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2巻
2-1
しおりを挟む1 家出! ゴブリン! 一網打尽!
ここは、港町ユベツにある場末の宿屋。
一階は酒場で、荒くれ者やスネに傷を持つ連中の吹きだまりのような場所だ。
気の荒い漁師達が命懸けの漁を終え、無事に陸に戻ったことを祝って酒を飲み、そして騒ぐ。
昨夜、一緒にバカをやった連中が、今晩もここにいる保証はどこにもない。また、今夜ここにいない奴の話をする者もいない。どこか冒険者稼業と通じるところがある奴らの集まる場所だということが、俺――イントを引き留めているのかもしれない。
「マスター、もう一杯」
漁師町の酒場のマスターらしく、無骨で無愛想な彼にお代わりを注文する。
「お前さん、飲みすぎじゃねえのか?」
珍しくこちらの心配をしているのか、マスターが声をかけてくる。
「飲みたい気分なんだ、頼むよマスター」
マスターは軽く舌打ちをしながら、いささか乱暴にお代わりのお椀をカウンターに置く。
「ほらよ、石狩汁お待ち」
木のお椀に入った熱々の石狩汁を受け取り、一気に呷ると、ここ数日の無理が祟ったのか、軽くむせた。
「俺も……長くないかもな」
自嘲気味に呟くと――。
「熱い汁を一気飲みするからだよ」
マスターがおしぼりを放る。
「なあ……お前さん、逃亡者だな?」
迂闊にも、マスターの台詞に体が硬直してしまう。
「逃げ回ってる奴らってのは、皆、同じ目つきをしてやがる。オドオドしながら、ありもしない希望をいつも探してるから視線が常にフラフラしてんのさ。悪いことは言わねぇ、出頭しな」
グラスを磨きながら、視線をこちらに向けずに、ボソボソと俺を諭すマスター。
「迷惑……かけちまったかな?」
「ここは、そんな奴らの吹きだまりさ。自由の身になったら、いつでも来りゃあいい……」
「マスター……」
カチャリ、と酒場のドアが開いた。外の潮風が、店の中に入り込んでくる。
喧騒が静まり返り、客の視線が一斉にドアに集まる。
よそ者を拒むような静けさを破る、酔った大男の猫なで声が客席から聞こえる。
「お嬢ちゃん達~、お父さんでも探しにきたのかな~?」
酒場の中が一気に和やかになり、下品な笑い声が湧き上がる。それにつられて俺もドアのほうを振り返ると――小学校高学年くらいのかわいらしい女の子が三人、こちらをキッと睨んでいた。
「邪魔よ」
三人の中の、黒髪の少女が発したその台詞で、酒場内を喚声が飛び交った。
三人に声をかけたあの大男は、あれでも家ではいい父親なのだろう。少女が三人、荒くれ者のたむろする夜の酒場に入ってきたのだから、お節介の一つでも焼きたかったのかもしれないが……道端の石ころでも見るような目で遥か下から大男を「見下ろす」三人の態度に、彼は瞬間的に怒りを覚えたのか、怒鳴り声を上げた。
「このくそガキ! ん、てめえら、よおく見てみりゃ……ドワーフか! なめやがって、ブチのめすぞ! ――げっふああ……」
大男はいきなり頭から崩れ落ちた。
俺が前世を過ごした日本のボクシングの試合で時折見られた、いわゆる「ヤバい倒れ方」と言われるヤツだ。
「マスター、俺、俺……」
「何も言うな、わかってる」
頷くばかりのマスター。倒れた大男を見て一瞬静まり返った酒場は、すぐまた喧騒に包まれた。気の短い、海の男達が色めき立っている。
見た目は少女ながら、腕っ節が強いともっぱらの評判の種族・ドワーフ。この少女達相手なら、仮に敗れたとしても笑い者にはならない……男どもはそう考えているのであろう。
「ドワーフがこんなところに――ぐふぇえええ!」
「とっとと家に帰――ごふぁああ!」
「お漏らしさせて――げはあああ!」
「髪の毛の匂い――ぶはあああああ!」
無人の野を歩むがごとく、すたすたとカウンターまで向かってくる三人の少女。
酒に酔っていた、色々な意味で危ない男達の大半を床に沈め、カウンター席で震えている俺を囲む。
「ねぇ、マスター。この男の借りてる部屋の鍵は?」
黒髪の女の子が聞いた。
「こちらでございます」
これまでとは別人のように愛想のいい顔になったマスターが、少女に鍵を手渡した。
