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続、青春×グラフィティ

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ステージへと続く道。
その道を一歩一歩確かめるように進む。
ぼくにとって、死地に向かうことになるかもしれない道だ。
与儀さんは言っていた。 
このイベントには、ストリートを代表するヒップホップアーティストが大勢集まっているのだと。
そんな場所で下手なグラフィティを描けば、きっと線引屋の悪評は瞬く間に広まるだろう。
元々、クチコミで広まったような存在だ。その名前が人々の記憶から泡沫のように弾けて消えるのも簡単なことだろう。
与儀さんの言う通り、しらを切ってこの場をやり過ごすことだってできた。
だが、それでも逃げるわけにはいかない。
ゲームだってなんだって、面倒な敵やイベントから逃げ出してきたけれど、現実でまでそれをやってしまったら、ぼくはきっと取り返しがつかなくなる。
せめて線引屋としての仮面を被っている間は、精一杯虚勢を張ってみせようと思った。間違ったらやり直せばいいゲームと違って、リアルはやり直しが利かないのだから。

ステージへと続く道を歩いていると、その途中で見知った顔を発見する。
ーーー御堂? 
それに、さっきカラオケで一緒だった小内さんも並んで立っていた。
「おー御堂ちゃん、ヒーが線引屋ですか!」
空気がまるで読めていないのか、小内さんは相変わらず頭の悪そうなことを言っている。
どうしてここに居るのか御堂に聞きたかったが、ステージではMC導歩がぼくを待っているし、それになにより、さっきまで一緒にカラオケボックスにいたのだから、声を聞かれたらぼくの正体が小内さんに気づかれてしまうかもしれない。

後にしよう。そう思ってステージに向き直ると、口調とは裏腹に、ガシッと強い力で肩を掴んでくる小内さん。

いきなりなんなの、怖いよっ!?

そう思い振り返ると、小内さんの手にはかなり小ぶりなアタッシュケースが握られていた。
その手でアタッシュケースを開くと、中にはクッション材のような物がギッシリ詰め込まれていて、その上に三種類の銀色に輝くアクセサリーが大切にしまわれていた。
首をひねるぼくに、小内さんは、ハハハと笑って言った。
「ミーのブランド"KT"からユーに贈り物でーす!」
そう言って、アタッシュケースを目の前に持ってくる小内さん。遠慮することはない、と言われても、受け取る理由がそもそもないんだけど。

というか、KTって確かストリートジャーナルの過去ログにあった、若者に人気のアクセサリーブランドじゃなかったっけ?

困惑しながら、御堂に助けを求める意味で視線を送ると、彼は一回頷くだけだった。
そういえば、さっき電話で御堂と話した際、後で与儀さんと合流したときに、ぼくに渡したい物があるとか言っていたっけ。
カラオケボックスを出るとき、どうして一緒に与儀さんの所に行かないのかと不思議に思っていたのだけれど、そういうことか。
ぼくに渡したい、というより、線引屋としてのぼくにこれを渡したかったのだろう。それも、小内さん自身が。だから、小内さんに正体がバレないように、イベント会場で遅れて合流することにしたのか。

「なにやってんだ線引屋っ!」

壇上から、MC導歩の怒鳴り声がする。
ぼくはもう一度小内さんを見ると、彼はこう言った。
「ビッグなステージに立つなら、クールなファッションは欠かせません。アクセサリーも一緒。これは全て、オーナー兼デザイナーでもあるミーが直々に、ユーをイメージしてメイクした一点物、ワンオブカインドです。是非受け取ってください」
確か、前に見た記事で、KTは自分のブランドに見合う客にしかアクセサリーを売らない、と書かれていた。客からしたらふざけた話だが、それでも特集記事が組まれるくらい、ファッション界でそのブランド力は強いということなのだろう。
そんなKTが、線引屋を認めたという事実が、ブランドからは縁遠い存在のぼくには信じられなかった。
口調はこんな調子だが、そのシルバーアクセサリーは彼の言う通り、確かにクールに思えた。ぼくは服にはまるで感心がないが、装飾品には憧れを持っていたりする。
銀の指輪とかブレスレットって、ゲームの装備品みたいでかっこいいもんね。

