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1巻
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その頃勇者パーティー・暁の光の従魔舎では……。
〈小僧がブラッシングに来ぬではないか!!〉
その中で鷲頭獅子は憤慨していた。
昼過ぎにブラッシングに来る約束をしていたロアが、いつまで経ってもやって来ないからだ。
ガッガッガッと前足の鷲爪で地面を掻きむしり、寝藁を盛大に周囲に撒き散らす。
そんな姿を残りの二匹の従魔は呆れ顔で眺めていた。
一方が青い毛を、もう一方が赤い毛を持つ双子の魔狼だ。
最初はこの魔狼たちもロアがブラッシングに来てくれるのを心待ちにして、あまりの遅さにイライラしていたのだが、グリフォンが豪快に怒り始めたせいで気持ちに水を差されて醒めてしまっていた。ロアを庇うように声を揃えて呟く。
〈何か理由があるんだろうねー〉
ふて寝をすることに決めた青毛と赤毛の二匹は、お互いの身体を枕にし、重なり合って身体を丸めた。
〈小僧め、我との約束を破るとは良い根性をしておる。夕食の時に髪の毛をむしってやるわっ!〉
グリフォンは人間には聞こえない声で怒鳴りまくり、寝藁を撒き散らし続ける。
ついには怒りを通り越し、鷲顔を器用に歪めて笑みを浮かべ始めた。
〈ふっ……ふふふふふ。足を思いっきり踏んでやろう。小指のあたりを狙ってなっ! いや、許す代わりに食事の質を上げさせるのも良いな。あやつが準備する食事は野菜が多過ぎる! 我は肉食だぞ! 肉だけで良いのだ! 小僧は我を小鳥と勘違いしておるのではないか!? 肉だな。肉だ! 許してやる代わりに肉の塊を要求するぞ!〉
魔狼の双子はちらりとグリフォンに目をやってから瞼を閉じる。
……オジちゃんは今日も楽しそうだなぁ。
二匹同時に同じことを考えながら、仲良く眠りに落ちた。
従魔舎ではグリフォンの人間には聞こえない声と、地面を掻きむしる音だけが響いていた。
魔狼の双子が眠りに落ちた頃、ロアはコラルドと共に冒険者ギルドに来ていた。
ロアはコラルドの誘いを受けることにし、その条件を話し合った。
期間はとりあえず一カ月。
仕事内容は従来の魔法薬の作成と、新しい魔法薬の開発。新しい魔法薬は、今までにないものならどんなものでも構わない。作業場所はコラルドの商会内の一室で、何ならそこで暮らしても良い。
もし新しい魔法薬の開発に成功すれば、その作成方法はコラルドが買い上げ口外を禁じるが、ロア本人が作ることは自由とする。
報酬は魔法薬とレシピの買い上げ金額とは別に、一カ月で銀貨三十枚。
ロアにとって破格の条件だった。
この大陸で使われている貨幣は金・銀・銅の他に十銭貨と一銭貨があり、銀貨一枚あれば、アマダンの街で立派な朝食と夕食付きの宿屋に泊まれる。
家を持っている者なら節約すれば一週間は暮らせるだけの金額だ。
それが三十枚となるとロアに断る理由はない。
実のところこの金額は、ロアのような副業錬金術師の報酬としては格安なのだが、あまり高額にすると逆にロアに警戒心を抱かせたり遠慮されたりして逃げられてしまう可能性があるため、コラルドが考え抜いた末に出したものだ。
また、商会の一室で作業をさせるというのも、彼を囲い込むための策略の一つである。
ただ、問題が一つだけあった。
それは新しい魔法薬の材料である。
ロアは今まで、冒険者として出向いた森の奥やダンジョンなどで、材料となる植物や魔獣の素材を集めていた。
仕事中はパーティーに提供するための魔法薬の材料を集めながら行動し、食事の時の空き時間や夜間などに小遣い稼ぎのための材料を集めていた。
それらの場所はAランク冒険者の討伐対象の魔獣がいるような土地であり、それ以外の者が足を踏み入れれば命に関わる危険がある。
冒険者に採取依頼を出そうかという話も出たが、それも却下された。そもそもロアは手に入った素材を思いつきで組み合わせて実験し、魔法薬を作り出してきたのだ。どんな材料が必要か問われても答えられないし、それでは依頼の出しようがない。
色々と話し合い、結局はロア自身が採取に向かい、その護衛として冒険者を雇うことで話がついた。
そして、ロアとコラルドは冒険者ギルドに来たのである。
コラルドはロアの護衛を依頼するため、ロアはパーティーを追い出された報告も兼ねていた。
冒険者ギルドに入ると万能職のロアと、大商会主のコラルドというありえない組み合わせだったため、その場にいた冒険者たちから注目を浴びた。
「コラルド様、その者が何か失礼なことをしましたでしょうか!?」
受付カウンターに着く前に、目立つコラルドのハゲ頭に気が付いたギルド職員の男性が大慌てで駆け寄ってくる。
ロアとコラルドはその言葉に二人して苦笑を浮かべた。
ロアはコラルドと並んでいるだけでそういった反応をされる自身の立場の低さに対する苦笑を、コラルドはギルド職員と自分のロアへの認識の違いに対する苦笑を。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。今日はね、ちょっと依頼を出しに来たんですよ」
「……はあ……?」
コラルドの笑顔に毒気を抜かれたギルド職員はその場に立ち尽くす。
ならばなぜ万能職などと一緒に入ってきたのだろうか?
