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Interlude(1)

21 王太子視点:王太子の終わった日

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 王太子アウグストは、あの偽巫女騒動が終わってすぐに、国の政治機関である貴族院と王の決定により、離宮へと閉じ込められた。
 王曰く「流行り病に罹っている為、早急に隔離せざる得ない」 とのことで……。
 諸侯には、追って連絡をするらしい。



 彼が閉じ込められたのは終の宮。
 そこは、高位貴族でもすぐには処断出来ぬような重職の者や派閥の中心人物、思想犯などの終の住処となる場所だ。

 国の中で最も厳重な守りの監獄。それが、終の宮である。

 アウグストが終の宮に入獄して数日後に、面会の知らせが届く。
 相手は誰かと聞けば、王家の三男、つまり弟だという。
 何故だかぼんやりとして思考が定まらない中、彼は衛兵にどうにか頷く。
「いいだろう……通せ」

 王城の外れ、王妃の庭園からもまた遠くにあるその宮はいささかうらぶれていた。
 調度品は設えこそいいが、古びたものだし、だいたいにおいて王太子が使っていた彼の為に作られた品ではない。
 未だ慣れることのない古びた家具達に囲まれたアウグストは、奇妙なすかすかとした心を抱き、つい先ほどまで拘束を受けていたかのようなぎこちのない動きで、弟を迎える。

 弟は今日も、幼馴染兼未来の家来達を連れてやって来た。
(……相変わらず、仲のいいことだ)
 彼はふと思う。

(そういえば彼らと自らの共通点は、あの夏、あの避暑地で愛する彼女とふれあった者達だ

 と。

「王妃陛下の不興を買った俺に、いったいどんな用だ」
 彼は億劫そうに、しかし不機嫌な声で言った。そんな面々だから、てっきり、ライバル達に抜け駆けだと言われると思えば……。

「いいえ。私は彼女にはもう僅かの心残りもございませんよ。ご安心下さい、兄上。それとは全く別の話をしに来ました」
「我々もです」
 揃って素っ気なく言うものだから、どういうことかと首を傾げる。

(おかしいな……どういう事だ)
 ここ半年、愛するピュアリアと再会してからというもの、彼女を取り合ってずっといがみ合ってきたというのに、どんな心変わりだろうか。
 王太子は不思議でならない。
(ピュアリア以外に、俺と話す事など奴らにはないだろうに)

 あの、何にも勝る王太子の宝。
 屈託なく笑い、明るく己を肯定し、華奢で柔らかな身体を預けてくれる愛らしい存在……。
 ピュアリアと会ってようやく、長年の重い責務を忘れてアウグストは笑えるようになったのだ。

 そんな、愛する存在と離れたからか、ここ数日というもの王太子の頭はずっと晴れない。

 ぼんやりとかすんだ頭のまま聞けば、弟はおかしな事を言う。
「我々は、王太子殿下に近づく為のただの踏み台だった、それだけの話です……彼女は全く狡猾な女性でした」
 弟は、彼のまっすぐな気質らしくない歪んだ顔でそう言い捨てる。

「なんだ、それは。俺の妃になる娘に、横恋慕していたのはお前達だろう」
 アウグストはおかしな事を言う弟をククッと嗤う。

 ピュアリアは、ずっと自分を支えてくれていた。
 ピュアリアは誰より王太子妃に相応しく、頑張ってくれて……。
 おかしいな、ふと思考に陰りがさす。

 それは、その名は本当にピュアリアか……?

