友達0のコミュ障が「一人」で稼げるようになったぼっち仕事術

会社を辞めて「好きなことだけ」してみたら、ヤバいくらい迷走した話

ずっと逃げてたけど、起業します

小説もダメ、ブログもダメ、YouTubeもダメと、まるでダメな無職だった当時の私には、実はもうひとつ、やってみたいことがありました。入社当初から実に七年間、腹の中で熟成(発酵)させてきた、起業です。

在職時から、寝る前、ジョギング中、シャワー中など、何か思いつくたびにEverNoteのビジネスアイデアをメモし続けていたのですが、いざ具現化となると、会社を作ったり資金調達に走り回ったり売り込みプレゼンに特攻したり……ハードル高いなってビビって先延ばしにしていました。

でもここに来ていよいよ後がなくなって、生活のために「やらなきゃいけないこと」に邪魔されない貴重な時期だし、後悔もしたくなかったので、いっちょやるだけやってみようと本腰入れることにしたのです。

独立・起業系の書籍を読みまくって、「良いもの(商品)は営業なんかしなくても勝手に売れていく」という一説に希望を見出しました。

「自分には一流ではないにしろ6年間培ったITスキルがあり、アイデアを形にすることだってできる。それが良いもので、勝手に売れていくのなら、一人でも事業として軌道に乗せられるんじゃないか」と。そんなわけで、IT×新規事業の方向で、書籍のテンプレートに沿って一人シコシコと事業計画を練りました。

ちなみにこの時は、既に東京のシェアハウスを追われて単身福岡に引っ越して間もない頃です。
なぜ福岡に越してきたかというと、どこか遠くの土地でまたリセットして気持ちを切り替えたかったから。図書館やネットなどインフラが整っていて家賃が安ければどこでも良く、北海道(北)か福岡(南)かで迷って、暖かそうな南にしました。
シェアハウスを追われた段階で会社を辞めたことが両親にバレて、福岡に引っ越す時も散々止められたのですが、結局は「辞めちゃったもんはしょうがない。もう好きなようにしなされ……」と生暖かく見守ってもらうことに。

実は就職して実家を出てからというもの、両親とはほぼ音信不通で、自分はあまり関心を持たれていないと思い込んでいました。この退職バレやら引越しやらで両親とも多少はゴタゴタしたのですが、反面、この時ようやく両親が自分を心から心配してくれていると実感しました。

福岡に引っ越した時など、母が「旅行のついでに」と寝袋を持って泊まりがけで荷ほどきに来てくれて、寒くないようにとあったかい部屋着やら生活雑貨やらを置いていってくれました。
父は「ママには内緒だぞ」と言って三万円、母は「たまには遊びに帰っておいで」と飛行機代に二万円、それぞれこっそり手渡してくれました。
両親が帰って一人で過ごした最初の夜は、寂しくて涙が出ました。

その後も、両親から毎晩のように電話をもらい、ポツポツと近況を伝える中で、自分が考えている事業計画のことも話すようになります。
最初に父が興味を示してくれて、事業計画書を送ると「面白そうやん」と褒めてもらえたので、最初の事業は、IoT系のモバイルアプリに決めました。

それは、ユーザーがお店に近寄ったらポイントがつく、というもの。当時、毎朝のように那珂川に沿ってジョギングしていたのですが「ジョギングがてらポイントとか貯まったら良いのになー」という思いつきから発展させたアイデアでした。お店からしても客が増えたらWIN-WINなサービスになるんじゃないかと。
ただ、当時IoTはかなり最先端の技術で、エンジニアを雇うお金もなく、自分でアプリを作ったこともないので、どうやって実現したものかと悩んでいました。

そんな折、父が「アイデアだけでも特許取れることもあるから、先に申請してみれば? 知り合いの弁理士さんに感触だけでも聞いてみるよ」と言ってくれたのです。ガッツリ、お言葉に甘えることにしました。

しかし、弁理士さんの回答は「出してみないとわからない」というもの。出してみる、とはつまり特許出願審査請求を行う、という意味で、代理人に書類を作ってもらうなど含めると20万円以上必要だとわかりました。

当然、そんなお金はなく可能性も低そうだったし、「じゃあやめときます」ってことにしたんですが、父がすかさず「お金ならオレが出しといたる」と言ってくれまして。
またガッツリ、お言葉に甘えることにしました。(結局、二年後に否認通知が来ちゃったんですけどね……お父さん、ごめんなさい)

見知らぬ土地に一人きりで事業計画に夢を膨らませる一方で、会社を辞めてからずっと、「何をやっても収入につながらない」という現実が常に頭の片隅にありました。さらに予定外の引越しと税金(前年の所得に基づく!)でなけなしの貯金が予定の倍以上のスピードで減り、精神的にも追い詰められました。

当時はそんな自覚もあまりなくてわりとのほほんと過ごしていたつもりだったのですが、身体は正直なもので、ジョギングして自炊して会社員時代よりは明らかに健康的な生活を送っていたにもかかわらず、謎の吹き出物で顔中ブツブツになっていました。

こうしては私は知らず知らずのうちに、「ぼっち」であることの呪い(?)にとらわれ、心と身体をむしばまれていくのでした……

さて、次回は「コミュ障・ぼっちが起業した結果、どうなったか」についてご紹介していきます。まだまだ地獄は続きます(笑)

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プロフィール

末岐碧衣
末岐碧衣

コミュ障で友達0人のシステムエンジニア。早稲田大学理工学部卒業。新卒でITコンサルティング企業に入社したものの、コミュ障が爆発し、人間関係が崩壊する。うつにより休職した後は、コミュ障の自覚を持ち、チームプレイを避けて一人でできる仕事に専念するようになる。2015年フリーランスとして独立。一度も営業せず、独立前の年収3倍を達成。

著書

友達0のコミュ障が「一人」で稼げるようになったぼっち仕事術

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末岐碧衣 /
「コミュ障」で「友達が0人」という、社会にうまく適応できない著者が、多くの...
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