黒の創造召喚師

幾威空

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4巻

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 第3話 水面下の攻防


「悪いな、まだお前の娘は返してやれねぇナ」

 夜遅くに「夕凪ゆうなぎ弥鍵宿みかぎやど」へとやってきた男は開口一番、切り捨てるようにそう告げた。そのひと言に、シュティルフィは膝を折って泣き崩れたい思いに駆られた。

「どうして……!?」
「どうして、と言われてもなぁ……こればっかりは依頼主クライアントが決めたことなんでね。ただの連絡係の俺には分からねぇヨ」

 だがそんな言葉とは裏腹にニタニタと愉快そうな男の様子に、シュティルフィは直感的に理解してしまった。
 ――アイベルはもう助からないのではないのか、と。

「そ、そんな……ま、待ってください! だってあの手紙には!」

 すがるように男の服を掴みながら、シュティルフィは切羽詰まった声を上げた。しかしながら男の態度が変わる様子はない。むしろ――

「アンタだって内心『良かった』って思ってるんだろ? あんな一系統しか持たない欠陥品できそこないとキレイさっぱり別れられたんだからヨォ」

 シュティルフィを絶望のどん底へと叩き込むようなセリフを平然と言い放つ。怒るよりもまず呆然とし、立ち尽くした彼女の様子をひとしきり見た後、男は肩を軽く揺すりながら去っていった。

「な、んで……」

 こんなコトになったのだろう? という疑問が頭に浮いては沈んでいく。そして、へなへなとその場に座り込んでしまった彼女に追い打ちをかけるように、後方から声がかけられた。

「……今の話は何ですか?」

 ハッと声のした方に顔を向けると、そこでは白竜を抱く狐耳の少女と、白い猫を肩に乗せたエルフの少女が、揃って彼女に鋭い視線を浴びせかけていた。


 生気が抜け落ちたようなシュティルフィをどうにか椅子に座らせたソアラとキリアは、早速話を切り出した。抵抗された場合のことも考えてソアラはグローブを身に着けていたが、心配は杞憂きゆうに終わり、シュティルフィはぽつぽつと経緯を素直に話した。娘のアイベルが何者かに攫われたこと、手紙の指示に従いツグナの部屋に短剣を置いたことなどを洗いざらい。

「そう、ですか……貴方がツグナの部屋にあの剣を……」

 ひとしきり話を聞いたキリアは確認するように呟いた。と同時に、自分たちが敵対している相手が誰なのかも察しがついた。
 テーブルを挟んで座るシュティルフィは何も言わず、黙って首肯するのみだ。憔悴しょうすいし切った表情の今の彼女には、普段の快活さなど欠片もない。ちらりと自分の隣に視線を移せば、こめかみに青筋を浮かべたソアラが映る。その怒りは、ツグナを罪人に落としたシュティルフィに向けられてもいるだろうが、大半を占めているのはこの状況を作りだした黒幕に対してであろう。
 重い空気が流れる中、掠れるような声が二人の耳に届いた。

「誰でもいい……どうか、あの子を――娘を、助けて」

 その言葉には、娘を気遣い、わらにも縋りたい親心がにじみ出ている。突き付けられた現実に打ちひしがれていた彼女に、どこからか声がかかった。

「いいわよ。丁度、場所も特定できたからね」
「――っ!? だ、誰っ!?」

 咄嗟とっさにがばりと顔を上げて辺りを見回すシュティルフィだが、周囲にはソアラとキリア以外の人の姿は見られない。

「私よ、ワ・タ・シ」
「……も、もしかして」

 シュティルフィはそんなバカなと疑問を抱きながらも、テーブルの上をトコトコと歩く猫に問い直す。
 すると、わずかに目を細めた猫が口を開いた。

「御主人を助けるついでよ、ついで」

 造作ぞうさもないことだと言いたげに軽く言い放った猫に、シュティルフィは目をパチクリとさせながらも「よ、よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げる。
 それに「分かったわ」と承諾したニアは、続けてキリアとソアラに目を向けた。

「貴方たちも、そろそろ溜まった欝憤うっぷんを晴らしたいんじゃない?」
「仕方ないわね……」
「私は行くよ。ツグナをこんな目に遭わせた張本人のツラを殴ってやらないと、気が済まないからね!」

