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11巻
11-2
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動揺しつつ、風見はリズをちらりと見る。彼女も戸惑ったらしく、切り出すはずの話が引っ込んでいた。
周囲を混乱に陥れたエレインは一人だけ自由だ。さくさくと歩き、リズの手を取る。
「突然届いたお義父さんの訃報を確かめるために私だけが来たの。あなたの事情は察しているわ。大変だったのね。それでも、誠意をもって事の顛末を伝えようとしてくれたのでしょう? でも、ごめんなさい。そういう真実だけで綺麗に和解できる状況ではないのよ」
エレインはリズを見つめた後、風見に視線を戻す。
「この国において貴族や王族は絶対の権力者。その権威を守るためにも、殺害に関わった人間は死罪になるものよ。たとえ、抗えない命令で操られていたとしてもね」
エレインが口にする冷たい宣告に、風見は息を呑む。
事が事だ。お咎めなしとはいかないのは理解できる。しかし、はいそうですかと受け入れられる内容ではないのだ。風見はそれとは別の折り合いのつけ方を思案する。
もっとも、それはいらぬ心配だった。エレインは「――というのは建て前の話ね」と、今までの緊張を自ら崩してくる。
「驚かせてごめんなさい。もちろん、私もそんなのは望まないわ。だって、規律通りでは誰も得をしない。だからいい方向に事を運びたいの。カザミ、あなたの大切な仲間を守れるように便宜を図るわ。その代わり、私はこの弱みにつけ込んで一つ要求したいことがあるの。許してくれる?」
忘れていた。エレインは一般的な権力者の弁を語るだけの人間ではない。
目の前に悩ましい問題があったとしても、それを思い切り蹴飛ばし、本当に望ましい結果を直接取りに行く。そういう女性だ。
「いい申し出には聞こえる。ただ、内容によるな」
エレインは先ほどまでの引き締めた顔ではなく、友人にでも接するような表情で口を開く。
「カインをね、助けてあげてほしい。それがひいては北国を救うことにもなる。だからレギオニスもこの場に足を運んでいるの」
エレインの呼びかけにレギオニスが頷いた。そして風見の手を両手で力強く握り、見据えてくる。
「今代のマレビトは、一国の軍をも凌ぐ強者だと耳にしている。願わくは、その力を借りたい!」
レギオニスに握られている手が痛い。しかし具体的な話を聞いていない風見は困惑した。
「い、いや、待ってくれ。期待をされても、無理な要望には応えられないからな?」
勢いのみで面倒事を押しつけられるなんて、最も望まないところだ。
そう思って一言断ると、エレインは首を振って返してきた。
「私はあなたにならそれができると思っている。でもそれは、あなたの主義に反することまでさせてしまうことになりそう。だから謝るわ。私は、私が大切にしているもののために、あなたの弱みにつけ込むの。悪い女よね」
彼女は眉を寄せて語る。そこには申し訳なさを感じるが、迷いはなかった。
こんなに割り切った判断は風見にはまだまだできないことだ。彼女の覚悟と考えを前にして、素直に感心する。
「悪い女か……どうなんだろうな。俺にはまだよくわからない。時と場合によっては、そうやってなりふり構わずにできることをしなきゃ、守れないものもあるとは思う」
日本ではそういったことに全く馴染みがなかった。何かを捨てたり、傷つけたりすることもない。誰しもにとっての善事をし続けることが美徳だった世界の生まれだからこそ、こんな時の判断は迷ってしまう。
と、その時、今まで大人しく聞いていたライラが間に割り込んできた。
「お話し中のところ申し訳ありません。お時間が迫っております。皇太子様たちをこれ以上お待たせするのは、いかがなものかと」
確かにいくら重要な話でも、国の要人を差し置いてするものではない。風見とエレインは、揃ってライラに頭を下げる。
では改めてと会場に先導し直すライラに続きながら、風見はエレイン、レギオニスに並んだ。
すると彼女は真面目な様子で目配せをしてくる。
「本当は今の状況を詳しく話しておきたかったのだけれど、こうなったら手短に話すわ。先が見えていた方が話は見えやすいでしょうし。何よりね、あなたたちの便宜のために、会談で話してほしいことがあるの」
エレインはそう言うと、カインに何故助けが必要なのかを掻い摘んで説明しはじめるのだった。
すぐに向かうとは言っても、東国の女帝とこの国の皇太子が相手なのだ。会談は、最低限の身だしなみを整えてからである。
その会談に席を用意されたのは、風見を除くとたったの五名だ。
ここアウストラ帝国の皇太子にして宰相であるユーリスと、その隣のエレイン。彼らの向かいには、昨日まで風見が争っていた女帝グローリア。それに加えて、司会進行兼警備として場を見回すライラに、ゲストとしてレギオニスだ。
場には距離を置いて向かい合うように机が置かれており、ユーリスとエレイン、グローリアが対面して座っている。そして風見がグローリアの半歩後ろに、ライラとレギオニスは両者を見通せる中間に立っていた。
余談だが、グローリアは酷く不満そうに風見を睨んでいる。この場は議題以外の何物も絡まないようにと、護身用の武器も護衛も禁止――なのだが、それに関するお咎めに違いない。
非常に申し訳ないことに、風見としても違反の自覚があった。その原因は、ナトである。
ナトは風見の左の手のひらに埋め込まれた魔獣の核に宿っているのだ。今は姿がないが、何かがあれば即座に体を形成する。言わばSPと同じで、主人の保護が第一。少しでも懸念があるのなら、主人から離れることを是としないのだ。
風見は気まずい顔で、グローリアに手を合わせた。
「まあ、大目に見よう。お前は中立に変わりないしねえ」
着席するグローリアに、裏手でべしりと叩かれたが、それだけで済んだ。
この程度で許してくれるのは、勢力関係が影響している。エレインは南の帝国の姫で、立場としては完全にユーリス側だ。グローリアとしても自分の仲間が欲しいのである。
一同がそれぞれの位置についたことで、会談の準備が整ったと見たらしい。ライラが口を開く。
「それでは、リイル・リスト・ヴェンツァ枢機卿の名代として、ライラ・リスト・クローウェルがこの場を取り仕切ります。各々方、これは大陸の安寧を懸けた会談であることをお忘れなきよう」