「さあさあ、ほら」と促され、ぼくは勢いに押されてそれらを手に持つ。シルバーアクセサリーというのは、手に持ってみると思っていたより重い物なんだな。
アクセサリー三点は、指輪、ブレスレット、ネックレスだった。
その全てに統一されているのは、ドクロがガスマスクをしている装飾があしらわれていること。
どうやら、線引屋をイメージしてデザインした一点物というのは本当らしい。
これ以上観衆を待たせる訳にもいかないため、ぼくはシルバーアクセサリーを身に付け、ステージへと上がった。

今のぼくは、これまでの線引屋とは違う。

トゥルルトゥットゥットゥー♪

線引屋は伝説の装備一式を手に入れた。
線引屋はドクロのシルバーリングを装備した。
線引屋はドクロのシルバーブレスレットを装備した。
線引屋はドクロのシルバーネックレスを装備した。

ーーーってな具合に、ステータスが急上昇した気分だ。

「よく怖じ気づかないで上がってきたな。誉めてやるよ」

ステージに上がると、ラスボスみたいにぼくの前に立ちはだかったMC導歩は、マイクを持ち上げ、雄叫びのように声を張り、フロアに向けて言った。

「紹介するぜ。こいつが今街で騒がれている線引屋、イン、ザ、ビルディングッ!!」

ステージに立ったぼくに向けられたのは、歓声とは名ばかりのヤジに相違なかった。
ここに集まっているのは、ヒップホップを愛するアーティストたちだ。そんな彼らが、いきなり街に現れ、名前ばかり有名になった覆面ライターを受け入れるには、ぼくはまだ力を示していない。恐らく、ここに集まる多くの人たちが、ぼくの実力に懐疑的な目を向けているのだろう。さながら、ヒップホップの伝統やしがらみを無視した異端児ヒールといったところか。

マイクを渡そうとしてくるMCに対して、ぼくはそれを受け取ろうとはしなかった。会場に集まるアーティストたちに対して、ヒップホップに興味のないぼくが持ち合わせる言葉などないし、彼らも必要とはしていない。示すのは実力のみ。結局のところ、それに尽きるのだろう。即興でラップを披露するのがMC ならば、ぼくは即興でグラフィティを仕上げるだけだ。

タイミング良く、イベントスタッフらしき女性が可動式のテーブルを押してやってきた。

与儀さんが言っていた通り、どうやら今日のイベントでぼくがここに立つことは仕組まれていたらしい。

イベントのスタッフが押してきたテーブルの上には、数多くのスプレー缶、フェルトペン、絵筆、ペンキなどが用意されていた。しかも、メーカーも各種取り揃えられていて、国内有名メーカーからホームセンターに置かれているような安価な物、海外でしか製造されていないグラフィティ専用のスプレーインクまで多数用意されているとか、用意周到だな。
MC導歩は、ぼくに近付くと、耳元で、「さあ、これで言い訳はできないぜ」と言って笑った。
確かに、これだけ道具を用意され、キャンバスもセットされた状態で観衆をわかせるだけのものが描けなければ、ぼくの完全敗北となる。
だけど、不思議と恐ろしくはなかった。

ストリートに立ってない、とか言ってたっけ。
それは、どういう意味なんだろうか。
確かにぼくは、不良でもないし、ヒップホップだって詳しくないけれど、それでもライターであることを自分で決め、それなりの場数を踏んできたんだ。
スプレー缶を握ると、ひんやり冷たくて、触り慣れた感触に安心する。フェルトペンやペンキなどは、丁寧な仕上がりには最適な道具だが、ただでさえDJが曲を止めてしまっていて盛り下がっている状態で、そんなに時間はかけていられない。
つまり、求められるのは発想と手際。
最適な道具はやはり、スプレーインクだろう。
条件も小道具も、まさに、ぼくの得意とするところだ。

可動式のテーブルを側に置いて、手の届く範囲にスプレー缶を並べる。与儀さんの店に通わせてもらってるお陰で、それらのスプレーインクは全て触ったことがあって、特徴もわかっている。
手にするのは、最も使い慣れた国内メーカーの製品。キャップはグラフィティ用にカスタマイズされた極太がセットされていて、上下に振ると撹拌玉のカラカラという音が静かな空間に心地よい音を奏でる。

ーーーさあ、始めるとするかっ!

