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8巻
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しおりを挟む第1話 呪い島
「へぇ……ここがあの王様が言っていたイシュヴァリテの街か。リアベルとはまた違った賑やかさがあるところだな」
「キュイッ♪ キュイッ♪」
街へと通ずる門を潜り抜けた先に広がる光景を前にして、ツグナはふと感想を漏らした。彼の頭の上で翼を休めていたスバルも、長い首をしきりに振って嬉しそうな声で鳴いている。
王立高等学院を舞台とした、学外対抗戦と模造魔書を巡る戦いから早数週間。わずかばかりの休養と装備のメンテナンスを終えたツグナ達は、ユスティリア国王ガレイドルから「褒賞」として受け取った泡瀑竜の居場所に関する情報を頼りに、この街を訪れていた。
イシュヴァリテは、ここイグリア大陸の南端に位置する。別名「水の街」とも言われ、街の外れには海が広がっている。コバルトブルーの水面が視界を埋め尽くすその景色は、訪れた者を圧倒し、虜にする。観光地として人気が高く、多くの宿泊施設が立ち並ぶリゾート地としても名が知れ渡っている土地であった。
――一生に一度でいいから訪れてみたい街。そんな言葉が昔からよく囁かれていることからも、この街の人気ぶりを察することができよう。
陽の光を浴びてキラキラと輝く水面と、街の中を吹き抜ける爽やかな潮風は、どこかツグナの到着を祝福しているかのようだ。
「うっはぁ~! これは凄いね! あの遠くに見える大きな湖みたいなものが海なのかな?」
「空気がおいしい……それに風も気持ちいいわね」
「リーナ姉、ここ凄いね! 海って初めて見たよー」
「そうね……ただ、嬉しいのは分かるけれど、はしゃぎ過ぎるとみっともないわよ」
ツグナの隣に並び立つソアラとキリア、アリアとリーナも口々に、湧き上がる興奮を言葉に乗せる。
レギオン「ヴァルハラ」を構成する五人は、広大な景色にそれぞれ興奮しつつも歩を進めるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
事の発端はおよそ数週間前に遡る。
ガレイドルの依頼により「学内選抜戦」や「学外対抗戦」にかかりきりだったツグナが、カリギュア大森林にある家に戻ってから数日が経過した時のこと。
リビングで思い思いにくつろいでいたソアラをはじめとする「ヴァルハラ」の面々に、ツグナは次に向かう街の名を告げた。
「えっ!? イシュヴァリテって……あの海があるっていう街?」
ソアラは目を見開きながら反射的に訊き返した。他の仲間も、彼女と同じような表情でツグナに視線を向けている。
「あぁ、そうだ。王様からの情報によれば、そこに『泡瀑竜』っていう竜がいるんだとさ」
「キュイッ!?」
ツグナの口から語られた「竜」という単語に反応を示したスバルが、慌てた様子で彼の頭の上に飛び乗り、「早く行こうよ!」と髪を引っ張って催促する。
興奮するスバルをなだめるようにその身体を撫でながら、ツグナは「実際にいるかどうか確かめたわけではないらしいが」と付け加えた。
すると今度はリーナが、首を捻りながらツグナに問いかける。
「でも……兄さん。どうしてわざわざ竜に会いに? イシュヴァリテは王都に行くよりもさらに遠い場所にあるかと思いますけど……」
もっともな質問に、ツグナは頬を掻きつつ話し始めた。
「あぁ……それは、前に俺の『魔書』が暴走して、アルガストと戦ったことがあるだろ? あの時、アイツから言われたんだよ。『竜に会え』ってな」
「あぁ、あの時ですか……」
リーナも当時のことを思い返し、ぽつりと相槌を打つ。
それは、彼女だけではなく他の仲間にとっても、忘れようにも忘れられない激闘であった。ツグナとしては、魔書の力に呑み込まれて皆に迷惑をかけてしまったと今でも不甲斐なく思っている記憶であったが、「今は感傷に浸っている場合ではない」と気持ちを切り替えて先を続ける。
