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<水無瀬葉月>

僕、なんでもできるよ

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「――あ!」

 月明かりに照らされた水面に魚が跳ねた!

「どうした?」
「今、大きな魚がいたよ!」
「へぇ? イルカか?」

 階段を使わずお風呂から飛び出し、タオルを巻きながら窓辺に駆け寄る。
 もう一度跳ねないかな!? 月明かりだけじゃ姿が見えないよ

 ――あれ?

 明るかった照明が落ちて、浴室が薄闇に包まれた。

「……? 暗くなった……?」

「照明を落としたんだよ。万一にも他の人間に葉月の裸を見られたら嫌だからな」
「海しかないのに覗く人居ないよ。それに、見られて困る物でもないし」
「俺が困る」

 何が困るんだろ? あ、そっか、いくらお風呂とは言え、全裸で窓の前に立ってるなんて変か。

 通報されたら困るよね。

 室内が暗くなった分、外からは見えにくくなっただろう。もうちょっとだけ魚を探してたい。

 さっきまでの明るい光とは違い、深いブルーの光が海の中のようで幻想的だ。

「綺麗だな……」

 遼平さんが溜息を吐くみたいに呟く。

 うん。綺麗だ。

 月明かりに照らされた水面も、街とは比べ物にならないぐらいに沢山の星が瞬く空も本当に綺麗。

 ざばって音がする。遼平さんもお風呂から上がって窓辺に立った。
 ガラス窓に手を付いて水面を眺める。

「魚は居たか?」
「ううん。見つからないよ。残念……」
「なら、次のデートの行く先は水族館で決定だな」

「――――――――」

 また、『次』の約束だ!
 有頂天になった僕が振り返ると同時に、遼平さんの手が僕の頬に添えられた。
 僕より三十センチ以上も身長が高い遼平さんが腰を屈める。

 目の焦点が合わなくなるぐらい顔が接近し、ちゅ、って唇が鳴った。

 脳が停止して一瞬、「?」ってなってから、足が思いっきり床を蹴った。

「こら、飛び跳ねるな。裸で暴れたら危ないから」

 遼平さんの手が僕を押さえる。

 ままままま、またキスした!
 キスした!!!

 一気に顔が真っ赤になって眩暈で目がぐるぐるする。

「よしよし、今度は泣かなかったな。」
「~~~~~!!?」
「体が冷えてるな。ほら、風呂に入りなおそう」
「~~~~~!!?」

 混乱したまま抱きかかえられお風呂に戻る。

 顔を合わせることもできなくて、真っ赤になったまま座りこんで水面を凝視する。

 遼平さんが余裕な感じでくくっと笑ってるのが悔しい。

 僕が馬鹿みたいに反応するのが面白いんだろう。

 きっとこのキスは、遼平さんにとってはこれまでの人生にしてきた、千回、二千回のキスの一つでどうってこと無いんだ。

 でもでも、僕は遼平さんが大好きで、キスをするのだって二回目なんだ。

 からかわれてるのが判ってるのに冷静になれない……!

 第一、何度も何度も僕は汚いって忠告してるのに、全然信じてくれない

 恐る恐る遼平さんを見る。やっぱり、顔の半分が真っ黒に汚れていた。


 そういえば――初めてキスをした時はこんなじゃなかった。


 僕の真っ黒が目に見えるようになったのはいつからだっけ?

 そだ、二本松さんのマンションだ。



 遼平さんは神様みたいだと、地球最後の日が来るなら遼平さんの服にくるまれて死にたいと思った日だ。


『『あの時から、お前は遼平さんが好きだったんだ。だから、汚れた自分と向き合わなければならなくなった』』

 リビングからぴょん太の声が響いた。

『『水無瀬葉月は人を好きになる資格がない。お前の血は汚れている。汚い人間だ。遼平さんを好きになるなんて許されない。自覚をするために、汚れが目に見えるようになった』』

 なるほど。


 僕は自分が汚い人間だと忘れたことはないのに、随分と念入りなことだ。


 その後、すぐにお風呂から上がったんだけど、ただでさえ頬に血を登らせていた僕は完全にのぼせてしまい、ふらふらと脱衣所に入ったのだった。


☆☆☆


 試練の時間が来ました。

 そう、真っ白もこもこウサギ耳付きワンピースの装着です。

「葉月、早く」

 遼平さんが楽しそうに急かす。

 こ、これを……、このワンピースを着るのか……。
 男のプライドが邪魔をして袖を通すのをためらってしまう。

 だが、ここにいるのは遼平さんと僕だけだ。他に人は居ない。

 大切な遼平さんが望んでいるんだ! ワンピースぐらい平気だ!

 えい、と、自分に喝を入れて頭から被った。

 あれ?

