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3巻
3-2
しおりを挟む1 【ブラインド・タッチ】
「早く帰りたいのだけれど」
背後から、職業「賢者」の少女ツララ・シラユキの白けた声が届く。
振り返ることなく、俺は答える。
「もうちょっと待って」
帰りたいのは俺も同じ。
しかし目の前のモンスターがそうさせてくれない。
こいつがいる限り、余所見すらできない。
俺――出家旅人が召喚された《ラフタ》は、モンスターが蔓延る世界。
無数の凶悪なモンスターがどこからともなく湧き出て、人を見つければ見境なく襲う。
それは歴史あるルーデン城の周囲でも例外ではない。
街を一歩出れば、蟻のモンスター〈アンティー・アント〉や蜂のような魔物〈ニル・ビー〉がすぐに寄ってくる。
所詮は蟻や蜂……などと侮るのは愚か者。
元の世界のそれとは大きさも攻撃性もまったくの別物。
油断して痛い目に遭ったルーキーの話は、ギルドで聞き耳を立てていればいくらでも入ってくる……と、コトワリ兄弟の兄ハジクが得意気に言っていた。
そんなわけだから、どんなモンスターでも侮ってはいけない。
隙を見せれば、即座に致命的な攻撃を繰り出してくるかもしれないのだ。
たとえ相手が、甲羅の中に閉じこもってまったく動かなくなったとしても、だ。
「いつまでそうしてるの?」
ツララが――おそらく呆れ顔で――尋ねる。
「こいつが顔を出すまで」
俺は油断なく怪物を睨みながら答えた。
〈ウォータートル〉レベル6。街の南にある《南の草原》に棲息する亀型モンスター。
出合い頭に完全武装する、凶悪な奴だ。
「もう五分はそうしてる気がするけど」
「仕方ないだろ。『スモール・ソード』でも貫けないんだから」
「……【遅刻】は?」
「効かない。甲羅に弾かれる」
剣はもとより、俺の切り札である破賢魔法の【遅刻】も効かない、恐るべき相手。
なのにツララは、無造作に亀へと近付き、杖でコンコンと甲羅を叩いた。
……おい、油断するなよ。
「放っておいて行きましょうよ」
「割と高く売れるんだよ、こいつ」
「……ふうん。なら私が焼くわ」
面倒くさそうに杖を振るおうとするツララを手で制す。
「待て待て! こいつは俺がやる……手出し無用」
要の『スモール・ソード』や魔法があっさり弾かれてしまった、その心の傷は深いのだ。
ツララはやはり面倒くさそうに杖を引いた。
「で、どうするの?」
「今考えてるとこ」
「……好きにしなさい」
賢者のお許しが出た。
これで心ゆくまでこいつとの勝負を続けることができる。
〈ウォータートル〉の全長は約二メートル。中に引っ込んだ頭部は、三十センチといったところか。
こんなデカブツ相手ならば、やはり頭を狙うのがセオリーだろう。というか、他の部分をチクチクやっていると日が暮れそう。
狙いは、奴が顔を出した瞬間。
今は分厚いシャッターのような皮膚に閉ざされているその穴から、様子を窺いに顔を出したところを仕留める。
そのためには息を潜め、気配を殺さねば。
姿勢を低くして、一足で間合いに入れるよう力を溜める。
『スモール・ソード』を引き気味に構えて突きの態勢をとった。
〈ウォータートル〉の甲羅がむずむずと動き出す。
まだだ、焦るな。音を立てないよう注意して。
ニョキっと四本の足が飛び出す。
いいぞ……さぁ、出てこい。
お前が警戒を緩めたその時が、決着の時!
そしてついに、〈ウォータートル〉の閉ざされたシャッターがゆっくりと上がる。
中から様子を窺う黄色の瞳が見えた。
よし、今だ――!
「あっ」
突然、何かを思い出したのかツララが声を上げた。
同時に、シャッターはサッと閉まった。
「あぁっ……」
足も仕舞ってしまい、これじゃあ元の木阿弥。
待ちに待ったチャンスが……何してんの!?