「違いますよ、王太子殿下。貴方はこの半年の間に彼女に取り入られただけです。本来の彼女の幼馴染みは、私たち三人だけ。貴方には第三王子殿下がよくピュアリアの事を話していたから、錯覚しているだけでしょう」
 理知的な瞳の弟の友人片眼鏡を押さえてながら言った。
「そうだ。なあアウグスト様、あんた本当に忘れてしまったのか? あんたの幼なじみはフレイア様だけだ。ずっと釣れないあんたを支え続けて、苦労も惜しまずに支え続けて、それでも、最後に捨てられた……あの人だ」
 体格のいい弟の友人も、何だか信じられないような事を言う。

「馬鹿を、言うな。俺は……誰よりも先にピュアリアに会って、それで……」
 アウグストは混乱する。
 かすむ頭に、美しくも気高い元婚約者の顔が過ぎる。
 だがそれはすぐに、彼の中からかき消えて。
 ふわふわとした曖昧な何かが彼を包んで、またぼんやりと頭をかすませる。

 もういい、と、弟は友人らを遮る。
「我々は、そう、ここに居る全員は、ピュアリアの「ただ一人の愛する人」 と呼ばれた者達です。我々は仲良く彼女に恋人気分で操られていた」
 弟の後ろに控える騎士爵子息が剣だこの出来た手をぎゅっと握り、その横で、細面の男爵子息が整った顔を歪める。
 誰もが傷ついた顔で、この場にいた。
「ドレスを、宝飾品を、言われるままに愛情と勘違いし貢ぎ……貴族令嬢らしく美しく着飾ったかと思えばそれを私達に感謝もせず、私達を足として都へ上がり、そして兄上、貴方に寵愛を受けた時点で「わたしたち、ずっと良いお友達よね。これからも貴方が大好きよ。でもわたしは王太子妃だから、くれぐれもそこは間違えないでね! それから勿論、これからもわたしを助けてくれるわよね? だって、わたしたちお友達なんですもの」 という、彼女にだけ都合のいい言葉で捨てられた……そんななれの果てが、ここに居る者達の全てですよ」

 弟とその友人たちは皆、ひどく傷ついた顔をして自らを笑う。
「まあ、いいじゃないですか。私達はもう貴方の愛人のピュアリア嬢とは関係ないのです。そんな話をしに来た訳ではありません。第一、終わった事です」
 傷ついてはいるが、どこか吹っ切れた様子で弟は言った。

「それで……どうしたんだ、お前達」
 何を言われているか、分からない。
 純粋で無垢なピュアリアが、商売女のように男を操り金を貢がせる訳がない。
 恋人とひと時でも呼んだ相手を、都合のいい玩具のように扱う訳がない。
 彼女は情の篤く優しい少女なのだ。王太子としての重責を気の毒に思ってくれ、口煩いだけで情のない婚約者に付き纏われるのを困ったことねと一緒に悩んでくれ、ただ笑顔を彼だけに向けて、いつも明るく微笑んでいる。

 そんな優しく気立てのよい娘が、男を操る?

 馬鹿なと一笑に伏し長椅子に凭れ不機嫌な顔をするアウグストに、弟は渋い顔をした。

「どうしたのかと聞きたいのは私の方です。どうなさるおつもりですか、兄上」
「どう、とは」
 アウグストは長椅子に寄りかかったまま、ぼんやりと弟達を見上げる。
 皆、その表情は固い。

「ふむ……私に何か陳情か。可愛い弟の願いは聞きたいが、今はそう……具合が悪くてな。休養を取っている為、王太子としての令も出せぬ。だが、折角来たのだ、茶でもいれよう……」
 手を打つと、隣の控え室からメイドが出てきて茶を入れ始める。

 この終の宮は、貴族向けの監獄。ゆえに、犯罪者であっても側に仕える者達がいるのだ。
 いつでも調書が取れるぐらいには健康に過ごせるよう、国家の為に監獄に繋がれた貴族に餌をやる仕事の者が。

「この茶はな……ピュアリアが好きで取り寄せたのだ。とても貴重な品でな。華やかな花の香りがして美味いぞ」
 アウグストのする事は、妙にちぐはぐだった。
 今正に弟達に愛人であるピュアリアの悪事を告げられ、彼自身の今後を問われているというのに、茶の用意とは。
 まるで、聞いたことの半分も理解していないようで、的外れな事をしている。