 前者がキリア、後者がソアラ。返答の内容はそれぞれだったものの、二人の表情は確かに、やる気に満ちていた。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 しかし、翌日。
 ――時の月・第四週の黄の日、以下の者に対する刑を執行する。
 そんな文言の下にツグナの似顔絵が描かれた張り紙が、街の至る所に掲げられた。
 そこには罪状及び刑の執行方法も併記されており、その張り紙を見た多くの者は「まさか子供が……」と驚く。だが一部の者はガヴァットの性格を理解しているのか、「奴の欝憤晴らしがこんな少年に当たったのか」と、むしろ同情とあわれみの感情を抱いていた。


「第四週の黄の日って……」
「丁度明日ね……ったく、時間がないにも程があるわ!」

 やっと明確な活動方針を得たばかりのソアラとキリアも、当然そのしらせを聞き及んでいた。ツグナが連行された日から一週間と経たずに判決が下されていることに、二人はニアの「時間がない」という言葉を改めて理解させられた。性急過ぎるその判決に、思わず奥歯を噛み締めてしまう。
 連行されたツグナの様子も判然としない状況で、本当にアイベルを救えるのだろうか――そんな不安と焦燥が二人を襲う。

「御主人なら大丈夫よ」

 しかし、その重苦しい雰囲気を断ち切る言葉がニアからもたらされた。
 確かに、現時点でニアの存在が消えていないならば、少なくとも彼女を生み出した《創造召喚魔法》のあるじであるツグナの命に別状はないのであろう。そうキリアは推測するも、かといって確信は持てない。

「どうしてそう言い切れるの?」

 反射的に訊ねたソアラには、「私のスキルでね」との答えだけが返る。キリアがさらにそのスキルについて訊ねると、ニアは「私の生命線だから」と詳細は語らなかったものの「情報を秘密裏に収集することができるのよ」とだけ教えてくれた。

「その言葉……信じていいんだよね?」

 ソアラが念押しすると、ニアはぴんと背を伸ばして自信満々に答えた。

「誰に向かって言っているのかしら? 私はかの創造主、ツグナ=サエキ様に仕える従者の一人。あるじの有する魔書《クトゥルー》により生み出され、この世に存在する者よ? 御主人様と『繋がっている』私の言葉を信じられないの?」

 ニアの言葉には、彼女なりの矜持きょうじが垣間見られた。彼女にとって「情報」は自らの存在意義と密接に結びついているが故に、その真偽を疑うような言葉にはいささか苛立ちさえ抱くのだ。

「分かったわ……」
「う、うん」

 ニアの言葉を受けたソアラとキリアはぎこちなく頷き、それ以降重ねて訊ねたりはしなかった。

「さてと、御主人についての話はこれぐらいにしましょう。私たちは私たちのやるべきことをやらないと」

 ニアが空気を入れ替えるようにたしなめると、二人も意識を目の前のことに集中させる。

「そうね。それで……誘拐犯の潜伏場所は?」

 思考を切り替えたキリアは、状況を整理しようとニアに訊ねる。するとニアは真剣な雰囲気を纏い、抑揚を抑えた口調で淡々と話し始めた。

「この宿から七百メラ離れた場所にある人目につかない空き家ね。相手はそう多くないみたい……ふむふむ。三、四人ってトコかしら。人質の子は……うん、大丈夫みたい」

 まるで今その現場を実際に見ているかのように詳細な情報を話すニア。実際、捜索するとなればその効果の及ぶ範囲は広大だ。
 本来多くの人員を要することを、単独で誰にも気付かれずに実行できるニアのスキルに、キリアは驚きよりも先に呆れが来てしまった。一方のソアラはただ単に「見てもないのに凄い!」と喜ぶだけだったが。

「貴方……なんでそんな詳しく分かるのよ」
「さっきの質問と同じ答えだけど、私のスキルでよ。情報戦なら相手より私の方が一枚も二枚も上だわ」

 ニヤニヤと含み笑いを見せるニアに、キリアは舌を巻くばかりである。とにかく、彼女がいなければこんな詳細な情報は得られなかったのだからと思い直し、思考を切り替えた。準備も必要となるのだから、余計なことを考える時間はない。仕掛けるなら今夜なのだから。

「あなたたち……怖くはないの?」
「えっ?」
「ど、どうして?」

 不意にもたらされたニアの言葉に、キリアとソアラが揃って声を上げる。
 キリアに抱えられたニアはこれまでのような飄々ひょうひょうとした雰囲気を微塵も見せず、淡々と言葉を続けた。