その瞬間、激しい音楽が会場に響き渡った。
スプレー缶を振るのを止め、壁にインクを吹き付けた瞬間、見計らったようにDJが音楽を流し始めたのだ。まるで撹拌玉の音が起爆剤となったように、激しいビートを刻む。
あのDJ、最高のタイミングで曲を流してくれるな。
ぼくが描き始めたことと、同時に流れたクールな音楽に会場は興奮状態になる。思わずスプレーを握る手も走った。
音に合わせて、ミラーボールが鮮やかな光を反射させ、集まった観衆を照らす。
ナイトライトカマーというイベント名は、恐らく光に集まる者を意味しているのだろう。ネオンやミラーボールの光に集まったイベント参加者の行動を、『走光性』という、虫が光に集まる習性とかけあわせた造語にちがいない。

手にしたスプレー缶を壁に吹き付けることで、徐々に文字があらわになる。ぼくは『night light comer』というイベント名を、黒いスプレーインクで描いていった。

ーーータギング。

グラフィティの原点ともいえる技法。もっともオーソドックスで簡潔な作業のため、数十秒で文字を描くことができた。
タグを描き終えると、「ワーッ」という歓声がフロアから向けられる。
だが、それで終わりではない。
『night light comer』の『o』の文字の部分を使って、中に小さな丸をいくつも描き足し、文字の外枠に頭と足を書き込むことで、『テントウムシ』を模した形に変える。文字の一部を生物に似せた形に変える手法は、なにもグラフィティに限られたデザインではない。作品のタイトルロゴなどに見られる、割とポピュラーなデザイン技法だ。
その『テントウムシ』は、『天道虫』という文字からわかるように、太陽の光に向かって昇る虫、とされている。
それはまさに虫の習性である走光性ーーーnight light comer。
ここに集った人々を、光に向かって集まるテントウムシに例えて絵にしたものだ。

ーーーキャラクター。

これもグラフィティのオーソドックスな種類の一つと言えるだろう。カートゥーンのような誇張された図柄の絵は、オタクが高じて絵を描くようになったぼくにとっては、容易く書けるものだ。

こうして、タギングに続いて、キャラクターを描く。

最後に手にしたのは、グラフィティ専用に製造された国外メーカーのスプレー缶で、赤、青、白、黒の四色を用意する。
その順番で、『night light comer』と描いたタグの上に、四色の虹のアーチを描く。下から、赤、青、白、黒の順番でアーチが完成すると、その虹の光に向かって、テントウムシが空を目指しているような構図になる。
ここで言うところのテントウムシは、ナイトライトカマー、つまり光に集まった会場の人間を指している。そして、四色の虹の色は、今回のイベントのイメージカラー、『赤がブレイクダンス 』『青がMC 』『白がDJ 』『黒がグラフィティ』を意味している。
『四色の虹を目指すテントウムシ』は、つまり、『ヒップホップを目指すアーティスト』を暗に示したわけである。

激しいながらも心地よいビートを流すDJの音にノリながら、最後の虹、グラフィティを意味する黒色のアーチを最上段に描くことで絵は完成する。
その間、全ての工程を終えるのにかかった時間は五分といったところだろうか。
振り返ると、フロアの観客から惜しみない拍手が巻き起こる。
パチパチパチ、と断続的に続く拍手はしかし、その反応の隙間をぬうように、退屈そうに欠伸を漏らす人の姿を際立たせた。
そして、フロアにいる誰かが言った言葉が、辛うじて耳に届く。

「ありきたりなグラフィティだな」と。

呆然と佇むぼくに、MC導歩は近づいてくると、耳元でそっと、「がっかりしたぜ」と言った。

「こんなお利口な絵を俺様は求めてない。ディスりもストリートではコミュニケーションなんだよ、線引屋。テメエは俺様からの挑発を真っ向から受け止めないで、こんな、イベントに媚び売るようなつまんねえグラフィティに逃げやがった。結果がこれだよ。オーディエンスの退屈そうな面が見えるか? 俺様のフリースタイルはもっと会場をわかせたぜ。つまり、この勝負はお前の負けってことだ」