 それを見て第三王子は、今度こそ大きな声を上げた。
「それどころではございません、何をぼんやりなされておられるのです。……兄上は、正気なのですか!? 明日にも王太子を下ろされるか下ろされないかの瀬戸際なのに、何をそんなにのんびりとなさっておられるのです。下の兄上は頭を抱えてらっしゃいますよ。同盟国の姫君の元へ婿入りする筈だったのに、これから又王太子教育かと!! 王妃陛下は兄上の王族籍抹消と断種、聖樹教への詫びとして一生涯を終の宮で過ごさせるという決意を固めたようですが、今なら間に合います。どうか、国教会並びにフレイア様に謝罪を!!」

「…………?」

「何を不思議そうな顔をなさっているのです。何故あのようなことをなさったのですか? 世界樹が選び枝を賜れた巫女を偽物と誹り、世界樹の足下にすら近寄れぬあの子を巫女を偽るなど。世界樹の守りから、この国を遠ざけるおつもりですか!!」

 弟が何かを言っている。とても、重要なことを。
 しかし王太子の頭はぼんやり霞むばかりで、どうにも言葉の意味が撮れないのだ。
「世界樹が……どうした」
 だから彼は、素直に質問した。

「いいですか、世界樹は、世界を支え、か弱き我ら人を魔物から遠ざける人類の防人さきもり、要の樹です」
「ああ、そうだな……」
「それを奉り、世界樹を政治利用させないよう守るのが教会です」
「それがどうした。子供でも知る常識だ」

「常識ならば、何故……フレイア嬢にあのような仕打ちをなさいましたか。教会は世界樹の意思を何より尊重する! 聖樹より枝を賜る者は、母なる意思により、世界の記憶を見せられます!! つまり」
「つまり……何だ」

「フレイア嬢は、あの子が、ピュアリアが「世界樹の枝」 など持たぬ者だと、察知するなどたやすいのです。世界の記憶を調べればよいだけなのだから! 私が知る限りピュアリアは、聖域に一年とて務めた事がない。本人の意思か、それとも聖樹の葉の邪悪判定に引っかかったかは分かりませんが、とにかく彼女は聖樹の御許に在ることを許されなかった」
 アウグストは疑問を浮かべる。
「この国の貴族子女だぞ、そんな事が普通あるか? 聖域の務めは義務だ」

「そうですね、これは殆ど義務となっている風習ですが。しかし俺は、彼女が幼い頃聖域で過ごしたという話を聞いていない。それどころか、どこかの貴族令嬢の嫌がらせにより、聖域へ入るテストをいつも邪魔されているから入れないのだ、といった不満を聞いています」
 アウグストは鼻白む。
「なんだ、それは。どこの世界に、たかが貴族令嬢に操られる聖樹教の神官があるのだ?」

 弟は苦笑した。それを言ったのはピュアリアなのに、と。
「まあ、そうですね。私もその妄言については呆れましたが。それはそうと、その上で、です。姫巫女ならば必ず一季節は聖域にあり王樹や世界樹に祈りを捧げるはずですが、その様子もなかったのです」

「どうして、そんな事が分かる?」
 弟の言葉に、ムッとして睨むアウグスト。己の情人に対し彼氏気取りだと苦情を言いたいのだろう
し、その疑問は尤もだと、弟はピュアリアの聖域不在に関する証明をして見せる。

「それは、私が彼女と深い仲であったつもりのつい半年前まで、毎月欠かさず文を送っていたからですよ」
「貴様っ……」
 先程からいちいち怒りを突かれ、アウグストの白い肌は紅潮したまま元に戻らない有様だ。
「……何を怒るのです? 私達は短い間でしたが確かに愛を誓い合った仲の恋人だったのだから、当然ですよね」
「……またそのような嘘を」
「嘘ではありません。まあ三股女の浮気話など、今更どうでもいい事ですが。ですが彼女は、巫女の使うあのおきまりの用箋を使った試しがありません」
 ふんと鼻で笑い飛ばした弟だが、その言葉の中にアウグストも知る特別なものが含まれていたので、彼は一つ呟いた。

「あの……神官と巫女用の用箋、か」

 ほの青い、聖樹の葉の繊維を漉き込んだ用箋。それは、イグ=ロザの貴族の誰もが一度は見ることのある、聖域の神官巫女らが使う便箋である。
 巫女や神官は、機密を漏らさぬよう、記述する文書を全て世界樹に記録させるよう義務付けられ、この便箋を使用するのだ。

