ネットで「過激な発言」ばかり目に入る根本理由

また、通常の会話においても、発信は能動的なものと受動的なものが入り混じる。もちろん、強い想いを持って発言をすることもあるが、話し相手がその話題に関心がなければ空を切るだけで、やがてその会話は終わる。また、会議やディスカッションの場であれば、あまりに話し過ぎていたら司会に止められる。そのうえ、時には相手から質問を受けることもあるため、受動的に発信することもあるわけだ。

ネットという特殊な言論空間

しかし、ネット空間ではそういうことはない。ネットはとにかく発信したい人が発信したいことを言う場である。仮に極端な意見や誹謗中傷的な発言をしたところで、それを止めるような司会者もいない。強い想いを持ったら、その強い想いのままに、何の気兼ねもなく次から次へと発信していくことが可能なのである。そう、とどのつまりは、ネットとは「能動的な発信」だけで構成された、極めて特殊な言論空間なのである。

いつまでも同じ話をしていたり、特定の批判や誹謗中傷ばかりをリアルの会話でしていたりしたら、その相手は嫌な顔をするか、その会話をいずれ遮るだろう。あるいは、自分の周囲から離れていくかもしれない。そうやって、言論空間の「社会性」というのは、リアルでは常に保たれるようになっているのだ。

しかし、SNSの自分のアカウントで好き勝手に極端な意見や誹謗中傷を垂れ流しても、それで嫌な顔をする人はいないし、遮る人もほとんどいない。たまに遮られても、今度はその遮ってきた見ず知らずの他人を攻撃すればいいのだ。ネットニュースやブログへのコメントも同様である。

実は、この「万人による能動的な発信だけで構成された言論空間」がここまで普及したというのは、有史以来初めてのことである。ネットが普及して情報革命が起こり、人類は未だかつてないコミュニケーション環境に晒されたのだ。

能動的な発信だけで構成されている言論空間というのは、「極端な人」にとっては天国のような空間である。誰も自分の歩みを止める者はおらず、ひたすら自分の意見を世界中に、時には嫌な人に直接、書き込み続けられるのだ。

しかも、この特徴はもう1つ、さらにネットで「極端な人」ばかりが元気になる現象を生み出す。それは、中庸的で強い心を持っていない人は、ネットの言論空間から退出してしまうということである。

もしかしたらあなたも、ネット上で政治的な話題や、宗教やジェンダーの話題、あるいはファンの多い芸能人の話題などは、ある程度避けるようにしているかもしれない。なぜ避けるか。その理由の1つに、他人からの批判や心無い誹謗中傷が怖い・揉めるのが怖い、といったことはないだろうか。

そう、センシティブな話題ほど、ネットで発信をするとどこからともなく「極端な人」が現れ、攻撃を仕掛けてくるかもしれないのだ。だったら、発信しないで平穏に暮らしていた方がいい。こうやって、中庸的な意見の人ほどネットでの「極端な人」による攻撃が怖くて、言論空間から撤退していく。

「極端な人」と中庸な人の差

しかし、「極端な人」はそうではない。自分の意見に確固たる自信があるし、相手を攻撃するのに迷いがない。もし反論されようと、「お前は何も分かっていない」「そんなことを言うなんて売国奴に違いない」などと取り合わず、上から意見をかぶせるだけである。何を言われてもくじけない強い人たちだ。

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その結果何が起こるか。「極端な人」は多く発信を続け、それは留まることを知らない。その一方で、中庸な人はもともと発信のインセンティブが弱いうえ、「極端な人」が怖くて発信をやめてしまう。