「もう少しで仕留められたのに!」
賢者にあるまじき不注意に、俺の不満爆発である。
「あら、ごめんなさい。だけどもっといいことを思いついたの」
しかしツララはまったく悪びれずに言った。
「いいこと?」
「実験の相手になってもらうのはどうかしら……アレに」
「んん?」
実験……はて? 何のことだ。
ツララが指さした亀を見つめること、約五秒。
「あっ、あれか!」
ようやくピーンときた。
「そ。ちょうどいいでしょ」
「確かに……使いどころがなくて忘れてたよ」
剣を仕舞い、『ソード・ステッキ』を取り出す。
未だ引き篭もり続ける〈ウォータートル〉を見据える。
うん……ほんとに都合がいい相手。
ニヤリと緊張を解きそうになるのを堪えて、唱えた。
「【ブラインド・タッチ】!」
紫の光が〈ウォータートル〉へ伸びる。
光は分厚い甲羅に直撃しても弾かれることなく、ねっとりと亀に纏わりつく。
やがてモンスターを覆い尽くした。
同時に、杖を持たない右手の掌に紫の光が集まり始める。
ズズズ……
それは、正方形の板状に凝固し、紫紺の結晶となって浮かび上がった。
「よし……成功」
浮かび上がったその板に配置された「キー」の一つをターンッと叩いて命じた。
「顔を出せ、〈ウォータートル〉!」
紫の結晶盤が輝くと同時に、岩の塊のような甲羅からヌッと〈ウォータートル〉が顔を出す。
「いいぞ。次は……立たせてみよう」
盤の上に配置された九つの「キー」。決して見てはいけないこのキーが、モンスターの行動を決定する。
但し、「歩く」がどのキーに該当するかはまったく分からない。
「これか?」
勘に任せて右上隅のキーを押してみる。
すると、一度は仕舞われた〈ウォータートル〉の足が再び甲羅から伸び、地を踏みしめた。
二百キロはありそうな巨亀の体が浮き上がる。
「よーし、立った。その調子で……歩け!」
キーを押しながらそう命じる。
言葉にする意味はまったくないけれど、操作に自信がないのでそうしている。
様子を眺めるツララが微かに笑っているのは、俺の命令口調があまりにたどたどしいからだろう。
慣れてないから仕方ないじゃないか……命令されるのは慣れてるけど。
そんな支配者の資質には関係なく、〈ウォータートル〉は下された命令に従ってのそりと動き出した。
岩山が水平に移動していく。
「おぉ、凄い。あとは……そうだな、何か攻撃をしてみよう!」
かつてないほど順調にモンスターを操作できていることに多少興奮しながら、軽やかにキーを叩いた。
〈ウォータートル〉が首を上げ、辺りの空気を取り込み始める。そして――
――ボッ!
吐き出されたのは火球。拳大の火の玉が、勢いよく飛び出した。
「おぉっ、そんな攻撃が……あっ」
火の玉の向かう先にいたのはツララだった。
やっばい……
ツララは突然の攻撃にも狼狽えることなく、軽やかな身のこなしで火球を躱す。
彼女は賢さのみならず、抜群の運動能力を備えているのだ。
「ふぅ……よかった」
「よくないわよ。危ないじゃない」
「ごめん、ごめん。移動させるよ……確かこれだったな」
顔の向きを変えれば問題ないだろうと先ほどの「歩く」キーを押す。
――ボッ!
――ボッ!
何故か火の玉が飛んでいく。しかも二つだ。
「ちょっと……危ないって……言ってるじゃない」
火の玉を躱しながら、非難の声を上げるツララ。
「悪い、そんなつもりじゃないんだけど……こっちか?」
――ボッ!
――ボッ!
――ボッ!
げっ! 増えた……というか、止まらない。
〈ウォータートル〉は「命令だから!」と言わんばかりに、空気を吸っては火を放つという動作を規則的に繰り返した。
しかも火球はすべて、間断なくツララに向けて発射される。
「えっと……これか? いや、こっち? いや、待てよ、二つ同時押しという線も……」
文字通り手探りでキーを押す。
こうなったら手当たり次第押して、「止まる」を引き当てるしかない。
カチャカチャと幾つかのキーを同時押ししてみた。
――ボッ!
――ボッ!
――ボッ!
止まらん! 全然止まらん!
「タヒト!!」
ツララからはついに怒りの声が。
ごめんなさいごめんさない!
なんで止まらない? というか、あの燃料はどこから来るんだ?
そもそも、何で亀が火を吐くんだよ!?
火の玉を避け続けるツララを横目に、キーを押しまくる。
「この後のこと」を想像すると、若干涙目になるのも仕方ない。
「止まって! お願いだから!」
そう祈りながら、九つのキーを全部押してみた。もう、やけくそだ。
無慈悲にも、〈ウォータートル〉が一際大きく息を吸い込み始める。
そしてやはり……吐き出す。吐き出しちゃう。
――ゴウッ!!!!