「貴方たちの隣にはいつも御主人がいた。あやうい場面でも何も言わずに駆けつけてくれていた。頼ることができた。けれど、今は違う。『ツグナ=サエキ』という揺るぎない防壁は存在しない。貴方たち自身がリスクも責任も何もかもを背負い込んで挑まなきゃならないわ」

 だから――と小さな瞳が二人を真っ直ぐに見据える。

「大丈夫よ」

 沈滞しかけた空気を払うようにスパッと宣言したのは、キリアだった。
 彼女自身そのことは頭の片隅で意識していたのか。しかし怖気おじけづくような素振りは見せず、目を真っ直ぐ彼方に向けて続ける。

「アイツは言ったのよ……『あとは頼む』ってね。だから――」

 ちらり、とキリアが目を配ると、ソアラも軽く頷きながら力強く言葉を紡ぐ。

「だね。珍しく――いや、初めてじゃないかな? あんな風に誰かに頼るのは……私たちだっていつまでもツグナにおんぶにだっこじゃ、何の為の仲間だか分からないし」

 二人の言葉を聞いて、ニアの口元がほころぶ。

「それを聞いて安心したわ。いやぁ~やっぱりやめようか、なんて答えたら、どうしてやろうかと思ったわよ」

 どこか引っかかる猫の物言いに、キリアの眉間に皺が寄った。そして「ちょっと待って」と前置きした上で「じゃあ仮にそう言っていたら……?」と問いかけると、ニアの目がくわっと見開いた。

「決まってるじゃない――問答無用でグズグズのドロドロな戦場に放り込んでただけよ」

 ケタケタと愉快そうに笑いながら「甘ったれたことを言うヤツって嫌いなのよねぇ~」などと尻尾を揺らし、おどけたようにニアは告げる。
「もし、気に入らない答えだったら……」と呟いて、脳内でシミュレーションを繰り広げ始めた白猫に、頬を引きらせるソアラとキリアだった。



 第4話 暗闘錯綜


 夜のとばりが空を覆い尽くし、獣も寝静まる深夜。草木をかき分け、闇夜を駆ける三つの影があった。

「本当にこの道であってるの?」
「失礼ねぇ~。間違いないわよぉ」
「間違ってたら私の糸でグルグル巻きだけどね~」

 駆け抜ける音に、女性特有の高い声が混じる。ソアラたちの間で飛び交う会話は、まるで散策に行く途中のように気安い。
 しばらく進むと、一軒の小さな家が見えてきた。普段なら誰も寄り付かない街の端だ。ついと目を向ければ、夜遅い時間だというにもかかわらず、仄かな明かりが灯っている。

「まず間違いなさそうね」

 これほど辺鄙へんぴな場所にあり、こんな時間に明かりが灯っている時点でまず怪しい。確信を深めたキリアが小さく呟いた。

「ほらぁ~。私の言った通りじゃない」

 その声をしかと聞き届けたニアがニヤニヤと笑いながら声を上げるが、キリアはそれを聞き流し、目的地をじっと眺める。

「……どうする?」

 隣で家を同じく眺めていたソアラが指示を仰ぐ。だがその目には「突撃かましていい?」と書いてある。

「確かに、突撃して一網打尽に捕らえるのがベストだけど……アイベルの安全を確保しながらとなると、難しいわ」
「でも安全確保を優先すれば、それだけ逃げられるリスクも高くなる」
「なら、魔鋼糸まこうしでアイベルの周りに結界を張ろうか?」

 ニアとキリアのやり取りを聞いていたソアラが提案する。

「それができれば一番だけど……できるの?」
「空間を把握しなきゃならないから、できれば対象を視認した方が楽だね。少なくともあの家の中のことが分かれば何とかなるのに」

 それも厳しいよね、と言外に滲ませつつ話すソアラに、キリアも反射的に苦い顔を浮かべてしまう。だが――

「あらあなた、そんなことができるの? なら、私が家の中の様子を詳細に伝えてあげればそれでいいわよね」

 ふと、そんな軽やかな声が彼女たちの耳に届いた。驚いて声のした方を振り向けば、そこにはゆらゆらと尻尾を揺らすニアがいる。

「どういうこと?」

 キリアの問いかけに、ニアはさらりと告げる。

「私のスキルを使って、敵の配置や動き、家の中の構造、人質の様子を伝えるわ。だから貴方たちは今言ってた手段で奴らを倒して。こんななりじゃ……私は戦うことができないからね」
「で、でもどうやってそんな細かな情報を? いくら情報収集にけたスキルとは言っても、中の様子まで探るのは無理でしょ。もしかして……あの家に直接乗り込むつもり?」
「そ、そうだよ! いくらなんでも危険過ぎるよ」

