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その32:鋼の嵐! アリューシャン海戦 3

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(あれは兵舎か?)
 細谷一飛曹はその視界にダッチハーバーを捕えた。
 眼下には、まるで積み木を思わせる色合いの建物が並んでいた。
 戦争が起きているのがウソのような、平和的な光景のように思えた。
 このアリューシャンの陰気な空の色とは対照的な色合いの建物だった。
 港には、少数の小艦艇が停泊していた。大きな獲物はなかった。
 軍事基地と言うイメージからは程遠い印象だ。とてもではないが、アメリカの北方策源地の一つには見えなかった。

 雲は低く垂れこめている。高度計は2000メートルを指示していた。
 細谷一飛曹は、周囲を警戒した。
 周囲にも雲が多い。上空は更に多い。視界がきかないのは厄介だった。
 薄暗い雲間から今にも、敵機が出現しそうな気がした。

 唐突にビリビリと空気が震えた。
 対空砲火だった。敵の反応が早かった。攻撃は完全に強襲になっていた。
 おもちゃの街のように見えたダッチハーバーであるが、やはりそこは、完全な軍事基地だった。
 対空砲火の炸裂音がそのことを証明していた。
 
 空には次々に黒ずんだ灰色の花が咲いていく。時限信管を作動させた対空砲火の炸裂だった。
 アメリカ軍の対空砲火は、かなり正確に弾丸を送り込んでいた。
 高射機関砲の曳光弾の光も見える。対空砲火の密度が濃い。

 小隊長機がバンクを振ると同時に7.7ミリ機銃を発射したのが見えた。
 敵機だった。敵機発見を伝える合図だった。
 細谷一飛曹も小隊長とほぼ同時に敵機を見つけていた。
 ほぼ同高度。ゴマ粒のようなものが確認できた。こちらに向かってグングンと突き進んできていた。
 対空砲火が止んだ。同士討ちを避けるためだろう。

 ギュンと小隊長機が加速した。細谷一飛曹も反射的にスロットルレバを叩きつけていた。
 機体が軽い零戦の初期加速は抜群だった。

「P-40?」

 誰もいない操縦席の中で、細谷一飛曹はつぶやいた。
 アメリカ陸軍の主力戦闘機、P-40だった。
 機首をこちらに向け、突っ込んできた。顎のようなラジエータで楕円形に見える機首。液冷エンジン特有の鋭角的なフォルムだ。
 グングンと接近してくる。
 20機はいる。こっちの2倍だ。
 しかし、恐れはなかった。
 決して敵を舐めているわけではない。しかし、不思議と恐怖心は無かった。
 これほどの機数を上げてくるということは、レーダとやらに探知されていたということだろう。
 彼は、更に周囲を見た。敵はその集団だけとは限らない。現在、視界内には他に敵機はいないことを確認した。
 雲の中に隠れていた場合、どうにもならないが、それを心配しても仕方がなかった。

 P-40は侮ることはできない機体ではあったが、零戦より優秀とは思えなかった。
 彼自身は確認できないことであったが、この機体は12.7ミリ機銃を6門搭載したE型だった。
 頑丈な機体に零戦21型を上回る時速560キロ以上の水平速度、そして強武装を備えた戦闘機だった。
 確かに、空中での運動性、上昇性能では零戦と比較するレベルにはなかったが、実用的でタフな機体だった。

 P-40は零戦を無視し、動きの鈍い九七艦攻を狙ってきた。編隊を組み爆撃進路を維持する艦攻隊に突っ込んでくる。
 間に入って、それを阻止する機動を見せる零戦。
 曇天の下、空戦が開始された。

 栄21型とアリソンの咆哮――
 北の空を断ちきる翼の叫び――
 その全てが、低く暗いアリューシャンの空に満ちていく。
 それは、ある種の葬送曲であったのかもしれない。

        ◇◇◇◇◇◇
 
 細谷一飛曹は、フットバーを蹴飛し、機体を滑らせる。
 今まで零戦がいた空間を12.7ミリ機銃弾の束が通過していく。
 その熱を頬に感じとれるかのような、至近距離だった。
 彼は操縦桿を目いっぱい引いた。
 空が急激に反転していく。強烈なGが頭を操縦席に縛り付けようとする。
 そのまま縦の機動で、背後に回り込んでいく。
 
