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事例2 美食家の悪食【事件篇】

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 荷物はとりあえず着替えなどの必要最低限のものを詰めたスーツケースだけ。コンパクトにまとめたつもりなのだが、それでも尾崎に「女子は荷物がかさばるっすね」と、デリカシーのない一言を放たれる始末。尾崎の荷物が少なすぎるのだ。どれだけ滞在することになるか分からないというのに。恐らく、現地調達をするつもりなのであろうが――。

 尾崎は飽きもせずに駅弁を貪り、そして縁は時間潰しのために持ってきた本を開いてはみるが、なんとなく落ち着かず、結局のところ車窓から外を眺めつつ時間を潰した。いつの間にか微睡まどろんでいたようで、尾崎に肩を揺さぶられて目を覚ました。ほんの少し目を閉じただけの感覚だったのであるが、車窓の外は駅のホーム。どうやら、到着したようだった。

「縁、到着っす――」

 尾崎は体格に似合わぬ小さなショルダーバッグを降ろすと、縁のスーツケースも一緒に荷物棚から降ろしてくれた。足元には尾崎の荷物よりも大きな駅弁の空箱が入ったゴミ袋。どういう胃になっているのか、できることなら見てみたい。

「あ、ありがとうございます。ごめんなさい、私寝てたみたいで――」

「別に構わねぇすよ。ただ、よだれの跡だけはなんとかしておいたほうがいいっす」

 尾崎の言葉に「ふぇっ?」っと、自分でも信じられないほど間抜けな声が出た。慌ててコンパクトミラーで確認すると、くっきりとよだれの跡ができてしまっている。恥ずかしい――これはさすがに恥ずかしい。

 尾崎と一緒に新幹線を降りると、縁は一足先に改札を抜けてトイレへと向かい、洗面台の前で化粧ポーチを取り出した。尾崎の隣でよだれを垂らしながら寝ていたなんて、なんと無防備なのであろうか。女子力もへったくれもない。化粧を直して戻ると、人混みの中に尾崎の姿を見つけた。すでに尾崎はスーツ姿で中年のほどの男と一緒にいた。無精髭に、ややくたびれた様子のスーツ。同年代くらいの倉科がきっちりとしているだけに、だらしない印象を真っ先に受ける。

「縁、こっちっす!」

 分かっているというのに、人が行き交う駅の構内で大声を出し、そして手を振る尾崎。なんだか、周りに「すいません」と謝って回りたいような衝動に襲われつつも、縁は二人の元へと向かった。

「桜坂署捜査一課警部の安野隆義やすのたかよしだ。遠路はるばるよく来てくれたな。よろしく頼む」

 尾崎との挨拶は済ませているようで、二人の元へと向かうなり安野警部は縁に握手を求めてくる。それに応えながら縁は口を開いた。

「捜査一課の山本縁です。よろしくお願いします」

 思わず0.5係の部分まで名乗りそうになってしまったが、どこまで安野が知っているのか分からない以上、その部分は伏せておいたほうがいいだろう。
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