道を極める

仏教と人々を「言葉」でつなぐ架け橋になる

2016.10.18 公式 道を極める 第6回 大來尚順さん

仏教に何ができるか……。
自問自答の末に出会った一冊の本
さらに学びを求めて海外へ

大來氏:私が進んだ文学部真宗学科は、大学全学生(約2万人)の1割にも満たない、500人ほどの生徒数でしたが、それだけ多くの学生がいると各人の仏教に対する想いもさまざまで、必ずしも皆が同じ志を共有していたわけではないため、熱すぎるくらいの情熱を持った自分は浮いた存在になってしまいました。

――そうした「現実」とのギャップを、どのように埋めていったのでしょうか。

大來氏:根が楽天的というかポジティブシンキングなので、そうした状況にとくに腐ることもなかったのですが、仏教を学んでいくうちに、教義だけでなく(もちろん学ぶことは大切ですが)、身の周りで起こる苦しみへの解決を、仏教心理学の側面から模索するようになりました。

ちょうどそのころ、阿満利麿(あまとしまろ)という方が書かれた『社会をつくる仏教』という一冊の本に出会いました。1963年、当時の南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権の仏教徒に対する高圧的な政策に抗議するため、サイゴン(現:ホーチミン市)の米国大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した、ベトナムの僧侶ティック・クアン・ドックについて書かれた本です。

そこには、ティック・クアン・ドックの行動に大きな影響をうけたティック・ナット・ハーンという臨済禅の僧侶のことも書かれていて、権力に屈することなく仏教と自分との関わりを模索し、仏教者としての知恵を使いながら社会と関わっていく姿に「これこそ自分が求めていた仏教の姿だ」と、心の底から感動しました。
また、僧侶という仕事に対する勇気づけにもなってくれましたし、その先への道筋が示されたように感じました。この時の想いは、確実に私の今の行動につながっていると思います。

それから、ティック・ナット・ハーンの思想と行動についてもっと知りたいと思いましたが、その当時、彼について書かれた書物は限られており、もっと学ぶためには、英語の資料などに当たってみたり、海外の研究者に話を聞いてみる必要がありました。

しばらくはバックパッカーをしながら、関連する研究者を訪ねて海外を回っていました。カナダのトロントの日系人寺院の活動を見るため滞在させてもらった経験や、サンフランシスコで出会った方の影響により、米カリフォルニア州バークレーにある、「Graduate Theological Union」という神学校の大学院にある米国仏教大学院の仏教学科(Institute of Buddhist Studies)に進むことに決めました。

ところが当初、宗教学を学ぶには人生経験も少なく若すぎると言う理由から、書類選考で落とされてしまったのです。「そんな理由で落とされては、たまらない!」と、気づけば荷物をまとめて、私はどうなるか分からないまま現地まで飛んでいました。

現地の責任者に私の学びたい想いを伝えて直談判した結果、なんとかその先の選考まで進ませてもらい、最終的に入学を認めてもらいました。もちろん学びたいという情熱もありましたが、最終的に行動を後押ししてくれたのは、すでに周りにもアメリカに行くと言っていた手前、引っ込みがつかないという気持ちだったと思います(笑)。


留学先での厳しい学習環境と報われない成果
どん底から這い上がらせてくれた母からの手紙

――電話でも手紙でもなく、直談判したんですね……。

大來氏:と言うと格好いいのですが、実際は気力だけでした。留学前の英会話力は悲惨なもので、バックパッカーでちょくちょく海外には出かけ、英語もそれなりだと自分では思っていたのですが、実は必要な交渉すらできないレベルでした。

こうして無事にアメリカで学ぶ機会を得るのですが、やはり「入ってから」が過酷でした。1コマ3時間の授業を4つ取り、1週間600ページのテキストを読んで、ディスカッションに参加するために、毎日睡眠時間を削って頑張ることになりました。当時の平均睡眠時間は、土日関係なく2~3時間でしたね。
最初のうちは、講義で何を言っているのかを聞き取ることで精一杯で、寮に帰宅してはその日に分からなかった英単語を覚えるまで雑記帳に書き続けていました。英単語を書きまくるため、使うペンは6時間でインクがなくなっていました(笑)。それでも向こうでは、「聞いてばかりいて議論に発言しないのは出席していないのと同じ」ということで、周りからは「何しに来たんだ、こいつは」という目で見られていました。

また、それでもしがみついてなんとか徹夜で書きあげたレポートも、提出すればあっさりとゴミ箱に捨てられるほどで……。

その状況にさすがの楽天的な私も、体力的にも精神的にも参ってしまい、ついには「もう日本に帰ろう」と、母親に電話で泣きつくほどになってしまいました。

――泣きついた私に、電話口から聞こえてきた母親の言葉は……。

大來氏:「帰ってくるな」でした(笑)。でも、その声は密かに泣いているのが分かりました。私は、母を落胆させ悲しませてしまったのだという気持ちで、さらに暗い気持ちになりました。

その電話の翌日、日本からの船便が数週間を経て到着しました。箱を開けるとカップラーメンやみそ汁などの日本のインスタント食材と一緒に、母からの手紙も入っていました。そこには「あなたの挑戦を誇りに思います。言葉もわからない遠い国で大変であろうことは想像できます。あなたの苦しみは変わってあげられないけれど、あなたを心配することで、あなたと一緒にいますよ」と書かれていました。

私はそこではじめて、前日の電話の泣き声は「変わってあげられないことへの苦しみだったのだ」と気づきました。母の手紙を何度も泣きながら読み返し、もっとできるぞと勇気が涌いてくると同時に、気持ちもふっと軽くなりました。精神的な余裕ができると不思議なもので、勉強の要領もよくなり、なんとか無事に2年半を終え、仏教学の修士号を取得して日本に帰ってくることができました。

帰国後、一般財団でお仕事をさせて頂いていたのですが、半年後、松田正典氏(広島大学名誉教授)の付き添いで英国のオックスフォードに同行することになり、そこから導かれるように、翻訳・通訳のお仕事や、先ほどお話しした「社会をつくる仏教(エンゲージド・ブッディズム)」の海外の研究者ともつながりました。
その後ハーバード大学の神学部に研究員として1年間留学させてもらえたのも、その財団や活動を通じて「ご縁」を頂いた方のおかげでした。

このようにして、多くの方々にご縁を頂きながら、それを紡いで今に至っていると実感しています。特にハーバード大学には、自分ひとりの力では入ることもできませんでしたし、本当に貴重な体験をさせて頂きました。

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アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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