静に判断し、患者のために行動する凛としたお姿。そして心から患者に寄り添い、微笑みを向ける横顔を見れば、きっとアンジェロ様の素晴らしさをご理解していただけると思います」

 ノルンは真顔で俺を褒め称え続けている。
 その様子にマイク王子は圧倒され、言い返す言葉が見つからないのか黙りこむ。
 そして俺は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に染めて、バカ王子と同じく黙りこんでいた。
 ノルンのベタ褒めが終わり、場が変な空気に包まれたとき、はじめてマリアが口を開いた。

「……王子。もう馬車に戻りましょう」

 マリアはそれだけ言って、俺たちに背を向ける。

「え? あ、あぁ、そうだな。……罪人アンジェロ・ベルシュタイン。しっかりと罪をつぐなうんだぞ」

 マイク王子は最後まで皮肉たっぷりな言葉を俺にぶつけると、慌ててマリアの後を追った。
 ふたりの姿が見えなくなると、フゥ……と思わずため息がもれる。
 一息ついてノルンを見上げると、彼は心配そうに眉を下げた。

「アンジェロ様、大丈夫でしたか? 辛い言葉をかけられていましたが……」
「僕なら大丈夫ですよ。王子の言葉は……まぁ、受け流しておきます。それよりも……」
「それよりも?」
「ノルンさんからの褒め言葉が恥ずかしすぎて、それどころではありませんでした」

 照れ笑いしながら伝えると、ノルンはポンと頬を赤くする。

「申し訳ありません。王子にはアンジェロ様の本当の姿を知っていただきたく、つい熱が入ってしまいました……」
「いえ、助けてくれてありがとうございます。ノルンさんのおかげで、嫌な気持ちは残りませんでしたから」

 恥ずかしげに謝るノルンにそう伝える。彼は安心したように、ふわりと笑みを見せてくれた。
 それから、俺と王子のやりとりを見ていた村の人々が心配そうに声をかけてきて、皆、俺の味方だと言ってくれた。
 その言葉に、心から救われる思いだった。


 集会所の倉庫に荷物を運び、あと少しで片づけも終わりというとき。
 倉庫の奥に、意外な人影を見つけた。
 その人影――マリアと目が合うと、ドクンと胸が高鳴る。

「……アンジェロ。少し話ができないかしら」

 アンジェロの胸をざわつかせる涼やかな声に、俺は無意識にうなずき、そちらに歩み寄った。
 薄暗い倉庫の闇と混ざり合う、長く伸びた深い藍色の髪。そんな闇の中でも鋭く光る緋色の瞳。彼女の瞳に見つめられると、アンジェロの胸の鼓動はさらに速くなる。

「マリア……どう、したの?」

 なにも考えずに出た言葉と笑顔。
 俺の様子に、マリアはぐっと下唇を噛む。

「……こんな目に遭っているというのに、貴方は私を責めないのね」

 まるで怒りをぶつけてほしいと言うようなマリアの言葉に、俺はなにがなんだかわからずにいた。
 マリアとの記憶はアンジェロによって閉ざされており、俺はふたりの関係を知らない。
 なんて答えれば正解なのかわからず、黙ることしかできなかった。
 そんな俺を見て、マリアは眉間のしわを深くする。

「ねぇ、アンジェロ。最後に話したときのこと、覚えてる?」
「………………」
「そうよね、覚えているのも嫌よね。……私は貴方に、あんなひどいことを言ったのだから」

 マリアの声は少しずつ弱々しくなっていき、手は震えを抑えるように服のすそをぐっと握る。彼女のそんな様子に、アンジェロの胸は強く締めつけられた。
 ――アンジェロとマリアは、一体なにを話したのだろうか?
 そんな疑問が浮かび、なんと答えたらいいのか迷っていると、なぜか勝手に口が動いたかのように、自然と言葉が紡がれる。

「僕なら大丈夫だよ、マリア」

 マリアの緋色の瞳が、信じられないとばかりに大きく開く。
 そして次には端正な顔がくしゃりとゆがみ、大きな緋色の瞳がうるんでいく。

「アンジェロ。あのときは……ひどいことを言ってごめんなさい」
「……え?」
「本当にごめんなさい……ごめん……ごめんね、アンジェロ」

 瞳いっぱいに涙をためて、マリアが謝っている。
 その涙を見ると、アンジェロの胸が張り裂けそうなくらいに痛む。

「私……最後に、貴方にちゃんと謝りたかったの」
「最、後? マリア、それってどういう意味なの?」

 俺が問いかけるのと同時に、マリアを呼ぶ声が聞こえてくる。

「……私、行かなくちゃ。アンジェロに会えてよかった」

 去ろうとするマリアの手を思わず握ると、彼女は涙をこぼしながらも柔らかな笑顔をくれた。そして、俺の手をすり抜けていく。
 その瞬間、マリアとの記憶がよみがえる。
 ふたりで過ごした学園の庭園や図書館、笑い合った日々。
 そして……今と同じように涙を浮かべ、アンジェロの前から去っていくマリアの姿。
 マリアのあとを追いかけようとしたが、すぐに割れるような激しい頭の痛みに襲われた。うずくまり、必死に痛みに耐える。
 この痛みは何度か経験したことがある。アンジェロの記憶を掘り起こすときの痛みだ。
 だが、今回の痛みは今までで体験した中でも一番のものだった。

