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「彼」には長旅の疲れがあったろうが、第一にそのようなことに気を留めなかった。それよりも、プラスチックやゴムを燃やした時のような、何とも言い難い「臭い」に、「彼」の鼻は集中していた。加えて何か別の「匂い」も感じとることに成功していた。それはどこか懐かしい「匂い」。しかしそれが何の「匂い」なのか思い出すことはできなかった。 「おー新入りか! お前さん名前は何て言うんだ? 」 目の前が急に開けたように、びっくりして反射的に顔を上げた「彼」の視線の先には、1人の男が立っていた。年齢はおそらく40代後半。髪は丸刈りで口元には無精髭。これぞ中年太りというようなぽっこりお腹。もっと詳しく観察したい気はしたが、さっきの質問に答えなければと、「彼」は思い出したように、 「僕の名前は……」 なぜその先が出てこないのかは自分でもわからなかった。 「さてはお前さん、まだ名前貰ってないんだな? よし、つれてったる! 」 そう言うとその男は、ガニ股で踵を引きずりながら歩いて行った。 「おーい!」 そう男が叫びながら大きな扉を開けると、奥から怠そうに、女が目をこすりながら出てきた。 「なんだい、朝から大声で…アタシの神聖なる眠りを邪魔した罪は重いよ! 」 寝起きだからか、酒焼けなのか、見当のつかない声で女は言った。 「そんなのはコイツに後で付けといてくれ。今日はコイツの為にわざわざ来たんだからな! 」 そう言うと男は「彼」の背中をボン! と1回叩いた。よろけるように半歩前に出た「彼」に女は怪訝そうな顔で言った。 「どこのどいつだいソイツは! アタシと寝たいなら100万年早いよ!! しかし、『ゴロゴロ石』はいつも新人をここへ連れてくるね」 男は笑いながら、 「いい加減そのセンスのねぇ名前どうにかなんねーのか? こいつにゃ名前がないんだよ、そのくらい顔みりゃわかるだろ?それに名前のない奴をここへ連れてくるのが、俺の『ルール』だからな 」 すると女は冗談だよ、と言わんばかりの顔で、 「給料にならないからイヤなんだよ」 と吐き捨てながらも「彼」に近寄って行き、暫くしてこう言った。 「今日からお前は『赤ちょうちん』だ」(続)
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文字数 6,150 最終更新日 2016.07.07 登録日 2016.07.06
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