「その言葉がどうにも引っ掛かっていたんだよ。アルガストの真意は俺にはまだ分からないが、折角アドバイスしてくれたんだし、無駄だと判断する理由もないしな。空いた時間には王国の大図書室で竜に関する文献を調べたりしていたんだ。んで、今回の報酬として情報を得られたから、行ってみようと思ってな」
「なるほど。そういう背景があったんですね」
ツグナの説明を聞き終えたリーナは、納得した様子で深く首肯する。他の仲間達も軽く頷くのを目にしたツグナは、四人に向かって言葉をかけた。
「そういうことだから、俺はイシュヴァリテに行くんだが……どうせだったら、皆も一緒に行くか?」
そんな問いかけに、その場にいた全員が嬉しそうに賛同を示したのは言うまでもない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「へぇ……店にもここの特徴が出てるな」
「キュァ!」
四人を引き連れて、ツグナは街の中を歩いていく。そうしてそれぞれの自慢の品を並べる店を冷やかす中で、ふとそんな感想が漏れた。
さすが海が近いだけあって、食料品店の店先に並ぶ商品は海産物が中心だ。また、そこかしこから食欲を湧かせる匂いと音が伝わり、鼻と耳をくすぐる。
「うわぁ……お、美味しそう」
魚が焼ける香ばしい匂いと、網から滴る脂がはじける音に、目をキラキラさせたソアラは唾を呑み込み、狐耳をピコピコと忙しなく動かす。
見るからに物欲しげな彼女を引きずりながら、ツグナ達はさらに街の中を練り歩いた。
イシュヴァリテの特徴は、食べ物だけにとどまらない。この街で購入できるアクセサリーには海をイメージした物が多いことも、特筆すべき点であろう。青を基調としたその美しさは際立っており、街の特産品となっている。ある店に陳列されていたヘアアクセサリーには、ツグナを除く四人が夢中になったほどだった。
そうして特に目的もなくいくつかの店をハシゴしていた一行に、背後から声がかかった。
「ちょっと! そこのお嬢ちゃん達!」
声のした方に顔を向ければ、そこには前髪を掻き上げながらキラリと白い歯を見せつける、一人の男が立っていた。さらさらとなびく細い金髪に鳶色の瞳。すっと通った鼻筋に緩い曲線を描く顔立ちは、いかにも美形と言うにふさわしい類のものだ。
「ボクはこのイシュヴァリテのギルドを拠点とする冒険者――ノグラスっていうんだ。キミ達、もし今時間があるなら、そこの喫茶店にでも行かないかい? なぁに、お代は気にしなくていい。これでもボクはCランクの冒険者だからね!」
ぐっと親指を突き立てて格好良くキメるノグラス。彼が身に着けているのは質の良い革鎧で、腰に下げた剣もそれと同等の良質なものだ。そんな装備からすると、確かに今の言葉に偽りがあるとは思えなかった。
C級の冒険者といえば、大概はそこそこに実力のある人物として一目置かれる存在である。これがソアラ達以外の女性だったならば、「今から目をつけておけば……」と誘いに乗る可能性もあったかもしれない。
だが――
「「「「興味ナシ!」」」」
四人は揃いも揃って、ノグラスの誘いを不快げな表情を添えて一蹴した。
女性陣から同時に告げられた拒絶の言葉に、ノグラスはわずかに頬を引き攣らせながらも、めげずに再度声をかける。
「ハッハッハ! つれないなぁ……少しぐらいならいいんじゃないかい? ねっ? いいだろ? そこの黒い少年は置いてってさぁ。どうせそんな大した奴じゃないんだろ? だったらさぁ、ちょっとぐらい――」
ノグラスの心の中には、「あの少年はきっと単なる友達なのだろう」といういささかツグナを見下した思いがあった。
ソアラは珍しいとされる狐人族で、キリアは妖精族、双子のリーナとアリアも共に美少女と評されるレベルの容姿である。彼女らを上手く取り込めれば……と、ノグラスは下心を隠しながら四人に近づいたのだ。
しかし、ぽろりと口から零れてしまった言葉を聞きつけた彼女達の様子が、それまでと一変する。
「ねぇ……今、この人はなんて言ったのかな?」
「えっ?」
ソアラの呟きに、ノグラスは目を点にして返した。キョトンとした顔を見せる彼を捨て置いて、キリアやノーラ、そしてアリアからも声が上がる。
