野村克也氏が野球選手を目指した「本当の理由」

野村克也氏はプロ野球選手として、監督としてなぜ活躍できたのか。そこには野村氏がライバルに勝つための戦略的理論があった(写真:共同通信)
今年2月に84歳でこの世を去った野村克也氏。プロ野球界にその名を刻んだ野村氏は、実は単純に野球が好きだったからというわけではなく、金持ちになるために“戦略的”に野球の道を選んだのだといいます。
人は、競争に勝つために「ライバルに打ち勝つ」べきか、それとも「自分の資質を活用する」べきか、『3000年の叡智を学べる 戦略図鑑』の著者で、ビジネス戦略、組織論に詳しい鈴木博毅氏が、人類が長い年月のうちに築き上げてきた“戦略”を基に解説します。

野村氏が成功するために選んだ戦略とは

「ぼやき」で有名だった野村克也監督(今年2月死去)は、プロ野球の往年の名選手であり、監督としても長期に活躍した傑出した人物でした。その野村監督が、野球を始めたきっかけが、書籍『野村克也、明智光秀を語る』に書かれています。同氏は、もともとは母親孝行をしたい一心から、シンプルにお金持ちになれる道を探していたのです。

まず歌手の美空ひばりさんをまねて歌で成功しようとしたが、声の音域が狭いことで諦め、次は映画俳優で成功しようとしたが、鏡の中の自分を見て諦めて、最後に残った野球が、「自分でも驚くほどうまくできた」のです。

野村監督は、ほかの野球部員から「お前は隠れて練習したのか」と言われるほど、素質が野球に合致していました。「野球ってこんな簡単かよ。そうならば、俺は死ぬ気で野球をやろう」という想いが、野村少年を野球一筋に決意させたのです。

特定の運動能力を、典型的な経営資源と考えると、野村監督にとって、歌でも俳優業でもなく、野球を選択することが競争に勝つための最初の戦略だったことがわかります。母子家庭で苦労している母親を見続けていた野村少年は、野球という自分に正しい戦略を選ぶことによって、母親孝行という自分の夢をのちにかなえることができたのです。

これはまさに、企業戦略の大家として名が知られるジェイ・B・バーニーの提唱するリソース・ベースト・ビュー(resource based view)という戦略思考だといえます。

バーニーは、著作『企業戦略論』で、企業が独自に持つ経営資源の活用こそが、戦略であるとしました。

それぞれの企業が持つ、独自の経営資源をいかに活用するかということこそが、競争に勝つための重要なポイントだとしているのです。

一方、ハーバード大学で、史上最年少で正教授となり、書籍『競争戦略論』で世界的な知名度を持つマイケル・E・ポーター教授は、ビジネスを5つの競争要因に分類して解説しています。これが、世界的に有名な「ファイブフォース」です。

① 新規参入者の脅威
② 買い手の交渉力
③ 既存企業との競争
④ 代替品の脅威
⑤ サプライヤーの交渉力

ポーターの理論は、「参入障壁」を境にライバルが競争を繰り広げると考えています。彼が展開した競争戦略の基本とは、上記のファイブフォースをめぐり、A:「守る」自己の参入障壁を強化する、B:「攻める」競争相手の参入障壁を切り離すか無効化する、ことを目的としています。

あなたが新しい業界への参入を狙っている企業なら、古い企業から見て、あなたは「新規参入者としての脅威」です。彼らは自分たちが持つ参入障壁を最大限に強化して、あなたの参入を阻止します。一方で、新しく参入する側からすれば、古い企業の障壁は破壊すべき障害です。ポーターの競争戦略の基本は、大変シンプルなのです。

ポーターは、参入障壁をめぐる競争について、3つの立ち位置(ポジション)を獲得することを提唱しています。