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25-【ダメ見本】相手の変化に狼狽えてはいけません。
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「……俺は、黙らない」
大悟のその声は、低く掠れて少し震えていた。だけど、真っ直ぐな背中はしゃんとしたままだ。
繋いでいないほうの手を、大悟の背中にそっと押しあてる。
手のひらの下に、静かで大きな深呼吸がひとつ。
繋いだ手に、どちらのものともわからない力が籠る。
大丈夫だ、大悟。お前なら……。
よし、行けっ!
「父さんがどれだけの責任を背負ってるかは、俺にはまだ測れない。でも、こうして倒れるようなら、その責任の取り方は間違ってる」
理路整然と語る声はもう掠れていない。誰もが聴き入りたくなる凛とした声だった。
実際、一理あると思ったのか親父さんも口を挟む様子はない。ただ、親子二人で互いの主張を視線に込めて睨みあうだけだ。
「吉沢さん。後日、俺が気づいた問題点をまとめてメールします。役員及び主要メンバーで改善案を検討してください」
親父さんが黙っているのをいいことに、吉沢さんに向けて敬語に切り替えた大悟が勝手に話を進めてしまう。もしかしたら、結論を急ぐ父親のやり方を踏襲してるのかもしれない。
そのアプローチは正解だったらしく、親父さんも小さな溜め息をひとつついただけで、結局異論は唱えなかった。
「今後のスケジュールも、メールでお願いします。俺、このあと大事な用があるので。じゃあ、失礼します」
う、大事な用って、アレか? セフレがどうのって話のことか?
せっかく大悟のカッコよさにうっとりしてたのに、急に現実に引き戻された気分だった。それも、親の前で思い出すにはどうかと思うような現実に。
さっさと帰りたいという態度が見え見えの大悟が、病室の出口へと向きを変えた。当然、真後ろにいた俺と目が合う。
大悟の表情はこの部屋に来る前とは違って明るかった。きっと、父親と向き合うための第一歩を踏み出せた自信がそうさせているんだろう。それがうれしくて、俺もつい顔が緩んでしまう。
そのまま二人で病室を出るんだろうとばかり思っていたら、大悟は、しばらく動きをとめて俺を見つめていた。その瞳が、ふたたび物思いに沈んでいく。どうやら、まだ何かあるらしい。
ずっと繋いだままだった手をあげて、大悟の胸をとんと突いてやる。物思いから戻った大悟の瞳と、カチリと視線が合ったのを確認してから、空いた手で大悟の腕を軽く叩いてやった。
この際だ。思い残すことのないようにスッキリしてしまえ。
俺の仕草に小さく頷き返した大悟が、ふたたび親父さんへと向きを変えながら「ついでに言わせてもらうけど……」と、少し言いにくそうに切り出した。
「母さん、いまだに待ってるよ。父さんに言い訳を聞いてもらえるの」
きっと、大悟のなかでずっと温めてきた言葉だったんだろう。言いにくそうにしていた割に、その口調は淀みない。
対して親父さんは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それが、あとに続いた大悟の言葉を聞いて、驚きの表情に変わっていく。
「『好きな人の申し訳なさそうな顔は見たくない。もう気にするな』って、ちゃんと言ってやれよ」
え、ええッ!?
親父さんがお母さんの謝罪を受け入れなかったのって、そんな理由から!? そんな『愛ゆえに』みたいなすれ違いのせいで離婚したの?
いや、まさかそんな……。
「……お前は、黙ってろ」
親父さんは大悟から視線を逸らしてそう言った。さっきと同じ言葉なのに、今度のはまったく覇気がない。
赤の他人の俺でもわかってしまったよ。この反応は図星だな? 『言われなくてもわかってる』から『黙れ』ってことなんだろう。
もしかして、十三年前のときもそうだったのか?