「この人――ツグナを『大した奴じゃない』って言ったわよね?」
「えぇ。私の聞き間違いでなければ」
「そっかぁ……あぁ、よかった。ボクだけ聞き間違えたかと思ったケド、合ってたんだね。ならさ、リーナ姉」
「えぇ、そうね……」
アリアの言葉にリーナは頷き、彼女に倣うようにソアラとキリアも頷く。四人の表情はそれまでと変わらないものの、発した言葉の裏に込められた思いは氷の如く冷たかった。
この瞬間、レギオン「ヴァルハラ」の女性陣の心は一つとなる。
すなわち――今すぐこの勘違いキザ野郎をブチのめそう、と。
「えっ? 何?」
四人が抱いた思いなど知る由もないノグラスは、にっこりと微笑んだ彼女らに誘われて裏路地に連れ込まれた。その表情に「まんまと引っかかった」と勘違いしたノグラスには、程なくして恐ろしい天罰が下る。
「……かひゅっ」
両頬を赤く腫らして地に伏せたノグラスを放置し、四人はツグナの後を追いかけていった。
ちなみに、丁度その時のツグナとスバルは、店頭に並ぶ鮮魚を手に「これは煮付けが合うか……いや、むしろ生でもイケるか?」などと献立を真剣に考えている最中であったため、四人の動向の詳細については知らないのであった。
そうした一幕がありつつも、一行はイシュヴァリテの街の外れにある浜辺へと向かう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「景色がいいなぁ……」
浜辺に辿り着いたツグナは、目の前に広がる大海に自然と笑みを零した。打ち寄せる波の音、視界に映る水平線が自然の雄大さを物語っている。
少し離れた場所では、打ち寄せる波にキャッキャとはしゃぐソアラ達の姿がある。素足で波に駆け寄り、「冷たい!」と口々に言い合う様は幼い子供同然だ。
(まぁ、はしゃぐのも仕方ないか。こんなところに来るのは初めてだろうしなぁ……)
楽しそうな仲間達の姿を遠目に眺めながら、ツグナは心中で呟く。
彼から話を切り出さなければ、ソアラ達がここに来ることはなかった。
道中で聞いた話によれば、四人とも生まれてからこれまで「海」を見たことがないとのことだった。それは彼女達が大陸の内陸部に生まれ、ツグナと出会ってからもカリギュア大森林を中心に行動していたせいだ。
ツグナにしても、地球から転生してきたこの世界で海を見るのは初めてだった。もちろん転生前には見知っていたので、彼女らほどはしゃぎ回ることはないが、転生のことは誰にも伝えていないから、知っているとは言えない。アリアから「海ってどんなところなの?」と訊ねられた際には、「バカみたいにでっかい湖みたいなところらしいぞ」と曖昧に答えるしかなかった。分かりやすく伝える言い方がこれしか浮かばなかった、というのもあるのだが。
とにかくツグナとしても、初めて目にする海と食文化、そして街並みに興奮を覚えてしまうのは無理もなかろうと思う。
「ほらほら、遊ぶのはそれぐらいにしとけよー。そろそろ行くぞ」
ツグナが声をかけると、四人は笑いながら「あぁ、気持ちよかった」と口々に言い合い、ツグナのもとに駆け寄るのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あぁ? 何だと? どこに行きたいって?」
浜辺でのひと時を終えた一行は、本来の目的である、竜が棲むと言われる場所に向かうために船を貸してくれる人を訪ね歩いていた。
「あそこに見える小さな島まででいいんだ。悪いけど出してくれないか?」
そう言いつつ、ツグナはついっと指で目的地を示す。その指の先、目測で二十キルメラほど離れた場所には、水平線の上に乗る孤島がある。
しかし相手は、ツグナの指差した方向に顔を向けると途端に表情を険しくさせた。
「……兄ちゃん、悪いことは言わねぇ。あそこに行くのは止めとけ」
ガッシリとした体格の壮年男性の忠告に、ツグナは軽く肩を上下してみせる。
「それ、アンタんとこに来る前にも何度も言われたよ」
「なら――」
「ただ、俺達はどうしてもあの島に行かなきゃならないんだ。頼むよ」
