今回の農林水産大臣の辞任に至る過程で「箇所付け(かしょづけ)」が政治の具として扱われているのではないかという疑問が国民の間に生じた。箇所付けとは、国の予算を、具体的に「どこの地域の、どの事業に、いくら配分するか」を決めることである。
国の予算は、各省庁が予算要求した後、財務省の査定を経て政府が編成し、国会審議を経て決定され、個所付けがなされる。予算案説明過程で個所付けの代表例等が説明されるなど成立前に事実上の個所付けがなされる場合もある。
箇所付けは一定のルールに基づいて公平かつ適正に行われるはずなのだが、今回、国民の間に「政治家が恣意的に介入しているのではないか」という疑念が生じた。この機会に制度を改善するべきである。
政治家が箇所付けに関心を持ち発言すること自体は一概に否定できない。そもそも予算審議にあたっては具体的に予算をどう使うのかという議論が大切である。箇所付けの話がその予算の必要性に説得力を増すこともある。
ただし政治家の箇所付けに関する発言はオープンに行われるべきだし、行政はそれをきちんと記録に残し公開するべきである。行政が正式に発表する前に個々の政治家の求めに応じて事前に開示することがあるとしたらそれはやめるべきである。
個所付けに関する政治と行政のやりとりこそ情報公開すべきだ。それが国民の疑念を解消する道である。
市町村に対する国の「箇所付け」については都道府県の意見が相当程度反映されるのが普通である。その面からも評価と検証が必要である。
筆者が都庁に勤務していた時の経験では、国の省庁に行って都側の意見を述べるのが普通であったし、場合によっては省庁の箇所付け案を変えてもらうこともあった。こちらに正当な理由があり、省庁側も納得すればそれもできた。
今回、問題になったのは道路予算だが、箇所付けは他の分野でも行われる。国土交通省だけでも河川、砂防、港湾、空港、下水道など多岐にわたっている。農林水産省でも農業用水、農道、林道、漁港など色々ある。文部科学省だったら学校の改築・耐震化事業への補助金配分といった具合である。市町村にとってはその分野の国の予算総額より箇所付けこそ関心事と言ってよい。
砂防工事についての例を挙げると、2000年の三宅島噴火の後、大量に降り積もった火山灰が今後、風雨によって泥流になって住宅地に流れてくるのを防止するため50基を超える砂防ダムを建設することになった。
砂防ダムについては、一つひとつ、なぜこれがこの場所に必要か、そしてダムの様式・規模・設計・工法等について東京都が中心となって詳細に計画しすべてについて国の担当者の実地踏査や指導を経て決定された。
こうした過程は、三宅村役場の職員と共に東京都建設局の職員が主導的に立案するとともに村民や村議会にも説明してオープンに進められた。箇所付けについて、いわゆる政治家の恣意的な介入はなかった。次々に現場視察に来る政治家からあったのは激励と助言だけだった。
昔のことだが、筆者が都庁の高齢福祉部長だった当時は都内のどこに特別養護老人ホームを建設するかについてまで厚生省(当時)が決定権を持っていた。そこで箇所付けの季節になると、厚生省に行って責任者に資料を見せてもらい「ここは来年度回しでよいからこちらを今年度に入れてください」といった折衝をしていた。