ライラが釘を刺したものの、皆がそれに素直に従うわけがない。
グローリアは高圧的に、ユーリスは人受けのいい顔で視線を交わしている。これは静かな殺意を投げ合っているのだ。放置したらロクなことにならないと予想し、風見は真っ先に手を挙げた。
ライラはそれを認め、「どうぞ」と発言権を与えてくれる。
「悪いんだけど、俺は北と西の国境で小競り合いがあって、西側が勝ったって話しか知らないんだ。まずは近況がどうなっているのか教えてほしい」
風見はそう言って、エレインとレギオニスに目を向けた。
彼女は、西国が北国に仕掛けた戦争を、アカネらと共に止めることを目標にしている。ブルードラゴンに会いに行ったのも、その活動の後押しを得るためだったはずだ。
ユーリスもグローリアも風見の意見に異論がないらしく、頷いてくれる。
すると、エレインは難しい顔で語りはじめた。
「あまりいい状況ではないわ。西国は元々、豊かじゃなかった。この大陸の四国でも最弱。部族ごとの集まりがあるだけで、国としての体裁を保つのもギリギリだった。でもそれは知っての通り、異世界の兵器がもたらされたことによって変わったのよ」
その説明に対し、ユーリスはよく知った顔で頷く。
「そうだね。あの国は弱かったし、貧しかった。村単位で生きていて、魔物に対抗しきれていなかった。それが一年ほど前、女子供でも簡単に扱える兵器を作り出し、魔物を撃退しはじめたから大変だ。魔物によって口減らしされていたから食料を確保できていたのに、生存率が上がって食料難に陥った。だから、自国民を抱えるために周辺国を襲い出す。――そもそも、カザミを召喚したのは、この情勢への対抗手段だったからね」
当然の知識だという風のユーリスに対し、風見は目を点にした。
「えっ。俺は聞き覚えがないんだけど……」
西国の情勢が不安定という程度のことは聞いたことがあるものの、これほど詳しい話は初耳だ。
驚く風見をちらりと見ると、エレインは咳払いをしてから、その先について口にした。
「とまあ、そんな状況なの。西国は兵器の力で国をまとめ上げた。そして、他国の侵略を始めたわ。その邪魔になる魔獣を殺し、兵力を再度整えてから、北国と交戦した。これが二週間ほど前の話になるわね」
そこまで語ったエレインはレギオニスに目を向ける。
彼はまさにその戦闘を指揮していた人物らしい。確かに彼以上の語り手はいないだろう。
敗戦の将が自らの敗因を他国の重鎮の前で語らされるなんて、屈辱以外の何物でもない。しかし、レギオニスは言い淀むこともなく、口を開いた。
「先を語らせていただこう。国境での戦いでは、西国が殺した魔獣の力によって蹂躙された。貴殿らなら知っていると思うが、霊核武装の力だ。彼らが殺した魔獣は、鬼とドラゴンの二種になる」
そういえば西国が魔獣を倒した話は耳にした覚えがある。魔獣が死んだ際に残す力の塊――霊核武装をよく知っている風見としては、北国が蹂躙されたという話も頷けた。
「具体的にはどんな敵だったんだ?」
「霊核武装の力も形も定かではない。わかるのは、我らを蹂躙したのは、鬼とドラゴンの骸が交ざり合った何かというだけだ」
「交ざり合ったってどういうことだ?」
「そのままの意味だ。この鬼とは、西国でアスラと呼称されていた三面六臂の魔獣。四肢が断たれようと切断面を合わせて再生する。その上、元々通常の生物よりよほど優れた肉体を持ち、陽属性の律法で身体強化する化け物だったと聞く。同じく討伐されたドラゴンの亡骸を律法で下半身に融合させて戦場に出し、兵を蹂躙したのだ。これが西国の戦力であることは間違いないだろう」
鷲の上半身に獅子の下半身を持つグリフォンや、人面に獅子の体、蠍の尾を持つマンティコアをはじめとした、合成獣のような魔物の存在は聞いたことがある。
だが、後天的に合体して合成獣となる話は初耳だ。陽属性とは本来、生体機能の強化しかできない。その原則から外れるレギオニスの言葉が、風見には信じられなかった。
レギオニス本人もこれについては分析できていないのだろう。難しい顔をしている。
「癒しの律法では、死体や他人の体を繋げられないという話は、私も学者から聞いている。それを踏まえるならば、現れたのは亡骸というより、生きた霊核武装そのものと捉えるべきかもしれない」
「――! なるほど。そういう解釈ならあり得るかもしれないな」
霊核武装といえば、風見自身が持つ物と同じ、形ある武器を想像していた。
しかし、それだけではないのかもしれない。そもそも付加武装の素材でもグリフォンなら風切り羽だったり、ゴーレムは核だったり、火鼠は体に散在する器官だったりした。それを思えば、魔獣が残す霊核武装もまた、様々な形があってしかるべきだろう。
それが判明しただけでも十分だ。風見がレギオニスに視線を戻すと、話が再開される。
「国境を陥落させた西国は、そのまま進軍してきた。そして二度目の失態があった。我が軍は正面切って戦うそのアスラが、西国の主戦力と思い込んでいた。だが、アスラはあくまで陽動だったのだ。それに注意を向けている間に、国の各地に存在する要所が奇襲された」
北国はこの大陸で最も国力があると聞いていた。それなのに、たった二週間でいずれ国が呑まれるという状況となったのだ。剣や弓、馬が戦場の主役であるこの世界では、あり得ない速度だっただろう。
本来、こんな奇襲は為しえない。なにせこの世界において注目すべき戦力は、有力な律法士だけだからだ。敵の律法士の動向はもちろん常に把握しており、それをもとに戦力分配する。
雑兵による奇襲に対応できる戦力は残すが、過剰戦力は残さない。そんなセオリーに従った結果、律法士にも勝る兵器で武装した部隊に、抵抗する間もなく制圧された――そんな流れだ。
ユーリスとグローリアの表情はどこか険しくなっている。
魔獣まで殺した国とはいえ、こうまで侵攻が速いとは予想していなかったらしい。
そして、レギオニスはこの争いの結末を語りはじめた。
「侵攻はまだ王都に及んでいない。しかし勝敗は決したも同然だ。敗戦の将たる私はその責を負い、戦場で散るものと考えていた。だが、そこで王と父にある使命を託されたのだ」
彼にとってはこの先の話こそ重要なのだろう。一層表情を引き締めると、その場に片膝をつき、深く頭を垂れる。
「此度の危機を救ってほしいなどと現実から乖離した請願ではない。ただ、一つ提案がある」