「くっ……あ……痛っ……」

 もがき苦しみながら頭を抱え、痛みを堪える。
 バチバチと頭の中で火花が飛び散り、パッ……パッ……と、アンジェロの記憶が照らされる。
 洗礼式、背中の傷、そして……マリアと過ごした日々。
 記憶が映し出される度に、頭の中が焼き切れそうに痛んだ。
 俺は声にならない悲鳴を上げ、地べたに倒れこむ。
 ……そして、アンジェロがひた隠しにしていた過去の記憶が紐解かれる。
 苦しく辛い、アンジェロの悲しい過去が。




   第二章


 ベルシュタイン家の次男に生まれた僕は、家族の皆からたくさん愛されて育った。
 優しくも威厳いげんのある父と、いつも僕に笑顔をくれる母、そして憧れの兄。
 僕は家族が大好きだ。
 そして、迎えた八歳の誕生日。みんなが僕を祝福してくれていた。

「アンジェロ、誕生日おめでとう」
「アンジェロも、もう八歳になるのか。月日が経つのは早いな」
「えぇ、そうね。あんなに小さくて病弱だったアンジェロがここまで大きくなれたのも、フテラ様が見守ってくれたおかげかしら」
「ありがとうございます。父様、母様、オレリアン兄様」

 家族のみんなにお祝いの言葉をもらった僕はエヘヘと笑顔をこぼす。
 そして、いつものように母様と一緒に王都にある大聖堂へ向かう。
 いつ行ってもおごそかな雰囲気の大聖堂で、フテラ様に無事誕生日を迎えられたことを報告し、家族の幸せを願いながら祈りを捧げる。
 母様も隣でまぶたを閉じて祈りを捧げている。
 祈り終わると僕を見て、柔らかく微笑んでくれる。
 僕は母様のこの笑顔が大好きだ。
 母様はフテラ教の敬虔けいけんな信者で、祈りの時間をとても大切にしている。
 僕もフテラ様は好きだけれど、一番好きなのは母様とふたりきりになれるこの時間で、いつも一緒に大聖堂へ通っていた。
 そして大聖堂に行くと、もうひとりの大好きな人の姿が見える。

「ヨキラス大司教様!」

 大聖堂に響き渡る僕の声に、母様は少し呆れた顔をする。
 名前を呼ばれたヨキラス大司教様は、琥珀こはく色の瞳を細めて僕に微笑みかける。
 ヨキラス大司教様へ駆け寄り挨拶をすると、ポンと頭を撫でてくれた。

「アンジェロ様、八歳のお誕生日おめでとうございます」
「――!? 僕の誕生日を覚えてくださっていたのですか?」
「えぇ、もちろんですよ」

 そう言って微笑むヨキラス大司教様に、僕は嬉しさで胸がいっぱいになる。

「ありがとうございます、ヨキラス大司教様」
「いえいえ、来週に行われる洗礼式も楽しみにしていますよ」
「はい!」

 彼はそう言って大聖堂を後にした。
 ヨキラス大司教様は、現教皇のひとり息子。若くして大司教様になった、とてもすごい人だ。
 それに、綺麗で優しくて……僕は小さな頃からヨキラス大司教様に可愛がってもらっていて、オレリアン兄様と同じくらいにヨキラス様が大好きだ。

「母様。洗礼式、楽しみですね」
「そうね。アンジェロはいい子だから、きっと素敵な加護をフテラ様が授けてくれるはずよ」

 そう言って母様は優しく微笑み、僕もきっと素敵なことが起こるだろうと信じて疑わなかった。
 それから一週間が経ち、洗礼式当日を迎えた。
 今日のために仕立てられた真っ白な礼服にそでを通す。
 オレリアン兄様は学園に行くので、式には来てもらえない。だから兄様が帰ってきたら洗礼式の話をたくさん聞いてもらおうとワクワクしながら馬車に乗りこみ、大聖堂へ向かった。
 大聖堂の前にはたくさんの貴族の子どもたちがいて、みんな楽しそうにしている。
 大聖堂での洗礼式は、基本的に子どものみで行われる。
 僕も父様と母様に「行ってきます」と手を振り大聖堂の中へ入った。
 入り口で名前を記帳すると、皆バラバラの個室に案内される。貴族の子どもにとって魔力の属性はひとつの力であり、他の人に簡単に見られないよう、個室でひとりずつ判定されるのだ。
 僕も記帳を終えるとシスターに案内されて、一番奥の個室へ入る。そこで緊張しながら属性を判定してくれる担当の司祭様を待っていると、奥の扉が開いた。
 現れたのは、礼服を身にまとったヨキラス大司教様だった。


しおりを挟む
表紙へ
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

車いすの少女が異世界に行ったら大変な事になりました

AYU
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:745pt お気に入り:52

そこまで言うなら徹底的に叩き潰してあげようじゃないか!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,140pt お気に入り:47

聖女の兄は傭兵王の腕の中。

BL / 完結 24h.ポイント:276pt お気に入り:3,194

mの手記

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:2,137pt お気に入り:0

赦(ゆる)されぬ禁じられた恋

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,320pt お気に入り:4

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。