会場からの拍手の音が徐々に和らいでいくと、MC導歩は最後に、「まあ、技術だけは認めてやらなくもないがな」と小さな声で言って、握手を求めてくる。観客の手前、パフォーマンスとして分かり合ったような体裁を整えようとでも思ったのだろう。
だからぼくは、手を持ち上げーーー最後に握っていたスプレー缶を彼の手に押し付け、握らせた。
そして、そのままフロアへと続く階段を降りていく。
その間も、DJ が流す一定のリズムを刻むビートに耳を傾け、頭の中でドッドッドッというリズムに合わせて数字を数える。

すると、

『ウワッ!』

と誰かが驚きの声を上げた。
その驚愕の声は徐々に伝播していき、やがてフロア全体を飽和し、多くの人がステージの方を指差した。
フロアにおりたぼくは、視線の先に立つ与儀さんと目が合う。彼女もまた、驚いた顔をしていた。

ーーーだから言ったじゃないですか、与儀さん。
ぼくは、自分なりにグラフィティの勉強をしているって。それはなにも、グラフィティの歴史を学ぶことだけが正解ではないはず。
ぼくが追及するのはこれからの可能性。そのために、例えばスプレーインクの"性質"についても、実際に使って試したりしている。
その結果、グラフィティ専用に製造される国外製品の多くは、屋外で使用することを前提としているため、色のノリや凝固質が国内メーカーの製品に比べて強力だとわかった。言い換えると、国外メーカーの方がインクがしっかりしていて、ぼくの印象としては"重い"という感じだ。

振り返り、ぼくは自分の描いたグラフィティを見る。
すると、そこにはさっきまでかかっていた色鮮やかな虹がなくなっている。
あるのは、黒い雨。
一番最上段に描いた黒いアーチのインクが垂れて、すべてを包み込む黒い雨と化した。

ーーードリップ。

意図してインクを垂らし、それをグラフィティのデザインに取り入れることをさして、そう呼ぶ技法。
国外メーカーの重たい印象のインクは、吹き付ける量と時間で、インクの垂れ落ちを引き起こす。それを踏まえてぼくは、インク選びをした。
そしてもう一つ、重要になるのが時間。吹き付ける時間と、それによってドリップを引き起こす時間は、ある程度コントロールすることができる。
そういえば、DJの流すビートは、本当に心地よいリズムを刻んでいた。そう、インクがドリップするために必要な吹き付けの時間、そして実際にインクが垂れるまでの時間を頭の中で数えるために、とても役に立った。

MC 導歩は、ぼくのグラフィティを見て、つまんねえグラフィティと言った。だったら、見せてやるよ。
本来、色彩を武器とするグラフィティを、アンダーグラウンドに取り残されたマイナージャンルと呼び、『黒色』と揶揄するならば、逆に、華やかな世界で活躍するというMC 、DJ 、ブレイクダンスーーー『青』『白』『赤』、ヒップホップのすべてを、ことごとく『黒』に染め上げてやる。

ドリップした黒色のインクは、他の三色のアーチを飲み込んだばかりか、黒い雨が、『night light comer』の文字まで降り注ぎ、観衆は、今日一番の盛り上がりを見せる。さながらそれは、生きたグラフィティ。
ステージ上のグラフィティとリンクするように、このイベント会場は完全にぼくがーーー線引屋が染め上げた。

ディスりもコミュニケーションだ、なんて言われても、口下手なぼくは言葉を持ち合わせてはいない。
ふと手に感じた違和感に目をやると、さっき小内さんから受け取った指輪がミラーボールの乱反射する明かりを受けて、あやしく光っていた。
その指輪を見せつけるように、ステージに立つ男に向けて、中指を突き立てた。
ーーーなあ、MC導歩。あんたの耳にも届いているだろう? オーディエンスの盛り上がりが。

悪いけど、この勝負、ぼくの勝ちだ。


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