俺は離婚直後の親父さんを知らないし、そのときこの親子どんな様子だったのかも想像がつかない。
でも、そのときに、この人がどんな思いを抱えていて、どんな理由があったとしても、大悟を傷つけたことだけは、この先一生許せないだろうな、と苦く思う。
でも、当の大悟は違った。
「俺は、もう黙らないよ。必要だと思えば、ちゃんと言う」
大悟の言葉は真っ直ぐだった。揺れも歪みもまったくない。誰の影響も映さず、ただ真っ直ぐに前だけを向いて飛んでいく。
大悟は、乗り越えたんだろうか。幼い頃に押さえつけられた言葉たちの痛みを。大人の事情で諦めてきた諸々の感情を。
過去のことは過去のものとして前に進む潔さが、その大きな背中に滲んで見えた気がした。
俺の大悟はすごい。すごく強い。誇らしい想いに、胸が熱くなる。
それでも、親父さんに背中を向けてからつぶやいた言葉は、
「黙ってて後悔するのは……もう嫌だから」
どこかが痛んでるような声だった。
何を想ってその言葉を口にしたんだろう。俺を見つめる瞳も痛そうな色をしている。
気にはなったけど、そのまま大悟に出口へと促されて、大悟が抱えている痛みについて問いかけることはできなかった。
大悟の後ろについて病院玄関を抜けると、すかさずタクシーを呼ばれてしまった。
タクシーなんかで帰ったら、ものの数分で大悟のマンションに着いてしまう。
「大悟、電車で帰らない? それか歩いて」
徒歩でなら二十分。電車でならおよそ三十分はマンションに着くまでの時間稼ぎができるはずだ。
時間を稼いだところで、そんな短時間じゃ意味がないことは分かっている。大悟の申し出についての名案がそんな短時間で浮かぶとも思っていない。
それでも、せめて心の準備くらいはしておきたかった。
大悟のセフレになるための、いつか訪れるかもしれない繋いだ手を離す瞬間への心の準備を……。
「いやだ。タクシーがいい。俺は一刻も早く幸成と話がしたい」
俺の目を真っ直ぐに見つめてくる大悟からは、強い決意が感じられた。下手をすれば、親父さんと対峙していたとき以上の迫力だ。
「いや、でも、」
その迫力に気圧されつつも悪足掻きをしようとしたら、ふいに手を握られた。
「幸成。逃げようとしても無駄だ」
小さな子を諭すような、低くて力強い声だった。
「逃げてなんか、ない」
逃げたい訳じゃない。セフレじゃ嫌だけど、セフレになりたくない訳じゃないんだ。大悟といられるならなんでもいい。その想いに変わりはない。
ただ、本当は、大悟の一番がいいってだけで……。
「手、放せよ」
「幸成は逃げるだろ?」
「逃げないから」
「……わかった」
渋々といったふうに大悟が俺から手を離すと、ロータリーにタクシーが滑り込んでくるのが見えた。
「部屋についてからも、逃げるなよ?」
念を押すようなその言葉に振り向くと、二日前に見た、獲物を見据えるような瞳がそこにあった。
途端に動悸が速くなる。治まっていたはずの身体の疼きまでが、やんわりと競りあがってくるようで、たちまち落ち着きをなくしてしまった。
せめてタクシーのなかで心の準備をと思ったのに……数日前の大悟とはかなり違うその雰囲気に、それどころじゃなさそうだった。
大悟のその声は、低く掠れて少し震えていた。だけど、真っ直ぐな背中はしゃんとしたままだ。
繋いでいないほうの手を、大悟の背中にそっと押しあてる。
手のひらの下に、静かで大きな深呼吸がひとつ。
繋いだ手に、どちらのものともわからない力が籠る。
大丈夫だ、大悟。お前なら……。
よし、行けっ!
「父さんがどれだけの責任を背負ってるかは、俺にはまだ測れない。でも、こうして倒れるようなら、その責任の取り方は間違ってる」
理路整然と語る声はもう掠れていない。誰もが聴き入りたくなる凛とした声だった。
実際、一理あると思ったのか親父さんも口を挟む様子はない。ただ、親子二人で互いの主張を視線に込めて睨みあうだけだ。
「吉沢さん。後日、俺が気づいた問題点をまとめてメールします。役員及び主要メンバーで改善案を検討してください」
親父さんが黙っているのをいいことに、吉沢さんに向けて敬語に切り替えた大悟が勝手に話を進めてしまう。もしかしたら、結論を急ぐ父親のやり方を踏襲してるのかもしれない。
そのアプローチは正解だったらしく、親父さんも小さな溜め息をひとつついただけで、結局異論は唱えなかった。
「今後のスケジュールも、メールでお願いします。俺、このあと大事な用があるので。じゃあ、失礼します」
う、大事な用って、アレか? セフレがどうのって話のことか?
せっかく大悟のカッコよさにうっとりしてたのに、急に現実に引き戻された気分だった。それも、親の前で思い出すにはどうかと思うような現実に。
さっさと帰りたいという態度が見え見えの大悟が、病室の出口へと向きを変えた。当然、真後ろにいた俺と目が合う。
大悟の表情はこの部屋に来る前とは違って明るかった。きっと、父親と向き合うための第一歩を踏み出せた自信がそうさせているんだろう。それがうれしくて、俺もつい顔が緩んでしまう。
そのまま二人で病室を出るんだろうとばかり思っていたら、大悟は、しばらく動きをとめて俺を見つめていた。その瞳が、ふたたび物思いに沈んでいく。どうやら、まだ何かあるらしい。
ずっと繋いだままだった手をあげて、大悟の胸をとんと突いてやる。物思いから戻った大悟の瞳と、カチリと視線が合ったのを確認してから、空いた手で大悟の腕を軽く叩いてやった。
この際だ。思い残すことのないようにスッキリしてしまえ。
俺の仕草に小さく頷き返した大悟が、ふたたび親父さんへと向きを変えながら「ついでに言わせてもらうけど……」と、少し言いにくそうに切り出した。
「母さん、いまだに待ってるよ。父さんに言い訳を聞いてもらえるの」
きっと、大悟のなかでずっと温めてきた言葉だったんだろう。言いにくそうにしていた割に、その口調は淀みない。
対して親父さんは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それが、あとに続いた大悟の言葉を聞いて、驚きの表情に変わっていく。
「『好きな人の申し訳なさそうな顔は見たくない。もう気にするな』って、ちゃんと言ってやれよ」
え、ええッ!?