ギルド職員は不思議に感じたが、偶然入口で一緒になっただけで無関係なのだろうと思うことにした。
「それで、そちらのカウンターで依頼をすればよろしいかな?」
「あ、はい! 申し訳ありません! コラルド様でしたら今お部屋を準備しますのでそちらで。少しお待ちください!」
ギルド職員は駆け出すと一度奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。
「では、ご案内します」
「ああ、よろしく」
ギルド職員に案内されコラルドは歩き出す。
その後ろに護衛一人と、ロアが続いた。
「君はどうして付いて来るんだね!? 帰れ!」
一緒に付いてこようとするロアに気付いたギルド職員が、立ち止まり声を荒らげる。
ギルド職員は万能職のロアがコラルドの依頼に関係あるなどとは想像すらできず、勝手に付きまとっているのだと思っていた。
響いた怒号に、ギルド内にいる冒険者たちがざわめく。
彼らは平静を装いながらも、大商会主が自ら持ちこんだ依頼の成り行きに聞き耳を立てていたのだ。そして、運が良ければその依頼を受けようと思っていた。
金持ちの目に留まれば、援助を受けられる可能性もある。
ざわめきの中には露骨にロアを睨み、「何やってんだアイツ」などと呆れた声を上げる者もいた。
彼らがそういう勘違いをしても仕方ない。万能職というのは半人前の見習いがなるものであり、一人の人間として扱われない職業なのだから……。
ロアはその場の雰囲気に居たたまれない気持ちになった。
「はは。ロアさんは私の依頼の最重要人物ですよ? どうして勝手に帰そうとするんですかな? まさか、私の商売の邪魔をなさるおつもりではないでしょうな?」
「へっ?」
コラルドの表情は笑みを浮かべたままだ。
しかし、その声は冷たかった。
ギルド内は一気に凍りついたように静かになった。
大商会主の商売の邪魔をするということが、どれだけ恐ろしいことかは素人でも想像がつく。
ましてや悪魔すら恐怖すると言われる商人の世界を一代でのし上がった人物である。ギルド職員や冒険者など、蟻を潰すくらいの気持ちで処分されてしまうだろう。
しかし、万能職が最重要人物とはどういう意味だろう? よほど特殊な事情でもあるのだろうか?
冒険者たちの頭の中は疑問でいっぱいになったが、誰もそれを口にすることはない。
「で、では、暁の光への指名依頼ですか?」
「なぜあのパーティーが関係あるのですかな? ロアさんは追い出されたそうですよ? 彼はもう、あの者たちとは無関係です。そうですな、ロアさん」
「は、はい!」
ロアは一身に注目が集まっていることに戸惑ったが、なんとか言葉を返した。
「さ、さ、早く案内していただけますかな? それとも、貴方は私たちの時間を無駄にさせるおつもりですかな?」
「はっ! いえ、滅相もございません。申し訳ありませんでした。こ……こちらに、どうぞ!」
ギルド職員は青い顔に汗を浮かべながらも、なんとか取り繕って案内を再開した。
ギルド内はまだ怖いくらいに静かなままだったが、コラルドたちの姿が防音処理がされた応接室に消えると、一気に大騒ぎとなる。
万能職を七年も続けた底辺中の底辺のロアと、この街では一番のヤリ手と噂されている大商会主のコラルドの関係が話題の中心だったが、誰一人として正解にたどり着いた者はいなかった。
そして、これがこの街を大きく変える始まりになると予測できたのは、コラルドただ一人だけだった。
夜、ロアはコラルドの商会内に準備された一室にいた。
商会の従業員食堂で食事をとらせてもらった後、この部屋に案内されたのだ。
コラルドがロア専用に準備させた、魔法薬作りのための部屋だった。
暁の光の屋敷の薬品室よりはるかに大きく、好きに物が置けるように大きな棚が設置されている。
その棚にはすでに基本的な魔法薬の材料が並んでおり、一般的な魔法薬であればすぐにでも作り始められる状態になっていた。テーブルも広く作業しやすい。
机の上に並んだ調合や錬金用の器具は新品で、髪の毛ほどの汚れも付いていなかった。
作業を記録するための魔道具も置かれている。
手の上に乗るほどの大きさの、黒い半球形のそれは、メモなどを取らなくてもその場で行われた作業を記録してくれ、後で確認できるという優れた機能を持っていた。
この部屋に繋がる、もう一つの部屋にはベッドと机が置かれている。
作業中の仮眠室だと説明されたが、ロアが今まで暮らしていたパーティーの屋敷の物置部屋よりもはるかに立派だった。
コラルドが行き場所がないならここで生活してもらっても構わないと言ってくれたため、コラルドに雇われている間はここを家として暮らそうと決めていた。
「さて、とりあえずは採取に行くのに必要な魔法薬を作っておかないとな」
一人呟き、作業を始める。コラルドに恩を返すためできるだけのことをしようと心に決め、手を動かす。
あの騒動の後、冒険者ギルドでの依頼はすんなりとはいかなかったが、なんとか受託された。
最初に案内したギルド職員は失態を演じたことでパニックになり、まともに対応ができなくなってしまったため、急きょギルドマスターが出てきた。
ギルドマスターは万能職のロアが同席していることに口を出さず対応したが、依頼内容を聞いて難色を示した。
さらにコラルドから条件を出されると、ギルドが受託しても引き受けてくれるパーティーがいるか分からないと言い出した。
