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2巻

2-3

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「やましい気持ちで見ていたわけではないよ。フィオは他の誰かを羨む必要はないだろうな、と思っていただけだ」
「ふーん。まあそういう事にしておいてあげましょうか。男一人に女四人じゃ、私達がドランをいじめているみたいだしね」
「え、フィオはドランさんをいじめていたですか?」

 これまで話の輪に入っていなかったマールが、素っ頓狂な声を出して頭上の親友の顔を仰ぎ見た。

「そういうわけじゃないわよ、マール。言葉の綾よ、綾。本当にいじめてなんかいないってば」

 ならよかったです、と心から安堵した声を出すマールに微笑を誘われて、私達はしばし森の外と内の世界について語り合った。
 話の花は爛漫らんまんと咲き誇り、今日初めて会ったばかりの私達の親愛の情を大いに深めてくれたが、話の矛先がクリスティーナさんに向かうと花は萎れざるを得なかった。
 クリスティーナさんはベルン村南方の都市ガロアにある魔法学院に在籍し、そこで寝起きをしている事、ベルン村へは春期の長期休暇を利用して滞在している事、血縁者がベルン村と縁の深い人である事までは話してくれた。
 だがそれ以上詳しい素性に話が及ぶと、クリスティーナさんの朱唇しゅしんは開く事を躊躇ためらった。
 この銀髪赤眼の美貌の剣士の素性は、いまだ開陳の時ではないのだろう。
 幸い、そんなクリスティーナさんに無理を強いてまで話を聞き出そうとする者は、この場には居なかった。
 クリスティーナさんが物憂げに表情を曇らせるのを見て、セリナが話の矛先を自分へと移し替えた。気の利く女の子である。

「私はですね、モレス山脈の南側の山腹にあるジャルラというラミアの集落から出て来たんですよ!」
「そうなの? サイウェストの近くには蛇人はいるけどラミアはいないから、興味があるわ」

 セリナが変えた話の流れにフィオが乗っかり、クリスティーナさんは彼女らの気遣いに小さな溜息を吐いた。
 その間にもセリナの話は続いていた。ラミアが集団としてどのような社会を構築して生活を営んでいるか、というのは外部の者にはまだ明らかならぬところである。フィオはすっかりセリナの話に興味津々の様子だった。

「ラミアと他種族の男性と、その子供達で暮らしているんですね。モレス山脈には他に色々な亜人種が暮らしているから、時々そういった方々と物々交換をしたりしているんですよ。アルジェンヌさんとは甲殻の色が違うアラクネさんにスライムさんとかハーピーさん、それに最近だとリザードさん達が近くの湖にお引っ越ししてきましたし、結構竜さんの姿も見る事があるんです。山脈はとっても広いから全部を知っているわけではありませんけれど、それでも湖に棲んでいる水竜さんや、時々空を飛んでいる風竜さん、洞窟の奥でまどろんでいる地竜さんが居るのは確かですね」

 アラクネ、スライム、ハーピー、いずれも時に人間を食料として胃のに収めることもあるが、意思疎通の可能な種族とされている。
 セリナに頼んでラミア達に仲介してもらえば、モレス山脈のこれらの種族達との交流の道が開けるかもしれない。私の脳裏にはエンテの森の獣人達やウッドエルフ、モレス山脈のアラクネやハーピー、スライム、リザードらがベルン村に集い、種族も文化も歴史も異なる彼らが親しげに言葉を交わし合う姿が思い描かれていた。
 今はそれを考えるべき時ではないが、頭の片隅に留め置いて損のある話ではあるまい。

「ジャルラは代々ラミアの女王が治めるんですけど、これは世襲ではないんです。立候補か推薦のあった人達を、他の人達が入れ札で選んで女王を決めるんですよ」
「選挙って奴ね。私達エンテの森のウッドエルフは、ユグドラシル様の御声を聞く巫女姫様と、巫女姫様を補佐する各部族の族長達の議会があるわ。巫女姫様はユグドラシル様の代弁者であらせられるから、滅多な事で政事まつりごとには口を出されないけどね」

 こうして思いの外実りのある話は、月が地平の彼方に傾くまで続くのだった。
 魔界の者達との戦いさえなければ、夜を徹して続く勢いだった熱のある話が名残惜しげに終わり、私達は眠りの床に就いた。