それまでの三倍はあろうかという大きさの豪火球が放たれた。
標的となったツララに動揺はなかった。
いつも通り……いや、いつも以上の無表情で迫りくる危機に正対する。怖い。
静かに、淀みなく『青水晶の杖』をかかげ――
「いい加減にしなさい」
――唱えた。
「【氷槍】」
ツララの前方に、氷の結晶が生成される。
一瞬で槍を模ったそれは、切っ先を目標へ向けたかと思うと――物凄い速さで飛び出した。
ダイアモンドダストを散らしながら氷の槍が空気を切り裂く。
ツララ必殺の魔法は火の玉をあっさりと貫通し、勢いそのままに〈ウォータートル〉の頭部から胴体を貫いた。
――ピシッ、ピシッ。
槍で貫かれた箇所から徐々に凍り始め、数秒後には完全に動かなくなった。
氷像となった〈ウォータートル〉を確認して、胸を撫で下ろす。
「……よかった」
脱力しきった俺の肩に、ポンっと手が乗せられる。
もちろん、ツララだ。
「よくないでしょ?」
彼女はにっこりと笑った。
破賢魔法【ブラインド・タッチ】はモンスターを操ることができる、破格の魔法である。
どんなに強いモンスターでも、支配してしまえば敵ではない。
上手く操作して味方として行動させることも可能。
この魔法さえあれば、「他の魔法なんて要らないんじゃね?」と思えてしまうくらいの、冒険者垂涎、夢のような魔法なのだ。
この先俺は、この夢魔法【ブラインド・タッチ】を駆使して各地を巡り、全てのモンスターを制圧する。
あっという間に異世界の危険は去り、人々は安堵することだろう。
そして皆から贈られる無数の感謝の中、俺はウサギ狩りでもしながら余生をまったり過ごすのだった。
めでたしめでたし。
……だったらよかったよなー。
はぁ。
世の中そんなに虫のよい話はない。
それは元の世界で嫌というほど経験しているけど、残念ながら異世界においても同じようだ。
一長一短どころか、一長三短くらい【ブラインド・タッチ】には欠点がある。
まずはこれをご覧頂きたい。
【破賢魔法】
・ブラインド・タッチ ▼誇り高き所作。見てはならない、見せてはいけない
うむ……いつも通りのふざけた解説。逆に安心する。
いや、そんなことを言いたい訳じゃなかった。
この解説は【ブラインド・タッチ】の発動条件を表している。解読はもちろん賢者様だ。
ツララ先生が発見した条件は複数あり、詳細は次の通り。
①魔法を見せてはいけない
【ブラインド・タッチ】を唱えると、杖の先から紫の光が放たれる。
この光がモンスターに気付かれたら魔法は失敗する。
ちなみに、魔法を視覚的に隠せる【有能】という破賢魔法が使えるか試してみたが、このズルは認められなかった。くそっ。
②魔法はモンスターの背中に命中させなければならない
紫の光は、必ずモンスターの背中にヒットさせるべし。
顔や胸その他の部位に当たった場合は全て失敗となる。
背中がどこか分からない場合はどうすれば……
③結晶盤を見てはいけない
①、②が成功すると、杖を持ってないほうの手に紫の結晶盤が現れる。
九つのキーが配置されたそれは……「テンキー」だな、ほとんど。
この結晶盤をちらりとでも見てしまうと、魔法は失敗、盤も消える。
まぁ、これは慣れていけば何とかなりそう。問題は慣れるほど使う機会があるか、ということだけれども。
まず、この三つの発動条件が厳しい。
全てを満たすには、背後からの闇討ちか、先程の〈ウォータートル〉のような特殊な状況でしか使えなさそう。
そしてそんな状況であれば、大抵他の魔法を使ったほうが早い。ツララがそうしたように。
何より、キーの操作がまったく分からない。
どのキーがモンスターの行動にどう繋がるか、ヒントすらない状態。
同じキーを押してもモンスターによって違うアクションするし……お手上げ。
こんな状況であれば、操作不能になるのも必然。
なにせ、止め方も分からないのだから。
その結果、たとえ誤って味方を攻撃してしまったとしても、それは「仕方ない」と言えるのではないだろうか。
情状酌量の余地はある、そう言えるのではないだろうか。
「言えないわよ」
「だよねー……ごめんなさい」
腰をきっかり九十度に曲げて謝った。
「誰に向かって解説してたか知らないけれど……最初に火を吐いた時点で倒すべきだったわね」
「あまり練習するチャンスがなかったから、この機会を逃すまいと……いや、ごめん。調子に乗りました」
「よろしい」
頭の上から、ツララの満足そうな声。
「【治癒】」
青と白の癒しの光がふんわり体を包み込む。
モンスターから受けた小さな傷や疲れが、光とともに消えていった。
「おお……さんきゅ」
「ま、よいわ。もともとけしかけたのは私だから」
「そう言われてみると……」
「なによ。モンスターを自由に操作できれば、この先ぐっと楽になるでしょ」
「そ、そうですよね。まぁ、そんなうまい話はないってことかな」
「んー……」
ツララは僅かに考えて、呟いた。
「魔物使い」
「ん?」
応援ありがとうございます!
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