その条件というのは「Aランク冒険者であること」、「依頼遂行中に獲た魔獣の素材、植物、鉱物などは商会の買い取りとすること」、そして「万能職であるロアを見下さないこと」だった。
前二つの条件は危険地域での薬師や錬金術師の採取護衛、学者の調査護衛などでよくあるものである。だがやはり、最後の一つが障害になった。
冒険者は実力主義の世界である。
同じ護衛任務でも、その対象が薬師や錬金術師、学者であればまったく畑違いの職業であるため、多少の見下しがあったとしても、相手を侮辱するようなことはない。
自分たちとは畑違いの技術と実力を持っていることが差別感情の歯止めになるからだ。
しかし、同じ冒険者として活動し、その最底辺である万能職で七年も停滞したロアのような人間相手となると大きく話が違う。同じ業界で活動していたため、自分たちより遥かに劣っていることが明確に分かってしまう。
雇い主の関係者であり、守るべき対象だと理解していても、無意識で見下し、非常時には切り捨てようとするかもしれない。
そもそも冒険者は荒くれ者が多い。冒険者という受け皿がなければ犯罪者になっていたような者までいる。
そんな連中に劣っている者を見下すなと言うことに無理があるのだ。
さらに実力でAランクまでのし上がった冒険者となれば、その傾向はより強くなる。
ギルドマスターは、引き受けるパーティーが出てこなかった場合はあきらめて欲しいと言い、通常の護衛任務よりも高額な依頼料を要求した。それをコラルドが受け入れることで、やっと依頼を受託してもらえたのである。
ロアが作業を始めた頃、コラルドは商会の自室で書類を処理していた。
コラルドは書類を溜めこまない主義なのだが、ロアのことがあって今日の予定が大きく狂ってしまったために、明日までに処理しないといけない書類が残ってしまったのだ。
この書類がなければロアさんと夕食を共にできたのだが……。
そう考えながら軽くため息をつくが、ペンを動かす手の速さは変わらない。書類の山を減らしていき、あと数枚になったところでドアがノックされた。
「入りたまえ」
「失礼します。旦那様、そろそろ一息お入れになってはどうでしょう? お茶を準備させていただきましたので」
入ってきたのは落ち着いた色のメイド服を着た中年の女性だった。
「あと数枚目を通して、サインするだけだから、終わってから飲ませてもらうよ」
「はい。では、先に準備だけさせていただきますね」
メイドはティーセットが載ったカートを室内に入れ、お茶の準備を始めた。
ペンの筆記音だけが響き渡り、ティーセットがテーブルに置かれる音はほとんど聞こえない。それは熟練のメイドの技術によるものなのだろう。
「……ロアさんはどうしている?」
書類に目を落としたまま、コラルドは尋ねた。
「部屋に入ってすぐ、魔法薬を作り始められたようです」
「ほう。では明日にはやっと、私の長年の疑問の一端が解明されるんだね……」
「疑問ですか?」
メイドはお茶の準備を続けつつ、その表情を少し緩める。
主人がこのように意味深な発言をする時は機嫌が良く、その理由を誰かに話したくて仕方がない時だと知っていた。
そういった時に聞き役になるのは、長年コラルドの下で勤め、この商会で一番口が堅い彼女である。
「ロアさんが作る魔法薬の秘密だよ。彼の作る魔法薬はね、普通に出回っているものより約二割効果が高いんだよ」
「二割ですか?」
「低位治癒魔法薬で一割、中位治癒魔法薬で二割、高位治癒魔法薬に至っては二割五分も高い。あらゆる魔法薬を平均して、約二割だね」
「……それは、スゴイですね……」
魔法薬は適正な材料を正しい比率、正しい手順で加工して初めて効果が表れる。
例えば、効果の決め手となる薬草をたくさん入れたからといって、それで効果が上がるというものではない。
そのため、魔法薬はほとんど品質にばらつきがないのが通常だった。
「最初は作成方法の違いかと思ったんだけどね。いや、確かにレシピは少し違っていた。料理人たちが煮込み料理を作る時にこまめにアクをとるだろ? それに山菜を調理する時も藁灰を使ってアク抜きをしたり。調理する前に丁寧に洗ったり、硬い茎を取り除いたり。そういったことを魔法薬を作る時に応用して、彼は余分な成分を取り除いていたんだよ」
「料理の手法ですか? 確かに、私どももそういったことをやりますが……そんなことで変わるものなのですか?」
「変わったんだよ。うちの商会の魔法薬は他の所より効き目が良いと言われてるだろ? それはロアさんを真似してそういった手法を使ってるからだ。私もロアさんに初めて教えてもらった時は半信半疑だったんだけどね。彼も何も特別なことはしてないと言って、雑談のついでに教えてくれたくらいだから、まさかそこまで効果があるとは思っていなかったんだろう。でも、実際に試してみたら効果が上がったんだ」
そう言いながらコラルドは立ち上がる。書類仕事が終わったらしい。
彼は作業机を離れると、ソファーに移動した。コラルドがソファーに座ると、絶妙のタイミングでメイドがティーカップへお茶を注ぐ。
「薬草茶にさせていただきました。柑橘草のお茶です」
注がれたお茶から果実のような爽やかな香りがする。コラルドはそのお茶を見て、微笑んだ。
「これもロアさんのレシピで作られたものだよ」