 第二章―――― 魔森の進軍




 私は朝の訪れと共に意識の覚醒を迎えたのだが……

「ふむ、苦しい」

 何だか苦しかった。まるで四方八方から目一杯抱きすくめられているかのようだ。
 手足を動かしてみれば四本の手足のどれもが、かすかに動かす事ができるだけで、自由とは程遠い状態にある。このサイウェストでは、どこに行っても木々や花々の芳醇ほうじゅんにおいで肺を満たす事ができる。
 そしてそれらとは異なる別種の、背筋の奥の方や下腹部をうずかせる芳しい匂いが私の間近から発せられていた。

「むにゃむにゃ」

 寝ぼけての事なのか、セリナが獲物を締め殺す大蛇のように――と言ってはセリナに悪いかもしれないが――下半身を私の身体に巻きつけていたのである。
 私はセリナに巻きつかれて寝台から半ば浮かんだ状態であったが、我ながら、よくもまあこんな体勢で熟睡できたものである。
 同じ部屋に居る二人に対し、まるっきり警戒していなかったのもあるが、おそらくセリナ自身も意識せずにした行為だからだろう。
 セリナの下半身はくのごとくであったが、上半身は私の首に手を回していて、ぬいぐるみか何かと勘違いでもしたのか、ぎゅっと抱きしめて私の首筋に顔を埋めていた。
 先ほどから私の雄の部分を刺激している匂いは、異種族の異性を魅了して誘惑するラミアが、体から自然と放つ芳香なのであった。
 鉄の精神でもなければこの匂いだけで思考は朦朧もうろうとし、妖美ようびなるラミアの餌食となるのである。
 とはいえ、心地よい寝息を立てているセリナのあどけない顔を見ていると、とてもではないが、そのように危険な魔物とは思えない。
 それもまた、ラミアという種が獲得した、獲物に警戒をさせない為の罠なのかもしれないが、それ以上に、セリナだからだという方がよほど納得が行く。

「起きたか、ドラン」
「おはよう、クリスティーナさん。まだ陽は昇ったばかりと思うが、早起きだね」

 私達より先に起きていたクリスティーナさんは寝台に腰かけて、随分と柔らかになった笑みを向けている。
 私もクリスティーナさんも防具を脱いだだけの格好で眠っていたのだが、既に顔を清め、身だしなみを整えたのか、ともすれば本物の銀さえくすんで見える銀髪は金糸で刺繍の施された青いリボンで束ねられていた。防具を身に着けて長剣を腰にけば、即座に闘争の場に赴ける状態であった。

「少し興奮しているのか、いつもより眼が冴えて仕方がなくってね。後は寝ぼけたセリナが君の寝台に潜り込む音で目も醒めたかな。まさか私も居るこの場所で君を襲うわけもあるまいが、ただ寝ぼけているだけだったみたいだから、止めなかったんだ」
「多分、人肌のぬくもりを求めたのもあるだろうが、それ以上に無意識の領域で戦いに備えて精気を補充しようとしたのだろうね」
「というとひょっとして?」

 わずかにクリスティーナさんの美しい眉間に疑いの皺が刻まれる。時にラミアは、命を奪うほど獲物の精気を吸う事もある。
 意識してか無意識なのかはともかく、万が一にもセリナが私の命を脅かすほど精気を吸ってはと、危惧するのも仕方なかろう。

「ふむ、少しずつセリナに精気を吸われている。戦いに支障をきたすほどではないから、心配はしなくて大丈夫だ」

 時折セリナの下半身がずりずりと私の身体を擦り、私の首筋に触れるセリナの頬や髪、唇もまたそれぞれが異なる感触をもって私の全身を誘惑し、精気の放出を促す。眠れるセリナは自分でも知らぬうちに私の精気を啜っていた。
 戦いになる前に精気を分け与えておくつもりだったが、この様子なら必要はないだろう。
 私は少し顔を伸ばせば唇に吸いつける距離にあるセリナの顔をじっと見た。
 かすかに震えるまぶたを縁取る金糸の睫毛まつげ、朝陽の中にあってなお映える唇の艶やかさ、すっと伸びた鼻梁びりょうの線の典雅な美しさは、人ならぬ魔物への忌避きひの念を忘却させるのに十分過ぎる。
 白い頬にかかる幾筋かの黄金の髪を払ってあげたかったが、私の腕は拘束されたままだった。
 私達の話す気配に、セリナはようやく目を覚ましたようだった。睫毛の震えが大きくなり、うっすらと瞼が開かれて青く濡れた瞳が私の顔を見る。

「んんん……ん、あれ? どらんしゃんだ」

 まだ眠りの霧が意識にかかっているようで、セリナは舌足らずな口調で私の名前を口にする。
 吐息がかかるほど近くに私の顔がある事が、まだ呑みこめていないらしい。
 種族の特性上、朝の目覚めに時間がかかるのは前から知っていたから、私は急かさずセリナが状況を把握するのを待った。クリスティーナさんも余計な口を挟まず、少し楽しげに私達を観察している。
 ふむん。