グローリアとユーリスは、慈善活動としての加勢なんて考える素振りもない。しかしながら提案という言葉が出ると、多少なりとも興味を抱いたようである。
「いずれ彼の国は南と東にも手を伸ばすだろう。それを未然に防ぐためにも、この機を見過ごさないでいただきたい。西国は現在、我が国の王都侵略に力を注いでいる。奴らの戦線が伸び、戦力が分散しているうちに南と東の両国で西国本土を攻めることこそ、最善策であると認識してもらいたい。いかがだろうか?」
その問いかけは価値があるものなのだろう。悪いものなら即座に断じるグローリアが、考えこんでいる。ユーリスも頷いて肯定的な意見を示しはじめた。
「北国としては現国王が死したとしても、親類縁者が継承するので問題はない。そして滅び切る前に南と東の両国に攻め込んでもらえれば戦況が好転する見込みがある。こちらとしても、脅威である西国を協力して黙らせられるかもしれない。なるほど、ここにいる三国の利害関係は一致していると示したいわけだね」
ユーリスの見立てでもそう悪くない話なのだろう。反論はない。
国同士が諍い合うこともなく、一致団結して敵に向き合う。そんな気配を感じた風見は、少しばかり胸を撫で下ろす。だがその時、不意に視界の端で嫌なものを捉えた。
グローリアが悪女のごとく口元を歪めている。その様を見た瞬間、風見の胃はキリリと痛んだ。
「提案は結構。ただし、話はそれで終わらないだろう? 戦線が伸びれば脇が甘くなるのは、西の首魁だって百も承知。その対策として、攻め落とした数々の都市で北国の領民を人質とし、兵や農夫を寝返らせて即席の兵を作っている。その始末の悪さを無視しちゃいけないね」
こんな面倒な輩を相手にするのだから、何か報酬を寄越せ。そんな風にレギオニスを脅すかと思いきや、グローリアが目をやる先は彼ではない。驚くべきことにユーリスを見ている。
「西国の奴らは北国の女子供を人質にして、半強制的に男たちを兵にしている。さらに陰属性の律法で隷属化して従わせたりもしていると、密偵から報告があった。本来なら農夫も女子供も弓兵にするのが精々だが、そこは例の兵器様々。それで武装させれば、いっぱしの律法士並みに活用できる。そこが恐ろしいのさ。放っておけば北国の民は皆、西国に寝返ってしまう。――それだけじゃない。西国はすでにその手法で北国側から南国を攻めはじめている。南国はそれに備えることで手一杯だから、西に攻め入る余裕はないんじゃないのかい?」
グローリアは肩を揺らしてくっくと笑う。
ほれ、そこがお前の弱みだろう。けれども自分の国はそこまで困っていないんだよ。
そんな風に、自国は南国より強い立場に立っていると言いたいのだろう。
「皇太子。あんたは私の国に、ご助力願いますと頭を下げる状況じゃないのかい?」
彼女は先日、会談が破綻しないように舵を取れと風見に言ったが、早速これだ。風見は頭痛を覚えずにはいられない。
風見はため息を堪えながらユーリスを見る。彼はまだ穏やかな表情のままだ。しかし、心の中ではグローリアを困らせるための算段を立てているに決まっている。
(それにしても、まさかエレインが事前に言っていた通りになるとは……)
風見は一人、驚きを胸に抱いていた。
先ほど、エレインは数分間で北と西の状況を伝えると共に、会議の見通しを伝えてくれていた。その予測は、まさにこの状況の通りだったのである。
次の展開として、ユーリスはグローリアに対して下手に出る必要はないと説明しはじめるらしい。
例えば西国に寝返った北国の兵に、東国から滅ぼさないかと交渉を持ちかける。そんな話もあり得るがいいのかとグローリアを脅して、妥協点を探しはじめて泥沼化。最悪、そうなるそうだ。
エレインの予測は半信半疑だったが、現状を見る限り、当たらずとも遠からずなのかもしれない。帝王学等を修めていれば、こんな未来予測にも似た見通しがつくのだろうか。
共闘すればいいのに、これでは足の引っ張り合いに終わる。あくまで〝対等に〟西への共同戦線を張る必要があるのだ。
そのために風見がどうすればいいかも、エレインは伝えてくれていた。
ひっそりと彼女に目を向け、視線で頃合いを確認する。そして、風見は手を挙げた。
「ややこしいことはやめよう。要するに南国の弱みに東国はつけ込みたいんだよな。だったらその弱みさえなければ、対等な立場で話を進められるな?」
これから、国同士の狡猾なやり取りが始まろうという時に、割って入る風見。
するとユーリスが、珍しく目を丸くしてこちらを見つめてきた。
「驚いた。シンゴ、君はさっきまで大陸の情勢も知らなかったのに、そんなことを言い出すんだね」
「まったくだ。誰かに入れ知恵でもされたのかい?」
ユーリスに続いてグローリアまで、風見を軽くけなしてくる。喧嘩腰のやり取りをしていたくせに、こんな時だけ息を合わせる二人はなんなのだろうか。
風見はこめかみをぴくぴくとさせつつも、敢えてこの声を聞き流した。
「そもそもの話、西国が北国の民にやらせている侵攻を俺がなんとかすれば、南国の弱みもなくなる。そうしたら、ユーリスとグローリアは対等に西への対策を練り合えるな?」
二人に視線で確認してみると、はっきりと頷きが返ってくる。
しかしこれもまた意外そうな顔だ。真っ当な答えをさっさと導き出したこともあるが、何よりもこの提案が、風見の得意な医療や農業と明らかにかけ離れた内容だということもあるからだろうか。
ユーリスはふむと頷いてから問いかけてくる。
「それは願ってもないことだけれど、具体的にはどうするつもりだい?」
質問の形をとっているが、ユーリスには疑問を抱いている素振りがない。むしろ期待した答えを確認しようとしているようだ。
確かにそうなのだろう。彼は『西国に対抗できるマレビト』の召喚を要請したと言った。つまり風見のスペックは西国への対抗策として、とっくに合格しているはずなのである。
とはいえ、風見はずっと戦争のような荒事を敬遠してきた。必要に迫られて援護したことはあっても、自ら望んだことはない。避けていたはずの思惑に乗るようで、風見としても悩ましいところだ。せめて、完全な宗旨替えではないことをはっきりと示すために、丁寧に言葉を選ぶ。
「ダニや生水による感染症に、有毒植物。そういう知識で敵軍の侵攻を遅延させることならできる。人質を解放したっていいんだろ? 国が荒れたら俺も困る。そういう範囲なら協力するさ」
