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事例1 九十九人殺しと孤高の殺人蜂【事件篇】

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 坂田の笑顔に不気味なものを感じながら、倉科はゆっくりと後ろに退がった。当たり前ながら二人より坂田との付き合いが長い倉科であるが、最後まで坂田の機嫌が悪くならなかったのは、これが初めてだ。大抵は途中で機嫌を損ねてみたり、飽きたような様子をみせたりするのであるが――。

「ほら、早く行くぞ」

 死刑が執行されたはずの死刑囚が生きており、しかも今現在起きている連続通り魔事件について警察側が意見を求めているという事実。これが二人の目にどのように映ったのかは分からない。ただ、ここまで巻き込んでしまった以上、もはや言い訳がましい言葉でごまかすことはできないであろう。二人を0.5係から引き離すために坂田と接見させたというのに、これでは本末転倒である。

 倉科の言葉を受け、二人は戸惑いながらも独房を後にする。それを見届けてから、倉科は最後まで拳銃を構えつつ独房を出た。途端に空気の比重が軽くなる。これまで体を押さえつけていた重圧から解放された。この感覚だけは、今でも慣れることはない。殺人鬼独特の空気に押し潰されそうになるというか、奴と対等に話をしようとすると妙に疲れるというか――。なんにせよ、いつもこう思う。生きた心地がしなかったと……。

「お前達、大丈夫だったか?」

 両膝に手を置いて、大きく呼吸を落とす倉科。自分が初めて坂田と会った時のことを思い出した。情けないことに、独房を出た途端に腰が抜けてしまったものだ。それに比べると、尾崎と縁は随分とどっしり構えているように見えた。今の若い者は感覚がどこか違うのであろうか。

「大丈夫っす……。ちょっとチビっただけっすから」

 そう答えた尾崎の膝は、よく見ると小刻みに震えていた。しかも本当にチビったのであれば、それは大丈夫とは言わない。むしろ大惨事という。当時の自分が随分と情けなかったから、尾崎と縁が平気そうにしているかのごとく見えただけなのかもしれない。ただ、流石の倉科もチビってはいない。縁が尾崎と少しばかり距離を置いたように見えたのは気のせいなのか。

「山本、お前は大丈夫なのか?」

 物怖じしない尾崎でさえこの有様なのだから、平気そうに見えて縁だって相当に恐ろしい思いをしたに違いない。なんせ、鉄格子をへだてて九十九人殺しがいたのだから。

「――私は大丈夫です。ある意味じゃ慣れていますから」

 しかし予想に反して縁は涼しげな表情を浮かべ、髪先を指に絡ませる。それにしても、慣れているとはどういうことだろうか。現場で血や死体を見れば、すぐに吐いてしまうような人間が、殺人鬼に対して妙な免疫をもっているのも、おかしな話ではある。
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