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1巻

1-3

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「ほう? かなりの手錬てだれという事か、協会の意気込みが感じられるな」

 魔獣や魔物が集合意識なるものに支配されている事や、集合意識の存在そのものが明らかにされたのも、そういった腕利きの祈祷士達が調査に協力してくれたお陰だ。今回のダンジョン内拠点建設でも、計画のかなめともいえる重要な役割を担っている。

「仮設の結界はもう張ってあるからな、後はその一帯を永久浄化して貰えば終わりだ」

 拠点の規模や建設隊への参加についておそくまで協議を重ねた三人は、久方ぶりの語り合いで親睦を深めるのだった。


 一方、地下三階通路の探索中に少し開けた場所に出た〝彼〟は、床や壁に何かの目印が付けられているのを発見した。線を引くように魔力が立ち昇っていて、憑依しているハサミムシからは何となく近付きたくなさそうな意思が浮かび上がる。
 ダンジョンの入り口にある結界によく似た感じだったので、そういうたぐいの何かがあるのだろうと推測できた。興味が湧いた〝彼〟は、その線で区切られた範囲に入ってみようと試みる。だがハサミムシでは魔力の壁に阻まれて進めなかった。

『うーん、やっぱり結界が張ってあるのか』

 入れないのでは仕方がないと、〝彼〟はその場を後にした。
 再び通路を進むと、今度は三匹の魔獣犬に遭遇した。二階にいる魔犬よりも一回りは大きく、黒い影のような毛並みを持っている。その魔獣犬達は、普段なら素通りする相手であるハサミムシをじっと見つめ、何やら行動を決めかねている様子を見せた。
 集合意識に支配されているモンスターは対象の姿形ではなく、その肉体を動かしている魂や精神を見て攻撃対象か否かを判別する。〝彼〟が取り憑いているハサミムシは「攻撃対象外である蟲」と「攻撃対象である人間」がダブって見え、どうすべきか迷っているのだ。

「グルル…………グァウ!」

 魔獣犬は迷った末、喰う事にしたらしく、ハサミムシに噛み付いた。ハサミムシの外殻も中々丈夫な鎧なのだが、魔獣犬の牙の前にあっさり噛み砕かれてしまったので、〝彼〟はそのまま魔獣犬に憑依する。
 複雑で強い自己を保つ存在である〝彼〟の精神は、魔獣犬を支配していた単調で微弱な集合意識をいとも簡単に追い出し、魔獣犬を支配した。
 普段から集合意識に支配されている魔獣犬は今までの変異体よりも自律的な意思が非常に弱く、殆ど本能しか持っていないようだった。
 その為か、〝彼〟の憑依はスムーズ且つ強力に作用し、取り憑いた魔獣犬を自分の身体のように動かす事が出来た。というよりも、動かしてやらなければ只ぼーっとしているか喰っているか寝ているか、本能に任せて暴れるかといった具合になりそうである。
〝彼〟が取り憑いた事で、他の二匹はその魔獣犬を攻撃対象と見做みなし、魔獣犬同士の戦闘が始まる。二対一だが全く問題ない。なぜなら今憑依している魔獣犬が倒されても、倒した魔獣犬に取り憑けば良いのだから。
 無抵抗で噛み殺されてから、続いて二匹の内の片方に取り憑き、同じ様に噛み殺される。こうして最終的に無傷の魔獣犬の身体を手に入れた〝彼〟は、これだけ思い通りに動かせる身体があればと、先程の結界がある場所へ戻ってみる事にした。

『何もない……』

 結界の中では、魔獣犬の身体に重圧が掛かる。そこには開けた洞窟空間が広がっているだけで特に何がある訳でもなかったが、少しばかり平らに整地されていて、ここで何かをするつもりのようだという事は分かった。

『また後で来てみよう』

 独り呟いた〝彼〟は三階の探索に戻る。
 いい加減魔獣犬と遭遇する度に身体を替えるのも億劫になって来たので、なるべく見つからないように進んだり、全力で逃げたり、時には自分から奇襲を仕掛けたりもする。そうして〝彼〟はダンジョンの歩き方を学び、経験を積み重ねていった。
 人間の冒険者は滅多におらず、遠くに見掛けても非常に殺気立っているので、近付くのははばかられた。

『この階、かなり危険みたいだからなぁ』

 代わり映えしない風景が延々と続く地下通路。魔獣犬や大ネズミの亜種らしき丸っこいネズミばかり相手するのにも飽き、そろそろ人恋しさが募り始めた。人とコミュニケーションを取るなら上の階のほうが良さそうだと判断して、〝彼〟は一旦探索を打ち切り、二階へ足を向ける。