「うちの宿六が世話になったな。今晩は四人で泊まって、明日揃って出てくからよ」
そう言って笑うのは赤髪の女の子だ。
「今晩の皆様の宿泊費は結構でございます」
マスターのその申し出に、金髪の少女が満足そうに頷く。
「あら~、素敵~。今度仕事でこの町に来ることがあったら、ここに泊まろうかしら?」
「ぜひお待ちしております……それでは、どうぞごゆっくり」
「マスター……」
「これは無理」
抗議する俺とだけは目を合わせてくれないマスターが、俺にのみ聞こえる声でそう呟いた。
「さあ! キリキリ歩く!」
三人に急き立てられ、二階の部屋に連行される。
中に蹴り込まれ、ドアが閉められ……床に正座した俺は、再び三人に囲まれた。
黒髪の少女が初めに口を開く。
「こんなところまで逃げるなんて……いい度胸じゃないの?」
「ギルドの情報網を甘く見てたな、ダンナ」
「ルッソくんも心配してたのよ~」
最後にそう言った金髪の少女が窓を指差す。俺は立ち上がって、窓の外を見る。オスだけど心はメスの馬のルッソくんが声を上げながら海の男達を蹴り飛ばしていた。
「アンギャアアアオーン」
「……あんなキャラでしたっけ?」
「乙女心を蔑ろにするからよ」
窓から身を乗り出してルッソくんをなだめたあと、朝まで三人から交代で説教を食らい、不眠不休で土下座して……。
俺の、わずか三日間の家出は――ユベツの町で終了した。
◇◇◇
次の朝。
一階にいる、宿屋担当の女将さん相手にチェックアウトの手続きをしていると、二階から下りてきた三人が口々に言った。
「あー、(怒鳴りすぎで)顎が疲れちゃったわよ」
「アタイも(全速力のルッソくんに長時間跨ってたから)腰がガクガクだよ」
「たまには(説教の)シチュエーション変えるのも新鮮ね~」
それらを聞いて、女将さんの顔色がみるみる赤く変わる。
「あの……女将さん、違うんです。誤解です」
「何が誤解なんだい! あんた、目の下にクマ作って、足もプルプルさせて!」
「いや、足が震えてるのは……土下座のせいで……」
「土下座って、どんなプレイを子供に強要してんだい! 誰か! アグネス神殿に通報しておくれ!」
アグネス神殿は「子は宝」を教義とする新興宗教だ。子供に悪さをすると、神殿の神官がお仕置きにやってくるのだとか。
俺達四人は顔を見合わせ、転がるように宿屋から逃げ出し、表に待たせていたルッソくんに跨る。
「ベスパ! 来るっす!」
俺がそう叫ぶと、宿屋の陰から、大人が跨がれるくらいの大きさの亀が――亀らしからぬスピードで走ってきた。人が座るのにちょうどいい具合のコブが背中から二つ突き出ていて、その間に座布団が固定されている。
俺がこの町まで乗ってきた亀だ。
先日、山菜採取をしていて偶然見つけ、試しに俺のスキルでサラミを出して食べさせたところ――すっかりその味の虜になってしまったらしく、しまいにはサラミ欲しさにアサカー家の居候になった謎の大亀である。
大型のルッソくんよりも小さいので、何かと小回りの利くちょっとした足代わりとなっていて、俺が居候しているアサカー家では「イントよりも使える」と評判になっている困った奴だ。
「ベスパを拾ってきてから、ダンナの行動範囲が広がったからな。居場所を突き止めるのに苦労したぜ、なあデックス?」
赤髪の少女がそう聞き、黒髪の子が答えた。
「そうね。家出をするのに、まさかベスパを使うとはね」
ベスパと呼ばれた亀は、慣れた様子で俺達が座るルッソくんの背中に飛び乗ってきて、「ぴい!」と一鳴きする。
すると、ルッソくんが急加速を始めた。
そのルッソくんの背中でのんきに居眠りを始める亀とチビ三人娘。
こうして俺は、懐かしの我が家へと連行されたのだった。
◇◇◇
俺、イントは前世では大道寺凱という名前で日本人をやっていた。
だけど、神様の気まぐれで交通事故に遭い、魔法中心のファンタジー世界に転生させられて今に至る。
こっちでの暮らしは……見てのとおり、ドタバタです。
さて――エンガルの町は今日も快晴である。まさに正座日和。
昨夜までの家出の罰として、アサカー鍛冶屋の隅っこに造られた大亀ベスパの小屋のそばで半日正座させられているわけだが……ベスパは俺が遊んでくれるのかと思ったらしく、正座する俺の近くではしゃぎ回っている。
