視覚障がい者に光を与えた父子の凄い就労支援

当時、全国には大きな施設に入れない障がい者たちの小規模作業所が4000カ所以上あったが、視覚障がい者を対象とするものは皆無だったのだ。

日本初の視覚障がい者のための施設

そこで1996年、斯波さんは浜松市の郊外、半田町という場所に民家を買い取り、全国で初めての視覚障がい者のための小規模授産所「ウイズ」をオープンさせる。最初の入所者は7人の視覚障がい者、そして斯波氏も入れた4人の職員でスタートした。

「ウイズ」の最初の仕事は、取材に来た記者たちの名刺に点字を印刷することだった。日本初の視覚障がい者のための施設ができたということで、新聞記者やテレビ局、雑誌社などがたくさん来る。

そこで斯波さんは記者やカメラマンの名刺を点字名刺にする、という営業をした。「1枚10円です。1人10枚の点字名刺をつくりますから、100円置いていってください』と言うと、6~7社の記者やカメラマンが名刺を置いていった。

その名刺を点字に直す練習を1週間かけて行い、いよいよ本物の点字名刺を手打ちして送ったという。1枚つくって10円。100枚つくって100円。そのお金を「あなたの稼ぎだよ」と言ってつくった人に渡すと、視覚障がい者たちは輝くようなうれしい表情になった。

たった100円――。しかし、光を失ってから初めて自分で稼いだお金。斯波さんが求めていたのは、まさに視覚障がいがある方の、この“うれしそうな顔”をつくることだった。

そのうちに、点字の電話帳や点字の広報誌など公的な仕事もくるようになった。こうして点字印刷は「ウイズ」を支える重要な事業の1つになったのである。

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多くの人々の協力もあり、「ウイズ」は半田と蜆塚に2つの拠点をつくることができた。さらに2006年、無認可の授産所ウイズを法人化するために、NPO法人六星・ウイズを立ち上げ、視覚障がい者のための居場所と仕事づくり雇用の場の確保、そして仕事ができるようにリハビリをめざす新しい組織をつくったのである。

斯波さんが力を注いだ自家商品も、白杖、点字印刷のほかに、ラベンダー入りのポプリの小物やマグネットグッズ、布ぞうりなど20種類以上になっている。

「ウイズ半田」と「ウイズ蜆塚」の2拠点には、3人のペルー人、1人のブラジル人もいる。ペルーからやってきた出稼ぎの外国人は、夫婦で来日したもののご主人は病気で亡くなり、奥さんは来日してすぐに目の病気で失明し、手術をしても、視力は回復しなかったという。ご主人の入院費や自身の目の手術代で生活に困窮していたところを、六星・ウイズが手を差し伸べた。

障がい者たちを生き返らせること

斯波さんはこう言っている。

「世の中の人と一緒に同じことができないのが障がいであり、できないと決めつけるのが障がいです。だとしたら、1人でできるようになるのは、障がいから生き返ることだと私は思います。周囲の人たちの手助けを借りてでもいい。私たちの使命は、障がい者たちを生き返らせること。一般の人と同じように仕事に就いて、お金を得て、社会の役に立つ喜びを感じさせてあげることなんです」

(文=坂本 光司:経営学者、人を大切にする経営学会会長)