こんな仕事絶対イヤだ!

産業革命の犠牲者――紡績機掃除人

2018.01.24 公式 こんな仕事絶対イヤだ! 第96回

巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……

産業革命の犠牲者、織機の糸ぼこりを取り除く

産業革命が紡績技術を飛躍的に進歩させたことは、周知の事実である。それに比して、技術革新が貧しい少年少女たちの生活をも変化させたことは、あまり知られていない。1779年に高品質・高効率のミュール紡績機が登場すると、紡績工場は昼夜を問わず稼動するようになった。ガチャガチャと無機質なリズムを刻む紡績機はやかましいうえ、大量の糸ぼこりを出した。なにせ、工員が鼻の穴を布でぬぐうと、紡いでいる糸の色がクッキリと布に付くほどである。これを片付けるのが、『紡績機掃除人(ぼうせききそうじにん)』としての子供たちの仕事だった。

糸ぼこりは、時間とともに紡績機の隅に溜まっていく。だが、印刷所の輪転機のように、一度動き出した紡績機をそうそう止めるわけにはいかない。子供たちは、絶賛稼働中の紡績機の真下にもぐり、駆動部に巻き込まれぬよう掃除をする必要があった。当時の紡績工場内は、糸が乾いて切れぬよう高湿度に保たれており、不快極まりない環境だった。そのうえ、毎日12~14時間も働かされていたため集中力が持たない。高速で動く紡績機に挟まれて手足を失ってしまう子や、頭を挟まれて即死してしまう子もいたという。これだけ働いて週給2ペニーだから、ほとんど奴隷も同然であった。

だが、紡績機掃除人の子供たちに逃げ場はなかった。もともと救貧院から派遣されていたので、そこに戻ったところで再び紡績工場に送り返されるだけであった。産業革命が起こったところで、貧民の子がつらい目を見る社会構造は全く改まっていなかったのだ。DSだ、ポケモンだ、DSだ、DSだ、ポケDだ、などと言っていられる現代の子供は本当に幸せ者である。

(illustration:斉藤剛史)


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プロフィール

清水謙太郎
清水謙太郎

1981年3月、東京都生まれ。成蹊大学卒業後にパソコン雑誌の編集を手がける。また、フリーライターとして文房具、自転車などの書籍のライティングや秋葉原のショップ取材等もこなし、多岐に渡る分野でマルチな才能を発揮している。

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