亀のくせにやたら素早い動きを見せるベスパに向かって、俺は時折ポケットからベビーサラミを放り投げ、それをベスパが空中キャッチする。
遊んでいるわけではない。
俺達の様子を見て、近所の子供達が寄ってくる。子供達に囲まれたベスパがさらに大はしゃぎするが、決して、遊んでいるわけではない。
「楽しそうね? イント」
後ろから肩を掴まれ、耳もとでそう囁かれる。
「いえ、反省中ですので……」
ドワーフ三人娘の長女、デックス。
黒のストレートヘアーが特徴の、機敏な双剣使いのお姉さんである。
見た目はまるっきり小学生だが、気配を消して相手の背後に回るのが得意な、暗殺者顔負けの実力者だ。
「イタタタ! 痛いっす! 耳がもげるっす!」
「あら、ごめんなさい。何か、とんでもなく失礼なことを言われた気がして」
心を読まないでください……。
アサカー鍛冶屋の三姉妹は、町の子供達の「ヒーロー」である。
「ヒロイン」ではない。子供達と大差のない体つきながら、誰も見たことがないような派手で大きな馬に乗ったり、大猪を仕留めてきたり、翼竜を仕留めてきたり、冒険者ギルドの荒くれ者達を仕留めてきたり……そうやって子供達からの人気が増すほどに、彼女達の結婚相手候補が減っていった。
「いだだだだ! アイアンクローはやめてください!」
「ごめん、ダンナ。何か、無性に腹が立って」
アイアンクローを外して苦笑いを浮かべているのはエステアだ。
三姉妹の末っ子で、赤髪のショートヘアー。こちらも小学生にしか見えないが、武器を使うよりも直接殴るほうが好きな、脳味噌まで筋組織に蝕まれた生粋のデストロイヤーだ。
以上が、アサカー家三姉妹の――。
「あだだだだ! そこは急所です! 人中です! 死ぬ死ぬ!」
今、親指で人体の急所である鼻と口の間の窪みを力一杯押してくれたのが、アサカー家次女のヴィータである。
フワフワウェーブの金髪で、前の二人に比べると口数が少ないためか、少しばかり影が薄い。やっぱり見た目は小学生なのだが、相当の腹黒で、獲物を陥れるのが大好きな罠マニアである。
その存在感の薄さを気にして、あざといキャラづけをしているのだが……今一つ乗り切れていない感じがする。
「ごめんなさい、ダーリン。何か、危うく存在を忘れられそうになってる感じがして、つい」
この三姉妹は、俺のお嫁さん。三人とも。半ば強引に、気づけば結婚させられていた。押しかけ女房三人組である。
アサカー家に居ついたのは、俺のほうなのだけど……。
「どしたんだ、ダンナ? 呆けた顔して。まるで、出ると思ってなかった二巻の第一話みたいな表情だな? ここらでキャラ紹介でもしとくか?」
エステアがそう言って笑う。
「相変わらず、余計な直感が鋭いっすね」
「反省してるかどうか怪しいけど……さ、イント、今日の仕事をもらいにいくわよ」
そんなことを言い出したのはデックスだ。
「足が痺れて動けないので、留守番してますね」
……俺は問答無用で正座の姿勢のままベスパの甲羅に縛りつけられ、四人仲良くギルドに向かった。
商店街のおばちゃん達に「今度はもっとうまくやんな!」と励まされつつ、罪人さながらに町中を引き回され、やがてギルドの門をくぐる。
ベスパを建物の前で待たせ、俺をかついで受付カウンターのそばに置くと、落ち着きのない三姉妹は早速どこかへ行ってしまった。
ようやく足の感覚が戻ってきたので立ち上がり、カウンターで冒険者の依頼ファイルを見せてもらっていると――ふいに後ろから話しかけられた。
「ちょっとあなた、よろしいかしら?」
「はい、何でしょう?」
振り向いてみると、スレンダーなボディに端整な顔立ちの女性三人が、並んで立っていた。
着ている服はうちの三姉妹と同じくハンター用の作業服だが、こちらの三人のそれは端々にフリルがあしらわれている。我が家の三人もそうだけど、皆、作業服をアレンジするのが好きだなあ。
「あなたはお一人のようなのでソロの依頼を探してらっしゃると思いますけど、私達はパーティ向けのものを探してるの。悪いけど、先を譲ってくださらない?」