「おはよう、セリナ。良く眠れたか?」
「はい、よくねむれました」

 まだ眠たいのかセリナは口を左手で隠して、ふわあ、とあくびを漏らして眼の端に涙を浮かべる。
 眠たそうに眼を擦り、徐々に眠気が取れたセリナはようやく自分の状況に気つき、びくっと一つ大きく体を震わせた。それに合わせてきゅっと大蛇の下半身を一締めしたので、私は潰れた声が出そうになるのを堪えなければならなかった。
 セリナが罪悪感を抱かぬよう、ここはぐっと堪えるのが男に生まれた者の意地というもの。

「あのぉ、どうしてドランさんが私の寝台に……」

 羞恥と困惑の混じるセリナの声に、私は淡々と事実だけを伝えた。セリナ、そんな頬を赤らめながら、期待半分不安半分の眼差しを向けないでおくれよ。

「私がセリナの寝台に、ではなくてその逆だよ。そら、セリナの寝台はあちらだろう?」

 私が顎で示す先を見て、セリナはあっという間に耳の先まで赤色になった。

「あのあのあの、ご、ごめんなさい。ああ、どうして私がドランさんの寝台に入っちゃったんでしょう。すす、すぐに出て行きますから」

 セリナは私の全身に絡みついていた下半身の拘束を解く。少しからかいたくなった私は、あわわ、あわわ、と言葉になっていない声を出すセリナの下顎に指を添えて、軽くくすぐってみた。

「セリナが潜り込んできたのに気づけなかった私の責任もある。そう自分を責めなくていい。それに精気を分け与える手間も省けた」
「あの、その、そう言ってくださるのは嬉しいのですけれど、どうして私の咽喉のどをくすぐるんですか? 嫌というわけではないですけれど、こそばゆいです」
「ふふ、少しばかりセリナをからかいたくなったからというだけさ」
「うう、私は猫ちゃんじゃないですよ」

 セリナは口でこそ抗議の言葉を発するが、体は正反対の反応を示していた。困ったように寄せられた眉やほんのりと上気した頬、潤み始めた瞳に左右に小さく振られる尻尾など、全身で喜びを表現している。


「本当に嫌ならもう止めるよ」

 我ながら意地が悪いかな、と思う問いかけに対して、セリナは少しばかり沈黙してから答えた。

「……にゃ、にゃ~ん」

 今だけはラミアではなく猫になるらしい。

「ふむ、素直でよろしい」

 私はセリナの望み通りにしばらく咽喉の辺りをくすぐり続ける事にした。

「ラミアだが、久しぶりに人間が尊厳を捨てるところを見たな。うん」

 私とセリナの行いを黙って見ていたクリスティーナさんが、しみじみと呟いた。
 そこまで言うほどの事かと思うが、セリナの耳には届いていなかったらしく、うっとりとした顔で私の指に体を預け始めている。

「にゃんにゃ~ん」

 セリナが幸せそうで私は嬉しいよ。ラミアが猫の鳴き声を出すとはいかに、とは思うけれどね。


     †


 その後、正気を取り戻したセリナが羞恥しゅうち身悶みもだえして、しばしの間取り乱した。そこまで恥ずかしがるくらいなら最初からあんな真似をしなければ良かったのに、と思わないでもないが、私に撫でられるセリナの姿が可愛かったから、それで良しとしておこう。
 私達はギオやフィオと合流し、朝食を済ませ、太陽が中天にかかる少し前に村の広場に足を向けた。
 その長老の木がそびえる広場に、老いた者、幼い者、怪我を負った者、彼らを守る為に残る戦士達を除き、ゲオルグらと魔界門を討つ為の戦士達が総出で列を成している。
 ただ、居並ぶ多くの種族の戦士達はどこか浮足立った様子で、セリナやクリスティーナさんは不思議そうに彼らを見ている。
 すると戦士達の中に紛れていたディアドラとオリヴィエが、私達に気づいてこちらに近づいてきた。二人とも昨日見た時と同じ姿だが、オリヴィエは自らの背丈ほどもある杖を手にしている。
 私の身長とそう変わらない長さの杖は、世界樹の枝を削りだし、地・水・火・風・氷・雷・光・闇・時間・空間と十種に及ぶ精霊石を埋め込んだ品である。おいそれと手にできる品ではあるまい。
 オリヴィエが歩いて来た方を見てみると、そこには一風変わった一団がいた。ウッドエルフや狼人などエンテの森に住む種族ではあるが、身に纏っているのが外の世界であつらえたと思しい装備なのだ。
 彼らがオリヴィエが昨日話した、森の外に出て行った者達なのだろう。
 森の外で多様な――おそらくは知らない方が良かった事の方が多いだろうが――経験を積んだ彼らは、戦士として頼りになるに違いない。

