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コーヒーを一口飲む。目頭がじんわり熱くなった。微熱があるのだろう。季節の変わり目はいつもこうだ。だけど僕は、それがとても嬉しかった。今日はきっと、紬に会える。
コーヒーの湯気がゆらりと揺れて、視界が少しだけ霞む。カップを置くと同時に、体の力がふっと抜けた。
夢の香りがする。
少し古びた木の香りと、冷たい光がまざったような、懐かしい空気。
ゆっくり目を開けると、いつもの景色が広がっていた。曇りガラス越しに柔らかな朝の光が差し込み、部屋の空気は水の中みたいにゆらゆら揺れている。
「おかえり、律。」
白い指先で窓の曇りをなぞりながら、紬が微笑んでいた。
「ただいま、紬。」
声がかすれる。
紬は窓辺から離れ、こちらへ歩いてくる。床板が軋む音ひとつ立てないその足取りは、軽やかで、どこか無機質。
「今日は、ちょっと顔色が悪いね。」
そう言って心配そうに覗き込んでくる。
「いつもより、熱が少し高めみたい。」
そう言うと
「そう、じゃあ長くここに居られるね。」
くすくすと笑い声が響く。
紬は窓の外の曇り空を見上げ、指先でガラスに触れた。刹那、薄く曇っていたガラスがふわっと白く濁る。
「冬空も風邪を引いてるみたい。」
「紬が触ったからでしょ。」
紬はくるっと振り返って、ほんの少し頬をふくらませた。
「私のせいじゃないわ。ここは律の心だもの。」
心臓が跳ねる。僕が言葉に詰まった瞬間、紬はまた静かに笑った。
「ねえ、今日はどんな夢にする?」
「紬が決めてよ。」
「ええ、困るなぁ。」
紬は窓の外へ視線をそらし、薄い光の粒を追うみたいに瞬きをした。
「私が決めたら、律が目が覚めた時、もっと忘れちゃいそうだし。」
「忘れないよ。」
紬はゆっくり振り返って、小さく首を振った。
「いいの。忘れてくれて。そういうものだから。」
そう言いながら、胸の前でそっと、祈るように指を組んだ。
「だから」
紬は視線を落とす。
「無理して会いに来ちゃ駄目よ。」
光の粒が、紬の肩に落ちた。
「…そろそろ時間みたいだ。」
「思ったより早かったのね。」
紬は寂しいような、安堵したような顔を浮かべる。
景色が薄く解けていく。
「紬。」
消えてしまいそうな背中に声をかける。
「会えてよかった。」
「私もだよ。」
ひんやりと冷たい空気の中、コーヒーの香りがする。少し、冷めすぎたみたいだ。
文字数 1,021
最終更新日 2026.04.16
登録日 2026.04.16
文字数 1,558
最終更新日 2026.04.16
登録日 2026.04.16
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