根拠のないことではない。火鼠の撃退や東国との争いでの妨害など、それらしいことをしてきている。その成果を確認しているユーリスにしても、身をもって体感したグローリアにしても、風見の言葉を荒唐無稽とは思っていないようだ。
――そして、こんな反応までエレインの予測通りなのである。
風見としては、まるで未来を見通しているかのような彼女の予測に驚き、胸が騒いだ。とはいえ困ることではない。ここまでくれば後はお偉いさんに任せても変にこじれないはずだ。
エレインに目をやる。やはり伊達に皇族ではない。ユーリスに勝るとも劣らない才女なのだろう。
「それはそうと、そうやって協力するなら俺はどこに行けばいいんだ?」
「国境は大方、魔獣の住処や急峻な地形で線引きがされているんだ。だから攻め入れられるポイントは少ない。平地や街が多くて一番警戒をしなければいけないのは、ハドリア教総本山付近だろうね」
ユーリスの言葉に、エレインも頷く。
「そこにはカインとシギン、それからアカネもいるわ。戦争を止めるために、西国の配下に置かれた北国軍の侵攻を押し止めているの。カインたちに加勢してあげて」
「わかった」
さてこれで会談も終わり――そう思ったところで、エレインが手を挙げて発言を求めてきた。
「それとね、ユーリスお兄様。私からもう一つ話があるのだけれどいいかしら?」
「ふむ、君からも? どういう話かな」
思案顔で顎を揉んでいたユーリスは、何気なくエレインを見つめる。
これだけ先読みをして会談を丸く収めた彼女だ。きっと重要な話があるに違いない。風見はそう思い、彼女を見つめる。だがしかし――
「私、カインと結婚したわ!」
「うん。…………うん?」
ユーリスは珍しく理解が追いつかない顔をし、グローリアは眉根を寄せて「は?」と声を漏らす。
この唐突すぎる結婚話はユーリスも知らぬところだったらしい。
皇族の結婚はそんなに軽々しく、事後報告で為せるものなのだろうか。
この世界の結婚の制度に詳しくない風見としては疑問しか浮かばない。話についていけないあまり、つい口を挟んでしまう。
「皇族の結婚って、そんな気軽にできることなのか……?」
広く一般に認められた流れでないことは場の空気からもわかるものの、風見は一応ユーリスに確認する。
無論、返答は否定だ。ユーリスは本当に悩ましそうに眉間を揉みながら答える。
「ないとは言わない。身分違いの男女が駆け落ちする際、ハドリア教に出家する体でこういう既成事実を作ることはある。けれど僕らは身分が身分だ。皇帝や貴族の意向を伺わないと、余計な摩擦を生みかねない。父上への侮辱罪に、国家騒乱罪まで問われてもおかしくないことだよ」
「わかっているわ。でも、私がいち早くラヴァン領の次期領主の妻になる利の方が、勝っているの。それに突然ではあったけれど、相手としては適当でしょう? 時と場合さえ揃っていれば、誰に咎められることでもないわよね」
ユーリスの声に、エレインはけろっとして答える。
時と場合。その二点に絞った物言いに、場の空気はより一層引き締まった。
「君は何をするかわからないからね。騎士団長まで務めた辺境伯の子息が相手というだけなら、問題はないとは思う。それ以外についても期待していいということだね?」
ユーリスの問いに対し、エレインは臆面もない様子で続ける。
「ええ、もちろん。この決断はこれからの南と東の両国に関わるわ」
何をするかわからないおてんば姫。そんな彼女の打って変わった様子に、一同は自然と視線を奪われた。
「あくまで対等に手を組むなら、まだ解消すべき議題があるでしょう? そう、東国が私のお義父様であるドニさんを殺害したこと」
エレインの視線はグローリアと、その傍らにいる風見へ向けられる。
話がまとまりそうだったところに新たな火種だ。風見とグローリアに緊張が走る。
「これ、なかったことにしましょう。そうすれば上手くいくもの」
しかし、手の中にあるものを手品で消すように、エレインはパンと手を叩いて合わせた。
「な、なかったことって、えぇ……」
その意外な言葉に、風見は思わず間の抜けた声を出す。
グローリアやユーリスはそんな馬鹿な真似はしない。エレインの言葉の裏にどんな思惑が隠れているのかを、探るような表情だ。
「ほら、やっぱり今の状態ってよくないじゃない。お義父様は不意打ちで亡くなった不名誉な記録が残る。カザミの仲間は手を下した責を問われてしまう。それに、我が国としても、有力貴族を殺害した相手と、賠償もなしに付き合うなんて無理よね。我が国にばかり不利益がある中で頭を下げろと言われて、お兄様はこれからどういびり返す予定だったのかしら?」
それを聞いたユーリスはふっと笑う。
「人聞きが悪いね。幾度も争いはあったけれど、国境を守り切っていた有能な辺境伯が亡くなったんだ。彼の実績相当の派兵を負担してもらいたいとは思っていたかな。僕が求めるとしたら、そのくらいのことだったよ?」
「私がもしその要求に応じたら、うちの兵を西国の様子を見るための捨て駒に使うって魂胆だろう? 冗談じゃないね」
ユーリスは東国に報復をかねた代償を要求するつもりだったらしい。それを見透かすグローリアの目もきつくなり、空気はぎすぎすしはじめた。
エレインはその空気を塗り替えるように、ことさら明るい声を出す。
「だからこそなのよ。事実のまま進めようとすると、不和しか残らない。でも、もしお義父様の死が両国の間を取り持とうとした際の不慮の事故だったとしたら、話は変わる。問題があるとしても、こんな提案をした私が、カインに対してやましい気持ちを抱えることになるだけね」
エレインの話す理屈はわかる。しかし、末姫で向けられる期待が小さい彼女が、何故ここまで身を砕こうとするのかが理解できない。風見は思わず問いかけた。
「それは確かに都合がいいけど、なんでエレインがそこまでするんだ?」
「それが一番国民のためになるからよ。私がカインに対して頭を下げて頼み込めば、他は上手くいく。この流れが滞れば何千、何万人の国民に影響するのよ? 責を負うのは私一人で結構。だって、それしかできないもの」
胸を張ったエレインは、ユーリスを見つめる。
「その口実作りのためにも、私はハドリア教総本山でカインと婚姻を結んできたわ。というわけでお兄様。私はここで、次期領主であるカインの代理として事務作業をします。それに関して至らぬところにはご助力願えないかしら?」