「……そうなのでございますか……」
一瞬驚いたメイドを見て、コラルドは満足そうな表情を浮かべた。
「虫除けにするために育てていた柑橘草が繁り過ぎてね、もったいないから試しにお茶にしてみたのが最初らしいよ? おかしなことを試す人だよね。口止めされていたから今まで言えなかったけど、この商会は色々とロアさんの恩恵を受けてるんだよ」
コラルドがハーブティーを飲むと、わずかな酸味と心地好い香りが口の中に広がった。
「さて、話を戻すけどね。うちの商会でもロアさんと同じ手法で魔法薬を作るようになったんだが、それでもうちの商会の錬金術師たちでは一割ほどの効果上昇が限界だった。ロアさんのやり方を見習って独自に工夫してみても、それは変わらなかったよ」
一割も効果を上げられたなら、他の商人であれば満足して研究を続けたりはしなかったかもしれない。開発費用は意外と負担になるものだ。しかし、コラルドは違った。
「それで私はね、ロアさんが雑談で教えられる程度の手法以外にも秘密を持っていると思ったんだよ。だからきちんと対価を払うから教えてくれと言ったんだけどね、彼はそんな秘密なんてないと言い張るんだ。大金を積んでもみたんだが、逆にロアさんを困らせるだけだったよ」
「はあ……」
「本当に何も隠していない感じだったよ。商人の勘だけどね。私はね、彼の秘密は本人が意識していないところにあると思うんだ。君たちでもそうだろ?」
「はい?」
急に話を振られ、メイドは戸惑った。
「同じ仕事を同じ手順でやっているのに、妙に手際が良くて仕事の早い者がいたりするだろ? 同じ材料を使って同じ分量で料理を作っても、妙に美味いものを作る料理人とかね。そういう者にコツを教えてくれと言っても、本人は説明できないことが多いよね」
「確かに、そうですね。私も仕事を教える時に困ることがあります」
メイドは聞き役に徹していた。主人がこれほどに機嫌良く、饒舌になるのは久しぶりだ。
「私はずっと待ってたんだ。いつもの私なら金や他の手段で彼を囲おうとしたかもしれない。だけど彼はそういった手段で手に入る者ではなかったんだよ」
望みが叶うまで時間がかかったという苦労話のはずなのに、コラルドは楽しげに言葉を続けていく。
「強引な手段を取ると、私の前から消えていく類の人間だと思ったんだ。それに強硬な手段をとったところで、彼の中の冒険者への憧れ……いや、こだわりかな? そういったものがなくならない限り、彼の才能が潰れてしまうと思ったからね。そして今日、やっと私は長年待ち続けた機会を手にした……」
彼の目は遠くを見ていた。
そこに存在しない愛おしい物を見るように。
「あの部屋でする作業は全て魔道具で記録を取っている。……もちろん、ロアさんに許可はもらっているよ。むしろ、複雑な作業経過のメモを取らなくていいと喜んでたくらいだ。そして、彼が使う材料も道具も商会で使っている物と同じだ。実際の彼の手順と出来上がった魔法薬をうちで作った物と比較することで、今度こそ彼の謎が解明されるはずだ」
ティーカップを持つコラルドの手は少し震えていた。
彼が数年待ち続け、そして、今日得た機会はそれほどまでに感情を揺さぶられることだったのだろう。
「……ロアさんはね、才能のある青年だよ。でもね、色々と大切な才能が欠けてもいるんだ」
コラルドは自分の手の震えに気が付き、ティーカップを両手で持った。
ハーブティーの温かさを確かめるように。
「自分の才能がどういったものか見極める才能、限界を知る才能、引き際をわきまえる才能、そういったものが欠けていたんだ。でも、それが彼の一番大切な才能を大きく育てたのかもしれないと考えているんだけどね……」
コラルドはハーブティーの心地好い香りに頬を緩めた。
〈……なぜ小僧は来ぬのだ?〉
暁の光の屋敷の従魔舎で、グリフォンは弱々しく呟いた。
自らが寝藁を撒き散らしてしまったため剥き出しになった地面に身体をベッタリと投げ出し、羽根まで広げて寝そべっている。完全脱力状態だ。
〈夕食すら持ってこれぬ状況なのか? ケガか? 病か? うぬぬぬ……〉
〈心配だねー〉
双子の魔狼も不安げに自分たちのスペースをグルグルと歩き回っている。
グリフォンは夕刻まで怒っていた。しかし、日が暮れて夕食の時間になってもロアが現れなかったため、段々と心配になってきたのだ。
従魔たちの夕食は誰も持ってきていない。今まではロアが毎日朝晩の二食を準備して与えていたが、彼を追い出した暁の光のメンバーは誰一人そのことに気が付いていなかった。
そもそも、今まで従魔たちの世話はロアに任せっきりで、従魔師のエリクすら世話をしたことがなかったのだから思いつくはずもないのだ。
従魔……魔獣は数日食事をとらなくてもまったく問題はない。
野生の魔獣など、獲物が獲れなければ数週間にわたって食事ができないこともある。
そのため、この三匹は夕食がないことよりも、毎日それを運んでくるロアが来ないことを心配していた。
〈見に行こうかなー?〉
双子が心配で鼻をスンスンと鳴らす。
〈やめておけ。以前ここを抜け出した時に小僧が酷く殴られたのを知っておるだろ? 心配して見に行って、あやつが殴られる結果になるなどつまらん。……ぬ、なんだその目は。いや、我はあやつに気を使ってるわけではないぞ! あんなチビに気を使って何になると言うのだ!? しょせん我らの世話係ではないか! これは、その……我が慈悲深いというだけであってな……〉