『そういえば二階の魔犬には結局、取り憑いた事なかったなぁ――って、あれ……?』

 魔獣犬の身体で二階に上がると、なんだか全身の動きが鈍るような感じがした。三階の結界に入った時に重圧を感じたのとは違い、力が抜けるような鈍り方である。下の階で濃い魔力の影響を受けて身体の状態を維持している魔獣や魔物は、その魔力が薄くなると力も弱まるようだ。

『うわー、力抜ける抜ける』

 試しに一階まで戻ってみると、普通に歩くのも困難なほど力が抜けてしまった。人が居ない間に地上への階段にも挑戦してみたが、一歩踏み出す事すら出来なかった。
 一階出入口の結界自体、三階にある結界とは比べ物にならないほど強力なようだ。
 また、魔犬よりも大きいこの姿だと、一階や二階で出会う初心者冒険者達は遠くに見えた段階で一目散に逃げ出してしまう。
 適当なモンスターに憑依してしまうと、本能だけで行動する危険な魔獣犬を浅い階に放置する事になるので、その選択肢は選べない。〝彼〟にとって、これは思わぬ落とし穴であった。仕方なく、とぼとぼと三階に戻り、暫くその階の探索を続ける事にするのだった。

『だいぶ弱っちゃったな……身体を休ませないと』

 通路にいると魔獣犬が襲い掛かってくるので、ゆっくり横になる事も出来ない。〝彼〟は餌用ネズミの繁殖場所らしき空洞に潜り込み、弱った身体を一休みさせる。
 三階に出没する大ネズミは一、二階のモノより一回り大きく、しかも丸々と肥えていた。驚くべき事に、彼等は魔獣犬の餌となるべく繁殖しているようだ。集合意識がそういう役割を与えているのだろう。
 魔獣犬に食事をさせて身体の調子を取り戻した頃、空間を満たす謎の気配がにわかにざわめき始め、多くの人間がこの階に下りて来た事が感じ取れた。まるでダンジョンそのものが一個の生物として気配をうねらせ、それを報せているようだ。
 普段は淡々と繁殖に勤しみ、一定数が食べられに出て行く空洞の餌用ネズミ達が、その気配に応えるように次々と飛び出していく。

『例の結界がある場所かな……?』

 ――何かが始まろうとしている。そう感じた〝彼〟は、気配が示す場所の様子を見に行くべく空洞を抜け出した。



  4


 地下二階へ繋がる階段から少し通路を進んだ辺りで、拠点建設隊は魔獣の群れによる襲撃を受けて足止めされていた。大量の魔獣犬に交じってまん丸と肥えた餌用大ネズミや、普段は死骸を掃除しているゼリー状の粘菌ねんきんまでが行く手を阻むように押し寄せてくる。

「一体何なんだこりゃ、この前までこんな歓迎はなかったぜ」
「拠点の建設地点に張っておいた結界でモンスターが溜まってたとか?」
「丸ネズミや粘菌まで襲ってくる理由にならんだろう、それは」
「うわっ やばい、足元からも!」

 彼等は後から後から湧いてくるモンスターを捌きながら通路の狭い場所まで後退し、そこに防衛線を敷いた。しかしこれだけの数となると切り開いて進むのは勿論、下手に撤退する事も出来ない。非常に危険な状況に陥っていた。
 この異常事態に対し、後方で護衛役に護られながら作業員達と待機していた祈祷士が前衛組の近くまで歩み寄ると、押し寄せるモンスターの意識を読み取ろうと試みる。その結果 ――

「迷宮を覆う大きな意思が、私達に強い警戒と敵意を向けている」

 祈祷士が読み取った情報によれば、モンスターを支配する集合意識は建設隊を重要な敵と見做みなしたらしく、魔獣達を使って総攻撃を掛けているのだという。

「つまり、拠点を作られる事にご立腹だってか」
「まじかよ」
「集合意識がこれほど知的で明確な反応を示すとは……」
「感心している場合ではないぞ、このままでは拠点の建設予定地に近付く事さえ出来ん」

 優位に戦える結界まで移動できれば、前衛が敵を抑えている間に結界の出力を上げ、祈祷士の力で結界の範囲一帯を浄化してしまえる。そうすればモンスターの脅威もダンジョンの魔力に中てられる心配もひとまず治まるはずだ。
 だが、とてもそこまで辿り着けそうにない。魔獣犬の猛攻もることながら、足元から絡みつく粘菌が特に厄介だった。
 通常の武器では斬ろうが叩こうがあまり効果がないので、火系の魔術や松明たいまつで焼き尽くすしかない。だが、絶え間なく飛び掛かってくる魔獣犬を相手にしながらではのんびり足元をあぶる余裕などない。

