始まりましたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』。主役の秀吉と秀長、その年齢差は3歳と言われている。
天文6年(1537年)と9年ですな。尾張国上中村(現在の名古屋市中村区中村町・中村中町・中村本町・元中村町・鳥居通)に生まれた兄弟は最近の説では同父兄弟と考えられており、ふたりが幼い頃に死んでしまったらしい。
『明智軍記』では秀吉(藤吉郎)が信長に仕えたのは永禄元年(1558年)で、3年後に30貫文の所領になったとされていて、『武功夜話』は出仕が同年で同時に15貫文の所領を与えられた、としている。
豊臣兄弟の生まれ故郷とされる上中村は、江戸時代前期の検地石高711石となっているから兄弟の時代はそれより少なく見積もって500〜600石といったところか。戦国時代の貫文単位に直すと250〜300貫だから、秀吉は織田家でのキャリアの初めの方で出身地の村全体の20分の1〜10分の1の田畑を手に入れた計算になる。まあ、この2つの史料はどちらも信憑性の点で慎重に検討しなければならないものではあるんですけど。
仮に本当だとするなら、この時点で秀吉の年収は6貫文〜12貫文、54万円〜108万円となる。現代とは違って現金による消費生活はまだまだ未発達だから、最低限の暮らしはこれで成立できた。なにしろ消費経済が進んだ江戸時代でさえ、武家に仕える若党の年収は金3両(約30万円)、庶民なら1両で1年暮らせるというぐらいのものだったのだから。
そう考えると、ドラマの冒頭付近で富農の坂井喜左衛門家が野盗に襲われる場面で秀長(小一郎)が喜左衛門の娘で幼なじみの直さんに(銭)10文で助けようと取り引きしたのは、900円ぐらいで1日分の生活費にも満たない、かなり直さんの側にお得な条件だった。
ちなみに坂井喜左衛門だが、ドラマでは「名主」(当然上中村の、だろう)と説明されている。史実では信長の叔父で守山城主だった織田信次の年寄衆。ドラマよりかなり実力者のお偉いさんだ。さらにそれ以前、本人か先代喜左衛門が織田信友の家臣だったらしい。
信友は尾張下四郡(愛知県東部の南半分)を支配する織田大和守家当主で、信長の父・信秀は大和守家の奉行だったから、喜左衛門は本来信長と同格だった。
その娘となると、おいそれと秀長が軽口を叩ける相手ではないし、何より中村からは10キロメートル(㎞)も離れているので万事多忙な重臣として出仕するのにもちょっと無理があるかもしれない。
その後、喜左衛門は新たに守山城を与えられた織田信時(信長の弟)の家老にスライドするが、安房守(あわのかみ、この地域の行政官)が喜左衛門の子・孫平治を衆道(男性同士の関係)の相手として寵愛し喜左衛門の相方家老・角田(つのだ)新五を軽んじたため、元々信次時代は重臣筆頭だった自分の地位がいよいよ危ういと怖れて信時を殺害してしまう。
それが弘治2年(1556年)の出来事だから、ドラマで坂井喜左衛門家が略奪のターゲットにされる永禄2年(1559年)までのわずか3年の間に守山城を辞して上中村の名主に収まったとも考えづらい。
どうやらドラマの喜左衛門さんは史実とは別の人間で名前だけが被っていると解釈した方が良さそうだ。
閑話休題。ドラマ初回、秀長は清須の道普請に参加しそこで微行(おしのび)で作業に参加していた織田信長と初めて出会う。ここでいただけないのは、現実性の欠如だ。