毅然とした彼女に文句を言う者はいなかった。
周囲を混乱に陥れたエレインは一人だけ自由だ。さくさくと歩き、リズの手を取る。
「突然届いたお義父さんの訃報を確かめるために私だけが来たの。あなたの事情は察しているわ。大変だったのね。それでも、誠意をもって事の顛末を伝えようとしてくれたのでしょう? でも、ごめんなさい。そういう真実だけで綺麗に和解できる状況ではないのよ」
エレインはリズを見つめた後、風見に視線を戻す。
「この国において貴族や王族は絶対の権力者。その権威を守るためにも、殺害に関わった人間は死罪になるものよ。たとえ、抗えない命令で操られていたとしてもね」
エレインが口にする冷たい宣告に、風見は息を呑む。
事が事だ。お咎めなしとはいかないのは理解できる。しかし、はいそうですかと受け入れられる内容ではないのだ。風見はそれとは別の折り合いのつけ方を思案する。
もっとも、それはいらぬ心配だった。エレインは「――というのは建て前の話ね」と、今までの緊張を自ら崩してくる。
「驚かせてごめんなさい。もちろん、私もそんなのは望まないわ。だって、規律通りでは誰も得をしない。だからいい方向に事を運びたいの。カザミ、あなたの大切な仲間を守れるように便宜を図るわ。その代わり、私はこの弱みにつけ込んで一つ要求したいことがあるの。許してくれる?」
忘れていた。エレインは一般的な権力者の弁を語るだけの人間ではない。
目の前に悩ましい問題があったとしても、それを思い切り蹴飛ばし、本当に望ましい結果を直接取りに行く。そういう女性だ。
「いい申し出には聞こえる。ただ、内容によるな」
エレインは先ほどまでの引き締めた顔ではなく、友人にでも接するような表情で口を開く。
「カインをね、助けてあげてほしい。それがひいては北国を救うことにもなる。だからレギオニスもこの場に足を運んでいるの」
エレインの呼びかけにレギオニスが頷いた。そして風見の手を両手で力強く握り、見据えてくる。
「今代のマレビトは、一国の軍をも凌ぐ強者だと耳にしている。願わくは、その力を借りたい!」
レギオニスに握られている手が痛い。しかし具体的な話を聞いていない風見は困惑した。
「い、いや、待ってくれ。期待をされても、無理な要望には応えられないからな?」
勢いのみで面倒事を押しつけられるなんて、最も望まないところだ。
そう思って一言断ると、エレインは首を振って返してきた。
「私はあなたにならそれができると思っている。でもそれは、あなたの主義に反することまでさせてしまうことになりそう。だから謝るわ。私は、私が大切にしているもののために、あなたの弱みにつけ込むの。悪い女よね」
彼女は眉を寄せて語る。そこには申し訳なさを感じるが、迷いはなかった。
こんなに割り切った判断は風見にはまだまだできないことだ。彼女の覚悟と考えを前にして、素直に感心する。
「悪い女か……どうなんだろうな。俺にはまだよくわからない。時と場合によっては、そうやってなりふり構わずにできることをしなきゃ、守れないものもあるとは思う」
日本ではそういったことに全く馴染みがなかった。何かを捨てたり、傷つけたりすることもない。誰しもにとっての善事をし続けることが美徳だった世界の生まれだからこそ、こんな時の判断は迷ってしまう。
と、その時、今まで大人しく聞いていたライラが間に割り込んできた。
「お話し中のところ申し訳ありません。お時間が迫っております。皇太子様たちをこれ以上お待たせするのは、いかがなものかと」
確かにいくら重要な話でも、国の要人を差し置いてするものではない。風見とエレインは、揃ってライラに頭を下げる。
では改めてと会場に先導し直すライラに続きながら、風見はエレイン、レギオニスに並んだ。
すると彼女は真面目な様子で目配せをしてくる。
「本当は今の状況を詳しく話しておきたかったのだけれど、こうなったら手短に話すわ。先が見えていた方が話は見えやすいでしょうし。何よりね、あなたたちの便宜のために、会談で話してほしいことがあるの」
エレインはそう言うと、カインに何故助けが必要なのかを掻い摘んで説明しはじめるのだった。
すぐに向かうとは言っても、東国の女帝とこの国の皇太子が相手なのだ。会談は、最低限の身だしなみを整えてからである。
その会談に席を用意されたのは、風見を除くとたったの五名だ。
ここアウストラ帝国の皇太子にして宰相であるユーリスと、その隣のエレイン。彼らの向かいには、昨日まで風見が争っていた女帝グローリア。それに加えて、司会進行兼警備として場を見回すライラに、ゲストとしてレギオニスだ。
場には距離を置いて向かい合うように机が置かれており、ユーリスとエレイン、グローリアが対面して座っている。そして風見がグローリアの半歩後ろに、ライラとレギオニスは両者を見通せる中間に立っていた。
余談だが、グローリアは酷く不満そうに風見を睨んでいる。この場は議題以外の何物も絡まないようにと、護身用の武器も護衛も禁止――なのだが、それに関するお咎めに違いない。
非常に申し訳ないことに、風見としても違反の自覚があった。その原因は、ナトである。
ナトは風見の左の手のひらに埋め込まれた魔獣の核に宿っているのだ。今は姿がないが、何かがあれば即座に体を形成する。言わばSPと同じで、主人の保護が第一。少しでも懸念があるのなら、主人から離れることを是としないのだ。
風見は気まずい顔で、グローリアに手を合わせた。
「まあ、大目に見よう。お前は中立に変わりないしねえ」
着席するグローリアに、裏手でべしりと叩かれたが、それだけで済んだ。
この程度で許してくれるのは、勢力関係が影響している。エレインは南の帝国の姫で、立場としては完全にユーリス側だ。グローリアとしても自分の仲間が欲しいのである。
一同がそれぞれの位置についたことで、会談の準備が整ったと見たらしい。ライラが口を開く。
「それでは、リイル・リスト・ヴェンツァ枢機卿の名代として、ライラ・リスト・クローウェルがこの場を取り仕切ります。各々方、これは大陸の安寧を懸けた会談であることをお忘れなきよう」
ライラが釘を刺したものの、皆がそれに素直に従うわけがない。
グローリアは高圧的に、ユーリスは人受けのいい顔で視線を交わしている。これは静かな殺意を投げ合っているのだ。放置したらロクなことにならないと予想し、風見は真っ先に手を挙げた。