 訝しむ二人に対し、ニアはさらに言葉を重ねる。

「はぁ……心配してくれるのはありがたいけど、本当に大変なのは貴方たちなのよ? それに、私の方は大丈夫よ。勘違いしているようだから言っておくけど、私の持つスキルは単に『離れた場所を見る』だけのものじゃないからね。人質を守りながら戦うのは、単純に戦うのとはわけが違う。私に構う暇があるのなら、自分たちのやるべきことにまずは集中しなさい」
「ぐっ……そ、そうね」
「う、うん」

 ニアの忠告に居住まいを正したキリアとソアラは、各々真剣な表情を浮かべて、作戦内容を確認していくのだった。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「あぁ~ったく、なんで俺たち、こんなボロっちいトコロにいなくちゃならねぇんだよ……」

 今にも崩れそうな古い家の中で、一人の男が短刀を片手にそうぼやいた。そのがっしりとした肉体は、立つ場所を間違えれば床板を踏み抜いてしまいそうだ。
 深緑色の布を頭に巻いた男は、手に持った短刀と同じくらいギラついた目をアイベルに向けた。その顔に浮かぶのは嗜虐的な笑みだ。男はベロリと刀身を舐め、それを幼い子供に突き立てる瞬間を今か今かと待っている。
 アイベルは白い布で目を塞がれ、猿轡さるぐつわを噛まされた上、太いロープでイスにくくりつけられて自由を奪われている。聞こえてくるのは無骨な男たちが話し合う声のみ。
 そんな状況下にあるアイベルの全身を、心臓を鷲掴わしづかみされるほどの恐怖が駆け巡る。心臓は張り裂けそうになるぐらいに大きく速く脈動し、血が濁流の如くドクドクと勢いよく流れる音が、耳の中に響いた。

「仕方ねぇだろ? 明日の昼まで待てっつうのが依頼主の要望なんだからよ。依頼を受けた以上、俺たちはそれは守らなきゃいけねぇ」

 自身も舌打ちしたい気持ちを押し留めながらそうたしなめたのは、リーダーらしき男だ。細い身体に短く刈り上げた赤髪、腰には片手剣。窓の外に向けた淡い緑色の瞳の先には、二人の男女が周囲の警戒に立っている。
 彼らは俗に「闇ギルド」と呼ばれる組織に属する人間である。窃盗や拉致監禁、果ては暗殺まで、うしろ暗い依頼を一手に引き受ける彼らは、今回も標的の子供を拉致し、この場所に押し込んだ。「明日の昼以降に子供を殺せ」という依頼主に課された条件の下で。

「しっかし、分からねぇな? 何でこんなにも殺しがいのあるガキを、昼まで生かしておく必要があるんだ? これじゃあ目の前にごちそうをぶら下げられてるようなもんだぜ」

 手持ち無沙汰ぶさたに短刀をいじりつつ、布を巻いた男が傍らのリーダーに問いかける。
 赤髪の男は、顔を窓の外から発言者の方に向けた。その前を、数匹のネズミが横切っていく。彼はそれに構うことなく近くのイスを引き寄せると、どかっと座りこんだ。
 そうして、ただ肩を軽く上下させて「さぁな」と返す。どうやらこちらも、依頼主の意図までは把握していなかったらしい。

「もう依頼主の意向とかどうでもよくねぇか? どうせ明日の昼には殺せるんだろ? 結果だけ見れば同じじゃねぇか。なぁ、知ってるか……小せぇガキの瑞々みずみずしい肌に刃を突き立てる感触をよぉ。一度ハマっちまうとヤメられねぇんだがなぁ~」

 男は一瞬だけギロリとアイベルの方を見やる。そして肩を震わせる少女の様子に満足したのか、ニタリとした笑みを浮かべてリーダーを振り返った。

「ったく、ちったぁ我慢したらどうだよ? この前も似たような依頼でサクッと殺しちまって、お咎めを受けたばかりだろうが」

 ため息を一つ吐き、リーダーが戒める。加えて「また何か言われても責任は持たないぞ」と脅しをかけておくのも忘れない。

「チッ、分かったよ」

 その返答で白けたのか、興味がせたように舌を打って頭巾の男は視線を外す。だが――次の瞬間には何かを思いついたらしく、下卑げびた笑みを浮かべる。

「でもまぁ……生かしておけばいいんだろ?」

 またも視線を向けられたアイベルは、身体をゾクリと震わせた。視界を塞がれてはいたものの、男の粘つくような物言いと肌に突き刺さる明確な殺意は、彼女の恐怖をさらに掻き立てるのに十分だった。