「クリスティーナ、調子は良いようですね」
「学いん、いえ、オリヴィエさん。ええ、特に問題はありません。戦う準備は整っていますよ」
「それなら何よりです。まさかこのような時、この場所で貴女と会う事になるとは思っていませんでしたが、無理をしてはいけませんよ。貴女はまだ若い。あたら若い身そらで命を散らす事もないのです。いざとなったら戦いの場から退いてお逃げなさい。私達がもし敗れる事があったとしても、その時はウッドエルフの本国か王国の軍勢が、魔界の者達を退しりぞける事でしょうから」

 彫像めいた印象は変わらぬが、どうやら学院長殿は、少なくとも生徒の身を案じる程度には思いやりを持った人物であるらしい。

「オリヴィエさん、どうかそのようなお気遣いはなさらないでください。これまで心の空を覆っていた灰色の雲がいささかなりとも晴れた気分なのです。この何の為にあるのかさえ解らなかった命と、人より多少恵まれた力を使うべき時を見出す事ができたのですから。この命をして地上に在ってはならぬ魔性の者共を討ち果たしましょう」

 クリスティーナさんはどこか晴れ晴れとした顔で答えた。だがその潔いと見える顔が、私の心に不穏な波紋はもんを起こした。
 クリスティーナさんは言葉の通り、ゲオルグらとの戦いに本当に命を懸けるつもりでいるのだ。
 もちろん自暴自棄になって、命を粗末にするつもりはないのだろうが、今のクリスティーナさんからは、力加減を間違えればすぐに壊れてしまうような、繊細な硝子細工を連想させる危うさがあった。その危うさがこれまでの人生の中で育まれたものであるのなら、陰鬱で眼をそむけたくなるような経験を経て来たのだろう。

「クリスティーナ、貴女が魔法学院に入学してからずっと、その暗くかげった心は変わらぬままですね。教師を名乗る身としては貴女が生きる甲斐、あるいは歩むべき道を見つける助けとなるべきなのですが、こればかりは私の未熟、非才なる事を呪うしかありません。昨日見た時は少し明るい顔をしているように見えたのですけれど」

 生徒を教え導く教師たる身ながら、ただ一人の生徒を導く事もできぬ苦悩に、オリヴィエの柳眉りゅうびはかすかに曲げられた。
 クリスティーナさんは、自分の言うべき事は言ったという態度で何も言わなかった。
 それからオリヴィエはなぜだか私の方へと視線を転じた。私にクリスティーナさんの事でも頼むつもりなのだろうか。

「ベルン村のドラン、貴方のお陰か、クリスティーナは私の記憶にあるよりも少し明るい表情を浮かべるようになっていました。まずはその事に感謝を。それと貴方の事はデンゼルより耳にしていますよ。貴方が断りさえしなければ、とっくの昔に貴方は学院への入学試験を受け、ともすればその時に面識を得ていた事でしょう」

 オリヴィエの言うデンゼルとは、リシャやアイリの伯父に当たる人物である。マグル婆さんから魔法の才を受け継ぎ、十代の頃にガロアに渡って、後に魔法学院の教職に就いたベルン村の出世頭だ。
 年に二、三度ベルン村にお土産をたくさん持って帰って来るのだが、しばしば魔法学院への入学を勧められている。

「せっかくのお誘いを断り、申し訳ないと思っています。デンゼルさんはお元気でしょうか?」
「ええ、実に熱心に教鞭きょうべんを振るっていますよ。研究の方にも随分と熱を入れている様子。もっともマグル殿からはいつまで独り身でいるつもりかと、せっつかれているようですね」
「マグル婆さんの子供で結婚していないのはデンゼルさんだけですから、仕方ないと言えば仕方ないのですが……」
「そうなのでしょう。ドラン、もし貴方の気が変わって魔法学院に入学する意思を持ったなら、いつでもガロアにお出でなさい。クリスティーナにとっても見知った顔が増えて喜ばしい事でしょうし、優秀な生徒が増える事は一人の教師としても嬉しく思いますよ」