ライラはそれを認め、「どうぞ」と発言権を与えてくれる。
「悪いんだけど、俺は北と西の国境で小競り合いがあって、西側が勝ったって話しか知らないんだ。まずは近況がどうなっているのか教えてほしい」
風見はそう言って、エレインとレギオニスに目を向けた。
彼女は、西国が北国に仕掛けた戦争を、アカネらと共に止めることを目標にしている。ブルードラゴンに会いに行ったのも、その活動の後押しを得るためだったはずだ。
ユーリスもグローリアも風見の意見に異論がないらしく、頷いてくれる。
すると、エレインは難しい顔で語りはじめた。
「あまりいい状況ではないわ。西国は元々、豊かじゃなかった。この大陸の四国でも最弱。部族ごとの集まりがあるだけで、国としての体裁を保つのもギリギリだった。でもそれは知っての通り、異世界の兵器がもたらされたことによって変わったのよ」
その説明に対し、ユーリスはよく知った顔で頷く。
「そうだね。あの国は弱かったし、貧しかった。村単位で生きていて、魔物に対抗しきれていなかった。それが一年ほど前、女子供でも簡単に扱える兵器を作り出し、魔物を撃退しはじめたから大変だ。魔物によって口減らしされていたから食料を確保できていたのに、生存率が上がって食料難に陥った。だから、自国民を抱えるために周辺国を襲い出す。――そもそも、カザミを召喚したのは、この情勢への対抗手段だったからね」
当然の知識だという風のユーリスに対し、風見は目を点にした。
「えっ。俺は聞き覚えがないんだけど……」
西国の情勢が不安定という程度のことは聞いたことがあるものの、これほど詳しい話は初耳だ。
驚く風見をちらりと見ると、エレインは咳払いをしてから、その先について口にした。
「とまあ、そんな状況なの。西国は兵器の力で国をまとめ上げた。そして、他国の侵略を始めたわ。その邪魔になる魔獣を殺し、兵力を再度整えてから、北国と交戦した。これが二週間ほど前の話になるわね」
そこまで語ったエレインはレギオニスに目を向ける。
彼はまさにその戦闘を指揮していた人物らしい。確かに彼以上の語り手はいないだろう。
敗戦の将が自らの敗因を他国の重鎮の前で語らされるなんて、屈辱以外の何物でもない。しかし、レギオニスは言い淀むこともなく、口を開いた。
「先を語らせていただこう。国境での戦いでは、西国が殺した魔獣の力によって蹂躙された。貴殿らなら知っていると思うが、霊核武装の力だ。彼らが殺した魔獣は、鬼とドラゴンの二種になる」
そういえば西国が魔獣を倒した話は耳にした覚えがある。魔獣が死んだ際に残す力の塊――霊核武装をよく知っている風見としては、北国が蹂躙されたという話も頷けた。
「具体的にはどんな敵だったんだ?」
「霊核武装の力も形も定かではない。わかるのは、我らを蹂躙したのは、鬼とドラゴンの骸が交ざり合った何かというだけだ」
「交ざり合ったってどういうことだ?」
「そのままの意味だ。この鬼とは、西国でアスラと呼称されていた三面六臂の魔獣。四肢が断たれようと切断面を合わせて再生する。その上、元々通常の生物よりよほど優れた肉体を持ち、陽属性の律法で身体強化する化け物だったと聞く。同じく討伐されたドラゴンの亡骸を律法で下半身に融合させて戦場に出し、兵を蹂躙したのだ。これが西国の戦力であることは間違いないだろう」
鷲の上半身に獅子の下半身を持つグリフォンや、人面に獅子の体、蠍の尾を持つマンティコアをはじめとした、合成獣のような魔物の存在は聞いたことがある。
だが、後天的に合体して合成獣となる話は初耳だ。陽属性とは本来、生体機能の強化しかできない。その原則から外れるレギオニスの言葉が、風見には信じられなかった。
レギオニス本人もこれについては分析できていないのだろう。難しい顔をしている。
「癒しの律法では、死体や他人の体を繋げられないという話は、私も学者から聞いている。それを踏まえるならば、現れたのは亡骸というより、生きた霊核武装そのものと捉えるべきかもしれない」
「――! なるほど。そういう解釈ならあり得るかもしれないな」
霊核武装といえば、風見自身が持つ物と同じ、形ある武器を想像していた。
しかし、それだけではないのかもしれない。そもそも付加武装の素材でもグリフォンなら風切り羽だったり、ゴーレムは核だったり、火鼠は体に散在する器官だったりした。それを思えば、魔獣が残す霊核武装もまた、様々な形があってしかるべきだろう。
それが判明しただけでも十分だ。風見がレギオニスに視線を戻すと、話が再開される。
「国境を陥落させた西国は、そのまま進軍してきた。そして二度目の失態があった。我が軍は正面切って戦うそのアスラが、西国の主戦力と思い込んでいた。だが、アスラはあくまで陽動だったのだ。それに注意を向けている間に、国の各地に存在する要所が奇襲された」
北国はこの大陸で最も国力があると聞いていた。それなのに、たった二週間でいずれ国が呑まれるという状況となったのだ。剣や弓、馬が戦場の主役であるこの世界では、あり得ない速度だっただろう。
本来、こんな奇襲は為しえない。なにせこの世界において注目すべき戦力は、有力な律法士だけだからだ。敵の律法士の動向はもちろん常に把握しており、それをもとに戦力分配する。
雑兵による奇襲に対応できる戦力は残すが、過剰戦力は残さない。そんなセオリーに従った結果、律法士にも勝る兵器で武装した部隊に、抵抗する間もなく制圧された――そんな流れだ。
ユーリスとグローリアの表情はどこか険しくなっている。
魔獣まで殺した国とはいえ、こうまで侵攻が速いとは予想していなかったらしい。
そして、レギオニスはこの争いの結末を語りはじめた。
「侵攻はまだ王都に及んでいない。しかし勝敗は決したも同然だ。敗戦の将たる私はその責を負い、戦場で散るものと考えていた。だが、そこで王と父にある使命を託されたのだ」
彼にとってはこの先の話こそ重要なのだろう。一層表情を引き締めると、その場に片膝をつき、深く頭を垂れる。
「此度の危機を救ってほしいなどと現実から乖離した請願ではない。ただ、一つ提案がある」
グローリアとユーリスは、慈善活動としての加勢なんて考える素振りもない。しかしながら提案という言葉が出ると、多少なりとも興味を抱いたようである。
