道を極める

東大三度落ち、人気塾講師からのカフェ経営
井川啓央と『カフエ マメヒコ』誕生ヒストリー

2016.09.20 公式 道を極める 第4回 井川啓央さん

映画の制作・配給、ラジオ配信、舞台、畑での穀物栽培……。 
これらはすべて渋谷、三軒茶屋の人気カフェ『カフエ マメヒコ』での取り組み。こうした“多様な”活動の背景には、経営を続けていくための哲学がありました。次への活動の“種”を蒔き続けた、代表井川啓央さんの“カフェ以前”の原点から、『カフエ マメヒコ』誕生までを伺ってきました。

(インタビュー・文/沖中幸太郎

カフエ マメヒコの“種”を蒔く
オーナー井川氏が自分発注の仕事を続ける理由

井川啓央(いかわ・よしひろ)
カフエ マメヒコ オーナー
株式会社セレンディピティ代表取締役

1973年北海道生まれ。日本大学芸術学部放送学科中退後、フリーのテレビディレクターに。03年デジタル放送のコンテンツ制作を手がける株式会社セレンディピティを設立。05年三軒茶屋に「カフエ マメヒコ」をオープン。現在、渋谷ほか3店舗。カフェ経営の中で映画の制作・配給・上映、北海道千歳でハタケマメヒコとして豆や野菜を生産するなど、次への“種”を蒔き続けている。
CAFE MAME-HICO

――先日、映画(※マメヒコピクチャーズ制作の「ゲーテ診療所」)を観てきました。

井川啓央氏(以下、井川氏):なぜカフェを経営するぼくが映画を撮っているのか、ラジオや舞台、畑で穀物栽培を手がけているのか、これはぼくの人生すべてに言えることなのですが、クリエイティビティというよりは、必要に迫られてやってきた結果です。ある種の焦燥感のようなものが原動力となっています。

やっていることは一見バラバラに見えますが、自分の中では関連性があって、「すぐに役立つかはわからないけれど、大切にしたいこと」というマメヒコの哲学を発信していて、共感してくれる仲間探しでもあります。

よく「こだわりがあるんですね、すごいですね」なんて褒めて頂きますが、なんだか恥ずかしくて……。
普通なら部署ごとに仕事があるわけですが、人事部、総務部、営業部など、意思決定から実際の活動まで、自分に発注して自分でやっているのは、単純に分業できるほど事業規模がないから、やむにやまれぬ事情があるんです(笑)。

――ご自分でやらないと気が済まない……。

井川氏:……なんて言われた日には、「そんなわけないだろう」ってツッコミたくなりますよ(笑)。必要に迫られて、芽となる種を試行錯誤しながら蒔いています。条件が揃えば発芽する。こうした「種蒔きの哲学」は徐々に培われていったもので、『カフエ マメヒコ』に教わった生き残りの術。カフェを経営するなんて考えてもみなかったぼくが、こうしてお店を続けていけるのは、嫌いな種は蒔いていないからかもしれません。そして種蒔きのような「雑多」なものから生まれる可能性を感じているのは、幼少期の環境が大きく影響していると思います。そこがマメヒコだけでなく、ぼくという人間の原点なのかもしれません。

誕生日ケーキって自分で買うの?
“破れた下着姿のおばさん”に教わった、
ひとつじゃない世界の存在

井川氏:実家はいわゆる転勤族で、ぼくは、当時父の赴任先だった札幌で生まれました。ある一時期を除いてほとんどはこちら(関東)で過ごしましたが、各地の転校先で「はじめまして」を繰り返していると、築き上げた世界がとても儚(はかな)いことを、身をもって感じていました。確固たるイデオロギーみたいなものに対して懐疑的なのは、その頃からです。

また、これも転勤族の子どもの宿命なのかもしれませんが、新たな世界で生きていくために、人の気持ち、周囲の大人の気持ちを推し量ろうとするところがありました。たとえば、うちは世間と比べてお堅い、体裁を大切にする家庭で、来客時の家人の対応ひとつとっても至極丁寧でしたが、裏では「急に来て、困ったわねぇ」と慌てたり、グチをこぼしたりするのです。その様子を、障子ひとつ挟んで、聞き耳を立てながら「大人はこうして世の中を渡っていくのだな」などと考える、そういう変な子どもでした。

――自然と養われた観察眼で、何を感じてこられたのでしょう。

井川氏:「この世の中は、そんなに単純じゃないぞ」ということでしょうか(笑)。小学2年生の時、川崎から仙台に転校したのですが、今でこそ新幹線も通って東京から2時間もかからずに行けますが、当時はなんだか遠い、知らない場所で、何もかもが違う別世界に大きなカルチャーショックを受けました。

たとえば川崎に住んでいた頃は、建て売りの住宅地が並んで、友だちもだいたいみんな似たような家庭環境だったのですが、仙台は歴史のある城下町で、家庭の職業も、だるま屋さん、お寺の住職、醤油屋さんなどなど……。
サラリーマンの子どもなんてほんの一部の世界でしかないことを知りました。

ある日、同級生の誕生日会のために友人宅を訪問したところ、その家にはケーキはおろか、飲み物もローソクも、飾り付けもありませんでした。少し驚いていると、奥から起きたばかりと思われる破れた下着姿の同級生のお母さんが、「あんた、何にも用意していないじゃない!」と言いながら、友達をひっぱたき、サイフから千円札を渡して「なんか買ってこい!」って言ったんです(笑)。

――破れた下着姿……強烈な、友達のお母さん(笑)。

井川氏:もう、こっちもなんだか圧倒されて「いえ、おかまいなく」とか言っちゃって(笑)。そのとき、「ケーキは自分で買ってくる家もあるんだ。ああ、ぼくは世間のことを何にも知らないな」と、思い知らされました。

そういう状況にあって、ぼくは徐々に家の外の世界を知っていくわけですが、それはあくまで自分だけの変化で、東京を標準にしていたウチでは、「東京の子」と同じように全国模試を受けさせられたり、そこでの成績が優秀な子どもたちが集まる合宿に参加させられたりしていました。その合宿で、「東京の子」たちから、思いもかけずバカにされたことで、最初のプチドロップアウトは始まりました。

――どんな仕打ちを受けたんですか?

井川氏:仙台といったら「“おしん”だろ」とか「大根メシ食ってんだろ」などとからかわれたんです。その時「ああ、こいつらはあの破れた下着姿のおばさんの苦労なんて知らないんだな、世の中にはお前たちの知らない社会があるんだ、バカヤロウ」と思いましたね。

彼らの世界で一緒に、偏差値を追うことのバカバカしさと、無意味さを感じて、一緒の価値観にいるのはあさましいことだと、みずから受験することを辞めてしまいました。そこからですね、王道からどんどんずれていったのは(笑)。

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アルファポリスビジネス編集部
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アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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