2022東京ヤクルトスワローズ髙津流 熱燕マネジメント

村上選手最終打席56号、ベテラン達との惜別――
劇的シーズンを終え、指揮官が挑む2年連続日本一!

2021年ついにセ・リーグ制覇、日本一を成し遂げた髙津ヤクルト。その悲願の裏には「絶対、大丈夫!」の言葉が物語る、髙津臣吾監督の卓越したチームマネジメント力があった。
王者として迎える2022年シーズン、髙津監督はどのように戦い、どのようにチームを進化させていくのか。
本連載では、今年もインタビュアーに長谷川晶一氏を迎え、髙津監督の組織論から、マネジメント術、若手育成術まで余すところなくお届けしていく。

(インタビュアー:長谷川晶一)

――現在、クライマックスシリーズファイナルステージの真っただ中ですが、改めてセ・リーグ連覇、2年連続のリーグ優勝、おめでとうございます。昨年は横浜スタジアム、今年は満員の本拠地・神宮球場でした。やはり、感慨もひとしおではないですか?

髙津 どうもありがとうございます。単純に神宮とハマスタという違いもあります。昨年は自分たちの試合に勝利してマジック1として、その後に2位タイガースの試合結果を待ってからの胴上げでした。昨年のような決まり方は、僕にとっても初めてでした。今年は自分たちの本拠地で、自分たちの力で、しかもサヨナラ勝利という劇的な優勝でしたので、また昨年とは違う喜びがありましたね。

――2020年の監督就任時は無観客で、その後も入場制限が続いていました。そして今年は満員の神宮球場で、ファンの見守る中での優勝、胴上げとなりました。

髙津 優勝を決めた9月25日の試合そうだし、ムネ(村上宗隆)がシーズン56号を放った試合もそうだし、球場の熱気はすごかったです。もちろん、まだ声を出しての応援はできないけれど、それでもつい立ち上がってしまうような興奮と熱気、手拍子は本当にすごかった。僕らが現役時代の頃は、勝ったらみんなで大騒ぎをしていました。もちろん、まだまだ制約はあるけれど、かつては当たり前だった光景が少しずつ戻ってきている感じ、「あぁ、この感覚、この感激は久しぶりだな」と思いましたね。

――昨年は2位・阪神タイガースとはゲーム差なしでの優勝でした。今年は2位・横浜DeNAベイスターズとは8ゲーム差、結果だけ見れば圧勝でしたが、コロナ禍に見舞われた7月からは本当に大変なシーズンとなりました。今シーズンを振り返って、ポイントとなった時期、ペナントレースを制する決め手となった場面はどこでしょう?

髙津 どの優勝にもいろいろなドラマがあって、どれも同じではないですけど、今シーズンに関して言えば、後半のベイスターズとの試合はすべてポイントだったと思います。8月26~28日、ハマスタでの3連戦で3連勝しました。その後、9月に入って神宮で1勝1敗、そして23~25日に神宮で2勝1敗として優勝を決めました。2位との直接対決で6勝2敗で勝ち切れたのはとても大きかったと思います。あとは交流戦の最後も印象に残っています。

――交流戦の最後は6月10~12日、福岡ソフトバンクホークス相手に3連勝で、パ・リーグ全球団に勝ち越す完全優勝となりました。

髙津 交流戦最終戦、(高橋)奎二のプロ初完封で勝利しました。その後、ペナントレースが再開してカープ相手に3連勝しました。あの頃の戦い方、チームの雰囲気はとてもよかったと思います。奥川(恭伸)や、(ドミンゴ・)サンタナが故障離脱していても、きちんと踏ん張ることができた。誰かが誰かをカバーする。それができなかったら、ズルズルいってしまった可能性もあったと思います。

ご感想はこちら

プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
出版をご希望の方へ

公式連載