ツグナが無理は承知と言わんばかりに手を合わせるも、色よい返事をもらうことはできなかった。
「勘弁してくれ。俺だって生活がかかってんだ。あの『呪い島』に誰が行くかよ」
「オッチャン、『呪い島』って?」
渋面を見せる相手にソアラが訊き返す。それに意外そうに目を見開いた親父は、ツグナを見て問いかけた。
「なんでぇ、お前ら。あの島のことを知らなかったのか?」
「あぁ。アンタの前に船を出してくれるよう交渉した連中には、皆が皆、行き先を伝えるとコロッと態度が変わって追い返されたんだよ。詳しい理由を聞こうにも、取り合ってもらえなかったんだ」
苦い顔で経緯を話すツグナを見ていた親父は、「もしかして」と思いつつさらに問いかける。
「お前ら、ここらへんの冒険者ってわけじゃねぇな」
「俺達、普段はリアベルっていう街を拠点にしているんだ。大陸の内陸部だな」
その説明でようやく合点がいった、という感じで頷いた男性は、「知らないのも無理ないか……」と零した後、一行を見回しながら拒否した理由を訥々と話し始めた。
「あの島はこの辺りじゃあ『呪い島』って呼ばれてる。『竜が棲まう場所だ』なんて古い言い伝えもある」
彼の口から出た「竜」という言葉を聞いたソアラ達は、ハッとした顔で互いに顔を見合わせた。そんな反応をよそに、ツグナは「俺達はその竜に会いに行きたいんだよ」とこの街を訪れた目的を伝える。
「バカ言うな。ただの古い言い伝えだぞ? それに……あんな恐ろしい場所に行こうとする奴を、誰が好き好んで手助けするってんだよ」
壮年の男は呆れたようにため息を吐きながら、ツグナ達をシッシッと手で追いやる。
(あの王様……調べさせたって言っていたけど、本当はこの言い伝えを聞いただけなのかもしれないな)
男の言葉を聞きながら、ツグナは「こりゃあ空振りかもな……」と心中で思いを吐露した。やってきたはいいものの、根拠となる情報が単なる言い伝えとなれば、信憑性を疑わざるを得ないからだ。
こんな展開は完全に予想外で、ツグナは眉を八の字に下げて残念そうな表情を浮かべていた。
(まぁここは有名な観光地だって聞いたし、美味いもんでも食って帰るか……)
頭を切り替えて今後のプランを思案していたツグナの耳に、アリアの声が届いた。
「でもでもでも! 竜が棲まう場所って言い伝えは誰も信じてないんだよね? どうしてそれでも船を出せないって言うのさ?」
ここで引くのは何か悔しい、とばかりに不満げな態度でアリアは詰め寄る。
さすがにツグナも、彼女の責めるような口調を咎めようとした矢先――難しい顔をしてガリガリと頭を掻いていた男の口から、意外な言葉が発せられた。
「単に行くだけならできるさ。だが、出せない理由は他にもある。それは……島に行った奴には不幸が訪れるからだ」
「不幸……? どんな?」
思わず訊き返したツグナに、親父はゆっくりと事の顛末を話し始める。
「あれは二年ほど前になるか。お前さん達のように、あの島に行きたいって頼んでくる輩がいたんだよ。もちろんその時も『止めとけ』っつったんだけどな。そいつらの中には貴族の息子が交じっててな。結局、そいつが俺達の仲間の一人を金で釣ったんだ」
「よくもまぁ取り込めたな。そんなに渋る相手を翻意させたっつうことは、よほどの大金を注ぎ込んだのか?」
「だろうな。詳しいことは聞いちゃいないが、あそこには他では見られない、珍しい動物や植物がいるって噂がある。ヤツらからすれば、それだけの金を注ぎ込んでも、あの島で狩りをすれば倍になって返ってくるって寸法だったんだろうよ」
当時のことはよく分からない、と肩を竦めてみせる男に、ツグナは「あぁ、悪い」と話の腰を折ったことを軽く詫びた。
「なるほど。でも、口ぶりから察するに……そうはならなかったんだろ?」
ツグナの静かな問いかけを耳にした親父は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて重々しく頷いた。
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