(怖いこわいコワイ怖いこわいコワイ怖いこわいコワイよ……)

 その恐怖から逃れたいと暴れ、椅子がギシギシと音を立ててきしむ。猿轡越しに掠れる吐息が漏れ、目を覆う布には涙が染み込んでいた。

「あっはっはっはっは! こりゃ傑作だぜ!」
「怖いか? 逃げたいか? だが無理なんだよなぁ~」

 アイベルの様子を眺めていた男たちの哄笑こうしょうが部屋に響き渡り、幼い彼女にあまりにもこくな現実が突き付けられる。しかし手足を縛られている彼女は身動きすらできない。

「あぁ~笑った笑った。さて、と……」

 ひとしきり笑った男がアイベルに近寄ると、彼女を覆うように影が差す。

「まぁ、『今は』殺しはしねぇが……楽しませてくれよ?」

 ニタニタとわらう男が腕を振り上げた。その手には短刀が握られている。
 ――あぁ……誰か。
 たすけて。
 心の奥底から浮かぶ願いも満足に口に出すことができない。ならばせめて襲いかかる痛みはこらえようと、アイベルは強く奥歯を噛み締めた。
 しかし、痛みはいつまで経ってもやってこなかった。「どうしたのだろう」と聞き耳を立てるアイベルの耳に、眼前の男の太い叫び声が届いた。

「ぐぎゃああああぁぁぁ! 痛ぇ! なんなんだよこりゃあ!」
「オィ! どうなってんだよこれは!」

 男たちの前には、鈍色にびいろに輝く大きなまゆが突如として形成されていた。中にいるのは、今の今まで囚われの身であったアイベルである。
 頭巾の男は刃を立てるもびくともしない鋼の繭にイラつくが、その怒りも長くは続かなかった。
 なぜなら――猛烈な風が家を襲い、天井を吹き飛ばし、壁を切り刻んだからだ。

「うわっ!? 今度は何なんだよっ!」
「チィッ! 見張りは……っ!」

 突如として外に放り出された男たちは、訳も分からず呆然と破壊の爪痕を眺める。そんな彼らの視界の先には、先ほどまで外を警戒していた仲間を引き摺りながら、ゆっくりと近づいてくる二つの影があった――
 それは二人の少女だった。一人はピンと伸びた狐耳とふさふさの尻尾が特徴的な獣人の少女。肩に白い猫を乗せ、その顎を柔らかに撫でている。もう一人は鋭く尖った耳を持つエルフの少女である。両手で杖を持ち、ひらひらとフリルのついた服装が特徴的だ。
 少女たちの表情は、どちらも同じものをたたえている。

「さて、と。安全は確保できたようだし、獲物は逃げられないよう封じ込めたわね……」
「いやぁ、ニアのおかげで結界を張れて助かったよ」
「えぇ、感謝しなさいな。私のスキルにね」
「そのスキルを与えたのは彼でしょうに」

 狐耳の少女が話している相手が誰なのか、その内容が何なのかも分からないが、男たちはあの繭がこの狐耳の少女によるものだということはなんとなく察しがついた。
 続いて、エルフの少女も歌うように言葉を発する。

「おまけに穴倉も破壊したから、視界も良好。それじゃぁ……」

 優しげに口の端を持ち上げていた二名が、すっとその表情を変えた。温かみのある笑みは消え、冷たい鉄の如くになった目が捉えるのは、鋼の繭を取り囲む男たちの姿だ。
 猫も少女の肩から飛び降りて、尻尾をぴんと立てた。


 ニアを通じて、彼女たちは室内でなされた会話の内容を知っている。幼い女の子をズタズタに切り裂き、その身も心も破壊しようと目論もくろむ言葉を耳にした彼女たちの心は、同性として怒りと憎しみで燃えたぎっていた。
 空をも焦がさんばかりの二人の感情の炎は、言葉となって男たちへと突き付けられる。

「貴方たちは――」
「お前らは――」
「「……地獄すら生温なまぬるい」」

 そうして駆け出すと同時に、冷酷無比な蹂躙劇じゅうりんげきが幕を上げた。


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