「そうです。あれは聖樹の御許にある時に必ず使う事になっている。内部の情報を漏らさぬよう、監視の意味も込めてね」
「そう……だな」
「これは、当時付き合っていたつもりだった私の友人達にも確認しています。この数年間、彼女は一度も……姫巫女の筈であれば異常な事に……聖域に一度も帰還した時期がない、という証明になります」
「俺のピュアリアを愚弄するな!!」
「そう言うと思いましたから、証拠の品はここにあります!」
 弟は言葉と共にバサリと文の束を投げつける。

 三つに括られた分厚い文の束達は、確かにどれもこれも、あの特徴的な薄青いそれが使われていなかった。

「いいですか? あのおきまりの用箋を数年もの間一度たりとも使ったことのない、つまり聖域に入る用事もなく平巫女にすらなってない彼女が、世界樹の枝を持つなど無理な事なのです!」

 弟の言葉にアウグストは混乱する。

「それは……いや、しかし……」

「兄上、誤魔化さないで下さい。フレイア嬢が世界樹に訊いてしまえば、偽りなどその場で分かる! 世界樹は姫巫女を通して全てを見て聞いています、今も! 王樹と薄くはあるがつながりのある我らも、ある意味亜種の姫巫女のようなものです。我らの行動は、母なる樹がご覧になっているのですよ!? 兄上の虚偽の巫女擁立と真の巫女否定の事実を、教会へ上げられたら最悪です! 兄上の身だけではない、彼女も……私が一度は愛したあのピュアリアだって、極刑を逃れられないのですよ
!! 次代の国王であった貴方がが偽の姫巫女を推挙し聖樹の選んだ姫巫女を否定した、これは教会のみならず、人類の裏切りとなります!」

 王太子は、そこでようやく自分のなした事の重大さに気づいた。
 しかし自体を真剣に捉えようとすると、ぼんやりとかすんだ頭が痛む。鼓動が早い。

「俺は……世界樹を裏切ったということか」

 姫巫女は、世界樹の意思の伝達者。
 偽りの巫女を立て、国の認める者と宣言する、その行為は……。
 爪も牙も持たぬ人が、魔物の跋扈するこの危険な大陸で、平和に暮らせる場所をくれる……母なる存在を愚弄する行為。
「はい。兄上は、想定しうる中で最悪の裏切りを母なる樹へ行いました」

 弟は、暗い顔でそう言い切ったのだった。

◆◆◆

 弟が帰った後に考える。
 考え事をしようとすると、ひどく頭がぼんやりするが、無理やりに霧のようなものを払って考え続ける。

 俺の愛おしいピュアリア。
 でも弟は、俺の幼なじみはただ一人、あの憎たらしいフレイアであるという。

 だが確かに、記憶している愛しい幼なじみの顔はピュアリアのもので。
 厳しい護身用の剣の稽古の時に高価な世界樹産の大熊蜂の蜂蜜につけたレモンを差し入れてくれたのも。
 難しい帝王学の勉強の後、癒やし効果たっぷりの世界樹葉のお茶を淹れてくれたのも。
 大事な聖枝を困ったような姉のような顔で、見せてくれたのも。
 陰ひなたに、支え、励まし、共に難しい王太子、妃教育を受けてきた大事な……。

 待て、だが俺はピュアリアの、平民と変わらぬ開けっぴろげな笑顔に惹かれて……?
 フレイアのような、綺麗な社交用の笑顔など、知らぬ素朴さが魅力の娘。彼女が、万事に当たり感情をコントロールし、敵にも作り笑いを浮かべるような貴人向けの妃教育を立派に学習し終えたなど、無理な話ではないか?

 いつだって感情通りの表情しか浮かべられない、馬鹿正直なところが可愛いピュアリアでは……無理だ。

 どういうことだ。
 アウグストは、困惑する。

「俺の、愛しい幼なじみは、誰なんだ……?」
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