「なんだ、虎か?」

 間近で見たP-40の機首には咢を開いた虎の絵が描かれていた。

(下手くそな絵だ)
 細谷一飛曹は戦闘機にこのような絵を描くことが不謹慎に思えた。
 さらにだ――
 その絵は、いかにも大雑把なアメリカ人の描きそうなポンチ絵に見えたのだ。
 縦の機動を続ける零戦は徐々にP-40の背後の位置を取ろうとしていた。
 
 P-40は零戦の縦の機動に追従できない。その機体はあまりにも重すぎた。
 同機は、当時の米戦闘機の中では最高ともいえる運動性を持った機体であった。
 しかし、零戦に対して格闘戦を挑むのは、自殺行為以外の何ものでも無かった。
 唯一の逃げ道である、急降下も高度が低すぎて無理があった。

 細谷一飛曹は、九八式射爆照準器(通称:OPL)の照準環(レチクル)に機影を捉える。
 彼は、背後を確認する。敵を狙っているときが最も危険なことを彼は熟知していた。
 今、自分を攻撃できる位置に敵機がいないことを確認する。
 そして、スロットルレバーの機銃釦を押した。
 7.7ミリ機銃弾が曳光弾の尾を引いて集束していく。バチバチと機体の上ではじけるのが見えた。
 彼は弾道を修正しつつ、20ミリ機銃を短く発射する。
 重く腹に響く振動。両翼の九九式一号20ミリ機銃2門が咆哮した。
 P-40の主翼の付け根に、20ミリの炸裂弾が集束した。瞬発信管により炸裂する。
 外板が吹き飛び、洗面器が通るくらいの大穴があいた。
 姿勢を崩し、そのまま落下していくP-40。

 その視界にダッチハーバーが映り込む。
 ダッチハーバーからは、幾筋もの煙が立ち上がっていた。
 25番(250キロ爆弾)を抱えた九九式艦爆が正確な急降下爆撃を行っていた。
 6番(60キロ爆弾)を6発を水平爆撃でばらまく九七式艦攻が飛行場を火の海にしていた。
 日の丸の翼による鉄槌は、アメリカ軍基地を叩き潰しているかのように思えた。
 散発的に対空砲火が上がっているが、すでに脅威を感じる物では無かった。

 (爆撃は成功か――)

 彼は周囲を見た。
 残ったP-40はいたが、ある物は雲の中に飛び込み、ある物は降下して、地面すれすれを這うように逃避飛行していた。
 ダッチハーバーの空は零戦の翼が支配していた。

        ◇◇◇◇◇◇

「ダッチハーバーの飛行場は完全に潰しましたな」
 宇垣参謀長が言った。自信たっぷりな感じだ。
 
「そうだね」
 俺はとりあえず首肯する。
 空母隼鷹、龍驤によるダッチハーバー空襲は、予定通り2次攻撃まで実施された。
 結果として、ダッチハーバーの航空基地の機能は喪失させたようだ。まあ、アメリカ側の回復力の強さを考えると、一時的なものかもしれないが。

 こんな北の果てなのに、大規模な基地ができていたことが、写真撮影で分かった。一見すると街に見えるが、街ではない。基地が大きすぎて街に見えるのだ。

 大型機を含め多数機を運用できる飛行場に、倉庫群、道路の整備状況などなど……
 その気になれば、ここを策源地として、本土に迫ることも可能じゃないかと思ったくらいだ。

 南方だけではなく北もヤバい。
 史実では天候や、南方の戦況がアメリカ有利になったせいで、無かった北方からの侵攻。
 これ、南方方面ばかり気にしていたら、こっちから攻撃あるんじゃないかと思ったくらいだ。

「攻撃すれば、必ずこっちにも被害があるか……」
 俺は至極当たり前のことを口にした。
 今回の空襲はかなり優位に戦ったのだ。それでも、こっちも無傷では終わらない。
 攻撃すれば、こっちにも必ず被害が出るのだ。