「くそ、穂先がいかれちまった!」
「だから打撃系の武器にしておけと言ったのに」
「鈍器は性にあわないんだよっ」

 ガシェは先端が曲がってしまった鉾槍パルチザンを捨て、予備の短剣で応戦する。しかし圧倒的にリーチが短くなり、最前列にいる魔獣犬の猛攻はなんとか捌いているものの、一匹倒すのにも一苦労だ。

「ええい畜生め! だれか大剣か戦斧せんぶもってる奴いねえか!?」

 と、その時、魔獣の群れ後方の通路の奥に一匹の魔獣犬が現れた。また新手かと思われたその魔獣犬は、他の魔獣犬を踏み台にしながら近付いて来ると大きく跳躍、前衛組を飛び越えて彼等の背後に降り立った。

「な……っ、しまった!」

 まさか魔獣犬がそんな行動をとるとは思わず、前衛組は完全に虚を突かれた格好となった。後方には近接戦闘に向いていない術士や祈祷士、作業員達がいるのだ。たとえ一匹でも魔獣犬クラスのモンスターに襲われれば、被害は計り知れない。

「ここは私とリシェロで抑える! お前が仕留めろ!」

 短剣の方が小回りも利くだろうと、飛び越えてきた魔獣犬をガシェに任せたエルメールは、ダメージ覚悟でガシェの受け持っていた守備範囲に入り、長剣の大振りで魔獣犬の群れを威嚇いかくした。リシェロがすかさず、エルメールのサポートに回る。
 すぐさま呼応したガシェは背後の魔獣犬と対峙しようとしたところで、思わず動きを止めた。目が点になるとでも言おうか、目の前のありえない光景にどう反応して良いのか分からない。

「おい、どうした! 何をほうけている!」
「い、いやその……」

 その場から動かないガシェにエルメールが怒声を上げながらちらっと振り返るが、背後に見えた光景に彼女もまた眉をひそめた。
 魔獣犬は、その場でお座りをしていた。まず、それがありえない。集合意識に支配されている魔獣犬は人間を見ると必ず襲い掛かるように出来ているはず。これはもう十数年来変わらないダンジョンの仕組みとして、この辺りの冒険者なら訓練生でも知っている。
 それがなぜ人間を前にしてお座りなのか。更に、魔獣犬の足元にはそこそこ質の良さそうな戦斧が置かれていた。前衛組の持っていた物ではないし、後方の誰かが用意した物でもない。

「こいつ、もしかして……」

 ガシェはお座りしている魔獣犬とその足元に置かれた戦斧を見て、例の「冒険者を助けてくれるモンスター」の噂を思い出した。



 その後、魔獣の大群に拠点建設隊が行く手を阻まれているとの報せを受け、冒険者協会から急遽きゅうきょ、出撃した応援の部隊が到着。駆け付けた手錬の冒険者達によって、魔獣の群れは次々と討伐されていった。
 厄介な粘菌は強力な炎の魔術で焼き払われ、通路にひしめく魔獣犬の群れもあっという間に蹴散らされる。

「やっと終わったか……」
「気を抜くな、本来の作業はこれからなのだからな」

 やれやれと溜め息を吐きながら肩やら首やらを回すガシェに、エルメールが注意を促す。

「はははっ、どっちが隊長だか分かりゃしねえや」

 隊長など柄ではないと自分で言っていたガシェは、そういう役割にぴったりなエルメールの仕切り振りに苦笑をもらした。魔獣の死骸で埋め尽くされた凄惨な通路で談笑を始める建設隊の前衛組に、彼等の近くに魔獣犬の姿を見つけた応援部隊の一人が警告を発した。

「おい! まだ一匹残ってるぞ!」

 その声に一瞬身構えたガシェ達だったが、指し示された魔獣犬を見て警戒を解く。

「いや、あいつはいいんだ」
「あれは我々の味方だ、問題ない」
「何を言ってる、魔獣犬だろう? あれは」
「まあ、そうなんだが……例の噂、冒険者に味方するモンスターってのを聞いた事ないか?」

 あれがそうなのか? と、応援部隊の冒険者達はその魔獣犬に視線を向けて、観察を始める。
 何がしたいのか、累々と横たわる魔獣犬のしかばねの一体一体を、前足や鼻先でつつきながらうろついている。経験豊富な彼等も、人に味方するモンスターなど見た事はない。だが、確かにこの魔獣犬には襲い掛かって来る様子が見られない。