グリフォンは慌てて双子たちから目を逸らす。人間であれば顔を真っ赤に染めているところだろうが、羽毛で覆われた鷲顔の顔色は分からなかった。
その日、三匹はそのまま大人しく眠りについた。
〈小僧がブラッシングに来ぬではないか!!〉
その中で鷲頭獅子は憤慨していた。
昼過ぎにブラッシングに来る約束をしていたロアが、いつまで経ってもやって来ないからだ。
ガッガッガッと前足の鷲爪で地面を掻きむしり、寝藁を盛大に周囲に撒き散らす。
そんな姿を残りの二匹の従魔は呆れ顔で眺めていた。
一方が青い毛を、もう一方が赤い毛を持つ双子の魔狼だ。
最初はこの魔狼たちもロアがブラッシングに来てくれるのを心待ちにして、あまりの遅さにイライラしていたのだが、グリフォンが豪快に怒り始めたせいで気持ちに水を差されて醒めてしまっていた。ロアを庇うように声を揃えて呟く。
〈何か理由があるんだろうねー〉
ふて寝をすることに決めた青毛と赤毛の二匹は、お互いの身体を枕にし、重なり合って身体を丸めた。
〈小僧め、我との約束を破るとは良い根性をしておる。夕食の時に髪の毛をむしってやるわっ!〉
グリフォンは人間には聞こえない声で怒鳴りまくり、寝藁を撒き散らし続ける。
ついには怒りを通り越し、鷲顔を器用に歪めて笑みを浮かべ始めた。
〈ふっ……ふふふふふ。足を思いっきり踏んでやろう。小指のあたりを狙ってなっ! いや、許す代わりに食事の質を上げさせるのも良いな。あやつが準備する食事は野菜が多過ぎる! 我は肉食だぞ! 肉だけで良いのだ! 小僧は我を小鳥と勘違いしておるのではないか!? 肉だな。肉だ! 許してやる代わりに肉の塊を要求するぞ!〉
魔狼の双子はちらりとグリフォンに目をやってから瞼を閉じる。
……オジちゃんは今日も楽しそうだなぁ。
二匹同時に同じことを考えながら、仲良く眠りに落ちた。
従魔舎ではグリフォンの人間には聞こえない声と、地面を掻きむしる音だけが響いていた。
魔狼の双子が眠りに落ちた頃、ロアはコラルドと共に冒険者ギルドに来ていた。
ロアはコラルドの誘いを受けることにし、その条件を話し合った。
期間はとりあえず一カ月。
仕事内容は従来の魔法薬の作成と、新しい魔法薬の開発。新しい魔法薬は、今までにないものならどんなものでも構わない。作業場所はコラルドの商会内の一室で、何ならそこで暮らしても良い。
もし新しい魔法薬の開発に成功すれば、その作成方法はコラルドが買い上げ口外を禁じるが、ロア本人が作ることは自由とする。
報酬は魔法薬とレシピの買い上げ金額とは別に、一カ月で銀貨三十枚。
ロアにとって破格の条件だった。
この大陸で使われている貨幣は金・銀・銅の他に十銭貨と一銭貨があり、銀貨一枚あれば、アマダンの街で立派な朝食と夕食付きの宿屋に泊まれる。
家を持っている者なら節約すれば一週間は暮らせるだけの金額だ。
それが三十枚となるとロアに断る理由はない。
実のところこの金額は、ロアのような副業錬金術師の報酬としては格安なのだが、あまり高額にすると逆にロアに警戒心を抱かせたり遠慮されたりして逃げられてしまう可能性があるため、コラルドが考え抜いた末に出したものだ。
また、商会の一室で作業をさせるというのも、彼を囲い込むための策略の一つである。
ただ、問題が一つだけあった。
それは新しい魔法薬の材料である。
ロアは今まで、冒険者として出向いた森の奥やダンジョンなどで、材料となる植物や魔獣の素材を集めていた。
仕事中はパーティーに提供するための魔法薬の材料を集めながら行動し、食事の時の空き時間や夜間などに小遣い稼ぎのための材料を集めていた。
それらの場所はAランク冒険者の討伐対象の魔獣がいるような土地であり、それ以外の者が足を踏み入れれば命に関わる危険がある。
冒険者に採取依頼を出そうかという話も出たが、それも却下された。そもそもロアは手に入った素材を思いつきで組み合わせて実験し、魔法薬を作り出してきたのだ。どんな材料が必要か問われても答えられないし、それでは依頼の出しようがない。
色々と話し合い、結局はロア自身が採取に向かい、その護衛として冒険者を雇うことで話がついた。
そして、ロアとコラルドは冒険者ギルドに来たのである。
コラルドはロアの護衛を依頼するため、ロアはパーティーを追い出された報告も兼ねていた。
冒険者ギルドに入ると万能職のロアと、大商会主のコラルドというありえない組み合わせだったため、その場にいた冒険者たちから注目を浴びた。
「コラルド様、その者が何か失礼なことをしましたでしょうか!?」
受付カウンターに着く前に、目立つコラルドのハゲ頭に気が付いたギルド職員の男性が大慌てで駆け寄ってくる。
ロアとコラルドはその言葉に二人して苦笑を浮かべた。
ロアはコラルドと並んでいるだけでそういった反応をされる自身の立場の低さに対する苦笑を、コラルドはギルド職員と自分のロアへの認識の違いに対する苦笑を。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。今日はね、ちょっと依頼を出しに来たんですよ」
「……はあ……?」
コラルドの笑顔に毒気を抜かれたギルド職員はその場に立ち尽くす。
ならばなぜ万能職などと一緒に入ってきたのだろうか?
