道を極める

仏教と人々を「言葉」でつなぐ架け橋になる

2016.10.18 公式 道を極める 第6回 大來尚順さん

人々の悩みに寄り添いたい――浄土真宗本願寺派の僧侶であり、故郷山口の超勝寺の副住職を務める大來尚順(おおぎ・しょうじゅん)さん。スーツを着てサラリーマンとして働く傍ら、超勝寺を通じた事業「KAKEHASHI(架け橋)」のほか、メディアへの出演や記事の執筆など多方面で活躍されています。活動の根底にある「社会をつくる仏教」への想いはどのようにして生まれ、育まれてきたのか。新しい時代の僧侶として、可能性を模索し続ける大來さんの「道の極め方」とは。

(インタビュー・文/沖中幸太郎

「耳」「目」「心」すべてを駆使して人々の悩みに寄り添う

大來尚順(おおぎ・しょうじゅん)

1982年、山口県生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。龍谷大学卒業後に単身渡米。Graduate Theological Union/Institute of Buddhist Studies(米国仏教大学院)に進学し修士課程を修了。その後、同国ハーバード大学神学部研究員を経て帰国。
帰国後は一般財団に勤務しながら、東京と山口県の自坊(超勝寺)を行き来し、僧侶として以外にも通訳・翻訳、執筆・講演などの活動を通じて、国内外への仏教伝道活動を実施。仏教の立場から働く上での苦しみの解決を紐解いた「端楽(はたらく)」や初級英語で仏教用語をやさしく解説した「超カンタン英語で仏教がよくわかる」(扶桑社)も非常に好評。さまざまな仏教宗派の若手僧侶の声をまとめた最新刊「つながる仏教」(ポプラ社)も注目を集める。「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」(テレビ朝日系列)にも出演。次世代の日本の仏教界を牽引する逸材と称されている。

 ――僧侶として、さまざまな場所で人々の悩みに寄り添われています。

大來尚順氏(以下、大來氏):現在は、「二足の草鞋」を履いており、超勝寺副住職として「まちのお寺の学校」校長の活動に携わる傍ら、一般財団に勤務し、各国際拠点の方々のコミュニケーションサポート、書類の翻訳、イベントの企画を担当しています。自坊での「KAKEHASHI(架け橋)」という事業では、ツアーガイドや講演の通訳、書類の翻訳などをしています。

また、『ぶっちゃけ寺』(テレビ朝日系列)というテレビ番組に出演したり、Webサイトで『ビジネス駆け込み寺』として悩める方の相談に応じる記事の連載などを手がけたり、『訳せない日本語』というタイトルで、日本人が古来持っている考え方や言葉の本当の意味を紹介しています。お悩みを持った方が実際に解決するのは、まさに悩んでいる方ご本人なのですが、我々み仏に仕える者が、どのように「解決の手ほどき」をできるのか。私自身勉強させて頂く毎日です。

私が、社会に対して積極的に活動するのは、今悩んでいる人々を仏法により「救いたい」「寄り添いたい」という気持ちからです。今、目の前で悩んでいる方を、その苦しみから解放することが、仏教の役目だと私は思っています。そのためには、みずから現実の社会に飛び込んでいくしかありません。飛び込む方法はいろいろありますが、私の場合はテレビやWeb上での連載や書籍の出版などを通じて、その「言葉」を伝えています。
また、我々、特に浄土真宗は「聴聞(ちょうもん)」を大切にしていますので、実際に人と直接お会いすることも欠かせません。そうしていろいろな方にお会いして生のお悩みを聞き、少しでも悩みを持った方の心に寄り添って、その方の心が少しでも軽くなるよう、私としては努めているつもりです。

「聴聞」の「聴」の漢字には、「耳」と「目」と「心」という字が含まれていますが、文字通り体全体で聴かなければなりません。「心身一如(しんしんいちにょ)」、人間の心と体はひとつのごとし。悩みを抱えていらっしゃる方々の表情、息づかいは悩みの数だけ違います。本当の苦しみを感じ、その方に寄り添うにはやはり直接お会いしなければなりません。今も、悩みを抱えた方々に直接お会いするため、東京と故郷のお寺を行き来しています。

個人的な幸せよりもみんなと幸せを感じたい 
お坊さんへの想いと「二足の草鞋」の原点

大來氏:私の故郷は山口県で、400年以上続くお寺「超勝寺」の長男として生まれました。「尚順」という名前は、初代住職である惠順(えじゅん)氏の名から一字頂き名づけられました。

生まれ育った徳地町(現:山口市)はとても田舎で、同世代の友達はあまりおらず、両親ともに働いていたため、祖母が私の遊び相手をしてくれていました。水戸黄門、大岡越前などの勧善懲悪(かんぜんちょうあく)ものを一緒に見たり、近所のご老人とゲートボールをしたりして過ごしていました。昔から個人的な幸せよりも、そうして一緒に過ごす人々が笑っていることに幸せを感じるような子どもでした。

同じく惠順氏から一文字頂いた父、惠真は僧侶の身分のほか、やはり二足の草鞋で、県庁に勤務し児童福祉や介護老人福祉を担当していました。その影響からか、私の小学生時代の卒業文集にはスーツを着たサラリーマン姿と、袈裟を着たお坊さんの姿を絵で描いていました。

――その頃から「二足の草鞋」を意識されていたんですね。

大來氏:やっぱり働く父の姿は、皆格好いいんだと思います。また、生まれたころからお経を聞いて育ち、経文も音で覚えるくらい染み付いていたので、自然とそうした気持ちになっていたんだろうと思います。ところが行動の方は真逆で……。
坊主は坊主でもやんちゃ坊主で、方々に迷惑をかける問題児でした。それにもかかわらず地域のご門徒の皆様からは、温かく見守られて育ちました。

中学の成績はずっと「オール3」。決して褒められた人間ではなかったのですが、ちょうどそのころ母親が病気のために入院し、そこでひとつの転機が訪れました。私が15歳の時でした。
母が家にいないため、父と過ごす時間が多くなったのですが、その時に私の出生のころの話を父からはじめてちゃんと聞きました。私には歳の離れた姉が2人いるのですが、次女の出生後の7年越しに待ち望んで生まれた子どもということで、またお寺の跡継ぎとなる待望の男子ということもあり、喜びもひとしおだったということを、父が目の前で嬉しそうに話してくれました。

普段、父とは真面目に腹を割って話をする機会もあまりなかったものですから、そんな風に自分が生まれたころの話を直接聞いて、周りの想いをはじめて直接受け取った気がしたのか、部屋にもどった私は号泣しました。
「父や母、家族の愛情に恩返ししよう、しっかり生きなければ」と改心し、それからは今までやっていなかった分も勉強に打ち込みました。いきなり勉強をはじめたものですから、すぐに成果が表れることはありませんでしたが、それでもオール3から、なんとか浄土真宗の宗門校(しゅうもんこう)である龍谷大学へ進むことができたんです。

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アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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