「とりあえず、拠点の建設予定場所へ移動しよう」
「だな。モタモタしてまた魔獣の大群に押し寄せられちゃたまらねぇ」

 ぞろぞろとこの場を後にする拠点建設隊と応援部隊に、くだんの魔獣犬もついていく。
 応援部隊の冒険者達は警戒するが、危険が無いのならばと同行を黙認した。

『これだけ大勢の人を見るのは初めてだなぁ、何人か知ってる人もいるし』

 以前にも会った事のある人や、今し方の戦闘で自分を味方だと認識してくれる人がいるのは、〝知り合い〟が出来たようで〝彼〟としても嬉しい。
 そんな〝彼〟の上機嫌な感情は取り憑いている身体にも影響する。凶悪な見掛けでパタパタと尻尾を振りながらついて来る魔獣犬の姿は、愛嬌があるのか悪い冗談なのか冒険者達にも良く分からなかった。
 やがて仮設結界を張った拠点建設予定場所に着いた一行は、まず結界の出力を上げて本格的な安全地帯を構築する作業から始める。その後、祈祷士による浄化の儀式を行い、ダンジョンを覆う魔力の影響が及ばない一帯を設けるのだ。
 空間を浄化して魔をはらっただけでは、時間と共にダンジョンの魔力に侵蝕されてしまう。そこで考え出されたのが、強力な結界と併用する事で恒久的に浄化効果を持続させる方法だった。それが永久浄化と呼ばれる儀式である。
 結界の強化が図られるのと同時進行で、作業員達が運んで来た簡単な補強板を用いた囲いを組み上げていく。しっかりした石造りの壁が造られるのは、拠点として使える安全地帯が設けられて、石材などを運び込んでからとなる。

『あ、なんかじわじわ身体が重くなってきた……結界が強くなってきたのかな?』

 作業を見守っていた〝彼〟はこのまま結界の中にいると動けなくなりそうだったので、一旦結界の範囲外へと避難する。

「お? どうした、ワン公」
「どこか行くのかい?」
「ヴァフー(身体が重いんだよー)」
「結界が苦しいのではないか?」
「ああ、なるほど。魔獣だもんな」
「ヴァウ(そうみたい)」

 熟練冒険者三人と不思議な魔獣犬のコミュニケーションは、この場にいる他の冒険者達や作業員達の魔獣犬に対する警戒心を、多少なりともほぐしたのだった。


    ◆ ◆ ◆


「敵襲!」

 結界強化の効果が十分に出始めた頃、第二波ともいうべき魔獣の群れが押し寄せて来た。前衛組が素早く防衛の配置につくが、結界の護りに応援の手錬も加わっているので、先程の攻防に比べて皆に余裕があった。
 一方、結界が強化された事で拠点建設予定場所の敷地内に入れなくなってしまった〝彼〟は、魔獣の群れが押し寄せてきた通路とは反対側の通路奥で、戦いの様子を窺いながらウロウロしていた。
 向こう側の通路へ回り込めなくはないものの、相当な距離を移動しなくてはならない上、結界の中に入れないのでは双方から攻撃対象とされてしまい兼ねない。流石にそれは自殺行為だ。
 死んでも特に痛みなどは無いが、宿主の身体を無闇に死なす事はない。

『でも、どうしようかな』

 このまま見物を続けようか、他の場所の様子でも探りに行こうか、そう考えていた〝彼〟に歩み寄って来る者がいた。それは、拠点建設のかなめを担う祈祷士だった。結界が完全に安定するまで待機中の彼女は、人間に味方する不思議な魔獣犬に興味を持っていた。
 彼女の護衛である戦士が、危ないから近付かないほうがいいのではと声を掛けるも、同じく後方で待機中だったリシェロが自分も同行すると説得する。祈祷士は結界の及ぶギリギリの所で、不思議な魔獣犬と向かい合った。

「……? これは――」

 魔獣犬の中に〝彼〟の存在を感じた祈祷士が問い掛ける。

「貴方は、誰ですか?」

 祈祷士が〝自分〟を見ている事に気付いた〝彼〟は、魔獣犬からひょいと顔を出した。魔獣犬の身体から精霊のような存在が顔を出した事に、祈祷士は思わず息を呑む。彼女が何かに驚く仕草を見せた事で護衛役は警戒するが、リシェロは祈祷士が何を見たのかが気になった。