「いずれ彼の国は南と東にも手を伸ばすだろう。それを未然に防ぐためにも、この機を見過ごさないでいただきたい。西国は現在、我が国の王都侵略に力を注いでいる。奴らの戦線が伸び、戦力が分散しているうちに南と東の両国で西国本土を攻めることこそ、最善策であると認識してもらいたい。いかがだろうか?」
その問いかけは価値があるものなのだろう。悪いものなら即座に断じるグローリアが、考えこんでいる。ユーリスも頷いて肯定的な意見を示しはじめた。
「北国としては現国王が死したとしても、親類縁者が継承するので問題はない。そして滅び切る前に南と東の両国に攻め込んでもらえれば戦況が好転する見込みがある。こちらとしても、脅威である西国を協力して黙らせられるかもしれない。なるほど、ここにいる三国の利害関係は一致していると示したいわけだね」
ユーリスの見立てでもそう悪くない話なのだろう。反論はない。
国同士が諍い合うこともなく、一致団結して敵に向き合う。そんな気配を感じた風見は、少しばかり胸を撫で下ろす。だがその時、不意に視界の端で嫌なものを捉えた。
グローリアが悪女のごとく口元を歪めている。その様を見た瞬間、風見の胃はキリリと痛んだ。
「提案は結構。ただし、話はそれで終わらないだろう? 戦線が伸びれば脇が甘くなるのは、西の首魁だって百も承知。その対策として、攻め落とした数々の都市で北国の領民を人質とし、兵や農夫を寝返らせて即席の兵を作っている。その始末の悪さを無視しちゃいけないね」
こんな面倒な輩を相手にするのだから、何か報酬を寄越せ。そんな風にレギオニスを脅すかと思いきや、グローリアが目をやる先は彼ではない。驚くべきことにユーリスを見ている。
「西国の奴らは北国の女子供を人質にして、半強制的に男たちを兵にしている。さらに陰属性の律法で隷属化して従わせたりもしていると、密偵から報告があった。本来なら農夫も女子供も弓兵にするのが精々だが、そこは例の兵器様々。それで武装させれば、いっぱしの律法士並みに活用できる。そこが恐ろしいのさ。放っておけば北国の民は皆、西国に寝返ってしまう。――それだけじゃない。西国はすでにその手法で北国側から南国を攻めはじめている。南国はそれに備えることで手一杯だから、西に攻め入る余裕はないんじゃないのかい?」
グローリアは肩を揺らしてくっくと笑う。
ほれ、そこがお前の弱みだろう。けれども自分の国はそこまで困っていないんだよ。
そんな風に、自国は南国より強い立場に立っていると言いたいのだろう。
「皇太子。あんたは私の国に、ご助力願いますと頭を下げる状況じゃないのかい?」
彼女は先日、会談が破綻しないように舵を取れと風見に言ったが、早速これだ。風見は頭痛を覚えずにはいられない。
風見はため息を堪えながらユーリスを見る。彼はまだ穏やかな表情のままだ。しかし、心の中ではグローリアを困らせるための算段を立てているに決まっている。
(それにしても、まさかエレインが事前に言っていた通りになるとは……)
風見は一人、驚きを胸に抱いていた。
先ほど、エレインは数分間で北と西の状況を伝えると共に、会議の見通しを伝えてくれていた。その予測は、まさにこの状況の通りだったのである。
次の展開として、ユーリスはグローリアに対して下手に出る必要はないと説明しはじめるらしい。
例えば西国に寝返った北国の兵に、東国から滅ぼさないかと交渉を持ちかける。そんな話もあり得るがいいのかとグローリアを脅して、妥協点を探しはじめて泥沼化。最悪、そうなるそうだ。
エレインの予測は半信半疑だったが、現状を見る限り、当たらずとも遠からずなのかもしれない。帝王学等を修めていれば、こんな未来予測にも似た見通しがつくのだろうか。
共闘すればいいのに、これでは足の引っ張り合いに終わる。あくまで〝対等に〟西への共同戦線を張る必要があるのだ。
そのために風見がどうすればいいかも、エレインは伝えてくれていた。
ひっそりと彼女に目を向け、視線で頃合いを確認する。そして、風見は手を挙げた。
「ややこしいことはやめよう。要するに南国の弱みに東国はつけ込みたいんだよな。だったらその弱みさえなければ、対等な立場で話を進められるな?」
これから、国同士の狡猾なやり取りが始まろうという時に、割って入る風見。
するとユーリスが、珍しく目を丸くしてこちらを見つめてきた。
「驚いた。シンゴ、君はさっきまで大陸の情勢も知らなかったのに、そんなことを言い出すんだね」
「まったくだ。誰かに入れ知恵でもされたのかい?」
ユーリスに続いてグローリアまで、風見を軽くけなしてくる。喧嘩腰のやり取りをしていたくせに、こんな時だけ息を合わせる二人はなんなのだろうか。
風見はこめかみをぴくぴくとさせつつも、敢えてこの声を聞き流した。
「そもそもの話、西国が北国の民にやらせている侵攻を俺がなんとかすれば、南国の弱みもなくなる。そうしたら、ユーリスとグローリアは対等に西への対策を練り合えるな?」
二人に視線で確認してみると、はっきりと頷きが返ってくる。
しかしこれもまた意外そうな顔だ。真っ当な答えをさっさと導き出したこともあるが、何よりもこの提案が、風見の得意な医療や農業と明らかにかけ離れた内容だということもあるからだろうか。
ユーリスはふむと頷いてから問いかけてくる。
「それは願ってもないことだけれど、具体的にはどうするつもりだい?」
質問の形をとっているが、ユーリスには疑問を抱いている素振りがない。むしろ期待した答えを確認しようとしているようだ。
確かにそうなのだろう。彼は『西国に対抗できるマレビト』の召喚を要請したと言った。つまり風見のスペックは西国への対抗策として、とっくに合格しているはずなのである。
とはいえ、風見はずっと戦争のような荒事を敬遠してきた。必要に迫られて援護したことはあっても、自ら望んだことはない。避けていたはずの思惑に乗るようで、風見としても悩ましいところだ。せめて、完全な宗旨替えではないことをはっきりと示すために、丁寧に言葉を選ぶ。
「ダニや生水による感染症に、有毒植物。そういう知識で敵軍の侵攻を遅延させることならできる。人質を解放したっていいんだろ? 国が荒れたら俺も困る。そういう範囲なら協力するさ」
根拠のないことではない。火鼠の撃退や東国との争いでの妨害など、それらしいことをしてきている。その成果を確認しているユーリスにしても、身をもって体感したグローリアにしても、風見の言葉を荒唐無稽とは思っていないようだ。
