対照的なのが、就職氷河期を生き抜いた世代だ。彼らの時代、東大を出ても就職先がないという理不尽がまかり通っていた。安定したルートなど存在せず、むしろ「高学歴」が足かせになることさえあった。この「正解のない荒野」をサバイブした彼らは、マニュアルに頼る術を持たなかったため、強制的に「地頭」を使わざるを得なかった。仕事でも同じく、今のように懇切丁寧に教わることもなく、若手は「見て盗め」で放り込まれた。過去の先人が残した仕事から逆算して、求められる成果物の規則性を見出し、解釈するという仕事をしたのは筆者だけではないはずだ。もちろん彼らが万能だったわけではない。だが少なくとも「不確実性への耐性」だけは、しっかり鍛えられたのだ。
理不尽な上司、不条理な取引先、突然のルール変更。それらをただ嘆くのではなく、「攻略すべき環境変数」として捉え、泥臭く適応し、ねじ伏せてきた。彼らが持つのは、誰かが作ったテストで満点を取る能力ではない。ルール無用のストリートファイトで生き残るための強さである。この「野生の強さ」は、SAPIXや鉄緑会で培養された「養殖エリート」が最も苦手とするものである。
皮肉なことに、現代の高学歴Z世代がアイデンティティとする「正解をハックする能力」「最適解を導き出す情報処理能力」は、AIが最も得意とする領域である。与えられたデータからパターンを見出し、過去の事例(学習データ)に基づいて最適解を出力することにおいて、人間はもはやAIに勝てない。つまり、彼らが誇る「受験エリートとしてのスキル」は、今後急速にコモディティ化し、価値を失っていく運命にある。
では、彼らに活路はあるのか。逆説的だが、彼らが軽視してきた「非合理」や「非効率」の中にこそ、人間だけが発揮できる価値が残されている。データ化できない現場の機微を読み取る力。論理だけでは動かない人間の感情を調整する力。正解のない問いに対して、責任を持って「決断」を下す胆力。これらは、マニュアルやYouTubeの解説動画では決して学べない、「アナログな熟成」を必要とする能力である。