「私はエイオアの祈祷士リンドーラ。貴方は?」
『ボク? ボクは……』

 彼女の問いに答えあぐねた〝彼〟は、かつて少女に呼ばれた名前を口にする。

『ボクは、〝コウ〟』
「〝コウ〟と言うのですね? コウ、貴方はどういう存在なのですか?」
『よく、わからない』

 コウと名乗る事にした〝彼〟は、人と直接会話が出来た事に驚きと興奮、そして喜びを覚えていた。
 こんな風に人と話せる時が来るとは想像もしていなかったので、リンドーラの問いに答えるだけのぎこちない会話になってしまったが、とても満たされた気持ちになる。
 自分自身の事はよく分からないと答えたコウだったが、欠けた記憶に残る自分の居たであろう世界についても上手く説明できないので語らない。
 リンドーラの方は、コウをダンジョンで生まれた精霊の亜種的な知性体なのではないかと分析していた。集合意識より何らかの要因で分離したか、或いは新たに生出したか。

「コウ、貴方はいつからここに居るのですか?」
『分からない。けどたぶん二〇日以上は経ってると思う』
「それは、どうして?」
『日が差し込む場所があるんだけど、そこで昼と夜を数えたから。実際はもっと長いと思う』

 ダンジョンから出た事は無いと聞いたリンドーラは、にもかかわらず〝外〟の世界について少なからず知識がある点に着目した。魔獣犬の身体から出ているコウのボンヤリとした光の身体は、容姿も身体つきもはっきりしないものの、確かに人の姿を形成している。

「貴方は、元は人間だったのかもしれませんね」
『あ、それには確信があるよ、確かにボクは人だった』

 なるほどと頷くリンドーラ。このダンジョンで倒れた冒険者の魂が集合意識に囚われた後に分離独立したか、魔力に中てられて魔物化する際、自己の一部を保った為に集合意識の支配を受けず自律した状態で定着したか――概ねそんな所であろうと当たりをつける。
 とにかく、彼女としても魔獣達を操れて人とコミュニケーションが取れる存在を味方に付けられるなら非常に心強い。

「まだまだ不明な点が沢山ありますが、貴方の事情は大体分かりました。これを貴方に預けましょう」

 リンドーラは自分の首から緑色の石が付いたアミュレットを外すと、コウに差し出した。そのアミュレットを見たリシェロが思わず呟く。

「祈祷士のアミュレット……」

 それは、結界の効果を無効化する特殊なアミュレットだ。このアミュレットを憑依している存在に付けておけば、通常の結界であれば大体通り抜けられるようになる。

「リンドーラ殿! そんなものを魔獣犬に与えてしまっては、危険ではないのですか?」
「大丈夫。彼が私達に危害を加える事はありません」

 護衛役は警戒するが、手錬の祈祷士は心に触れた相手の本質を見抜く能力を持つ。リンドーラはコウの事を、自分達にとって危険な存在ではないと確信していた。
 アミュレットを受け取ったコウだったが、そのまま首に付けるには紐の長さが足りない。暫く試行錯誤した後、記憶の中にあった〝インプラント〟という知識を参考にして、魔獣犬の体内、厚い皮の余った部分に埋め込む形で現象化させてみた。

『どれどれ……?』

 そーっと前足を結界に進めてみると、重圧を感じる事なく入る事が出来た。

『おーーっ、入れたー! リンドーラさん、ありがとうーー!』

 リンドーラに顔を向けてブンブン尻尾を振る魔獣犬。影のような黒い毛並みに、長く鋭い剥き出しの牙。凶悪な見た目はそのままだが、全身に溢れる嬉しそうな雰囲気は本当に害の無い、ただのわんこのようだった。
 第二波との戦闘も落ち着きを見せ始め、結界の前に溜まっていた粘菌も焼き払われている。
 拠点が造られるまでの間、この作業現場に留まろうと決めたコウは、直接話す事が出来る祈祷士リンドーラを通じて、この世界についての知識を徐々に深めていくのだった。



  5


 拠点の建設が進められる中、コウは資材搬入の作業員を先導したり、早速露店を開きに来た気の早い商人達を護衛するなど、自主的に彼等の作業を手伝って活発に動き回っていた。
 そんな活動を通じてコウの存在は街でも噂となり、数日の内に冒険者達の間に周知されていった。
 コウを一目見ようと他の街からもこのダンジョンに来る者が増え、ダンジョン利用の活性化を目指していた街の統治者達は、収益が増えたと大層喜んだ。
 しかしその一方で、一見大人しそうに見えるモンスターをコウの同類だと勘違いして迂闊うかつに近付き、怪我をする初心者が増えて問題になっていた。それなら目印になるようにと、コウは貰ったアミュレットの石部分が額に浮き出るようにした。


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