ギルド職員は不思議に感じたが、偶然入口で一緒になっただけで無関係なのだろうと思うことにした。
「それで、そちらのカウンターで依頼をすればよろしいかな?」
「あ、はい! 申し訳ありません! コラルド様でしたら今お部屋を準備しますのでそちらで。少しお待ちください!」
ギルド職員は駆け出すと一度奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。
「では、ご案内します」
「ああ、よろしく」
ギルド職員に案内されコラルドは歩き出す。
その後ろに護衛一人と、ロアが続いた。
「君はどうして付いて来るんだね!? 帰れ!」
一緒に付いてこようとするロアに気付いたギルド職員が、立ち止まり声を荒らげる。
ギルド職員は万能職のロアがコラルドの依頼に関係あるなどとは想像すらできず、勝手に付きまとっているのだと思っていた。
響いた怒号に、ギルド内にいる冒険者たちがざわめく。
彼らは平静を装いながらも、大商会主が自ら持ちこんだ依頼の成り行きに聞き耳を立てていたのだ。そして、運が良ければその依頼を受けようと思っていた。
金持ちの目に留まれば、援助を受けられる可能性もある。
ざわめきの中には露骨にロアを睨み、「何やってんだアイツ」などと呆れた声を上げる者もいた。
彼らがそういう勘違いをしても仕方ない。万能職というのは半人前の見習いがなるものであり、一人の人間として扱われない職業なのだから……。
ロアはその場の雰囲気に居たたまれない気持ちになった。
「はは。ロアさんは私の依頼の最重要人物ですよ? どうして勝手に帰そうとするんですかな? まさか、私の商売の邪魔をなさるおつもりではないでしょうな?」
「へっ?」
コラルドの表情は笑みを浮かべたままだ。
しかし、その声は冷たかった。
ギルド内は一気に凍りついたように静かになった。
大商会主の商売の邪魔をするということが、どれだけ恐ろしいことかは素人でも想像がつく。
ましてや悪魔すら恐怖すると言われる商人の世界を一代でのし上がった人物である。ギルド職員や冒険者など、蟻を潰すくらいの気持ちで処分されてしまうだろう。
しかし、万能職が最重要人物とはどういう意味だろう? よほど特殊な事情でもあるのだろうか?
冒険者たちの頭の中は疑問でいっぱいになったが、誰もそれを口にすることはない。
「で、では、暁の光への指名依頼ですか?」
「なぜあのパーティーが関係あるのですかな? ロアさんは追い出されたそうですよ? 彼はもう、あの者たちとは無関係です。そうですな、ロアさん」
「は、はい!」
ロアは一身に注目が集まっていることに戸惑ったが、なんとか言葉を返した。
「さ、さ、早く案内していただけますかな? それとも、貴方は私たちの時間を無駄にさせるおつもりですかな?」
「はっ! いえ、滅相もございません。申し訳ありませんでした。こ……こちらに、どうぞ!」
ギルド職員は青い顔に汗を浮かべながらも、なんとか取り繕って案内を再開した。
ギルド内はまだ怖いくらいに静かなままだったが、コラルドたちの姿が防音処理がされた応接室に消えると、一気に大騒ぎとなる。
万能職を七年も続けた底辺中の底辺のロアと、この街では一番のヤリ手と噂されている大商会主のコラルドの関係が話題の中心だったが、誰一人として正解にたどり着いた者はいなかった。
そして、これがこの街を大きく変える始まりになると予測できたのは、コラルドただ一人だけだった。
夜、ロアはコラルドの商会内に準備された一室にいた。
商会の従業員食堂で食事をとらせてもらった後、この部屋に案内されたのだ。
コラルドがロア専用に準備させた、魔法薬作りのための部屋だった。
暁の光の屋敷の薬品室よりはるかに大きく、好きに物が置けるように大きな棚が設置されている。
その棚にはすでに基本的な魔法薬の材料が並んでおり、一般的な魔法薬であればすぐにでも作り始められる状態になっていた。テーブルも広く作業しやすい。
机の上に並んだ調合や錬金用の器具は新品で、髪の毛ほどの汚れも付いていなかった。
作業を記録するための魔道具も置かれている。
手の上に乗るほどの大きさの、黒い半球形のそれは、メモなどを取らなくてもその場で行われた作業を記録してくれ、後で確認できるという優れた機能を持っていた。
この部屋に繋がる、もう一つの部屋にはベッドと机が置かれている。
作業中の仮眠室だと説明されたが、ロアが今まで暮らしていたパーティーの屋敷の物置部屋よりもはるかに立派だった。
コラルドが行き場所がないならここで生活してもらっても構わないと言ってくれたため、コラルドに雇われている間はここを家として暮らそうと決めていた。
「さて、とりあえずは採取に行くのに必要な魔法薬を作っておかないとな」
一人呟き、作業を始める。コラルドに恩を返すためできるだけのことをしようと心に決め、手を動かす。
あの騒動の後、冒険者ギルドでの依頼はすんなりとはいかなかったが、なんとか受託された。
最初に案内したギルド職員は失態を演じたことでパニックになり、まともに対応ができなくなってしまったため、急きょギルドマスターが出てきた。
ギルドマスターは万能職のロアが同席していることに口を出さず対応したが、依頼内容を聞いて難色を示した。
さらにコラルドから条件を出されると、ギルドが受託しても引き受けてくれるパーティーがいるか分からないと言い出した。