 私は考えておきます、とだけ返事をした。クリスティーナさんは私が魔法学院入学云々という話題に興味をそそられたようで、詳しい話を聞きたがる素振りを見せていた。
 知り合いが魔法学院に増えるかもしれないのが嬉しいのだろうか? ひょっとしてクリスティーナさんは、あまり魔法学院の中に心を許せる者がいないのかもしれない。
 ここまでセリナは周囲の戦士達の様子をつぶさに観察していたが、小首を傾げながらオリヴィエに問いかけた。ふむ、仕草の一つ一つが可愛らしいな、全く。

「あのオリヴィエさん、皆さん何だか浮足立っていますけれど、何かあったのでしょうか? 戦いを前に緊張しているとかならまだ分かりますけれど、そうではないみたいですし」
「実は今朝になって防壁の外を警戒していた戦士達から、森を蝕んでいた瘴気が消えているとの連絡が入ったのです」
「瘴気がですか!? それが本当なら森の中を進むのが楽になりますけど、理由は?」
「分かりません。これまで私達が浄化しようとしても、魔界門から流出してくる瘴気によって、無為に終わっていたのですが、夜が明けた頃になって突然消えたようなのです。おそらく魔界門からの流出も停止していると考えて良いでしょう。瘴気は私達にとっては毒ですが、魔兵達にとっては活力源となります。瘴気が消えた事で、魔兵達は魔界門からそう離れられなくなりますし、動きも鈍るはずです。これが魔界の者達の罠か、彼らにとっても想定外の出来事なのかは不明ですが、私達にとっては好機が転がり込んできたと捉えて良いでしょう」
「そうでしたか、ありがとうございます。あの人達と戦う前に少しでも良い話があって、良かったです」
「ええ、皆もこの事態を前向きに捉えて士気を高めています。それに良い話はこれだけではありません。あのゲオルグやゲオルード達と互角以上に戦った貴方達の存在も、私達にとっては望外の朗報でしたよ。重ねてお礼を申し上げます。ありがとう」

 オリヴィエは、それでは、と小さく言って元いた一団の所へと戻っていった。
 ふむ、昨夜、部屋に戻る前に長老の木を介してエンテの森に充満していた瘴気を浄化しておいた甲斐があったな。これで魔界門の付近でもなければ、魔兵共は力を発揮できず、ろくに戦う事すらできんはずだ。
 ディアドラはまだ残っていて、私達に昨夜よりも幾分穏やかな雰囲気で話しかけて来る。

「おはよう、ドラン、クリスティーナ、セリナ。昨日の事だけでも十分に戦ってくれたのだから、今日の戦いまで私達に付き合う必要はないのよ」

 つっけんどんな言い方に聞こえるが、彼女なりに気を遣っての言葉である事が分からぬ者は、私達の中にはいなかった。

「それは水臭いというものだ。私達の為の戦いでもあるし、昨日提示された条件は咽喉から手が出るほどの好条件だしな。ディアドラはラフラシアを倒して皆の仇を取る事、そして彼女らの分まで生きる事だけを考えればいい」
「生憎と仇を取る事だけで頭は一杯なの。生きる事については仇を取ってから考える事にするわ。貴方達の方こそ自分達の命を大事になさい。森の外に生きる者が命を懸ける必要はないのだから」
「私達を気遣ってくれるか。ディアドラは優しいな。だがこれは地上に生きる者と、魔界という異なる世界に生きる者達の戦いだよ。森に生きる者達ばかりに流血を強要はできん」
「今更、余計な事を口にしたみたいね。貴方の意思がそこまで固いのなら何も言わないわ。ただ、命だけは大事になさいな」
「ああ。せっかくの命だからな」

 そう、竜として死した後に思いもかけずに得る事のできた、生きる甲斐のある人間としての命なのだから。ディアドラは言いたい事は言い終えたようで、クリスティーナさんとセリナにも声をかけて、二言三言言葉を交わし始めた。
 二人との会話を終えた私は、改めて広場を見回した。大雑把にだがウッドエルフが二百、狼人が百五十、アラクネが百、そしてそれ以外の種族の戦士達が更に百ほどは居る。
 これまでの魔兵達との戦いでいくらか数を減らしたのだろうが、エンテの森西部のごく一部だけでも、これだけの亜人達が住んでいたのか。戦士以外の者達を含めれば、その数は更に増えるだろう。
 恐るべき魔界の悪鬼共との戦いを目前に控えて、多種族の戦士達が緊張に息を呑んで咳一つ立てずにいる中、三名の族長達が自分達の戦士を見回し、風の運ぶ枝葉のざわめき以外は静寂が支配する広場が一層静かになった。

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