タイ発「BLドラマ」が大ブレイクする納得の事情

彼女が堂々とステージ上で女性の姿と声で歌い、その後生まれ持った男性としての地声で歌う姿、そしてそれを温かく応援する様子は、タイ社会におけるLGBTと呼ばれる人々を受け入れる抱擁力、受容性を感じざるをえない。

お互いに敬意を払う仏教の教え

タイは国民の約95%が熱心な仏教徒である。仏教では「一切衆生悉有仏性」という教えから「生きとし生けるものすべてに仏になりうる可能性がある」として命を慈しみ、お互いに敬意を払うという仏教の教えが人々の感性に深く染みこんでいる。

さらに同じく仏教の教えである「過去や未来にかかわらず今を大切に生きる」「昨日のことは忘れました、明日のこと知りません。だから今、ここ、自分を一生懸命生きる」という思想なども性的少数者に優しい社会を育んできたといえるだろう。

東南アジア各国は欧州列強の植民地だった歴史的経緯がある。イギリスの植民地(シンガポール、ミャンマー、マレーシア)、フランス植民地(カンボジア、ベトナム、ラオス)、オランダ植民地(インドネシア)、スペイン植民地(フィリピン)である。

植民地時代にヨーロッパの「同性愛禁止」という思想と法律が持ち込まれ、それが長い植民地支配時代に徹底され、現在まで残滓が残る中、タイは唯一植民地支配を受けることなく独立を守り通した。そのことでタイは歴史的に欧米の価値観を共有することを強いられなかったという経緯がある。こうした歴史もLGBTに対する国民の間の寛容性の背景にあるといわれている。

そうした宗教、歴史に加えて、タイ国民の国民性も背景にはあると指摘されている。「生物学的な性」と相違する「自己認識する性」が存在する性同一性障害の場合、「自分に正直に生きること」を選択する際に、タイ社会はその障壁やハードルが決して高くないという現実がある。

タイでは一般的に相手への敬意を「ワイ(合掌)」で表現する。これは僧侶や年長者には軽い会釈も伴う礼儀で、このあいさつ「ワイ」がタイ社会の潤滑油になっているとも言われるように、多民族、多様な人々が暮らす社会をいかに仲良く、円滑に動かすかという知恵の所産でもある。それが性的少数者や社会的弱者にも寛容な社会を支えているのではないだろうか。

イスラム教はLGBTの存在を認めていない

こうしたタイ社会のありようは、同じ東南アジアのマレーシアやブルネイというイスラム教国(イスラム教が国教と規定されている国家)や、イスラム教国ではないもののイスラム教徒が国民の約88%と圧倒的多数を占めるインドネシアなどと大きく違うところだ。

イスラム教ではLGBTの存在を基本的に認めてはいない。一種の病気として政治経済社会文化のあらゆる分野で差別、虐待の対象になりうるのだ。

ブルネイでは2019年4月に同性愛や不倫は犯罪であるとしてむち打ち刑、禁固刑そして石打ちによる死刑の適用を決めた。ところが国際社会や人権団体から猛反対を受けて現在その適用は見合わされている。

インドネシアでは同性愛は法律違反ではないが、唯一イスラム法「シャリア」の適用が認められているスマトラ島北部のアチェ州では不倫、同性愛、未成年性交などはイスラム教の規範に反した摘発対象となり、公開のむち打ち刑がよくニュースに取り上げられている。
 
「他者、異教徒」に対してそれを排除するイスラム教と受容する仏教の違い、といってしまえばそれまでだが、そうした宗教の違いが同性愛を含めたLGBTへのその国、社会の許容度と深く関わっているともいえるだろう。

とはいえ、タイ社会でも同性愛、LGBTへの差別は厳然として存在する。兵士、警察官、司法関係者、公務員、大企業などへの任官、就職には「暗黙の差別が存在する」といわれているのも事実だ。年長者の中には「前世の行いが悪い人が現世で受ける報いがLGBTである」と公言する人もいて、仏教の輪廻転生の中でも「差別」を受けている。