その条件というのは「Aランク冒険者であること」、「依頼遂行中に獲た魔獣の素材、植物、鉱物などは商会の買い取りとすること」、そして「万能職であるロアを見下さないこと」だった。
前二つの条件は危険地域での薬師や錬金術師の採取護衛、学者の調査護衛などでよくあるものである。だがやはり、最後の一つが障害になった。
冒険者は実力主義の世界である。
同じ護衛任務でも、その対象が薬師や錬金術師、学者であればまったく畑違いの職業であるため、多少の見下しがあったとしても、相手を侮辱するようなことはない。
自分たちとは畑違いの技術と実力を持っていることが差別感情の歯止めになるからだ。
しかし、同じ冒険者として活動し、その最底辺である万能職で七年も停滞したロアのような人間相手となると大きく話が違う。同じ業界で活動していたため、自分たちより遥かに劣っていることが明確に分かってしまう。
雇い主の関係者であり、守るべき対象だと理解していても、無意識で見下し、非常時には切り捨てようとするかもしれない。
そもそも冒険者は荒くれ者が多い。冒険者という受け皿がなければ犯罪者になっていたような者までいる。
そんな連中に劣っている者を見下すなと言うことに無理があるのだ。
さらに実力でAランクまでのし上がった冒険者となれば、その傾向はより強くなる。
ギルドマスターは、引き受けるパーティーが出てこなかった場合はあきらめて欲しいと言い、通常の護衛任務よりも高額な依頼料を要求した。それをコラルドが受け入れることで、やっと依頼を受託してもらえたのである。
ロアが作業を始めた頃、コラルドは商会の自室で書類を処理していた。
コラルドは書類を溜めこまない主義なのだが、ロアのことがあって今日の予定が大きく狂ってしまったために、明日までに処理しないといけない書類が残ってしまったのだ。
この書類がなければロアさんと夕食を共にできたのだが……。
そう考えながら軽くため息をつくが、ペンを動かす手の速さは変わらない。書類の山を減らしていき、あと数枚になったところでドアがノックされた。
「入りたまえ」
「失礼します。旦那様、そろそろ一息お入れになってはどうでしょう? お茶を準備させていただきましたので」
入ってきたのは落ち着いた色のメイド服を着た中年の女性だった。
「あと数枚目を通して、サインするだけだから、終わってから飲ませてもらうよ」
「はい。では、先に準備だけさせていただきますね」
メイドはティーセットが載ったカートを室内に入れ、お茶の準備を始めた。
ペンの筆記音だけが響き渡り、ティーセットがテーブルに置かれる音はほとんど聞こえない。それは熟練のメイドの技術によるものなのだろう。
「……ロアさんはどうしている?」
書類に目を落としたまま、コラルドは尋ねた。
「部屋に入ってすぐ、魔法薬を作り始められたようです」
「ほう。では明日にはやっと、私の長年の疑問の一端が解明されるんだね……」
「疑問ですか?」
メイドはお茶の準備を続けつつ、その表情を少し緩める。
主人がこのように意味深な発言をする時は機嫌が良く、その理由を誰かに話したくて仕方がない時だと知っていた。
そういった時に聞き役になるのは、長年コラルドの下で勤め、この商会で一番口が堅い彼女である。
「ロアさんが作る魔法薬の秘密だよ。彼の作る魔法薬はね、普通に出回っているものより約二割効果が高いんだよ」
「二割ですか?」
「低位治癒魔法薬で一割、中位治癒魔法薬で二割、高位治癒魔法薬に至っては二割五分も高い。あらゆる魔法薬を平均して、約二割だね」
「……それは、スゴイですね……」
魔法薬は適正な材料を正しい比率、正しい手順で加工して初めて効果が表れる。
例えば、効果の決め手となる薬草をたくさん入れたからといって、それで効果が上がるというものではない。
そのため、魔法薬はほとんど品質にばらつきがないのが通常だった。
「最初は作成方法の違いかと思ったんだけどね。いや、確かにレシピは少し違っていた。料理人たちが煮込み料理を作る時にこまめにアクをとるだろ? それに山菜を調理する時も藁灰を使ってアク抜きをしたり。調理する前に丁寧に洗ったり、硬い茎を取り除いたり。そういったことを魔法薬を作る時に応用して、彼は余分な成分を取り除いていたんだよ」
「料理の手法ですか? 確かに、私どももそういったことをやりますが……そんなことで変わるものなのですか?」
「変わったんだよ。うちの商会の魔法薬は他の所より効き目が良いと言われてるだろ? それはロアさんを真似してそういった手法を使ってるからだ。私もロアさんに初めて教えてもらった時は半信半疑だったんだけどね。彼も何も特別なことはしてないと言って、雑談のついでに教えてくれたくらいだから、まさかそこまで効果があるとは思っていなかったんだろう。でも、実際に試してみたら効果が上がったんだ」
そう言いながらコラルドは立ち上がる。書類仕事が終わったらしい。
彼は作業机を離れると、ソファーに移動した。コラルドがソファーに座ると、絶妙のタイミングでメイドがティーカップへお茶を注ぐ。
「薬草茶にさせていただきました。柑橘草のお茶です」
注がれたお茶から果実のような爽やかな香りがする。コラルドはそのお茶を見て、微笑んだ。
「これもロアさんのレシピで作られたものだよ」
「……そうなのでございますか……」
一瞬驚いたメイドを見て、コラルドは満足そうな表情を浮かべた。
「虫除けにするために育てていた柑橘草が繁り過ぎてね、もったいないから試しにお茶にしてみたのが最初らしいよ? おかしなことを試す人だよね。口止めされていたから今まで言えなかったけど、この商会は色々とロアさんの恩恵を受けてるんだよ」