「確かに。艦爆の被害局限は今後の課題であるかと」
 黒島先任参謀が言った。この人が人命重視の発言するのはどうも違和感を感じる。

「艦爆の問題は、なんとかせねばな」
 俺はその違和感を顔に出さずに言った。
 特に、艦爆の未帰還が多い。5機が未帰還だ。更に、戦果確認の水上偵察機が着水に失敗して失われている。
 南方で「九九棺桶」と呼ばれることになる艦爆の被害の大きさにちょっと憂鬱になる。

「第一航艦には、新型艦爆が搭載されていますが」
「ああ、あれか……」
 
 三和参謀の発言だった。彼が言っているのは、後に「彗星」と名付けられる機体のことだった。
 九九艦爆の後継機がこの「彗星」だ。この機体は性能はいい。もう、出現当時は、世界最高の艦爆といっていいかもしれない。
 エンジンの問題で稼働率が悲惨になることを除けば。
 液冷の熱田発動機は、陸軍の三式戦闘機「飛燕」で使われていたエンジンと同じドイツ製のライセンス品だ。
 当時の日本の生産技術と、運用体制では、このエンジンはかなり荷が重い。
 戦争末期には、一部の部隊では安定稼働できるようになったが、早い段階で、全機を安定稼働させるのは、かなり困難だと思う。

 すでに、偵察機タイプが完成し、ポートモレスビーに向かった機動部隊が搭載している。
 正常に動けば、高性能な機体であることは間違いないのであるが。

「零戦には未帰還がなかったんだな」
 俺は話を変えた。
 報告では、零戦に未帰還機は出ていない。
 空襲は今日で終わりで、日没後に戦艦部隊が突入して艦砲射撃を食らわせる予定となっている。
 史実では空襲は2日間実施されて、2日目に零戦が地上砲火でアクタン島に不時着することになる。
 龍驤の古賀一飛曹の零戦だ。

 こいつが、かの有名な「アクタン・ゼロ」ということになる。
 ほとんど無傷の零戦という技術情報の塊をアメリカに提供することになるわけだ。
 このアクタン・ゼロの徹底的なテストによって、アメリカが対零戦戦法を作ったという話があるわけだ。
 まあ、これはこれで事実なのだろうが、アクタン・ゼロが無いとしても、アメリカ側が零戦の特性を掴むのは時間の問題だろうとは思う。
 上昇力が良いことも、降下性能がイマイチなことも、防弾が皆無なことも戦ってみれば、類推できることばかりだ。
「無茶苦茶軽く飛行機を作っている」ってのは、簡単に想像できることだろう。
 残骸からでもそれは分かる。

 でもってだ、アクタン・ゼロがあろうがなかろうが、零戦と戦えば、選択肢は限られることが想像できる。
 結局、対策は徹底した編隊空戦による一撃離脱になっていくだろう。
 ただ、相手に余計な情報を与える必要はないというのも正解だ。少なくとも史実にあったアクタン・ゼロが無くなったのは、マイナスにはならないだろう。
 
「いよいよ、大和の砲撃ですな。敵艦相手でないのが、今一つ釈然としませんが」

 大艦巨砲主義の忠実な信徒である宇垣参謀長が言った。
 そうなのだ。
 史実では、敵に対しほとんど火を噴くことのなかった46サンチの主砲が火を噴く日がやって来たのだ。
 伊勢、日向、扶桑、山城の36サンチ砲各12門を搭載する戦艦たちと共にダッチハーバーに殴り込みをかける。
 すでに、駆逐艦を従え、鋼の艨艟(もうどう)たちがどす黒い北の海を突き進んでいる。

 実戦だ。
 ニートで無職の俺が、戦争の現場に立つことになるのだ。
 司令部は、500ミリを超える装甲板に守られているので、安全だと思う。
 それでも、足が細かく震えてくる。
 やばい…… 

「本土より入電です! 緊急電です!」
 通信兵が通信紙を持って悲鳴のように叫んだ。

「なんだ! いったい?」
 怒鳴る宇垣参謀長。

「占守島です! 一五三〇、占守島が敵、戦爆連合に空襲を受く―― 敵は空母を伴う機動部隊と思われる」
 通信兵が電文を読み上げた。

 俺は、脳天を一撃されたような衝撃を受け、ただ茫然と立っているだけだった。
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