メルツ氏は2つの選挙後記者会見に臨み、憔悴した表情で「第二次世界大戦後、我が党にとって最悪のデザスター(Desaster:破局)だ。旧東ドイツだけではなく、ドイツで何かが変わった」と述べた。
ドイツの政界では、全国的に影響力が強い政党を「国民政党(フォルクスパルタイ:Volkspartei)と呼ぶ。過去においてCDUは社会民主党(SPD)などとともに国民政党と見なされてきた。だがメルツ首相は、今回の敗戦後、「CDUはもはや完全な国民政党と言えなくなった。少なくとも部分的にしか、国民政党ではない」と述べた。
つまり旧東ドイツにおいては、CDUは国民政党の地位を失った。SPDの得票率は、SPDの現職首相の人気の高さの故に、MV州では35.5%だったが、SA州では9.3%しか取れなかった。SPDの昨年の総選挙での得票率は16.4%に留まった。これもSPD結党以来、最低の得票率だ。
CDUおよび姉妹政党キリスト教社会同盟(CSU)とSPDの連邦議会選挙での得票率の合計は、1970年代には90%を超えていた。昨年の連邦議会選挙では、その合計はわずか45%となった。
このためCDU内部では「2つの州での選挙結果は、有権者がメルツ政権に落第点を与えたことを示す。もはやメルツ首相では、選挙に勝てない」という声が出ている。メルツ氏の不人気の原因は、政策を頻繁に変えることや、市民感情に十分に配慮しない失言だ。
たとえば同氏は、25年の連邦議会選挙前には「緊縮財政のための憲法規定(債務ブレーキ)を変更しない」と言っていたが、選挙に勝った途端に前言を翻してインフラ投資と防衛費のために国債増発を可能にし、積極財政路線に切り替えた。また、SA州議会選挙後、ある演説で「現在70歳~80歳の市民は繁栄と安定しか経験していない」と発言し、ドイツ統一後に国営企業が閉鎖されるなどして、失業禍に苦しんだ旧東ドイツ市民を怒らせた。この夏に行った閣僚の変更でも、十分な協議や根回しを怠り、多くのCDU党員の怒りを買った。
ただしメルツ氏はダブル敗戦後も、続投する姿勢を崩していない。CDU内部にも、ただちに首相退陣を求める声は上がっていない。その理由は、メルツ氏が政権にとって最も重大な課題である公的健康保険、公的年金保険、公的介護費用保険の3つの制度の改革を進めているからだ。
社会保障制度改革は、不況に苦しむドイツの製造業界の国際競争力を回復する上で避けて通ることができない。メルツ政権の最重要課題の一つだ。
ドイツの社会保険料は、企業と社員がほぼ半分ずつ負担する。だが社会の高齢化と少子化のために、これらの社会保険制度の赤字は年々増えている。
ドイツ連邦経営者連盟(BDA)によると、25年に社会保険料が平均賃金に占める比率は41.9%に達した。現在のままではこの比率は35年には46.3%になると予想されている。ドイツの自動車、鉄鋼、化学製品、機械などの価格競争力が低下している一因は、社会保険料の上昇である。
これらの社会保険の保険料率が急激に上昇しないように、政府は連邦予算を投じて赤字を補填している。たとえば連邦政府は24年に、公的年金保険制度の赤字を補填するために、1179億ユーロ(21兆2220億円・1ユーロ=180円換算)も投じた。政府の負担にも限界がある。
そこでメルツ政権は25年以来、社会保障サービスの引き下げやカバー範囲の制限、自己負担の引き上げなどの改革措置を法制化しつつある。同氏は25年に「現在のままでは、将来も社会保険制度を維持することは不可能だ。このため私は痛みを伴う改革を断行するつもりだ」と述べた。