コラルドがハーブティーを飲むと、わずかな酸味と心地好い香りが口の中に広がった。
「さて、話を戻すけどね。うちの商会でもロアさんと同じ手法で魔法薬を作るようになったんだが、それでもうちの商会の錬金術師たちでは一割ほどの効果上昇が限界だった。ロアさんのやり方を見習って独自に工夫してみても、それは変わらなかったよ」
一割も効果を上げられたなら、他の商人であれば満足して研究を続けたりはしなかったかもしれない。開発費用は意外と負担になるものだ。しかし、コラルドは違った。
「それで私はね、ロアさんが雑談で教えられる程度の手法以外にも秘密を持っていると思ったんだよ。だからきちんと対価を払うから教えてくれと言ったんだけどね、彼はそんな秘密なんてないと言い張るんだ。大金を積んでもみたんだが、逆にロアさんを困らせるだけだったよ」
「はあ……」
「本当に何も隠していない感じだったよ。商人の勘だけどね。私はね、彼の秘密は本人が意識していないところにあると思うんだ。君たちでもそうだろ?」
「はい?」
急に話を振られ、メイドは戸惑った。
「同じ仕事を同じ手順でやっているのに、妙に手際が良くて仕事の早い者がいたりするだろ? 同じ材料を使って同じ分量で料理を作っても、妙に美味いものを作る料理人とかね。そういう者にコツを教えてくれと言っても、本人は説明できないことが多いよね」
「確かに、そうですね。私も仕事を教える時に困ることがあります」
メイドは聞き役に徹していた。主人がこれほどに機嫌良く、饒舌になるのは久しぶりだ。
「私はずっと待ってたんだ。いつもの私なら金や他の手段で彼を囲おうとしたかもしれない。だけど彼はそういった手段で手に入る者ではなかったんだよ」
望みが叶うまで時間がかかったという苦労話のはずなのに、コラルドは楽しげに言葉を続けていく。
「強引な手段を取ると、私の前から消えていく類の人間だと思ったんだ。それに強硬な手段をとったところで、彼の中の冒険者への憧れ……いや、こだわりかな? そういったものがなくならない限り、彼の才能が潰れてしまうと思ったからね。そして今日、やっと私は長年待ち続けた機会を手にした……」
彼の目は遠くを見ていた。
そこに存在しない愛おしい物を見るように。
「あの部屋でする作業は全て魔道具で記録を取っている。……もちろん、ロアさんに許可はもらっているよ。むしろ、複雑な作業経過のメモを取らなくていいと喜んでたくらいだ。そして、彼が使う材料も道具も商会で使っている物と同じだ。実際の彼の手順と出来上がった魔法薬をうちで作った物と比較することで、今度こそ彼の謎が解明されるはずだ」
ティーカップを持つコラルドの手は少し震えていた。
彼が数年待ち続け、そして、今日得た機会はそれほどまでに感情を揺さぶられることだったのだろう。
「……ロアさんはね、才能のある青年だよ。でもね、色々と大切な才能が欠けてもいるんだ」
コラルドは自分の手の震えに気が付き、ティーカップを両手で持った。
ハーブティーの温かさを確かめるように。
「自分の才能がどういったものか見極める才能、限界を知る才能、引き際をわきまえる才能、そういったものが欠けていたんだ。でも、それが彼の一番大切な才能を大きく育てたのかもしれないと考えているんだけどね……」
コラルドはハーブティーの心地好い香りに頬を緩めた。
〈……なぜ小僧は来ぬのだ?〉
暁の光の屋敷の従魔舎で、グリフォンは弱々しく呟いた。
自らが寝藁を撒き散らしてしまったため剥き出しになった地面に身体をベッタリと投げ出し、羽根まで広げて寝そべっている。完全脱力状態だ。
〈夕食すら持ってこれぬ状況なのか? ケガか? 病か? うぬぬぬ……〉
〈心配だねー〉
双子の魔狼も不安げに自分たちのスペースをグルグルと歩き回っている。
グリフォンは夕刻まで怒っていた。しかし、日が暮れて夕食の時間になってもロアが現れなかったため、段々と心配になってきたのだ。
従魔たちの夕食は誰も持ってきていない。今まではロアが毎日朝晩の二食を準備して与えていたが、彼を追い出した暁の光のメンバーは誰一人そのことに気が付いていなかった。
そもそも、今まで従魔たちの世話はロアに任せっきりで、従魔師のエリクすら世話をしたことがなかったのだから思いつくはずもないのだ。
従魔……魔獣は数日食事をとらなくてもまったく問題はない。
野生の魔獣など、獲物が獲れなければ数週間にわたって食事ができないこともある。
そのため、この三匹は夕食がないことよりも、毎日それを運んでくるロアが来ないことを心配していた。
〈見に行こうかなー?〉
双子が心配で鼻をスンスンと鳴らす。
〈やめておけ。以前ここを抜け出した時に小僧が酷く殴られたのを知っておるだろ? 心配して見に行って、あやつが殴られる結果になるなどつまらん。……ぬ、なんだその目は。いや、我はあやつに気を使ってるわけではないぞ! あんなチビに気を使って何になると言うのだ!? しょせん我らの世話係ではないか! これは、その……我が慈悲深いというだけであってな……〉
グリフォンは慌てて双子たちから目を逸らす。人間であれば顔を真っ赤に染めているところだろうが、羽毛で覆われた鷲顔の顔色は分からなかった。
その日、三匹はそのまま大人しく眠りについた。
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