――そして、こんな反応までエレインの予測通りなのである。
風見としては、まるで未来を見通しているかのような彼女の予測に驚き、胸が騒いだ。とはいえ困ることではない。ここまでくれば後はお偉いさんに任せても変にこじれないはずだ。
エレインに目をやる。やはり伊達に皇族ではない。ユーリスに勝るとも劣らない才女なのだろう。
「それはそうと、そうやって協力するなら俺はどこに行けばいいんだ?」
「国境は大方、魔獣の住処や急峻な地形で線引きがされているんだ。だから攻め入れられるポイントは少ない。平地や街が多くて一番警戒をしなければいけないのは、ハドリア教総本山付近だろうね」
ユーリスの言葉に、エレインも頷く。
「そこにはカインとシギン、それからアカネもいるわ。戦争を止めるために、西国の配下に置かれた北国軍の侵攻を押し止めているの。カインたちに加勢してあげて」
「わかった」
さてこれで会談も終わり――そう思ったところで、エレインが手を挙げて発言を求めてきた。
「それとね、ユーリスお兄様。私からもう一つ話があるのだけれどいいかしら?」
「ふむ、君からも? どういう話かな」
思案顔で顎を揉んでいたユーリスは、何気なくエレインを見つめる。
これだけ先読みをして会談を丸く収めた彼女だ。きっと重要な話があるに違いない。風見はそう思い、彼女を見つめる。だがしかし――
「私、カインと結婚したわ!」
「うん。…………うん?」
ユーリスは珍しく理解が追いつかない顔をし、グローリアは眉根を寄せて「は?」と声を漏らす。
この唐突すぎる結婚話はユーリスも知らぬところだったらしい。
皇族の結婚はそんなに軽々しく、事後報告で為せるものなのだろうか。
この世界の結婚の制度に詳しくない風見としては疑問しか浮かばない。話についていけないあまり、つい口を挟んでしまう。
「皇族の結婚って、そんな気軽にできることなのか……?」
広く一般に認められた流れでないことは場の空気からもわかるものの、風見は一応ユーリスに確認する。
無論、返答は否定だ。ユーリスは本当に悩ましそうに眉間を揉みながら答える。
「ないとは言わない。身分違いの男女が駆け落ちする際、ハドリア教に出家する体でこういう既成事実を作ることはある。けれど僕らは身分が身分だ。皇帝や貴族の意向を伺わないと、余計な摩擦を生みかねない。父上への侮辱罪に、国家騒乱罪まで問われてもおかしくないことだよ」
「わかっているわ。でも、私がいち早くラヴァン領の次期領主の妻になる利の方が、勝っているの。それに突然ではあったけれど、相手としては適当でしょう? 時と場合さえ揃っていれば、誰に咎められることでもないわよね」
ユーリスの声に、エレインはけろっとして答える。
時と場合。その二点に絞った物言いに、場の空気はより一層引き締まった。
「君は何をするかわからないからね。騎士団長まで務めた辺境伯の子息が相手というだけなら、問題はないとは思う。それ以外についても期待していいということだね?」
ユーリスの問いに対し、エレインは臆面もない様子で続ける。
「ええ、もちろん。この決断はこれからの南と東の両国に関わるわ」
何をするかわからないおてんば姫。そんな彼女の打って変わった様子に、一同は自然と視線を奪われた。
「あくまで対等に手を組むなら、まだ解消すべき議題があるでしょう? そう、東国が私のお義父様であるドニさんを殺害したこと」
エレインの視線はグローリアと、その傍らにいる風見へ向けられる。
話がまとまりそうだったところに新たな火種だ。風見とグローリアに緊張が走る。
「これ、なかったことにしましょう。そうすれば上手くいくもの」
しかし、手の中にあるものを手品で消すように、エレインはパンと手を叩いて合わせた。
「な、なかったことって、えぇ……」
その意外な言葉に、風見は思わず間の抜けた声を出す。
グローリアやユーリスはそんな馬鹿な真似はしない。エレインの言葉の裏にどんな思惑が隠れているのかを、探るような表情だ。
「ほら、やっぱり今の状態ってよくないじゃない。お義父様は不意打ちで亡くなった不名誉な記録が残る。カザミの仲間は手を下した責を問われてしまう。それに、我が国としても、有力貴族を殺害した相手と、賠償もなしに付き合うなんて無理よね。我が国にばかり不利益がある中で頭を下げろと言われて、お兄様はこれからどういびり返す予定だったのかしら?」
それを聞いたユーリスはふっと笑う。
「人聞きが悪いね。幾度も争いはあったけれど、国境を守り切っていた有能な辺境伯が亡くなったんだ。彼の実績相当の派兵を負担してもらいたいとは思っていたかな。僕が求めるとしたら、そのくらいのことだったよ?」
「私がもしその要求に応じたら、うちの兵を西国の様子を見るための捨て駒に使うって魂胆だろう? 冗談じゃないね」
ユーリスは東国に報復をかねた代償を要求するつもりだったらしい。それを見透かすグローリアの目もきつくなり、空気はぎすぎすしはじめた。
エレインはその空気を塗り替えるように、ことさら明るい声を出す。
「だからこそなのよ。事実のまま進めようとすると、不和しか残らない。でも、もしお義父様の死が両国の間を取り持とうとした際の不慮の事故だったとしたら、話は変わる。問題があるとしても、こんな提案をした私が、カインに対してやましい気持ちを抱えることになるだけね」
エレインの話す理屈はわかる。しかし、末姫で向けられる期待が小さい彼女が、何故ここまで身を砕こうとするのかが理解できない。風見は思わず問いかけた。
「それは確かに都合がいいけど、なんでエレインがそこまでするんだ?」
「それが一番国民のためになるからよ。私がカインに対して頭を下げて頼み込めば、他は上手くいく。この流れが滞れば何千、何万人の国民に影響するのよ? 責を負うのは私一人で結構。だって、それしかできないもの」
胸を張ったエレインは、ユーリスを見つめる。
「その口実作りのためにも、私はハドリア教総本山でカインと婚姻を結んできたわ。というわけでお兄様。私はここで、次期領主であるカインの代理として事務作業をします。それに関して至らぬところにはご助力願えないかしら?」
毅然とした彼女に文句を言う者はいなかった。
応援ありがとうございます!
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