 ワンピースだって言ってたけど、実際は大きめの上着だった。
 ウサギ耳が付いていることにさえ目を瞑れば、単なる裾の長いパーカーだ。

 よかったー。

「すっげー似合ってるぞ。可愛い!」
「か、可愛いは止めてほしいです」

 のぼせた頭に血が上って熱い。

「頬真っ赤だな。テラスで涼むか。おいで」

 ウサギのパーカー越しにひょいと抱き上げられた。
 バランスを崩しそうになって慌てて首に抱きつく。

「触り心地もいいな。ぴょん太みたいにフカフカだ」
「うぅ」

 遼平さんが僕の胸に頬擦りした。
 すごく恥ずかしい……。

「お、重たくない? 自分で歩くよ」
「子猫より軽いよ」

 そんなはず無いのに僕を軽々と抱き上げたまま遼平さんはテラスに出た。抱っこされるのもこれで何度目だろう。今日だけでも三回は抱え上げられた気がする。四回だったかも。

 ガラスドアが開くと同時に海の香りを含んだ風が火照った頬を撫でた。

「うわぁ」

 テラスは想像より広かった。

 あちこちに観葉植物があって、暖色の光でライトアップされている。

 目の前には月を浮かべた広く大きな海、そして、波の音が優しく響いて何だか感動してしまった。


「気持ちいいね……」


 こういうのを『素敵』って言うんだろうな。
 景色を見てるだけなのにドキドキするよ。
 
 遼平さんは上半身裸のままだ。
 今更なんだけど、裸の肩に触っているのが恥ずかしくて手を浮かせた。

 お風呂場でのキスの感触が唇に蘇り、行き場の無くなった手で唇を触る。

「ぐぅ?」

 突然きつく抱きしめられ変な声が漏れた。

 体の位置が下がり遼平さんの吐息で髪が揺れる。
 逃げる暇も無く、頭の天辺にキスをされた。

 うわああ、まだ髪が濡れてるのに、僕は汚いのに、

 で、でも、どうせ、遼平さんは、僕が触っても汚れないんだ。

 今日で、おわる、なら、ぼ、ぼくも、してもいい、よね?
 心臓が痛くて、かんがえごとまで、とぎれる。


 最後なんだから、これぐらい、神様も大目に見てくれるはず!


 腕を伸ばし逞しい肩を掴んで、遼平さんの頬にスタンプキスをした。



 うぅ、やってしまった、恥ずかしい……! お湯にのぼせたからテラスに出てきたのに益々頭に血が上ってきた。心臓が止まりそうだ。



 恐る恐る見上げる。遼平さんが嬉しそうに笑ってる。




 ドキドキしていた心臓が、ギューと軋む痛みに襲われた。痛いのに、暖かい。

 僕まで自然と笑顔になってしまう。



 遼平さんと知り合って一か月とちょっとの間、ほんとに楽しかった。

 ありがとう。

 す、っと、息を吸って、自分を奮い立たせる。

「遼平さん、もういいよ。もう十分だよ。僕にしてほしいことは何?」

「してほしいこと……? それは前に言っただろ? 俺と一緒に遊んでほしいって。今日も付き合ってくれてありがとうな。すげー楽しいよ」

 ごまかしはいらないよ。

 僕の体の黒い汚れが分厚くなっていく。
 まるで繭みたいに真っ黒が僕を覆っていく。人間の形さえ留めないほどに。

 僕もごまかしてちゃ駄目だな。ちゃんと言葉にしないと。

「ホントのことを言っていいよ。大丈夫だよ。僕、なんでもできるよ。麻薬の密売でも、強盗でも、人殺しでも、遼平さんのためなら」

 言葉にした途端、ますます真っ黒が膨れ上がった。

 どうやら僕は悲しんでいるらしい。
 『じゃあもう優しくする必要はないな』そう言って遼平さんが豹変するのが怖いんだ。

 顔は見ない。
 ただ、体をくっつけて最後の一瞬まで遼平さんの体温を感じる。

「そうきたか」

 遼平さんが笑った。

 それから、僕の頬を人差し指で突いた。

「犯罪なんかさせるわけないだろ。こーんな可愛いウサギさんに罪を犯させるなんてできねーよ」

「ごまかさなくていいよ。こんないっぱい良くして貰ったんだから僕は大満足だよ。警察に捕まっても絶対に遼平さんの名前は口に出さないから」

「葉月、葉月」

 とんとん、と、あやすように大きな掌で肩を叩かれた。

「どうして俺がお前に犯罪をさせたいなんて思い込んでるんだ? 説明してくれ」

 思い込み? 思い込みじゃないよ。

「さ――最初は気が付かなかったんだ。いろいろして貰ってからやっと気付いたんだ。こんなに優しくされるのは変だって」

「俺が葉月に優しくするのは変か?」

「遼平さんが、じゃないよ。人が、だよ。僕に優しくしてくれる人が居るなんてあり得ないから」


 遼平さんの腕が伸びてくる。

 な、殴られる――――!?
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