親父さんがお母さんの謝罪を受け入れなかったのって、そんな理由から!? そんな『愛ゆえに』みたいなすれ違いのせいで離婚したの?
いや、まさかそんな……。
「……お前は、黙ってろ」
親父さんは大悟から視線を逸らしてそう言った。さっきと同じ言葉なのに、今度のはまったく覇気がない。
赤の他人の俺でもわかってしまったよ。この反応は図星だな? 『言われなくてもわかってる』から『黙れ』ってことなんだろう。
もしかして、十三年前のときもそうだったのか?
俺は離婚直後の親父さんを知らないし、そのときこの親子どんな様子だったのかも想像がつかない。
でも、そのときに、この人がどんな思いを抱えていて、どんな理由があったとしても、大悟を傷つけたことだけは、この先一生許せないだろうな、と苦く思う。
でも、当の大悟は違った。
「俺は、もう黙らないよ。必要だと思えば、ちゃんと言う」
大悟の言葉は真っ直ぐだった。揺れも歪みもまったくない。誰の影響も映さず、ただ真っ直ぐに前だけを向いて飛んでいく。
大悟は、乗り越えたんだろうか。幼い頃に押さえつけられた言葉たちの痛みを。大人の事情で諦めてきた諸々の感情を。
過去のことは過去のものとして前に進む潔さが、その大きな背中に滲んで見えた気がした。
俺の大悟はすごい。すごく強い。誇らしい想いに、胸が熱くなる。
それでも、親父さんに背中を向けてからつぶやいた言葉は、
「黙ってて後悔するのは……もう嫌だから」
どこかが痛んでるような声だった。
何を想ってその言葉を口にしたんだろう。俺を見つめる瞳も痛そうな色をしている。
気にはなったけど、そのまま大悟に出口へと促されて、大悟が抱えている痛みについて問いかけることはできなかった。
大悟の後ろについて病院玄関を抜けると、すかさずタクシーを呼ばれてしまった。
タクシーなんかで帰ったら、ものの数分で大悟のマンションに着いてしまう。
「大悟、電車で帰らない? それか歩いて」
徒歩でなら二十分。電車でならおよそ三十分はマンションに着くまでの時間稼ぎができるはずだ。
時間を稼いだところで、そんな短時間じゃ意味がないことは分かっている。大悟の申し出についての名案がそんな短時間で浮かぶとも思っていない。
それでも、せめて心の準備くらいはしておきたかった。
大悟のセフレになるための、いつか訪れるかもしれない繋いだ手を離す瞬間への心の準備を……。
「いやだ。タクシーがいい。俺は一刻も早く幸成と話がしたい」
俺の目を真っ直ぐに見つめてくる大悟からは、強い決意が感じられた。下手をすれば、親父さんと対峙していたとき以上の迫力だ。
「いや、でも、」
その迫力に気圧されつつも悪足掻きをしようとしたら、ふいに手を握られた。
「幸成。逃げようとしても無駄だ」
小さな子を諭すような、低くて力強い声だった。
「逃げてなんか、ない」
逃げたい訳じゃない。セフレじゃ嫌だけど、セフレになりたくない訳じゃないんだ。大悟といられるならなんでもいい。その想いに変わりはない。
ただ、本当は、大悟の一番がいいってだけで……。
「手、放せよ」
「幸成は逃げるだろ?」
「逃げないから」
「……わかった」
渋々といったふうに大悟が俺から手を離すと、ロータリーにタクシーが滑り込んでくるのが見えた。
「部屋についてからも、逃げるなよ?」
念を押すようなその言葉に振り向くと、二日前に見た、獲物を見据えるような瞳がそこにあった。
途端に動悸が速くなる。治まっていたはずの身体の疼きまでが、やんわりと競りあがってくるようで、たちまち落ち着きをなくしてしまった。
せめてタクシーのなかで心の準備をと思ったのに……数日前の大悟とはかなり違うその雰囲気に、それどころじゃなさそうだった。
応援ありがとうございます!
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