俺はどうしたものかと思い、カウンターの向こうで事務作業をしていた、受付係のナナさんに視線を向けると、露骨に面倒くさそうな顔をして――。
「申し訳ございませんが、順番は守ってもらえますか? こちらの冒険者さんが先ですから。予約券をお持ちになって、向こうで控えていていただけますか、ウィドレンさん」
ウィドレンと呼ばれた、俺に声をかけてきた女性がナナさんを正面から見据える。あとの二人もナナさんを睨みつけている。
「まぁ、この私を、そこの駆け出しっぽい地味男と同列に扱うというのかしら?」
「あなた方とこの方ではランクが違いますが、依頼ファイルの閲覧にランクは関係ありませんから」
ビシリ、という音とともに、ウィドレンさんのこめかみに青筋が浮かび上がった。
ウィドレンさんは目を吊り上げ、殺気を膨らませる。
「あのー……お急ぎであれば……」
すさまじい殺気に圧されて思わず順番を譲ろうとすると、ナナさんが俺の額を鷲づかみにしてアイアンクローをかけてくる。
「イントさんは、黙っていてくださいね?」
「はい……」
「どうしても順番を繰り上げないとおっしゃるのかしら? 受付係さん?」
「はい、ドウシテモデス。……これ以上は時間の無駄ですので、すっこんでいていただけますか?」
ナナさんが涼しい笑顔のまま、ギリギリと俺のこめかみを締めつける。
「ほう……受付係さん、何でしたら、実力で押し通ってもいいんですよ?」
ウィドレンさんの挑発にナナさんが反応する。
締めつけを強めるアイアンクロー。
メキリと、俺の頭蓋骨が軋む。
「ら、らめぇ……」
口の端から泡が噴き出しかけた時、ヴィータののんびりした声が聞こえてきた。
「今、お話聞いてたけど~、小生意気なお口がずいぶん上手になったわね~、ウィドレンさん」
ナナさんのアイアンクローが外れた。
「あなたには関係のないことでしょう、おチビさん」
「パーティだから優先しろって言うなら、こっちは四人パーティだから、何の問題もないわよね~? 黙って後ろに並んだら~? モブの棒人間さん」
ウィドレンさんは、ヴィータと俺の顔を交互に見た。
「あら、こちらの冴えない地味男は、泥臭いドワーフ一家の関係者でしたの?」
ヴィータが、顔色をまったく変えずに返す。
「それこそあなたには関係ないわよね~? さっさと森に帰って、虫でも食べてたら~? お猿エルフさん」
チリチリと辺りの空気が焦げついていく。
「ふふん、子供相手に道理を説いても、魔法も使えない劣等種族には理解もできないですわね」
踵を返して出口に向かうウィドレンさんとお仲間二人。
「町は、森と違って迷いやすいから気をつけてね~、虫食らいのお婆ちゃん達」
ビキリ、と何かが弾ける音が聞こえた。
次の瞬間、ブチ切れたウィドレンさんが、鼻先がつかんばかりの距離でヴィータを睨みつけていた。
「ああ? オメー、今、何つった? このくそわらしが!」
「あら~、聞こえなかった? いい加減、自分の耳が遠くなってるのを自覚したら? 耄碌って怖いわ~。ふふっ」
いつもどおりの、ふんわりとした笑顔で毒霧を吐き続けるヴィータ。
「誰が耄碌だあ、こらあ!」
ウィドレンさんが声を荒らげる。
「え~? それ、聞いちゃうの~? 面と向かってだと、さすがに言いづらいし~」
「こ、こここ、殺す! ぜってーコロス! このチビわらしが!」
「いや~ん、怖い~」
ヴィータ……さすがスキル「挑発」持ち。
さきほどまでのお嬢様っぷりはどこへやら、極悪チンピラにジョブチェンジしたエルフさんを、受付ロビーにいた全員がドン引きして見つめていた。
ついさっきまで怒りに震えていたナナさんも、ウィドレンさんに同情の眼差しを向けている。
「ウィドレン! いい加減にしろ!」
チンピラエルフさんの頭に水がかけられた。丁寧に巻かれたお嬢様ヘアーから水が滴り落ちる。
「放っておいて、ウォタレン! これはワタクシの問題であって……」
「見苦しいぞ、我らの家名を汚す気か?」
ウォタレンと呼ばれたクールなエルフさんが、チンピラエルフさんを窘める。
カッコイイ! その調子でこの場を収めちゃってください!
応援ありがとうございます!
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